#015 リバースデイ⑤
「おかしいな、昨日殺したはずなのに」
――すぐ隣に、礫がいた。
背の高い彼女の影が突然ふたりに覆いかぶさって、薫は美緒を引き連れて慌てて礫から距離をとった。礫……じゃない。礫のセリフを聞かずとも、薫にはすぐわかった。こいつは、昨日の影だと。
「礫……? どこ行ってたの?」
美緒が困惑した様子で口を開く。会話なんてしている場合じゃなかった。こいつは冗談抜きでやばすぎる。
「まあいい。また殺せば済むことだから」
彼女はふたりに向かって右手を上げる。それはまるでデジャブのようで――
「危ない!」
薫は美緒を抱えて地面に転がった。それとほぼ同じタイミングで、銃声。
「きゃあ!」
美緒が悲鳴を上げる。薫はすぐに体制を立て直すと、ナイフの標的を礫へと変えた。
「ああもうめんどくさいなあ」
銃声、銃声、銃声。
紙一重で避けて礫の懐に入る。昨日の経験を元に、殴打はしない。ナイフで拳銃を持つ礫の手首を切りつけた。
こんにゃくを切ったような感触で、礫の手首から先が吹き飛んだ。その手が握っていた銃も一緒に草原に転がる。手応えに勝機を見出して、薫は返す刃で礫の首を狙う。
――パァンッ!
銃声は、薫の背後から聞こえた。そして銃弾は、薫の右脇腹を貫いた。見れば、礫の右足が針金のように細く長く変形して、先程転がった手首とつま先で繋がっていた。そしてその手が薫に向けて発砲したのだった。
薫はその場に崩れ落ちる。大量の血が滴り落ちる。ああ、死ぬ、と薫は確信した。
「かーくん!」
美緒が駆け寄ってくる。そして庇うように礫と美緒の間に入った。
「やめて! 薫を殺すなら私を殺して!」
「……そうか」
痛みで思考が遅れた。その一瞬が、最悪だった。
――パンッ!
その銃弾は、美緒の頭を貫通した。地面に吸い寄せられるように、どさりと崩れ落ちる。薫の顔には、飛び散った血が付着した。まだ温かい、けれど死んだことを示す、美緒の命の血。
……何も、考えられなかった。
何も。
「さっき、そのナイフで美緒を殺そうとしていたな。つまりこれが望みだったんだろう」
礫が言う。
「おめでとう」
拍手をしようとして片方の手がないことに気づき、礫はその手を拾い上げた。黒い断面同士が接着し、何事もなかったかのように元に戻る。脚も元の太さに戻る。
「さて、あとはおまえだが、なぜ生きているのかを解明しなければならない」
礫は薫の襟首を掴むと、異常な力で薫の足が浮くまで持ち上げた。痛みと苦しさで気が遠くなる。
「昨日私がおまえを殺したあと、なにがあった?」
礫の問いかけに答えられる言葉を、薫は持ち合わせていない。ただじんわりと、美緒を失った悲しみが押し寄せてきて、薫の頬を涙が伝った。
「……だめだな。いいや。死ね」
昨日と同じ感触が額に突きつけられる。薫は抵抗もせずに、死を受け入れた。
……しかし、礫は撃たなかった。襟首を掴む手から力が抜け、薫はその場に落とされる。弱々しく咳き込んでから、薫は自分が開放された理由を知った。
――広場に、歌が流れていた。
その歌は、薫の知らない言葉で歌われていた。聖なる森の深奥に人知れず湧き出る透き通った泉のような声。しかしどこか強い決意を感じさせる声だ。優しくて、清らかで、澄んでいる。強く静かに地面に響いている。メロディは神々しくて、静謐で、とてもゆったりと時を刻む。だから薫も礫もしばらく動けなかった。……歌の主は、どこにも見当たらない。
気付けば、地面が光っていた。地割れのようにひびが入って、そこから光が漏れ出ている。ひび割れは次第に大きくなって、光も歌声も強くなっていく。周りが色をなくすほどの光だ。地面に転がる美緒は、体のほぼ全てを光に覆われている。
「くそが」
礫が悪態をついた。その光が嫌らしく、その一言を残してふっと消えてしまった。まるで本物の影のようだった。
息も絶え絶え、薫は美緒に近寄り、その体を抱きしめる。まだ温かい。しかしその温かさは光の温かさかもしれない。判断できるだけの感覚も薫には残されていなかった。
『カオル、諦めちゃだめだよ』
突如頭の中にルルの声が響いた。
『過酷な運命だって世界の端だって、君たちならきっと乗り越えられる』
地面が壊れる感覚があった。足が宙に浮き、体が得体の知れない何かに包まれる。あまりの光量に目も開けていられない。口に、耳に、目に、いたるところに息が止まるほど光が入り込んで、内側から壊れてしまいそうだった。
それでも歌だけは、ひどく美しく薫の耳を打った。
「美緒、俺もおまえのことが――」
それがこの世界の最後の記憶だった。
言葉さえも光に呑まれて、薫の意識も消えてなくなった。
そこに残されたのは、光だけだった。
さよなら青い双子星/ワールズエンド・チルドレン 白石らい @whitestone_lie
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