夕暮れのプールサイド

フカイ

掌編(読み切り)




 水のない50メートルプールが目の前に広がっている。

 ブルーに塗られた底面に、レーンを示す白いラインが引かれている。

 ブルーも白も、どちらも長い年月にくすみ、にごって汚れた色になっている。枯葉やペットボトルのゴミも散見される。プールサイドの石畳の目地めじはひび割れ、雑草が十文字の形に葉を伸ばしている。


 プールにはひな壇になった観覧席がついていて、ハーフコートを着た私は、その中段にひとり、座っている。両手をコートのポケットに突っ込んで。

 プールの向うには、大きなサイロ(円柱状の穀物などの大型貯蔵庫)や、そこから伸びる様々なパイプを配したコンビナートが建ち、その向うには夕暮れの空が見える。コンビナートは操業を停止し、夕暮れの空に廃墟のシルエットとして浮かび上がっている。オレンジ色と紫のグラデーションが、バックドロップだ。


 ―――かつて。

 そう、いまからほんの25年ほど前。


 私がこの街に住む少年だった頃は、ここは市営プールとしてにぎわっていた。夏になると営業開始し、併設された子どもプールとともに、人々に盛夏の涼を与えた。また市民スイマーにとっては恰好の練習場となった。入場料は大人50円。子ども無料。

 やがて私はこの街を離れ、東の都会へ出ていった。いくつかの夢や希望を抱えて。

 時は流れ、平成の大合併と呼ばれるお祭り騒ぎの結果、この市営プールは、区営プールと名を変えた。

 街や市民がそれによってどのような恩恵をこうむったのか、部外者である私にはさっぱりわからない。しかし以前は海であった場所は埋め立てられ、新しい埠頭が建設され、最新のテクノロジを持ったスマートな工場がそちらへ移転した。同じように山は削られ、そこにはこぎれいな建て売り住宅が並んだ。

 そしてこの準工業地帯であるかつての埋立地は、湾岸再開発の名の元に古い工場を全て移転させ、更地にした上で、大型ショッピングモールになるのだという。


 両親が死去し、そもそも親戚のいないこの街への縁は極めて薄れた。私はもはや、この街で宿泊する家を持たない単なる一時的な訪問者に過ぎなくなった。それでも以前はそんな私を歓迎してくれる友だちがいた。が、彼らともまた、疎遠になった。

 友だちのひとりは家族が出来て、ここを去り。

 友だちのひとりは会社の業績不振に伴ってリストラの憂き目にあい、いまは関西に居を移したと。

 別の友だちはもう十年も音沙汰がなく、さらに別の友はもう墓の下だ。

 私にとってのこの街にはもはや、挨拶を交わすべきひとがいなくなった。


 仕事の都合で隣り合ったより大きな街のホテルに投宿したのは昨日の話だ。

 今日、仕事を早めに終えた金曜の夕暮れ前、私はクルマを借りて、この街を訪れた。

 ―――昔懐かしい景色を見るために。


 小学校、中学校はそれぞれ統廃合された結果、一方は大きな空き地に、もう一方はこの街には全く似合わない高層マンションになっていた。

 そろばん塾のあった下町の長屋街は区画整理の結果、こぎれいな住宅地に変わっていた。

 街区に隣接していた山間のため池はなんとサッカー場になっており、毎日のように通った駄菓子屋がコンビニエンス・ストアになっていたのを見たときには、苦笑せざるをえなかった。

 は見事なまでに、古い町並みを作り直していた。その徹底して稠密ちゅうみつな仕事ぶりはまさに見事の一言であり、さまよい挙句に私がたどり着けたのは、高校生の時に監視員のバイトをしたこの、市営プール跡地だけだった。



 初冬の日暮れは足が早い。

 下らない感傷に気を取られている間に、空のオレンジ色の部分はどんどん狭まり、紫と濃紺のエリアがその領土を拡張してゆく。

 に異論を挟む資格など、もちろん私にはない。

 何故なら私自身があちらで小突かれ、こちらで蹴飛ばされした結果、あの頃とは見間違うばかりの冴えない中年男になってしまったからだ。

 古い歌にあるように、「手遅れと言われても、口笛で答えていた」ようなあの頃。別に不良を気取るわけではなかったけれど、すべての権威に挑んでかかるような、どこにでもいる威勢のいい(見境のない)少年だった。


 その私のいまの基本スタンスは、周到な根回しと鮮やかな引き際だ。学習の結果、といえば聞こえはよろしいかもしれない。しかしそんなに格好の良いものではないのは、長く会社員を続けた者なら誰もが知るところだろう。何度か痛い目にあえば、誰もが身につけるサラリーマンの手際だ。


 東京の家には、妻とその両親。そして三人の守るべき子ども達。

 義父のちいさな事業は畳んだけれど、畳みきれなかったのは銀行に残った借金。

 でもそういった灰色の現実ばかりではない。いくつもの顔馴染みの酒場と、趣味の欧州の古い自動車。真っ赤なイタリアン・レッドに塗られたそのクルマのハンドルを握るとき、自分の心はこの街でキラキラしていた少年に戻れる気がする。



 四五歳。

 あの時、市営プールの監視員だった少年からみれば、想像をはるかに超えた年齢だ。

 プールサイドの観覧席は、日が落ち、一気に気温が下がってゆく。耳が急激に冷えていくのを感じる。ポケットの中の手のひらはまだ、あたたかいが。

 レンタカーに戻りたいとは思うけれど、いますこし、ここにいたい。


 長く生きていくと今のように、時々、これまでの来し方とこれからの行く末が、不意に俯瞰できるように見える時がある。

 私の知っていたこの街は、高度経済成長期の中で煤煙ばいえんと汚水を吐き出し続け、地球を激しく痛めつけながらも、純粋で能天気に成長を続ける若い街だった。川を泳ぐボラには背筋の曲がった奇形もいたけれど、同時に山に入れば野ウサギやキジバトを見かけることがあった。

 私自身と同じように。

 世間知らずで無知ではあったが、その代わり、純粋でけがれを知らず。

 いま、こうして走り回った挙句にたどり着いたプールサイドは悲しく朽ち果てようとしているけれど、ソフィスティケートされて清潔に生まれ変わった街は、驚くほど洗練されている。マーケティング分析と、確固たる意志に基づいた再構築。昔のような闇雲なエネルギーではなく、効率的で無駄のない計算。私自身がそうなったように。


 あの時に聞いていた、ポップ音楽の一節が、不意に胸に去来する。




 すこしずつ

  すこしずつ

   何かを変えてゆけたら



 何年か経ったときにも

  きみは変わらないでいて



 もし青春なんて言葉があるなら

  いまでは照れくさいけど

    あの日は近い明日よりも、遠い永遠を信じていた―――




 なんてことはなく聞いていた音楽が、強烈に胸を締め付ける。

 あれから25年。

 それは“遠い永遠”と歌われるにふさわしい年月だ。

 これから25年。

 私はもう、立派な老人になっている。このプールサイドはもはやなく、あるいは私もこの世にいるかどうかも心許ない。



 サイロの向うの空は、深い青に沈んだ。

 夜が訪れた。

 私は席を立った。

 身体のあちこちが、すこし、痛い。

 ポケットに両手を入れたまま、口笛を吹く。

 あの懐かしい曲を。



 すこしずつ

  すこしずつ

   何かを変えてゆけたら…











 (作中楽曲:大江千里「プールサイド」)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夕暮れのプールサイド フカイ @fukai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る