不思議屋さんの見習いと柔らかな日常

赤崎シアン

一話 見習いと黒猫

 壁に掛かった鳩時計がカチカチと秒針を刻む。その均等で邪魔にならないリズムをBGMに、手に取った文庫本を読み進める。

 この小説も終盤に差し掛かって、ますます目が離せなくなってきている。

 テーブルの上に置いたマグカップを手に取り、中のカフェオレを飲み込んで、もう一度文庫本に目を落とす。


「お客を放っておいていいんですか?」

「……あなたはこの店の商品を買いに来たんじゃないですよね?」

「そうですけど、そんなぞんざいに扱っていいんですか?」

「……わかりましたよ」


 僕は開いたページに栞を挟んで、机の上に本を置いた。

 そして椅子から立ち上がって軽く伸びをする。ずっと同じ体勢を本を読んでいたからか、背中が伸びて気持ちいい。


「黒猫さんは今日は何しに来たんですか?」

「え、用が無いと来ちゃダメなんですか?」

「つまり特に用事は無いと……?」


 黒猫さんは首を縦に振る。

 まあ、ここは暇潰しにはちょうどいい空間だろう。いろいろ雑多にものがあって、それでいてどれも同じものがない、世界に一つだけのものだ。

 特別、芸術に凝って作られたものではないし、小学生の工作みたいな奇抜さがあるわけでもない。

 けれど、ひとつひとつに個性がある。


 黒猫さんは僕の座っていた椅子に飛び乗り、机に飛び移って品定めをしている。

 淡い緑色に光る飴玉やふわふわのピンク色のタオル、焦げ茶色の小瓶などたくさん物が詰まっている棚を見ているようだ。


 すると黒猫さんが足を止めてこちらを見てきた。


「あれは何ですか?」

「どれですか?」

「あれです、ジェリービーンズの右隣です」


 大分高いところにある商品だったので背伸びをして手に取る。

 それは万年筆だった。黒い細身ながらも少し重い。


「万年筆は知っていますか?」

「知ってますよ」


 僕は棚の引き出しから白い紙を取り出して、机の上に広げた。

 万年筆のキャップを外し、紙にペンを走らせる。

『黒猫』と少し大きく紙に書かれた。


時雨しぐれさん、万年筆使えたんですね」

「一応は何でも一通りできますよ」

「何でもって、何でもですか?」

「何でも、です」


『黒猫』と書かれた下のスペースに『時雨』『何でもできる』と小さく付け足す。

 やっぱりこれは書き心地が良くてすらすら書けるな。自分で買おうかな……。

 なんて思っていると黒猫さんが床に飛び降りて、次の瞬間には女性に姿を変えた。

 少し背が低めの黒髪のショートカット、服は可愛らしいワンピースだ。


「その服可愛いですね」

「ありがとうございます」


 黒猫さんはそう言うと、椅子に腰かけて、僕に向かって手を出してきた。

 素直に万年筆を差し出して、一緒に紙を黒猫さんのほうに向ける。


「なんて書けばいいんですかね?」

「まずは一旦かけるかどうか試してみては?」

「ん?」


 黒猫さんは少し訝しげな顔をしながらも紙の空いたスペースにペンを真っ直ぐに走らせる。


「あれ?」


 紙には何も書かれなかった。

 いい反応。その顔が見たかった。


「何か書き方があるんですか?」

「あるにはありますが、書けないのは別の理由です」


 僕は持っていた万年筆のキャップを黒猫さんに渡した。


「一旦つけてみてください」


 言われたとおりにペン先にキャップを被せる。パチッという音がして、きっちり嵌まる。


「もう一回書いてみてください。今度は書き方を教えますから」


 キャップを外して万年筆を構える黒猫さん。

 心なしか少し緊張しているように見える。


「まず、筆圧は必要ありません。手はペンを動かすだけで十分です」

「はい」

「それで、ペンを少し斜めに倒してやると書きやすくなります」

「はい」


 また、真っ直ぐにペンが走る。

 今度は黒いインクの線ができる。


「書けました!」

「お上手です」


 僕の書いた『黒猫』の下に、もう一つ可愛らしい字の『黒猫』が出来上がった。

 横には猫の顔のイラストが付いている。


「なかなか面白いですね」

「でしょう?」


 猫のイラストや犬、ねずみ、うさぎなどいろいろな動物のイラストが増えていく。

 楽しくなってきたのだろう。紙がどんどん狭くなってきた。


「売り物で遊ばないでくださいね」

「うっ……はーい」


 黒猫さんはキャップを嵌めてペンを置いた。


「そう言えばこの万年筆は何かですか?」

「……そうですね、あるにはありますよ」


 新しい紙を出して『暴力団お断り』と書く。

 そして、キャップを嵌めて、キャップの先で書いた文字のところを真っ直ぐなぞる。

