エダの花火

かんな

エダの花火

 故郷は僕が生まれた時からずっと戦争をしている。

 太古と言えないほど昔ではないにしろ、近世とも言えないほどの昔。少なくとも、僕が生まれた時は既に戦争の只中にあった。

 ともあれ、故郷の戦争の歴史は長い。寝物語に使われる上、学校の授業でも扱われる。それも幼少の頃からすり込まれるので、もはや算数や国語と同じレベルの身近さであり、もちろん定期テストも存在する。だが、成績における戦争の授業の配点は極めて低いのだ。学生の間は一夜漬けのお供であった。

 遠くの国では人を殺し、国を蹂躙することを戦争と呼ぶそうだが、ここは違う。少なくとも僕が生まれてこのかた大規模な殺戮行為はなく、住み慣れた町が壊れたこともない。大変ありがたいことに学校が壊れたこともないのだが、夢想の中では何度か破壊させてもらった。

 市場も古い歴史を持ち、その近くにある病院はご老体たちの憩いの場となっている。博物館、図書館、美術館など、ついこの前は音楽堂を改築したところで、こけら落としを行ったという手紙を母親から貰った。

 故郷の文化水準は高い。だからこの戦争なのだろうかと思う事がある。

 繰り返すが、故郷では僕が生まれてからこのかた、戦争が途切れたことはない。一か月に一回、必ず月末に行われる。

 武器を使わず、国も壊さない。

 なぜなら、この辺り一帯の戦争は花火によって行われるからだ。

 魔法使いと呼ばれる人々が花火師になり、花火を作る。実際、彼らの仕事にはいくつか人知の及ばぬところがある。ゆえに、彼らの花火は通常とは材料が異なった。

 その材料とは人間である。

 魂の美しさ、命の輝き等々、文語として語られるそれを花火に変えて花火師たちは空に打ち上げる。式典や祭の時に打ち上げられる火薬の花火と違い、多種多彩なしかけが空を彩るのだ。ちなみに、ここしばらくは鳥の鳴き声を組み込むのが流行っている。

 花火になることは誉れであり、満十五歳以上というたった一つの基準をクリアして申請すれば誰でも花火になれる。花火の美しさは内面の問題であるので、健康体かどうかは関係ない。収監されていた囚人の花火が美しかったという事例もある。

 戦争の勝敗はもちろん、花火の美しさによって決まる。評価するのは各国が抱える鑑火師かびしという集団であり、対戦国の花火を各国共通の基準に則って採点する。

 そこに私情が差し挟まれる余地はない。何故なら、鑑火師は対戦国同士で交換されるいわば人質のようなもので、彼らの行動は常に監視の対象にあり、有事の際にはその役割を果たすことになる。戦争中の人質が負う役割だけは、花火を戦争としていても他と変わらなかった。

 ここだけを見れば殺伐とした戦争の一場面のようでもあるが、現実は多少異なる。対戦国から送られた鑑火師たちの処遇をいかに良くするかで自国の優秀性を示し、花火の評価に多少の気持ちをつけてもらう──という内情があるかはさて置き、鑑火師たちの処遇は大抵いい。「あわよくば」といった情報による攻略の点も否めないが、基本は彼らに対する敬意から自然と現れた慣習だった。それは花火師に対する姿勢とも変わらない。

 人の命を種にして花火を打ち上げるという行為は、誉れと尊敬の中にあるものだ。

 僕は鑑火師として、それを見つめる日を続けていた。



 夜空に漂う花火の名残をエダはぼんやりと見つめていた。つい先程まで大輪の花が艶やかに染め上げていた場所には白煙が蹲り、いっかな流れて消えようとはしない。今日は戦争開始からずっとこの調子で風の到来を期待したが、期待だけで終わってしまった。

