仕方ないよね
一年間。
なんてことない、たったそれだけの時間。
ただおしゃべりして、ごはんを食べて、そしてたまに手を繋いで。
ただ、それだけの恋人。
「今年はさ。プレゼント、マフラーが良いな」
記憶の中で、君が笑う。
「何色で作ってくれるか、楽しみにしてるから――」
※※※
菜々子さんに借りた白衣で、廊下を歩く研究所職員をやり過ごし、教えられた部屋の前に辿り着くと、私は小さく息を吐いた。
ここに、君がいる。最後に見たあのボロボロの姿をもう一度目にするのは、少し怖かった。
カードキーをリーダーに通すと、扉はあっさりと開いた。一歩踏み入れると、エアカーテンが作動して、一瞬びくりとする。
恐る恐る部屋の中に入ると、君は独り床に座っていた。
「……ねぇ」
声をかけると、部屋の中にやけに響いた。君はゆっくりと私を見た。相変わらずあちこち焦げているけれど、珍しく驚いた顔をしてみせた。
「芽里ちゃん。どうしたの、こんなとこまで」
私はなんと答えたら良いか分からず、代わりに「なにもないね」と部屋を見回した。
電気はつくものの、テレビどころか、ベッドもテーブルもトイレもない。ただ、真っ白いだけの空間。
「そりゃ、死体だもの。なにも必要ないし」
「でも、吸血鬼だってせめて棺桶で寝るのに」
我ながら頓珍漢な言葉に、君は「確かに」と笑った。その笑顔を見て、ようやくほっとし、そばにしゃがんだ。
「……お別れ、しにきてくれたのかな?」
小さく頷くと、「そっか」と君は嬉しそうで。
「今まで、ありがとうね。元気で」
そう、あっさりと言ってくれる。
そうだ。私は、お別れに来たんだ。もう死んでしまった君に。二度と会えない君に。
「……ごめん。マフラー、できなかった」
途中まで作ったのだけれど。去年のことを思い出す度に怖くなり、結局完成させることができなかった。
また「そっか」と君は笑う。真っ黒な顔で。ボロボロな身体で。これから、もっとボロボロにされるっていうのに。
私が一歩近づくと、「あ、駄目駄目」と止められた。
「正直さ……俺、どこまでマトモなのか、自信ないんだよね。頭も少し吹っ飛んだし。公園で――君に、その……キスしそうになったし」
言われて、思い出す。確かに、菜々子さんが来る直前、今までになく君の顔が近づいてきた。
「一年も、ずっとガマンしてたのにさぁ」
「今そんなことしたら完全に感染させちゃうよ」と、君が明るく笑う。
「……なんで」
呻くように呟くと、君は「え?」と顔を上げた。
「なんで、我慢なんてしてたの?」
情けないことに、声が震えてしまう。涙がこぼれてきてしまう。君は「困ったなぁ」と、顔の焦げていない部分を掻いた。
「二年連続で、イブに泣かないでよ」
「うるさいうるさいっ」
思いきり鼻をすすりながら、私は小さい子みたいに泣きじゃくった。
「私、君がまったく分かんないッ!」
いつもいつもへらへらと、笑ってばかりの君。私がなにを言ったって、どんなに酷いことを言ったって、怒りもしないでただ、へらへらと。
「君は、私になにもくれないよね。去年だって、私は手袋上げたのに、結局お返しくんなかったし。君のこと、なにも教えてくれない。誕生日だって知らないし、なにを考えてるのか、ふだんなにをしてるのか、なにもなにも知らないし分かんない。私――」
素っ気ない、白い床を見つめる。君の顔を見たくない。また、へらへらと感情を隠した、その顔を見たくない。
私は、絞り出すように声を出した。
「私……君の名前すら、知らない……っ」
出会ったその日、どうせその日限りの関係だと思って、名前も聞かなかった。そのままずるずると、一年を過ごした。たまに意を決して訊こうとしても、はぐらかされて、はぐらかされて――。
「……参ったなぁ」
君の、弱い笑い声が聞こえる。
「どうせ、出会ってすぐ死体になることが決まってる男のことなんて、いつまでも覚えてたって仕方がないじゃない。だから」
「そんなの、私が決める」
ぎゅっと目をつぶり、私は思いきりイヤイヤをした。
「私は、君のことを忘れたくなんかないッ」
部屋が静まり返る。そこに、「しゅう」という声がぽつりと落ちた。
恐る恐る顔を上げると、いつもよりほんの少し――穏やかな笑顔が、私を見つめていた。
「名前。
「……終、くん?」
始めて聞くその響きを、口の中いっぱいで味わうように繰り返す。
「終くん……終くん、終くんッ」
「まぁ、俺、今手元になにもないし。今年のクリスマスプレゼントだと思って――」
キザっぽく話す君の懐に飛び込み、唇を重ねる。少し焦げ臭い。
君は固まったかと思うと、数秒たってからようやくわたわた動きだし、私の肩をつかんで引きはがした。
「な――感染ッ」
「去年の分のプレゼントは、これで我慢してあげる」
私はにやっと笑った。初めて、こんな慌てた君を、終くんを見ることができた。それだけで満足だった。――今は。
「じゃ、次ね」
言って、私はまだ口をぱくぱくしている終くんの手を引いた。
「え? え?」
「決まってるじゃん。ここを出るの。二人でね」
そう言って、私はカードキーを示した。
「いや、でも。俺はそういうわけには」
「なんで?」
「そりゃ、感染が広がったら」
「でも、私も今ので
「そんなの」
「そんなの駄目でしょ?」と私はにやりと笑った。
「私は君と一緒にいたいの。だから、一緒にここを出るか、一緒に実験体にされるか。どっちかだよ」
君はぽかんと私の顔を見つめ――笑った。楽しそうに。
「一年分にしちゃ、随分大きなクリスマスプレゼントじゃない?」
「だって誕生日プレゼントももらってないし。なんなら、お付き合い一周年記念のプレゼントも併せて良いよ」
「行こう」ともう一度引っ張った手に、終くんは「仕方ないなぁ」と従った。
「芽里ちゃんがそんな、欲張りだとは知らなかった」
そう、私は欲張りなの。
他の人がどうとかより、君が隣で笑っているのが良い。
だって仕方ないよね? 君がゾンビになったんだから。例え感染が拡がって、世界がバッドエンドに包まれたとしても。
二人で手を繋いで歩いていく。白い扉の、その向こうへ。
――仕方ないよね。それが、私たちのハッピーエンドなんだから。
君がゾンビになったんだから仕方ないよね 綾坂キョウ @Ayasakakyo
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