ひとりで、海にゆく

フカイ

掌編(読み切り)





 ただ、バスを待っていたんだ。

 あたしは。

 いつものバス停で。



 けど、いつまで経ってもバスが来ないから、

 それだから、

 学校とは違うほうに向けて、歩き出したんだ。



 今日は、やわらかい皮の編み上げのサンダルと、

 ノースリーブの淡いみずいろのワンピース。

 そしていつもの帆布のトート。

 なかには女の子の七つ道具の入ったポーチと、ちょびっとだけの講義のテキスト。

 朝起きたら、そんな気分だったから。



 授業は2限目からだ。

 時間は、ある。

 まだある。



 でも、いいや。

 今日はもう、いいや。

 梅雨の晴れ間は、初夏はつなつの日。

 そんな気がしたんだ。



 雨が立てつづけに降って、

 それで夕べはとうとうカミナリまで。

 まくらで耳をふさいで、ベッドに潜り込んで、くちびるを噛んでた。

 怖くて。



 でも朝起きたら、ああ、今年も夏が来たんだなって、

 そうなんだなって思ったの。



 風が、まだすこし、重い。

 けど、これも夏の風。

 あたしにはわかる。

 まだ朝のさわやかな光のなか、

 あたしの元気はわいてくる。

 だって、夏が来たんだもの。



 おじさんたちはネクタイをしめて、駅へ向かう。

 子どもたちは、半そでの白いシャツにおそろいの黒い帽子をかむって、かけ足だ。

 あたしも走り出しそうになって、

 でも、それはやめる。

 先は長いから。



 今日は海に行く。

 もう決めた。

 そう、決めたから。



 線路づたいに1時間も歩けば、

 別れた彼のアパートの脇をかすめて、

 海に着くはずだ。



 途中のお寺の境内。

 大きな木の幹に、セミの抜け殻、みっけ。



 団地の切れ目のミカン山から、

 ほのかにほのかにミカンの花の香り。

 鼻先でふわっとはじけてくすぐったい、

 甘くてすっぱいミカンの香り。



 田んぼには青い稲穂。

 山の色は、緑がぐんぐん濃くなって。



 亜麻色の髪がすこしうるさい。

 トートからゴムを取り出してえり足でしばれば、

 さっぱりだ。



 ほのかに汗ばんだ首筋をかすめる風もまた、

 初夏のさそいかな。



 あ。

 思い出してトートをまさぐる。



 ちいさなブルーのテディベアのぬいぐるみ。

 そのストラップを引っ張ると、ブルーの携帯電話が出てくる。

 電源スイッチをタップして、電気を切ろう。



 あたしは、

 “電源ガ入ッテイナイカ、電波ノトドカナイ”

 ひとになるのサ。



 そしてあたしは初夏はつなつの日に、

 海を見に行く。

 ひとりで、海を見る。



 そこで、故郷の友だちに、葉書を書こう。

 元気でやってるって。

 もう、泣いてないぞ、って。



 梅雨の合い間の、ひと気ない海で。



 ひとはこうして、大人になってゆくんだな。

 たったひとりで、大人になってゆくんだな。




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ひとりで、海にゆく フカイ @fukai

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