「風、出てくりゃ良かったのにな」

 同期のファロがぼやく。今回の後攻は自国であった為、前半は風がなくとも後半はと期待しても怒られはしまい。花火の輝きをぼやけさせる煙の存在は彼ら鑑火師にとっては悩みの種で、花火師たちにどうにか出来ないものかと幾度となく頼んだが、すげなく返されること果てしない。自分たちの魔法は自然には干渉出来ない、というのが彼らの言い分だった。

「あれだけぼやけるとなあ……」

 鉛筆で頭をかくファロの採点票には沢山の走り書きがしてあったが、お世辞にも読みやすいとは言えない。お陰でカンニングされる心配がないと笑ってファロは言ったことがあるが、カンニングしたところで自身の採点を変えない頑固者が鑑火師には向いていると言われる。エダは自分がそうだと自覚したことはないが、こういった職業に就いている以上、頑固者の素質はあるのだろう。

 ファロに笑って応じながら、エダは自分の採点票に記入していった。煙に隠れて上手く見えはしなかったが、花の形や色の鮮やかさ、消えるタイミングの良さ、しかけの多彩さに加えて音の轟き方など申し分ない。何よりも最後に高らかに鳴り響いたラッパの音がいい。跳ね回るようなファンファーレは今でも耳にこびりついている。故郷で同じ花火を眺めているはずの対戦国の鑑火師たちも驚いたに違いなかった。

 ふと、採点票の一画に書かれた名を見て、エダは記入する手を止めた。

「今回の種って、校長先生だったんだ」

「小学校の時の?」

 エダとファロは鑑火師になってからの付き合いである。エダは頷いた。

「物静かな人だと思ったけどな……」

 花火は種となった人そのものを表すという。エダの記憶には物静かに笑う初老の男性の姿しかなかったが、それはどう引っくり返ってもあのファンファーレと繋がらない。

「わからんぞ。それは表向きとかざらだ」

 花火となる以上、己の表も裏も全て見せるつもりでなければ申請など出来ない。覚悟と花火になれる誉れを天秤にかけても、今のところ、エダは花火になりたいと思える心境にはなかった。あけっぴろげになれるほど生きてはいない。その為なのか、花火への申請をするのは老人か死期を悟った人間、宗教に属する人間などが大半を占めたが、稀に若者や働き盛りの人間が名を乗せることもあった。

「じゃあ、なおさら綺麗に晴れりゃ良かったな」

 慰めるつもりでもないだろうが、ファロが気をきかせて言った。風が吹けば煙も薄れ、色鮮やかに咲き誇る満開の花々と天上のラッパを楽しめたことは言うまでもない。

「そうだな」

 しかしどこまでも、校長とあの花火は似ても似つかなかった。

 今回の戦争は、エダ側の国の敗北となった。耳に残るラッパが下品だと言う評価が相次いだからとのことであり、エダはそのことについて異論を唱えることはしなかった。



 毎月末に行われる戦争は、鑑火師側に存在する史書を紐解くと、かれこれ百年ほど続いている。エダは試しに花火師側の史書を読んだことがあったが、そちらでは三百年とあり、両者に横たわる二百年の差は「とりあえず長い」という感覚だけをエダに渡して、その信憑性を霧の中へと放り投げた。

 残虐だとか命の冒涜だとかいう論争はかなり前に始まり、それよりも少し後の、やはり今から振り返れば相当な昔に終わっている。今日でも細々とその言葉を呟く声もあるが、どれも花火を前にした人々の足下に横たわるだけで力を持った事はない。

 大半の人にとって戦争が日常の一つであるように、エダにとってもそれは変わりなかった。例えば近所で仲良くしていた老爺がある日「花火になるよ」と言ったなら「おめでとう。ちゃんと見ておくよ」ぐらいの言葉が適当だろうとエダは思うし、周囲もそうしている。だから、人が花火になるということは、ともすれば学校の卒業式の心境にも似通ったものがあり、違和感を覚えるほどのものではない。

