二つの聖夜

みふね

聖夜1

「トーキョウを案内してくれませんか?」  

 夜の街ですれ違ったその男はいきなり片言な日本語でそう話しかけてきた。その男は立派な白髭を蓄えた、鼻の高い西洋人だった。私は少し思案した後に、「構いませんよ。どちらへ行かれるのですか?」

「行き先はありません。ただワタシはこの国好きです。だからもっと好きになりたいです」

「そうですか……。ここで出会ったのも何かの縁でしょうし、ご案内します」


 無機質な音色と共に扉が開く。同時に多くの人がどっと電車を降りた。それを見送ると男は言った。「凄い人の量ですね」 

「いえ、朝なんてこんなもんじゃないですよ。息継ぎもろくにできませんから」

「そうなんですか」男は若干聞き取れなかったようで、心ない返事をした。

 私と男は二人、吊革に掴まって揺られていた。外に青く光る東京スカイツリーが見えた。一度だけ娘と行ったことがあってその時は天に突き刺さるような高さに驚いたものだが、車内から見るそれは案外小さく見えた。

「とてもキレイですね」男は校外学習でバスに乗る小学生のように窓にへばりついていた。

「やっぱりいいところです、トーキョウ。景色も素晴らしい!」男はすっかり東京の夜景に魅了されたようで夜景さながらに目を輝かせていた。

 次の駅で一人の老婆が乗ってきた。見るからに年老いており細い腕を伸ばして吊革を掴んだ。

「席、代わりますよ」一人の女子高生がその老婆に席を譲った。老婆は何度も頭を下げながらそれに従った。

「これが譲り合いのココロというやつですか? 素晴らしいです」

「違う。この椅子は八人がけだ。今何人いるか数えてみてください」

「一、二、三……七人……あれ、おかしいですね」

「可笑しいでしょう」


 駅を出ると辺り一面に燦々と光るネオンの街が広がっていた。男は目をネオン以上に輝かせていた。高いビルが立ち並び、ところ狭しと道は人で埋め尽くされていた。それは満員電車を彷彿させた。クリスマスイブだけあってイルミネーションは鮮やかに、街は赤い帽子に赤い装束を纏ったサンタで溢れていた。

「素晴らしいです。ワタシの国ではこんなキレイな景色見ることできません」

「どこからいらしたんですか?」

「フィンランドです」

「そんな遠いところから……。旅行ですか?」

「仕事のついでに少しよっていこうかと思いまして。前から来てみたかったんですよ!」

「そうですか」


「お客さん! いい娘が揃ってますよ! どうですか?」急に派手な衣装を着た男が目の前に立ち塞がってきた。私は足早にその場を駆け抜けた。北欧から来た男も一生懸命後を追ってきた。

「いいんですか? あの人何か言ってましたよ」

「ああ、覚えておいてください。前に立ち塞がって店に勧誘することは違法なのでああいう人は相手にしてはいけませんよ」

「そうなんですか」男は心なげに返事をして、前方に現れた人だかりを指差した。「あれは何ですか?」

 そこには大画面に写し出された対象に発光する棒を振る男または女の姿が見られた。

「宗教です」私はできるだけ的確な言葉を選んだつもりでいた。

「シューキョウ?」

「religionです」そう言ってから何も返されないものだから、自分の発音が正しかったのか或いは男が英語圏の人ではなかったのか、無性に不安になった。


「道の脇にゴミがありますね。少しトーキョウ残念です」そこには大きく広げられた段ボールや毛布などが落ちていた。

「いえ、これはゴミではありません」

「だったら何ですか?」 

「知らない方がいいと思いますよ」私がそう言ってみせるも男は度々後ろを振り返りながらそれを気にし続けていた。


「次が最後です」私は時計を気にしながらそう言った。車内アナウンスが渋谷と告げた。「案内は次が最後です」もう一度言う。

「何かあるんですか?」

「ええ。実は八時にある人と会う約束をしていまして」もう一度時計を確認する。七時半だった。「着きました」


 そこには他と比べ物にならないほどの人で溢れており、信号が変わるや否や激流のように歩き始めた。

 見渡す限り大きなショッピングモールが立ち並び、大音量の音楽が漏れ出ている。少し歩けばサンタがいて歌を歌ったり動画を撮ったり、職務怠慢ではないかとさえ思えるほどに溢れていた。

