第49話 マコ、まごつく?(後篇)
前回のあらすじ
・マコのお別れ会。
・ナガトはコマンドー?
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「で、海自シールズの出番なわけね」
マコがナガトの話の先を読んだ。
「そうだ。俺は五人の部下と共に”はるしお”であの島の環礁の内部に潜入した。最終的な目的は、タリムに接触し、例のウィルスの具体的な情報を聞きだすことだった」
「潜入工作ってわけね……」
マコはどうも居心地が悪い。
まるでスパイ小説のような展開だが、その主人公は自分の父親なのだ。自衛隊員といっても、ようは公務員であって、訓練や演習が多い警察官や消防隊のようなものだと思っていた。しかし、特殊部隊となるとかなり違う。
ナガトは話を続けた。あの時のことがまざまざと脳裏によみがえる。
* * *
「機関停止。深度二十メートルで自動懸垂」
ナガトの指示に復唱が返る。
「自動懸垂ようそろ」
船尾からのかすかなモーター音が止み、”はるしお”は岩礁に挟まれた谷間に静止した。
通常の潜水艦とは異なり、”はるしお”は艦首全面が透明セラミックの展望窓となっている。昇ったばかりの満月に照らされた夜の珊瑚礁は、海水の透明度もあって驚くほど明るかった。
「潜水作業室、偽装シートを展開」
艦内通話で指示を下すと、スピーカーから復唱があった。
「加圧完了、偽装シート展開作業にかかります」
”はるしお”船底のハッチが開き、二人のダイバーが飛び込んできた。
その手には折りたたまれたシートがあり、二人は器用にそれを船体の上に広げた。シートの表面には岩礁の柄がプリントされており、海上から見ると潜水艇がそこに隠れているとは分からなくなる。
シートの四隅から出たロープを周囲の海底に杭を打って固定すると、ダイバーたちは船内に戻った。
「減圧完了しました」
その報告を聞くと、ナガトは艦長席から立ち上がった。
「では、行ってくる。あとは頼むぞ」
操縦席の航法士が返事をした。
「はい、行ってらっしゃいませ、艦長」
全長二十メートルの”はるしお”は潜水艦というより潜水艇というサイズだが、機密保持のために潜水艦と呼ばれている。そのため、ナガトの肩書きも艦長だった。
さらに言えば、本来なら艦長が作戦中に艦を離れることはあり得ないのだが、艦長以下五名しか乗組員がいない”はるしお”では、そうも言っていられない。
操縦室からハッチをくぐり、居住区を通りぬけて、戻ってきたダイバー二人と入れ違いに潜水作業室へ入る。
「上陸する。再度、加圧を開始してくれ」
「加圧、ようそろ」
操作員が復唱し、壁のスイッチの一つを押した。
シューッという音と共に室内の気圧が上がる。その間にナガトは制服を脱ぎ、水着に着替える。水中マスクを付け、フィンを履き終えると、操作員が報告した。
「加圧完了」
「よし、船底のハッチを開け」
ハッチが開き、部屋の中央にある直径一メートルの竪穴の下に真っ暗な水面が現れた。
「では、行って来る」
「はい、ご武運を!」
別に戦いに赴くわけではないのだが。いや、情報戦も戦いには違いないか。
着替えなどの入った防水バッグを背負うと、マスクを押さえてナガトは竪穴に飛び込んだ。
夜の深度二十メートルは、ほぼ漆黒の闇だった。さらに、頭上に”はるしお”の船体があり、その上をさらに偽装シートが覆っているのだから、なおさらだ。
それでも、ナガトは気にせず海面を目指す。一応、減圧症も考慮したペースだが、加圧された潜水作業室にいたのは数分間なので、息が苦しくなる前に海面に出られた。
そこからは、シュノーケルを使って海岸を目指す。昇ってきた満月に照らされた海面は充分に明るく、ライトに点灯することもなく、砂浜にたどり着けた。
マスクを外し、フィンも脱いで手に持ち、ナガトは浜辺に上がった。
