たったそれだけの

「おねぇさん、大丈夫?」


 公園のベンチで泣きじゃくっていた私に声をかけてきたのは、ひょろっとした男だった。おまけに顔色も悪い。そのへらへらした顔を、私は思いきりにらみつけた。


「大丈夫に見えますか? ほっといてください」

「どうしたの。彼氏に振られちゃったの? それとも浮気でもされた?」

「……両方ですけどなにか?」


 よくある話だ。クリスマスイブに、プレゼントを持って彼の家へ行ったら、別の女と過ごしていた。そう、よくある古典的な話。


 せめて、こっちから振ってやれば、少しは溜飲が下ったのかもしれない。だけどその前に、「おまえ、可愛いげがないんだもん」と切られてしまった。一発ひっぱたいてやれば良かった、と思ったのは、とぼとぼと独りしばらく歩いているときだった。


「くッそーっ!!」


 思い出し怒鳴ると、公園の入口付近を行き交う人達が、びくりと肩を震わせてこっちを見た。それを無視し、コートの袖口でぐいっと顔を拭う。今日のために新調したコートさえ、憎たらしい。


「よしっ」


 気合いを入れて立ち上がると、「どっか行くの?」と男が訊いてきた。


「まだいたんですか」

「え? あ、ごめんなさい」


 あっさり、男が手を振って謝ってくる。その様子を見て、私は彼……元・彼の言葉を思い出した――「おまえ、可愛いげがないんだもん」。


(可愛げなんてなくて結構ッ)


「これ、あげます」


 そう言って、まだそばでぽやっとしていた男に、プレゼントの袋を押しつける。


「え? よく分かんないけどありがとー」


 なんの葛藤もなく、男はそう言って笑う。私は無視してそのまま歩き出した。


「どこ行くの?」

「ラーメンでも食べに行こうと思って。寒いし。てか、ついてこないでください」


 しっしっと追い払う動作をするが、男は全く堪えた様子もなく「えー」と隣に回り込んでくる。


「ラーメンなら、すぐ近くに美味しい店あるよ。豚骨の。あっちあっち」

「私、塩が好きなんで」


 顔も見ずに答えると、横からまた「えー」と聞こえてきた。


「駄目だよ塩なんて。明日は良くても今日は駄目。一緒に豚骨食べよ」


 そう、ぐいっと腕を引かれ、さすがに慌てて「止めてください」と振りほどく。


「ほっといてください!」

「いやー。でもさぁ、今日は塩味なんて食べたら、余計にしょっぱくなっちゃって、絶対に美味しくないよ」


 男の言葉が意味分からず、私は「は?」と素で訊き返してしまった。「だってさぁ」と、男は頓着なく私の頬を指す。


「悲しくて流した涙は、しょっぱいでしょ?」

「――ッ」


 言われて、拭ったはずの涙がまたぼろぼろとこぼれだした。口に入った一筋が、確かにひどく塩辛い。


「だから、観念して俺と豚骨ラーメンでも食べましょ。悲しいときは脂だよ脂。脂を食べれば元気になれる」

「……変なヒト」


 しゃくりあげながら言うと、「実はね」と男は笑みにほんの少し、苦いものを含めた。


「俺も、彼女と別れたばかりなのですよ。だから、温もりがほしいなって」

「……泣いてる女がみんな尻軽だと思うなよ」


 「え、怖いごめんなさい」と男がまたぶんぶん手を振る。その手には、いつの間にか不格好な手袋がはめられていた。見覚えがある、それは。


「俺は今日、これをもらったから。あとは君とラーメンを食べれば充分ポカポカです」


 大きな手が、こちらち差し出される。鮮やかな紺色は、男の手に全く似合っておらず、私は思わず笑ってその手を取ってしまった。


※※※


「アナタは感染してないって」


 ベッドに腰かける私に、入口に立つ菜々子さんが言う。真っ白な病室みたいなその部屋には、私達しかいない。


 連れてこられた施設。菜々子さんはもうエプロンを外し、代わりに白衣を身にまとっていた。


「付き合って、ちょうど一年だったって? リスクが低いとは言え、よく感染しなかったねぇ」

「……なにもなかったもの」


 そう。あのクリスマスイブに出会ってから、この一年間。たまに会っては、あの公園付近で食事をして、おしゃべりして、たまに手を繋いで……その程度だった。


 その程度の、一年間。慰めだか同情だか、それとも同調だかから始まった、たったの一年間。


「まぁ、なんにせよ良かったじゃない。ゾンビとか、ほんと笑えないもん」

「……菜々子さんは研究者なんでしょ?」


 慰めなのかよく分からないことを言う菜々子さんを、私はちらっと見た。


「なんで、あんな変な武器持って、あの人のこと追いかけてきたの?」


 菜々子さんは少し迷ったようだったけれど、肩を竦めて口を開いた。


「……普段から、感染体の外出行動や外部との通信は研究所が見張っていたから、どこに行くかは予測がついたの。カレが、外出許可出ないのに抜け出したのを、先回りしてこっそり追いかけてきたってワケ。それで、戻るように説得と――必要なら、監禁される前に、始末してあげようと思って」

「始末……」


 「だって」と、菜々子さんは続ける。


「ゾンビって言うと聞こえは悪いケド、ある意味不死の存在なワケじゃない。数少ない検体として、これからどんなエグい実験されるか、他を見てて分かってるし」


 「死体に人権なんてないしね」と、菜々子さんがひねた笑みを見せる。


「いくらなんでも、長いこと付き合ってた元カレがそんな目にあうなんて、イヤじゃない」

「……そう」


 菜々子さんの言葉に、胸の余計な部分がチリつく。長いこと付き合ってた――きっと、この人はあの人と、私なんかよりずっと、深い部分で繋がって。分かりあっていて。


「でも、もう捕まっちゃったし」


 そんな私の気持ちを知りもせず、菜々子さんは白衣のポケットから、なにかを取り出してみせた。白いカードキー。それを、私に差し出す。


「ここを出たら、もう二度と会えないだろーし。せっかくだから、一度ちゃんと、お別れしてあげたら?」


 私は菜々子さんの目を見ながら、ゆっくりとそれを受け取った。


「……菜々子さんは、なんで彼と別れたんですか」


 質問に、菜々子さんは「仕方ないじゃない」と、軽く肩を竦めた。


「死体と付き合うなんて、そんなの重すぎるもん」

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