新人会社

nobuotto

第1話

「私はもう決めた。辞めるわ。あんた達はどうするの」

 高架下の立ち飲み屋で明子が管を巻く。

「まだ、三ヶ月しか経ってないからなあ」

 武志がぼそぼそ言う。その一言に明子が食らいついた。

「あんたね、来月になったら、まだ四ヶ月、再来月になったらまだ五ヶ月しか経ってないって言うんでしょ。それでいいの」

 明子の言う事も分かるし、武志の言うこともよく分かる。

 僕が入社した会社は、新人社員と事務のおばさんしかいなかった。大手町の一等地のビルのフロアーに三百人もの社員、新入社員だけが働いてる。

 僕は国際営業部に配属され、入社した当日から業務についている。業務と言っても上司がいるわけでもなく、出社して自分の席に座りマニュアル通りの仕事をするだけだ。マニュアルは入社が決まって直ぐに会社の座席表と一緒に郵送されてきた。マニュアル通りに顧客名簿をみて電話をかけて、自社製品に問題がないかを聞く。聞いた結果を会社のシステムに投入していくだけである。

「入社してからいつもいつも同じ単純作業。立派なブラック企業だわ。将来が全く見えない。もう飽き飽きだわ」

 入社してすぐから明子はこのセリフばかり言っていた。

 入社時に誓約書を書かされた。会社の情報は社員である間も、また会社を辞めたとしても絶対に口外しないという誓約書である。これまでの人もそうだったのだろう。だから、会社についてネットで調べても何も出てこない。

 明子の言う通り、将来どころか一年先さえもわからない。武志は、今の職場は本社への登竜門で、ここの成績いかんで本社へ上がった時の役職も変わるというが、そもそもこんな仕事で成績なぞ付けられるのか僕は疑問だ。

 明子は辞めていった。

 今日も帰り際にいつもの立ち飲み屋に武志と寄る。

「明子も根性がなかったよね。僕たちさ、誰がみたって受験戦争の勝ち組なわけでしょ。けど、それだけじゃ、頭の出来だけじゃ駄目と会社は思ってるんだよ。仕事に対する熱意や根性を試してると思うんだよね」 

 武志の言うことも正しいのかもしれないし、少なくとも武志はその信念で毎日会社に来ている。

 けれど僕も白旗をあげることにした。専門を活かせる仕事ができないことへの不満が溜まりすぎた。事務のおばさんに退職届けを出すと最後に人事部部長に会うように言われた。

 人事部に行くとあの掃除のおばさんがこざっぱりとしたスーツで現れた。

 驚いている僕におばさん、いや人事部長が話しかけてきた。

「この一年が過ぎれば一流企業と言われる親会社に転属されます。それでも辞めたいのですか」

 その言葉に少し心は動いたが、今までのことを考えると自分がやりたいことが本当にできる気がしなかった。僕は正直にその気持を話した。

「ところで、あなたは何をしたいですか」

 僕はこの四ヶ月、単調な仕事の合間に自分なりに考えてきた研究テーマを話した。

「いいテーマですね。けど成功するには時間がかかりそう。その間は評価もされないかもしれませんよ」

 結果を出すのは大変に違いない。けれどやはりやりたいことをしたいと答えると、人事部長は僕の手を急に握りしめて言った。

「分かりました。あなたは合格です」

 人事部長がこの会社について話してくれた。親会社の業績がここ十年伸びていない。その大きな原因は人材獲得なのだという。これまで学歴優先で採用してきたが、創造性にかける社員ばかりが増えた。親会社は、創造性のある社員を見極めるために、この会社を作ったのだそうだ。

 部屋から出るとき、ずっと気になっていた事を質問した。頭の中には武志が浮かんでいた。

「彼らは、あと半年最後までやりきる覚悟でいると思います。その場合、彼らはどうなるのでしょうか」

 人事部長は少し不機嫌そうな顔をして言った。

「まあ、あと半年も、この会社にいるような人はいらないですよ。そんな事は気にしないでいいのよ。もう二度と会うことはないでしょうから」

 こんな試験をする会社なんてやっぱり辞めてやる、とここで言うのが本当の答えなのかも。

 ふと思ったが、僕は何も言えなかった。

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