聖夜2
暗い夜道を、重い足取りで歩いていた。白い髭から漏れる白い息が冷たい風にたなびいていく。遠くから聞こえる笑い声も、大地を揺らす特急も、或いは己自信のため息でさえ酷く煩く感じた。先のことでトーキョウの空気に若干の嫌気がさしているせいかもしれない。
ふと声がした。初めは誰かの独り言だと思った。しかしそれは自分に向けられたものだった。
「なあそこのおっさん、何か恵んでくれねえか。俺はな、ギャーギャーバカみてえに騒いでる奴等と違ってこの国のために一生懸命働いてきてんだよ。なのになんだ。誰一人気にも止めやしない。聖夜なんてもんはろくなもんじゃねえな!」若干顔を赤らめながらその男は叫んだ。
「そうなんですか」私は答えた。それは聞き取れなかった訳ではなかった。ただ何も返せなかったのだ。「そうかもしれないですね……」
私はずっと昔の、ずっと寒い思い出を、ふと思い返していた。
私は小さい頃から考えることと人と繋がることが苦手だった。それでも周りには沢山の人がいた。彼等は私のことを親友と呼び、私もまたそう思っていた。彼らはとても親切で、ある人は私の代わりに叱られてくれた。またある人は私がお金に困っていると必要以上にそれをくれた。私は幸せ者だった。
私の父は基本家にいてほぼ毎日来客と向かい合っていた。また家の郵便受けには毎朝沢山の手紙が詰め込まれていた。父は夜遅くまでそれを読み耽っては時に涙を流した。
そんな父の仕事を知ったのは去年のことだった。ある冬の日、父は体調を崩しそれ以来寝たきりの生活が続いた。それはあまりに突然のことだった。
父は「まだやり残したことがある」と言った。そして言われた通りに箪笥の引き出しを引くと何通もの封筒が姿を現した。私はそのうちの一番上のものを手にとって目を通す。紙は酷くしわくしゃで、文字も汚く、読むのもやっとだった。その手紙は日本から届いたものだった。そしてこうあった。
「サンタさんへ
わたしは生まれつき目が見えません。でもみんな親切してくれます。なのでわたしはとても幸せです。
でも、本当は目と目を合わせてみんなとお話がしたいです。
わがまま言ってすいません。おねがいします。
さくらい はな」
「サンタさん? 何だってこんな手紙がうちに?」
「決まってるだろ。俺がサンタクロースだからだ。なんだ、まさかお前気づいてなかったのか! お前は本当にとろいなあ」父は弱々しく 口角を上げて言った。
「わけが わからない!」
「まあまあ、落ち着いて聞け。俺だって初めて親父からそれを聞いたときは驚いたもんだ。ちょうど三十年前くらいかな。そう言うわけで長いことサンタをやってきたんだが、どうしても叶えられない願いをする人がいるんだ。それは仕方がないことだと思う。だから必死になって身を尽くしたさ。でもな、俺にはどうしても叶えてあげることができなかった……。サンタってのは神じゃない。万能じゃないんだ。サンタが与えることができるのはモノだけなんだよ。
そのできる限りの中でサンタは子供たちを、或いはあまねく全ての人を最大限に幸せにしなきゃならねえんだ。だが、俺はもう持たねえ。後は任せたぜ!」
「いや、そんなこと急に言われても……」
「お前はいいやつだ。お前ならきっとできる。いや、やらなきゃならない。なぜならサンタの息子でサンタの孫だからだ。悪いな」
それから間もなくして父は姿を消した。体をまともに動かせる状態ではなかったはずだ。
残された手紙にはこう書かれていた。
「贖罪の旅に出る」
私は結局サンタになった。そして生活は一変した。
今まで優しく接してくれていた人がこぞって私にモノを求めるようになった。「あの時ああしてあげたのだからお礼をくれ」だとか「サンタのくせにできないって何だよ」など辛辣な言葉が私を責めたくるようになった。
私はその時思い知ったのだ。所詮私たちはその表面上でしか繋がっていなかったのだと。
それでも挫けるわけにはいかなかった。全ての人を笑顔にしたい。そんな夢みたいな目標を掲げて橇に乗った。
冷ややかな月光が差し込む空から白く冷たいものが降ってきた。やがて私は一件の家に到着した。その表札には桜井と書かれていた。
インターホンを鳴らす。サンタは煙突から入るものだとよく言うがそれは違う。サンタは玄関から入る。
返事はなかった。もう一度鳴らしてみる。しかしやはり返事はない。
「そこの人はいねえよ」後ろから声がした。振り向くとさっき私に恵みを求めてきた男が立っていた。
「どういうことです?」
「ここのやつは少し前に娘を亡くしたんだ。それ以来ここには住んでいない。その娘はまだ小さかった。でも目が見えなくて、いつも周りには人がいた。それなのに何で死んだと思う?」
「事故ですか?」
「周りに人がいるのにどうして事故なんか起こるんだ?」
「じゃあ病気ですかね?」
「違うな」
「じゃあどうして?」
「自殺したんだ。いや殺された、の方が近いかな」
「いったいどうして?」
「あれは去年の、ちょうどこのくらいの時期だったかな? 突然その娘の目が見えるようになったんだ」
「奇跡だ」
「奇跡? 笑わせるな。世の中には見えない方が良いことだってある。なにも知らないままの方が幸せな場合だってあるんだ。目が見えるようになった途端に誰一人としてそいつに話しかけるものはいなくなっちまった。そいつは知っちまったのさ。周りと繋がっているはずの自分が、本当は独りだったってことにな」重々しい口調で男は呟いた。
「そんな……」
「サンタはその子に最悪の贈り物をしちまったわけだ。サンタってのも大変だぜ。良かれと思ったことが最悪の事態を引き起こすことだってあるんだ。まあ、そんなことよりなんか恵めよ!」男は結局笑ってそう言った。その笑顔はある意味でとても素敵に見えた。
「ワタシはいったいどうすれば……人間は心から繋がることができるのでしょうか?」
「そんなの知らねえよ。そんなのわかったら戦争なんて起きんよ」男はぶっきらぼうにそう答えて立ち去ってしまった。
全く聖夜なんてろくなもんじゃねえな、そう溢して。
雪は静かに降り積もっていく。それはこの世界の憎しみ、哀しみの量に思えた。それは少しずつ増えていき、やがて街をも覆ってしまうのだろうか。そんなことを考えながらも、私はこの仕事をこなさねばならないんだ。そう自分自身に強く言い聞かせ、凍てつく空を翔る。
了
二つの聖夜 みふね @sarugamori39
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