食人鬼の殺し方

加藤

第1話

 私は人の味が知りたい。厳密に言えば、人を知りたい。ものを知る時、実際に体に取り込んでしまうのが手っ取り早い。初めて魚を釣った大昔の人は口に取り込んだ。学者は頭に問題を取り込んだ。

 私は生物学的に見れば人とされる。だが、人間らしさと言えるものが大きく欠如していた。人間らしさ。つまり、感情だ。私にはそれが明らかに足りなかった。

 感情は人間の行動の基盤とされるものだ。私はそれを欲した。だから私は、人間を真似て人間を知ろうと思った。根本が欠如した私に人の感情を頭で理解するというのは不可能だった。

 だから私は、口で取り込むのだ。


「薬物というのは人の気を楽にしてくれるらしい。俗に言う、リラックスというやつだ。君は、どんな時にリラックスをするんだい」

 血生臭い密封された空間で、私は両手両足を椅子に括り付けられた女子高生に問いかけた。しかし、依然として彼女は涙を流しながら助けを懇願するのみであった。

「生憎ね、もうその手の類の感情は知っているんだ。おかげで毎日にハリが生まれたよ。名前は忘れちゃったけど、彼女には感謝してるんだ」

 私は"彼"からいただいた透明な袋を手に取り、綺麗な粉をハンカチに振りかけた。

「初期段階でのデメリットはなし。複数回目以降、精神と体内を破壊するらしい。一度の服用で、セックスの何十倍も気持ちがいいだとか。」

 私は続けた。

「これほど適したものはないね。君の意識があるうちに言おう。僕を人間にする生贄になってくれてありがとう。そして、いただきます。」

『生贄』という単語に反応し、彼女は力の限り不自由な身体を大きく動かし、歳端のいかない少女とは思えないような、獣のような声を上げた。椅子は倒れ、彼女は頭を硬い床に打ちつける。

 意識の朦朧とする彼女の口と鼻にハンカチをあてがった。

 彼女の黒目は自身の眉を見るかの如く動き、顔中を真っ赤に染め、先ほどとは一変した甲高く卑猥な声を布越しに響かせた。

「いいね。最高だよ。」

 私は絶頂にある彼女の首をかっ切った。


 とろけるように柔らかくて、甘苦い味だった。ああ、気持ちがいい。私は下腹部を濡らし、心が温まった。



 私は後天的に人付き合いが苦手だった。後天的と言っても、それが定着したのは自我が芽生えた当時からだ。私の両親はどうやら他とは違ったらしい。おもちゃが欲しいと言えば我慢しなさいと言われ、家に帰ると母は我慢を覚えなさいと暴力を振るった。始めの内は自分は殴られるたびに泣いた。が、じきに慣れが生まれた。

 いくら殴っても表情を変えず、ただ顔に青あざをつくるだけの私に、母は飽きたらしく、可愛げがないと言って、私を放任しるようになった。長い時は三日も食事を与えられなかった。丁度その頃、昆虫食を始めた。私は図書館で虫のことを調べては食した。昼間は図書館にこもる様になった。

 それが因果してか、勉強において、学校ではトップだった。

 中学に入った頃、両親が捕まった。確か、薬物で。医師に私の体について調べられた。両親のそれとは全く関わっていなかったため、私は児童養護施設へと送られた。

 施設の人にはとてもお世話になった。おかげで大学にも行けた。

 社会人になってからは、苦労の連続だった。上司や同僚との人間関係。私はどうやら上司に嫌われてしまったらしい。パワハラは日常茶飯事だった。そこで私は、本気で人を知ろうと思ったのだ。


 終電手前の電車に乗って、家から最寄りの駅で降りた。ホームの隅にあるトイレで用を足して、帰ろうとした時。黒いパーカーを着た小柄な人が黄色い線に立っていた。横顔を見ると、丁度高校生くらいの女の子だった。一体、何をしているのだろう。私はよく、ひと気の少ないところを歩いている柄の悪い女子高生を連れて帰るが、彼女はそういった類の容貌ではなかった。

 興味本意で、近くにある椅子に座って彼女を見ていた。『まもなく電車が参ります』というアナウンスが鳴った頃、私は気づいた。以前何度か新聞で読んだ覚えがあった。

 死ぬくらいなら食べても構わない。

 私はそう思って、線路に飛び込もうとする彼女の腕を掴んで引っ張った。

 目の前を電車が通ると、彼女はその場に座り込んだ。

「なんで」と彼女は小さく呟く。

「事情を話してくれないか。両親から虐待を受けた私なら、いい話し合いになると思う」

 私は彼女を連れて近くのファミリーレストランへ入った。

 何も問いかけても、彼女はそっけない答えしか返さない。私はまず、彼女に過去の話をした。彼女は私の話を一通り聞き終えると、彼女もまた、自身の話を始めた。理由はよくわからない。人を知ろうと思って読んでいた本達の真似事だった。

