第22話 それは誰の掌?

「姫様……すべて滞りなく終了致しました」

「そう……ご苦労様」

 わたしはミリーの報告に耳を傾けながら、視線をある一点から離すことができないでいた。その視線の先にある二つの背中を見ていると、こう、なんというか、笑いが込み上げてくるのだ。

「ふ、ふふふ、ふふふふっ」

 口元を抑えて上品に私は笑う。姫の――いや、淑女の嗜みだ。

「ミリー、わたしはもう姫様じゃないのよ。姫様はあの子」

 わたしはどこかしょげて、気持ち丸まっている視線の先の背中を指さして言う。すると、ミリーは僅かに戸惑ったような表情を浮かべた。

「それは……理解しているのですが……その、慣れません」

「ふふふ、正直ね」

 ミリーのそういう正直な所は好きだ。好感が持てる。千里眼を使うまでもないくらいに、信用ができる。

「でも、慣れてもらうしかないわね……まぁ、貴女から見れば元友人の姿形なのだから、無理もないのかもしれないけど……ね」

 わたしは髪を掻き上げた。

 亜麻色の髪に、見る者全てを癒やしてしまいそうな柔和な顔立ち。蠱惑的な琥珀色の瞳は、人々の視線を捉えて離さず、肉感的な体型は同姓すらも虜にしてしまいそうな誘惑に満ちている。

 鏡に映るその姿形はまさしくリヴァリアの諜報メイドにして、ジャスティン商会の一人娘であるアレット・ジャスティンそのままであった。

「今のわたし……どう? アレットに比べて」

 わたしが問うと、ミリーは間髪入れずに返答する。

「アレットよりも遙かにお美しいです」

 満面の笑みを添えて。

「そう。ありがとう」

 ミリーにそう言ってもらえると、他の誰に言われるよりも私は嬉しかった。

「それにしても、ミリーも酷い子ね。あの子、友達だったんでしょう?」

 『あの子』それが誰を指しているか、想像するのは容易だろう。もちろんアーシア姫……に成り代わっていたアレットだ。元・アレットと言った方が分かりやすいかもしれない。

 親族とわたしとの間にできた軋轢はもう後戻りの聞かない段階まできていた。それを解消するためには、アーシアには舞台から退場願うのが最も簡単な方策だった。

 わたしは家族を愛している。危害は加えたくない。ゆえに、わたしの身代わりを用意した。そこで白羽の矢が立ったのがアレット・ジャスティン。例の政策の折に大金を支払う変わりに恩赦を受けた少女だ。わたしが政策を施行したのには、私よりも美しくなる可能性を摘み取るという他に、もう一つ意味があった。それこそが、いざという時に、わたしが成り代われる身体を見つけておくこと。それに値する価値を持つ肉体を探すことである。

 アレット・ジャスティンは、わたしの試験に見事合格した。わたしの精神をアレットの身体に移し入れ、変わりにアレットの精神をアーシアの肉体に封じ込めた。もちろん、元のアレットの精神には精神操作で擬似的なわたしの記憶や経験を受けつがせた。不審に思われないためにも、ある程度の魔術は扱えるように調整もした。