 いっぽうで人の死は死として埋葬する。死者を花火にしたという例はなく、暗黙の内に生者に限るとされ、花火となる前に亡くなった人も多くいる。むしろ、それが大半なのだ。月に一度の戦争で打ち上げられる花火は数発と決まっていた。

──なぜ花火の鑑定による戦争なのか、そして人を使った花火なのか、という点については諸説あり、戦争のそもそもの発端にまで言及しなければならなくなる。

 一応は「戦争」という名目がついているのだから当初は恨みつらみもあったろうが、今はその名残を探すのも難しい。

「……憎悪で人を殺し合うのも馬鹿らしいと思ったんだろうさ」

 女性にしては低い声が、エダを思索の旅から呼び戻す。机の上で頬杖をついていたエダの前で、恰幅のいい女性が本を読んでいた。

 名をシュリと言い、今年で五十ほどになる。エダたち鑑火師専任の医師だが、つい先日引退したばかりだった。無論、彼女も敵国の人間ではあるが、こうしてたまにエダの話し相手になってくれる。敵地においてエダが足しげく通う場所の一つだった。

「そりゃ、先生は医者だから」

「あんたは死人を生き返らせられるのかい?」

「……出来ないけど」

「そういうことだよ。魔法使いがもっといりゃ話は別だったろうが、いたらいたで今も殺し合いが続いていたかもしれないね」

 魔法使いの出生率は極めて低い。遺伝などで生まれるものでもないため、数年続きで生まれないということもある。

「僕はもっと建設的な方に傾くと思う」

「なら花火師たちにそう言っておやり。意味があるかどうかはともかくね」

「またそう言う……遠くの国では僕たちの戦争のことを、祭って言うんだってさ。そういう結果を辿ったかもしれないよ」

「今だって馬鹿騒ぎに近いだろ。日常を離れて騒ぎたいだけの奴らには、戦争も祭も一緒だよ。自分の周りで血が流れるか流れないかだけの違いだ」

 エダは顔をしかめた。

「……その言い方は嫌だな」

「あんたの仕事を侮辱したみたいでかい?」

「まあ、うん……」

 頬杖をついていた手をおろし、腕を伸ばす。

「僕は花火が綺麗なものだと思う。戦争の道具だとしてもやっぱり綺麗だし、人の耳目を楽しませた上で勝敗を決めようっていう考え方はいいと思っている。血も流れないし、沢山の人が死ぬよりはずっといいとは思わない?」

「……別にあんたの感性を悪く言うつもりはないよ。ただ、それなら人を材料にする理由は何だね? 楽しませることを根拠にするなら、私は火薬の花火も充分綺麗に見えるんだよ」

「それは、本の中でしか語られなかった魂や命の美しさをもっとよく見せるためだ。命の脆さを互いに見せつけて勝敗を決めるよりは、その美しさを見せつける方がよっぽど建設的じゃないか」

 そう言いながらも、エダは自分の言葉にうすら寒いものを感じた。口にした言葉が、言葉ほどの力を備えていないような気がする。美しいなど女性にすら言ったことがないのに、連呼して使えば使うほど言葉の重みが羽根ほどにうすっぺらになっていく。

「私は本だけで満足だね。それ以上のものを見たいと思ったら布団に横になって、夢でも楽しみにするよ。……存外、頭の中にだけあるものの方がよっぽど綺麗だったりするもんだ。外に出していないだけ余計にね」

 溜め息をつきながら言うシュリに、エダはそれ以上の反論をすることをやめて言葉を飲み込んだ。

 こういう人もいるのだという虚勢で彩った寛容さに、口の中が苦くなった。



 ひと月越えて、再び戦争がやってくる。月に一度の大仕事の時以外は勉強と称して本や芸術に触れたり、対戦国ながら雑務を手伝ったりと、ほとんどが小間使いのような毎日だ。もちろん敵情視察も忘れないが、向こうとて対策は万全である。鑑火師の面々はあっさり見切りをつけて、思い出したように花火師の周辺をうろつくだけだった。故郷だってきっとそんなもんだから、というのがファロの言い分である。