木陰で防水バッグを開き、手早く体を拭いて衣類をまとう。日本からの航海中、紫外線灯で焼いたため、外見は地元の島民と区別付かないほどに色黒だった。
防水バッグを背負い、ナガトは島の市街地、というにはささやかな街並みへと立ち入った。
* * *
「そうやって現地人を装ってタリムに近づいたんだが」
ナガトは苦笑いした。
「一発で見抜かれたよ。何しろ小さな島だからな。島民全てが親戚のようなものだ」
「ダメじゃん。任務失敗?」
マコは突っ込むが、失敗ならナガトがこうして平穏に暮らしているはずがない。
「逆にタリムは、こちらに協力したいと言ってきた。どうやら、自分の研究が悪用されることを危惧していたらしい」
「へぇ。で、お父さんは研究所に潜り込んだの?」
「逆だ。タリムを拉致した」
「へ?」
話の展開に、マコは付いていけない。
「島では外部の人間は目立つからな。俺がダイビングに誘う形で、一緒に連れてきた」
* * *
タリムは、学者と言うより漁師と呼んだ方が似合う、筋骨隆々の青年だった。ミクロネシア系の小柄な体格だが、精悍な面差しだ。
「そうか、日本の船なのか」
キャビンを見回し、タリムはつぶやいた。
日焼けしたナガト以外は、比較的色白な船員ばかり。その制服の胸には、旭日旗の
「タリム」
ナガトは言葉を選びながら、口を開いた。
「我々は、あの施設で行われている研究の内容に危惧を抱いている。医療が目的にしては、情報の提供が少な過ぎる。何より、その研究のリーダーのはずのあなたに、全く接触できなかった」
普通なら、そうした研究は積極的に公開し、よそからの問い合わせにもオープンなはずだった。もちろん、画期的な成果ならば、ある程度確定するまでは秘匿されることはある。しかし、最終的には公開してこそ、成果として認められるのだ。
ところが、あの研究所に限っては、そうした外部からの接触は全て拒否されたままだった。
「そりゃそうだ。俺は今、軟禁生活だからな」
苦笑しつつ、タリムは言葉を続けた。
「ここは絶海の孤島だ。島の中なら自由に出歩けたし、結婚して家族を持つこともできた」
しかし、島から出ることは許されない。
「それに、俺は名ばかりの研究員だ。実質、飼い殺しに近い。飼われているのは『表向き』の研究成果が出た時、俺がいないと不自然すぎるからさ」
だからこそ、平日の昼間に浜辺をぶらついていて、上陸直後のナガトと遭遇したのだった。
そして彼が語り始めたその「裏の研究成果」は、
「発端は、COVID-19パンデミックだった」
二〇二〇年に全世界を襲った新型コロナウィルス。中国の武漢市で発生し、一気に世界各国に広まった。
「ああ。一年以上にわたって猛威を振るい、約二百万人が亡くなったあれだな」
そこでナガトも気づく。
「まさか、あれが人工的なウィルスだった、というのか?」
発生当時から何度もその手の情報は流れていたが、公式には否定されている。
「そこは俺にもわからない。だが、二つの重大なヒントが得られたのは確かだ」
一つ目は、人種による感染力や発症率の違いだ。
世界的に見ると、死亡者数は明らかに偏っていた。発生源である中国やその近隣国では少ないのに、遠く離れた欧米ではその何十倍も死者が出た。
二つ目は、無症状での感染の疑いだった。
発熱や咳などの症状が出ていなくても、感染が広まっているという可能性が見られたことから、世界中でロックダウン、都市の強制的な閉鎖が行われた。
「つまり、だ。もし『漢民族が感染しにくく、無症状でも感染力を持つ』ウィルスが作れたら……」
タリムの言葉に、ナガトもうなずかざるを得なかった。
「……中国以外の世界中を、今度こそ経済崩壊させる事ができる、と言うわけか」
コロナ禍とまで言われた当時、人々が自宅から出られないために消費が滞り、世界中で店や会社がバタバタと潰れた。その結果、全世界が同時に不況に巻き込まれた。