 しかし、所詮は疑似。時間と共に劣化し、いずれは魔術の一つも扱えなくなってしまう。

 『鬼姫』とレッテルを張られている彼女の今後の末路を思えば、涙の一滴ぐらいは流れようというものだ。

「ええ……はい」

 しかし、ミリーの態度はどこか歯切れが悪い。それがアレットに対する同情心からくるものかと思ったが、どうやら違うようだ。

 ミリーの表情が色を帯びる。真っ赤な、憤怒の情だ。

「正直……私は我慢の限界でした」

「我慢?」

 わたしは首を傾げる。ミリーの事は余さず理解しているつもりのわたしでも、その怒りの出所が読めない。

「確かにアレットは……友人です。友人でした。……しかし、アレットが……アレットなんかが……」

 ふつふつと、沸き上がるように言葉が熱を持つ。

「姫様を騙るなんて!!」

 ついに爆発した本音に、わたしは一瞬呆けて、

「ふ、ふふふふふふっ! あはははははっ!」

 笑った。

「そ、そう! そうだったのっ! う、ふふふふ! な、なるほどね」

 心の赴くままに、私は笑う。

「ああ、ミリー……なんて可愛らしい子なの……」

 ミリーを引き寄せて、わたしは抱き寄せた。子供をあやすようにミリーの背中や頭を撫でてやると、ミリーは嫌がる素振りも見せずに、気持ちよさげに目を細める。

「それであの子に対する態度が厳しかったのね」

「……はい。申し訳ありませんでした」

「ううん。いいのよ」

 ようやく合点がいった。ミリーには普段通りを演じるよう命令したはずなのに、偽アーシアへの態度がやけに刺々しいものだから、少しばかり心配していたのだ。

「まぁ、いろいろ思う所はあったようだけど、上手くやれてたと思うわ。ありがとねミリー」

「そんな……姫様のためなら、私は何だってやります」

 言いながら、ミリーは嘘偽りのない、無垢な瞳で私を見上げた。私に精神どころか魂の一片に至るまで預けきった自己のない瞳。独力で生きていくことができない哀れな小動物を思わせるそれに、わたしの背筋はゾクゾクと震えた。

「ん?」

 久々にゆっくりとミリーを可愛がりたい所ではあるものの、窓の向こうに別の気配を捉え、私が視線を向ける。ミリーも敏感に変化を察したのか、何事もなかったかのようにわたしから一歩後退する。

「いるんでしょ? 出てきなさいよ」

 虚空に向かって私が声をかけると、始めはうっすらと影だったものが徐々に実態を伴って現れる。その姿はわたしにとって慣れ親しんだもの。どこか気まずげに顔を背けるシュリエルだった。

「こうして顔を合わせるのも久々じゃの……主の姿は変わり果ててしもうたが」

「何よ……その言い方。まるでわたしが醜女にでもなったみたいじゃない? 方向性は違うけど、アーシア姫の器と変わらないくらいに美しい自信はあるんだけど?」

 私は軽くポーズをとって決めてみる。胸がタユンと揺れた。以前のバランスのいいスレンダーな体型も悪くはなかったけど、シュリエルの豊満な身体に憧れなかったといえば嘘になる。そういう意味で、このアレットの身体はわたしにとって理想的といえた。入れ替わって最初の一週間こそ違和感があったものの、それを過ぎるとどんどんと適応していった。人間とは実に便利にできているものである。