 すると、書いた文字が消えて、見えなくなった。


「……文字が消えるんですか?」

「正確には書いた線が見えなくなるんですけどね」

「さすが不思議屋さん」

「見習いですけどね」


 黒猫さんが書いた紙の方もすべてなぞって見えなくしてみる。

 真っ白な紙が二枚出来上がった。


 そこに息を吹きかける。


「わっ」


 黒猫さんが風に吹かれたように少しバランスを崩す。

 すると紙にはまた文字が現れていた。


「これはどういう仕掛けなんですか?」

「これは『霧の万年筆』です」

「霧……そういうことですか」


 この万年筆には少し魔法がかかっている。

 霧の特性、みたいなものが含まれているのだ。


「霧にかかれば見えなくなって、風が吹けば晴れて見えるようになる、というわけですね?」

「正解です」

「でもさっきの風は強すぎだと思います……」

「僕は普通に息を吹きかけただけですよ?」

「え?」


 嘘だと言わんばかりにこちらを見つめて黒猫さん。

 そんなに見つめなくてもいいと思う。


「まあ、ちょっと魔力をこめましたが」

「……むう」

「すみません」


 僕は笑ってごまかす。


 この魔法は結構脆い。ちょっとの魔力ですぐに解ける。

 けれど気づかれないのであれば十分に強力だ。


「これ消えた訳じゃなくて見えなくなっただけなので実際にはんですよね。だから見えない魔法陣を作れますよ」

「私は魔法使いじゃないので出来ません……」

「どんまいです」


 新しい紙を出して、そこに陣を刻んでいく。

 まあ、簡単なのでいいか。適当に無限に使える湯たんぽみたいなので。


「あたたかくなーれ」

「気の抜けた呪文ですね」

「ちょっとしたサービスです」


 本当は呪文は必要ない。唱えるのが楽しいだけだ。内容はともかく。

 書いた模様が薄く光って、すぐに元の黒い線に戻る。


「触ってみてください」


 黒猫さんが恐る恐る手を近づける。


「暖かいです」

「よかった、陣を書いたのは久しぶりでしたから失敗してないか心配だったんです」


 キャップをつけてなぞり、陣を見えなくする。

 そして少し悩んで、紙の端を指で叩く。

 すると紙はひとりでに形を変え、折られていく。


「わぁ……」


 出来上がったのは小鳥だった。

 パタパタと羽を動かして、店の中を回るように飛び出した。

 すると店内がぽかぽかと暖かくなった。


「凄いですね……」

「でしたら差し上げますよ」

「いいんですか!?」


 そんなに驚かなくてもいいのに。


「ご贔屓にしてもらっているお礼です」

「お代は……」

「いいですよ、また来てくだされば」


 すると黒猫さんは猫の姿の戻って、一息に僕の方に飛び乗った。

 そして僕の頬に黒猫さんのそれを擦りつけてきた。暖かくて気持ちいい。


「ありがとうございます」

「いいえ」


 パチッと指を鳴らすと、小鳥が黒猫さんの頭に乗った。

 本物の小鳥のように首を小刻みに振ってきょろきょろしている。

 我ながらいい出来だ。


 すると壁の鳩時計が鳴って、鳩が飛び出してきた。

 時刻はちょうど五時を指している。


「もうこんな時間ですか」

「ではそろそろ帰りますね」


 黒猫さんが僕の肩から飛び降りて、床に綺麗着地する。

 さすが猫だ。その身軽さが羨ましい。


「ありがとうございました、この子大切にします」

「いえいえ、欲しかったらまた作りますよ」


 紙の小鳥はちょこちょこと黒猫さんの体の上を跳ね回って、喜びを表しているようだった。

 黒猫さんは尻尾をゆらゆら振って嬉しそうだ。


「では、また来ます」

「はい、お待ちしております」


 僕がドアを開けて、黒猫さん出ていく。

 軽い鈴の音が響いて、もの哀しげな余韻を残す。


「あっ」


 という声が聞こえて、黒猫さんが走って戻ってくる。

 また店の前で戻り、息を弾ませながらこっちを見上げる。


「忘れてました。私が最初に書いた時にかけなかった理由はなんですか?」

「ああ、あれですか」


 僕は思わず笑ってしまった。

 黒猫さんは不思議そうに首を傾げる。


「どういうわけかあの万年筆、キャップを外した人しか書けないんですよ」

「……時雨さんの魔法ではないんですか?」

「いいえ、あれは最初からそういうものでした。やっぱり店長は面白いものを拾ってくる」


 自然と笑みがこぼれる。

 魔法や魔術が世に知られてから四半世紀。それでもまだ説明出来ないものがあるなんて、世の中捨てたものじゃない。


「やっぱりここは『不思議屋』ですね」

「そうですね」


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