恋愛未遂

月花

第1話 恋愛未遂

ここは、昨日「恋愛未遂事件」の起こった現場である。


場所は、僕の部屋。

加害者は、友達の琴子。

被害者は、僕。


事件の内容は、こうだ。


いつものように、琴子は遠慮のかけらもなく、「ちわ~っす」と軽快な挨拶と共に、この部屋を訪れた。僕は、台所で鍋の下ごしらえをしながら、ちらりと彼女に視線を送る。


「お前。挨拶ぐらい、もっと女らしく出来ないのか」


言っても仕方ないことを言ってみた。別に本気じゃない。すると、琴子は、


「何それ!いまさら何言ってんだか」

とケラケラ笑う。


「そんなつまんないジョークは置いといて、鍋の用意出来てんの?」


琴子は玄関でブーツを脱ぎながら聞いてきた。


「あと少し」


僕が短く答えると、ブーツを脱ぎ終えた琴子が、ズカズカと部屋に入って来る。琴子の服装は、いつもと変わらないジーンズに、少しだけ肩の出た編み目の大きい真っ白なニット。


「ビールの差し入れ、持ってきたよん」


そう言って、彼女はコンビニのビニール袋を掲げた。


「サンキュ」


僕はそう言うと、切りかけの白菜をまた切り始める。すると。


「何か、やらせてばっかで悪いから、私も切る!」


そう言って、琴子は、さっと台所で手を洗うと、僕から強引に、切ろうとしていた白菜を奪った。


「いや、いいよ別に」


僕が、そう言って取り戻そうとした白菜に、ぐっと力を込めて離さない琴子。


「遠慮すんなよ!」


と、彼女は爽やかな笑顔をこぼした。


いや、遠慮じゃないんだけど……。


これで琴子が、漫画の設定みたいに、「こう見えて実は料理だけ得意」とかだったら、僕は快く白菜を渡しただろう。しかし。


「なんか、この包丁切りづらくない!?」


一分も経たないうちに、沸き上がる琴子のブーイング。見ると、彼女は特大の白菜一個丸ごと一気に、ぶった切ろうとしている。


「琴子……」


僕は青ざめながら、再び彼女から白菜を取り戻そうとすると、やはり力を込めて白菜を離さない。


「いいってば、私やるから。彰はテレビでも見てなって!」


琴子の揺るぎない意志の込められたセリフ。

僕はため息をつくと、中途半端に包丁が刺さった哀れな白菜を一瞬見た後、リビングに移動した。


心が不安定になるような、不規則な包丁の音を聞きながら、琴子が野菜を切り終わるのをリビングで待っていると。


「お待たせ!」


満面の笑みをこぼしながら、琴子が野菜山盛りのザルを持って来た。


これは……何切りだ?形も大きさも、バラバラの色とりどりの野菜たち。


あ、これ、あれに似てる。


小さい頃、牧場で山羊にあげるために買ってもらった野菜の切りクズに。


「山羊……」


「ん?何か言った?」


「何でもない」


と答える僕の顔は、少し青ざめていただろう。


「さあ、鍋だ!鍋だ!」


祭だ、祭だ、みたいな景気の良い琴子の声と共に、山羊の野菜たちが、ドバーッといっせいに鍋へと放牧された。


「琴子、少しずつ……!」


僕の叫びもむなしく、放たれた野菜たちは鍋の許容範囲を越え、山盛りになり、はみ出している。


「さ、どうぞ召し上がれ」


はちきれんばかりの笑顔を浮かべ、琴子は鍋をすすめてきた。


もう、何料理でも構わない。

どんと、来い……。



そして、約一時間後。

鍋らしきものを二人で平らげた後、琴子は


「あ~食った、食った!」


とご満悦の様子で、カーペットの上に、ゴロンと大の字に寝転がる。


もし、これが可愛い女の子だったのなら、僕は男として、当然、落ち着かないだろう。

でも、琴子なら、大丈夫。こんな光景、今まで何度も見てるから、母親が隣で寝てるのと同じくらい、何も感じない。


それからまた、一時間くらい経っただろうか。

一人で雑誌を見ていたが、喉が渇いたので、僕は立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。


その時だった。


「行かないで……」


不意に琴子の声がした。


起こしたかと思って、振り返ると、彼女は相変わらず、眠っている。なんだ夢見てるのか、と思ったが、琴子の顔を見て、ギョッとした。


閉じた瞳から、細い涙が零れている。


それは、朝露のように。真珠のように。

彼女の頬を伝っていた。


そして……。


「彰。一人にしないで」


その、いつもより甘ったるい彼女の声は、僕をこの部屋に引き留める柔らかい蔦のように、絡まってくる。


その瞬間、僕は今まで思ってもみなかった感情を彼女に抱いてしまった。


琴子が。

たまらなく愛おしい。


まるでそれは、今までわざと気付かない振りをして、胸の奥に押し込めた秘密のように。とめどなく、心の中で、逆流して。

なおも、涙を零し続ける琴子の方へ、僕は吸い寄せられるように近づいていった。


そして、膝をついて、琴子の寝顔を見つめる。


こんなに幼い顔立ちだったのかと、今さら思ってしまうほど、琴子の面差しは、可愛かった。ぐすぐすと、子供のように泣きながら眠り続けている。


僕は。ごく自然に。

両手をつくと、覆いかぶさるように、琴子に顔を寄せていった。


ただ、愛おしいと思った。

柔らかな頬に光る涙をそっと指先で拭う。


「行かないでね……」


「行かないよ」


零れる寝言に、僕は優しく返す。自分でも驚くほど、優しい声だった。


そうして、琴子の唇に唇を寄せ。


鼻先と鼻先が触れあい。


二人の吐息が、重なって。


唇と唇が触れあったかと思った瞬間。


ぱっちりと、琴子の瞳が見開いた。



体をビクッと震わせ、頭の中が真っ白になる僕。


「彰……」


唇のすぐ下で零れた琴子の小さな呟きの後、僕らに訪れた沈黙。言い訳しようにも、これはもはや、出来るような状況じゃない。


こんな気まずい沈黙は、いつぶりだろう?

何分経ったのか、もう感覚がわからなかったが。


「彰、私ね……」


口火を切ったのは、彼女。


僕の心臓が、何かを期待するかのように、ドクドクと早鐘を打ち鳴らす。


「な、何……琴子?」













「お腹空いた」


「……」


予想外の一言に、僕は、糸の切れた人形のように、がくっと琴子の上に崩れ落ちた。


「何やってんだよ、彰。重いってば!」


そう言うと、琴子は、僕の体をゴロンと横に転がして、食料の詰まった冷蔵庫目指して、足早に歩いていく。


琴子……お前って、やつは。

鈍すぎるぞ……!!


こうして、僕と琴子の関係は、恋愛へと発展することなく、友達という元のさやに収まったのだった。





翌日。


今度は琴子の家。


相変わらず、観葉植物だらけの部屋。


窓から溢れる日差しを浴びて、ジャングルの奥地のような青々と光る植物たちの葉っぱを眺めていると、琴子の唐突な一言。


「彰。クリスマスは、恒例の闇鍋しようね!」


「なんで闇鍋……。しかも、いつから恒例になった?」


「今年からなった」


「あ……そう」


僕は深いため息をつく。



昨日のあれは、ただの恋愛未遂。

僕らは友達。


でも、なぜだろう。

前より琴子の笑顔が、眩しく思えるのは。 


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恋愛未遂 月花 @tsukihana1209

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