「まぁ……そうではあるのじゃが……の」

 それでもシュリエルはどこか複雑そうだ。

「何よ? 何か言いたい事があるなら言いなさいよ。気持ち悪いわね」

 逡巡するシュリエル程、気持ちの悪いものはない。

「いや、なに……。我もミリーと同じじゃよ。違和感があるのじゃ」

「なにその無駄な人間らしさ」

 思わずわたしは呆れてしまう。とても女神の言葉とは思えない。

「人間らしさ……か」

 私は馬鹿にしたつもりで言ったにも関わらず、何故かシュリエルはニヘラと相好を崩した。

「何て顔してんのよ……」

 本当に近頃のシュリエルには調子を狂わされる。変な空気になってきたので、それを吹き飛ばすように、私は新たな話題を振った。

「主様を放っておいていいの? 犬みたいに頭撫でられてヘラヘラしてたみたいだけど」

「そっ! それはっ! あまり言う出ない……」

 一人前に羞恥心があるのか、シュリエルは頬を赤らめる。

「言うなって言われてもね……あんたの本当の主はあっちなんだろうしー」

 何故か自然と嫌みめいた言い方になってしまう。まずい。これではまるで――。

「なんじゃ? 嫉妬しておるのか?」

 案の定、シュリエルはニヤリと笑って食いついてきた。

「……ふざけた事言ってるんじゃないわよ」

 今度はわたしが顔を逸らす番だった。

「そう心配するな」

 追撃をどう躱そうか思案する私にかけられたのは、以外にも母性を感じさせる優しい声色だった。わたしの肩にシュリエルの白く繊細な手が添えられる。

「確かに主様は主様じゃ。……しかし、今更何があった所で主を見捨てられん。主様はお主を切り捨てた。……じゃが、我には無理じゃ。」

 シュリエルは私を確かめるように、そっと抱きしめた。

「これが今の主なんじゃな。大丈夫。我は主を裏切らぬ」

 脳裏をいつか城の屋上で交わした言葉が過ぎる。



『お主は最後に必ず我が――救うっ!』


 私はシュリエルを殺すと宣言した。何の後悔も後腐れもなく、はっきりと言った。しかし、シュリエルは私を救うと言った。一体何から救おうと言うのか、わたしの理解が及ぶところではないけど、それでもシュリエルは私を救うと宣言してみせたのだ。

「ふ、ふん! それってあんたの主様を裏切るってことになるわよ?」

「……そうじゃな」

 あっさりと、シュリエルは認めた。

「それでいいわけ? ブルータスとは私よりも長い付き合いなんでしょう?」

「主の二倍……三倍……以上かもしれぬな」

「それを裏切るっていうの?」

「そうじゃ」

 今度は、さっきよりもはっきりと、迷いなくシュリエルは言い切る。わたしは言葉を失い、シュリエルを呆然と見つめた。シュリエルもわたしをじっと見つめる。そのままわたしの手を取って、呪文を呟きながら手の甲にシュリエルは口付けをした。口付けをされた部分が発光し、幾学模様が浮かび上がる。やがて、それが完全に消え去ると、シュリエルは顔を上げた。

「再契約完了じゃ……今回は主様にも無断で、完全なる裏切りになってしもうたな」

 言葉とは裏腹に、シュリエルの表情はどこか晴れ晴れとしている。自然と、私の口元に笑みが形作られた。

「本当に馬鹿ばっかり。……揃いも揃って、私の事好きすぎるんだから……」

「母性という奴かもしれぬの。いざという時には愛する男よりも、我が子を選んでしまう母親の性じゃ」

「誰が誰の母親だっての……まったく」

 シュリエルが母親だなんて、想像するだけで鳥肌が立ってくる。

「それぐらいよかろう。あんな劣化版アーシアを我に押しつけた罰じゃ」

 劣化版アーシアって……。

「あの子自体には罪はないでしょうに。それでも女神な訳?」

「そこは仕方あるまい。なにせ、我は『鬼姫』に使える女神なのじゃから」

「……それもそうか」

 今まで、シュリエルは私と一緒に数々のいけないお遊びを行ってきた。倫理観を問うのは今更というものだ。シュリエルとしては、女神における代理戦争を勝ち残ることこそが重要なのだろう。

「あっ」

 そこで私は思い出す。

「ジョシュア殺すの忘れてた」

 慌てて窓の外に視線を向けると、そこからは未だに二人の後ろ姿が見えていた。だけど、手出しはできない。今攻勢をかければ、少なくともブルータスには察知されてしまうだろう。そういう意味では、シュリエルの力は今まで以上に慎重に扱わなくてはならない。

「あーあ」

 名残惜しげにわたしは二人の背中を見送る。

「そう焦る必要もないじゃろう。ジョシュアの力量は測れた。それに奴も万全な状態ならばそう易々とはやられんじゃろうて」

「そう……ね」

 そうであることを祈る他にない。

 わたしは偽アーシア――今日から本物となるアーシアのなよなよとした横顔を見据えて、

「まぁ、せいぜい頑張ってよ。アーシア姫様?」

 彼女は呆気なく死んでしまうかもしれない。でも、思いもよらない結果を導き出すかもしれない。彼女が本来送っていただろう未来を全て貪り喰らいながら、無責任極まりないエールをわたしは送った。


 

 最後に、わたしはミリーにこんな質問をされた。

「姫様……いえ、アレット様はこれで何人目なんですか?」

 ――と。

「気になる? まぁ、気になるわよね……」

 わたしは微笑む。ミリーの疑問はもっともだ。真相を知っているなら、誰でも気になるだろう。

「でも……」

 ルージュの唇が艶めかしく開かれる。

「それはね――ヒ・ミ・ツ」

 すべての真実は、鬼姫のみぞ、知る。

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魔術世界の鬼姫戦記 @natume11

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