 どうやら彼女の家庭環境も私のものと同じらしい。家庭から切り離された彼女の唯一の希望だった恋人とある日を境に連絡が取れなくなっていた。身体を重ね、避妊し失敗した日から。彼女は絶望した。愛してるいた蜘蛛の糸を切られ、再び地獄の底へ落ちたのだ。

 彼氏に逃げられたのだ。恐らく、腹に子を抱えているのだろう。

 これは好機ではないか。新しい味を知る、思いもよらぬ好機。

 私は嗚咽を漏らす彼女を軽く抱き寄せた後、店を出た。

 頼んだコーヒーには一度も口をつけなかった。


 先生は人生に退屈していた。だから先生は世の中の面白いものを取り込んでいった。それが法に触れるか否は、先生にとってはどうでもいいことの様だった。先生は私と真反対に、人を惹きつける不思議な魅力があった。受講生に留まらず、ヤクザと重犯罪者とも繋がっているらしい。(彼は直接的には語らなかった)

 ある時、先生は何故だか私に興味を持ってくださった。私についていろいろと調べたのだろう。最初はたわいない会話であったが、突然先生は踏み込んだ質問をなさった。

「両親を殺そうとは思わないのかい?」

 私は答えた。

「人に成れるのはまだ先のようです。」

「何故君は人ではないと思う?」

「人がなんたるかを教わらなかったのです。」

「ではまず、君は人を知るために何をするんだい?」

 ーまずは、味を知りたいですー

 冗談のつもりで言ったつもりであった。しかし、先生は嬉しそうに笑いながら言った。

 ーでは私が獲物の捕らえ方を教えてあげようー



 精神的な疲労がたまりに溜まっていたのだろう。彼女は私の車に乗ると眠り始めた。私は見渡す限り緑しかない田舎に住んでいる。おかげで通勤には二時間以上も使ってしまうが、私の生活に組み込まれた犯罪にはうってつけの場所だった。

 当然、私は一人暮らしだ。不本意ではあったが、私は彼女と同じベットに入った。大事なサンプルをダメにしないようにと。


 まだ日が昇る前に、私は出勤の仕度を始めた。まだ、彼女はぐっすりのようだ。彼女の食事について、全く考えが浮かばなかった。妊婦に与えるには気が引けるが、仕方なく私は彼女の目の届く場所にカップ麺と、彼女も着れるであろう服を置いて仕事へ出た。

 昼休みに音楽を聴きながらコーヒーを飲んでみた。憂いが吹き飛んだように思えた。なるほど、人はこうやって心を休めていたのだ。


 日をまたいだ時、私はようやく家についた。驚いたことに、彼女はテーブルの上に、恐らくは自作であろう料理を準備していた。彼女に尋ねると、どうやら冷蔵庫の中から勝手に作ったらしい。行儀知らずだと思ったが、どうも悪い気はしなかった。私は白飯と味噌汁を温めると、それらを平らげた。彼女は小さく笑みを浮かべていた。理由はわからなかった。

 彼女はふと私に鍵をかけた部屋について訊いてきた。そこは私のいつもの殺人現場だった。

「前に住んでた人が鍵をなくしたんだ。まぁその分安く住めてるし、一人暮らしには丁度いいよ」

 適当に返すと、彼女は納得したように「ふーん」とだけ言った。

 風呂で身体を洗い、床へついた。昨日とは違い、彼女も起きていることで、心苦しさ?を覚えた。


 あれ?


 そんなものを食べた覚えはなかったが、疲れていたから、気にしないで眠ろうと思った。

 彼女は同じ床で寝ることに不満は言わなかった。むしろ身体を寄せてきたのだ。

 彼女の存在は私に取って、これっぽっちも理解できないものだった。

 私は思い切って人の営みを知ろうと思い、彼女に覆いかぶさった。抵抗はしなかったが、彼女は顔を逸らした。その時、私の中で気持ちの悪いものが込み上げた。私を視界に入れようとしない母親の姿が脳裏に横切った。私は何もなかったかのようにもとの姿勢に戻った。彼女もまた、何も言わなかった。


 朝、目を覚ますと、テーブルの上にまだ温かい白飯と味噌汁があった。しかし、彼女は寝ている様子だった。朝の早い私に気を使ったが、眠り足りなかったのだろうか。私は不安になった。