「今までと雰囲気が違うと思いませんか?」

「確かに少し……何と言うんでしょうか、young な感じですね。それにキレイです」男は決まり文句かのごとく、キレイです、と付け加えた。

「実はここに来るのは十年ぶりなんです」私は男にそう言った。「十年。東京は大きく変わりました。昔はこんなにも若い人なんていなかった印象があります。あいつらなんて多分中学生ですよ」前を歩く二人の男女を指差す。「良い意味でも悪い意味でも、変わってしまった」

「どういうことでしょう?」

「昔より沢山の人が来るようになりました。多分それはいいことなんだと思います。でも……人と人との繋がりがやや薄れつつあるような気がします。それは必ずしも東京に限った話ではないと思うのですが、より色濃く感じます」男は黙ったまま私の話を聞いていた。伝わるかどうかなどこの際どうでもよかった。「こっちに来てください」


 そこは今までの明るさと一転して暗がりが広がっていた。

「ここは……どこですか?」男が辺りをキョロキョロと窺いながら尋ねる。

「渋谷です」

「え?」

 私はある一方向を見据えて立ち止まった。男もまた私の隣で立ちすくむ。

「本当はここまで案内する予定はなかったんです。ただ知っていて欲しいんです。決して誰もが家族を持って、明るい表舞台を歩いているわけではないんです。家はおろか、頼る人は誰もいない。夢に破れた人、虐めや虐待など満足な境遇に育てられなかった人、そういった人も東京にはいます」

「そうなんですか」 

「私の知る人もまたその内の一人でした。会社が倒産してしまったんです。かつてその人はそれなりに大きな会社に勤め、所謂エリートとして多くの社員から信頼を得ていました。結婚して、暫くして子供も産まれました。まさに順風満帆な人生だったんです」

「ジュンプウマンパン?」

「何もかもが上手くいっている、という意味です。でも会社が潰れてしまえばどうだ。その人を信頼していた人たちは離れていき、家族までもが彼を見捨ててしまった。結局全て仮初めに過ぎなかったんだ」

「カリソメ?」


「彼です」指を指すその先には段ボールの上にボロボロの毛布をかぶり、長い髭を蓄えた男が寝そべっていた。「信じられますか?彼が先月まで、さっきの交差点を、立派なスーツ姿で歩いていたなんて」

「そんな……」 

「街はあんなにもサンタで溢れているというのに……嘆かわしいことです……」


「ではここで」私はそうして男に別れを告げた。男は終始黙りこんだままに立ちすくんでいた。

 

 待ち合わせ場所はハチ公。私は時間ちょうどにそこへたどり着いた。一人の老いた男が立っていた。そして私に気づくや否や地面に膝をつきぎこちない土下座をした。

「あの事は本当に悪かった……」

「やめてください。こんなところで……。取り敢えず付いてきてください見せたいものがあるんです」嘘をついた。


 人気のない路地。目の前には先程の老人が頭から血を流して倒れていた。脈はない。私の手にはべったりと、赤い絵の具のようなものが付いていた。そう言えば昔から美術が苦手でよくこんな風に手につけては怒られていた覚えがある。ああ、また怒られてしまう。私は人を殺した。 


 聖夜とは名ばかりで、何も清いことはなく、奇跡なんてものも起こるはずはないし、もちろん私の娘が生き返ることも決してない。

 これは復讐だ。もちろんそんなことをして娘が喜ぶなどとは思っていない。私は私のために生きたい。だから殺した。つまりこれは自己満足だ。

 私は静かに天を仰いだ。曇りきった、深淵の中に不完全な月が独りぼんやりと浮かんでいた。

 空から何かが落ちてくる。小さく白いものが無数に空を舞い落ちてくる。

 月の夜に雪が降るなんて。私は戸惑いつつも、小さな奇跡のようなものを感じた。

 その雪は冷たく冷えきった東京の街に、しんしんと降り積もった。











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