「だが、ウィルスが人工的であると判明して、中国だけが明らかに被害が少なければ、世界中が黙っていないだろう」
犯人は自分だと明言しているようなものだ。
「ああ。でも俺は、三つ目のヒントを連中に与えちまったんだ」
タリムはギリリと歯噛みし、絞り出すような声で告白した。
* * *
「厄介な事を聞いちゃったわね……」
フローティアを発つ深夜の最終便。乗客もまばらな船内で、マコは一人つぶやいた。
「ナガトはんも、あんじょうハードボイルドでんなぁ」
胸のスマホからのエセ大阪弁は、言わずと知れた”くもすけ”だ。駿河家でコイツに内緒の会話は、まず出来ない。
「タリムさんも、あんな発見さえしなければねぇ……」
思い出すだけでも、気が滅入る話だった。
タリムが発見した物。
まずは、赤や青など、個体ごとに色合いが大きく異なるタカラガイの一種だった。ほとんどの場合、色や柄がこれだけ異なれば別種となるはずなのに、この貝にはそれら以外に違いが無かった。
まさに新種発見であり、海洋生物学会でも大きく取り上げられた。
しかし。発見はそれだけにとどまらなかった。
タカラガイは巻貝で、つるんとした卵型の殻の内側に渦を巻く構造になっている。そして巻く方向は右巻きで、左巻は極まれとなる。
だがタリムが発見した新種は、かなりの個体が成長の途中で右巻きから左巻に変わっていた。
これはあり得ない。
右巻か左巻かは遺伝子によって決まる。先天的な遺伝子異常なら最初から左巻になるはずだ。
つまり。
後天的な遺伝子組み換えが起こっている、と言うことになる。
同時に、その遺伝子組み換えが色や柄のバリエーションを増やしている、とタリムは予想した。
「そこで遺伝子解析に中国のクラウド・スパコンを利用したせいで、目を付けられた、っちゅうわけやな」
わてに頼めば安心安全やし、利用料も勉強したんやけどなぁ、と”くもすけ”はうそぶいた。
そうして見つかったのが「相手の遺伝子を自由に改変する」ウィルスだった。
初期の遺伝子組み換えでは、対象となる遺伝子だけを確実に書き換えることは困難だった。対象外の場所を書き換えてしまうオフ・ターゲットという現象が起こると、予想外の結果が起こってしまう。
この点は、二〇二〇年代に実用化されたゲノム編集技術によって、大きく前進した。新しく発見されたCRISPR/Cas9という遺伝子と酵素の組み合わせにより、対象となる遺伝子をかなり厳密に特定する事が可能になった。しかし相変わらず不確実性は伴うため、組み換え対象は細菌や卵子、精子のDNAとし、細胞分裂で増える課程で選別することが前提だった。
ところがこの新種のウィルスは、感染した「生きている個体」のほぼ全身の細胞で、任意の遺伝子を確実に置き換えてしまう。成長の途中で、右巻きを左巻に、赤い色を黄色に。
さらに、このウィルスの遺伝子のどこをどういじれば、対象にどんな変化を与えられるかが特定された。いわば、「プログラム可能なウィルス」となったわけだ。
「それが第三のヒントになっちゃったわけね……」
マコがそうつぶやくと、”はまつばめ”のプロペラが回り出し、静かに桟橋から船体が離れていく。
やがて前方に、海中から浮かび出たブイが赤い回転LEDライトを灯し、外縁までの離水エリアを囲む。船舶の退去を確認したのち、”はまつばめ”は短い滑走で外洋へと飛び立った。
北へと旋回する”はまつばめ”から遠ざかるフローティアの明かりを見ながら、マコは願った。
どうか、うちの子たちには無縁な、単なる過去の出来事で済みますように……。
南の海のフローティア 原幌平晴 @harahoro-hirahare
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