 分からないを通り越した不安。いままで適当にしか人付き合いをしなかった。それ故に味わうことがなかった。

 私はテーブルの上に万札を二枚置き、用意された朝食を食べると出社した。


 部長は私の作成した資料を数秒睨むと、わざとらしく大きなため息をついて突き返した。

「お前、東○大学卒なんだろ?なんでこんなのしか作れないわけ?もっと見やすくしろよ。」

 そう言って彼は私の頬を殴りつけた。殴られた箇所にはジンジンと熱さが残った。

「すみません。やり直します。」

 私は形だけの謝罪を済ませると、自分のデスクへと戻ろうとした。

「……気持ち悪い奴。」

 少しは泣いてみるべきなのだろうか。私には何が正解何かが分からない。


 またしても驚いた。彼女はここを出るためではなく、食材の買い出しに金を使っていたのだ。机の上には半分以上の金が残っていた。

「おかえりなさい。」

 彼女は可愛らしい?笑みを浮かべた。

「……ただいま。」

 私がそう返すと、彼女は私の頬に目をやった。

「痛そう…待ってて、氷を用意するから。」

 私は彼女の用意した夕食を食べながら頬を冷やした。


 布団の中、彼女は私に尋ねた。

「なんで私を助けてくれたの?」

 私はすこし言葉を詰まらせた。

「…助けるべきだと、思った。」

 少しの沈黙が流れた後、彼女は私に、こっちを向いてと言った。私が言う通りにすると、彼女は私の首に手を回した。彼女の小さな脂肪の塊が押し付けられた。

「ありがとう。」

 私の内心は気が気でなかった。こんなはずではなかった。気持ちが悪い。胸の中に色んなものが流れ込んでくる。私の知らない何かがたくさん。

 だが、最終的にはリラックスという感情に落ち着いた。私はそのまま眠りについた。


 次の日も同じように彼女は私を出迎えた。胸が、潰れるようだった。熱湯を飲まされたように体の中が熱かった。

 私は彼女に恋心を抱いたのだと思った。

 これも、食べたことはないはずなのに。彼女と会って以降、訳のわからないことばかりだった。

 私の送っていた今まで通りの生活では得られないであろう感覚を、彼女は与えてくれた。私の心は、ますます彼女に惹かれていった。


「なんであなたはいつも仮面をつけているの?」

 彼女は尋ねた。

「これがなければ、自分が自分でない気がして。私は人ではないんだよ。」

 彼女は少し黙り込むと、体の向きを私の反対側へ動かして言った。

「じゃあきっと、私も人じゃないのかも。」



 日曜日の朝であった。インターホンが何度も鳴らされていた。人が私を訪ねることなど、滅多にあるはずがないのに。嫌な予感は的中した。

「○○県警です。××さんですね?未成年者誘拐の嫌疑で同行を願います。」

 私へと伸びる警察の手を払いのけると、警察の頭を掴み壁に打ち付けた。その警察はその場で倒れこんだが、もう一人の警察は激昂して掴みかかろうとした。彼の顎へ力の限りの威力で蹴りをお見舞いした。二人の足を、作業場から持ってきたペンチで砕くと、トランシーバーと携帯を奪って家を出た。

 ついに足がついたのだ。

 当然だ。彼女を何度も簡単に人目のある場所へ向かわせたのだ。


 私は近くの森へ走った。かなり深い森へ。道中私は不安定な呼吸であったが、携帯を取り出し、先生へ連絡した。顔の右半分が涼しかった。

「先生、ついに私は幸せの味を知る方法を思いつきました。」

「おめでとう。また、楽しみが減ってしまうな。」

「すみません。でも……。」

「わかっているよ。」



 ーようこそー


 その言葉を聴き遂げると、私は携帯を投げ捨てて再び走り出した。

 やっとだ。やっとだ。


 私は、遂に人になれるのだ。


 顔の左半分も涼しくなった。


 森の中、私は大の字になって倒れた。


「さあ、祝おうではないか、ここに一人の人間が誕生するのだ!!」


 幸せの味がした。

 これまでの何よりも温かくて、おいしくて、柔らかくて、いい匂いで。

 切断された左腕からはたくさんの幸せが流れ落ちる。

 おいしい。その言葉に尽きた。



 私は愛をもって、殺人"鬼"としての道を終わらせた。

 私は愛をもって、命を終わらせたのだ。

 きっと彼女は警察を寄こした誰かと暮らしていくのだろう。



 この世界に未練などない。


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食人鬼の殺し方 加藤 @soshinasi

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