 随分とのんびりした戦争だな、とエダは思った。かつては思わなかったのだが、先だってのシュリとの会話がどうしても忘れられず、胸の奥に大きなしこりとなって残っている。

「……なんだよ、具合悪いのか?」

 見晴らしのいい丘の上で鑑定の準備をしながらファロが問うた。常に一定の場所での鑑定を求められる鑑火師たちだけが使える場所であり、外部から圧力を受けぬようにと対戦国の兵士が周囲を固めている。初めは緊張したが、向こうも職務とあってこちらには関わらないようにしているようだし、そう思えば気楽なものだった。

「いや、悪くはないんだけどさ……」

「歯切れの悪い言い方すんなよ。今日はいい天気で風も出てる。この前の雪辱を晴らさないと」

 ファロの言葉に、周囲で思い思いに陣取っていた同僚たちが呼応する。エダもあまり気乗りしない様子で応じながら採点票を見た時、ふっと自分だけ時間が止まったような気がした。

 そんなエダを一瞬の牢獄から解放するかの如く、震えて響く笛のような音が空に木霊する。

「くるぞ」

 エダは顔をあげた。

 全身を打つ凄まじい轟音と共に、夜空へ花が咲く。薄青色の燐光を伴った小さな花々が咲いては散り、青白い星を瞬かせる。消える間際にふわりと広がる琥珀色の光彩は辺りを柔らかな光の中に引き込み、間髪入れずに再び薄青色の花が咲き乱れた。

 しかし、その静かな演目に対し、エダの周囲から動揺に似たさざめきが広がる。

「……しかけが少なくないか?」

 花火はそれを繰り返すだけであった。一発の花火に組めるしかけは限りがあるが、それにしても少なすぎる。これでは火薬の花火と大差なく、花火師が間違えたのではという囁きも聞こえた。だが、エダだけがそんなことはないと断言出来た。

 月の光に添うようにして広がる薄青色の花々は瞬間的な彩を謳歌しては消え、見上げる人々を微かな不安の淵に立たせる。それは今まで忘れてはいたが、心のどこかにこびりついて離れなかったものが芽吹いたような感覚だった。

 そして「これで最後」とでも言うかのように、ぽっかり浮かぶ月も空の大半も埋め尽くす大輪の白い花が咲いた時、甲高い鳥の声が轟音の余韻を切り裂いた。

 誰もが思わず耳を塞ぐが、エダだけが茫然と花火の終焉を見つめていた。

 頭の中でシュリとの会話がずっと木霊している。存外、頭の中にだけあるものの方がよっぽど綺麗だったりするもんだ。彼女の低い声がエダの中で響くごとに心臓が大きく脈打ち、背骨の裏側をそっと冷たい手がなでる。

 採点票にあった今日の種は、もはや読み間違いとは言えなかった。

「……エダ?」

 耳を押さえたまま、ファロは静かな様子の同僚を窺おうと見上げて言葉を飲んだ。

 花火の残滓を逃すまいと、夜空を注視するエダの両目から涙が細い筋を作って流れ落ちる。子供が無心に見つめる時と同じ顔で涙を流すエダは、自身が泣いていることにすら気づいていなかった。

 ただ、頭の奥が痛い。言葉にしきれなかったものが涙となって溢れることを求めていた。

 甲高い鳥の声は悲鳴にも似て、打ち上げられた花火に生々しい印象を与える。静かに咲くだけだった花火は見上げる人々に命の顛末を強く刻み込んだ。

 やがて、風が花火の名残を押し流していく。その行く先までもずっと、エダは見つめ続けていた。

 吹く風が涙の跡を乾かすまで、エダが自分の見つめ続けていたものの正体を知るまで、ずっと。




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