ハセオ草子！

第5話 最後のひと勝負

　そして３カ月後。

　ゲームセンターのアルバイトを終えた板野さんは、元気よく駆け出して行った。

「お土産買ってくるね」

　それを見送るのは、背広姿の佐藤さんだった。

「これでよかったんだ」

　吐き捨てるように言う顔は、清々しく笑っている。僕は尋ねた。

「これからどうなさるんですか？」

「私をクビにした人が、それ言いますかね？」

　肩をすくめるなり、佐藤さんは店長に頭を下げた。

「とりあえず、長谷尾さんの優勝、おめでとうございます」

　店長も頭を下げたが、佐藤さんは皮肉な笑いを浮かべて両手を振ってみせた。

「いえいえ、私どもの懐が痛んだわけではありませんので」

　メルを手中に収めようとしていた世界的巨大コングロマリット「イクスリストプリュ」の末端にいた男はその役割を終えて、ゲームセンターから去っていく。

　その後を追ったわけではないが、僕も休憩を取る。

　場所は、例のフードコートだ。

　初めてメルに会った時に見た、遠い山々の燃え上がるような緑はもう、すっかり落ち着いていた。

　ステージから飛び降りたあの夏の午後、席を立つ観客たちの中で僕が見つけ出したのはメルではなかった。

「たったひと月、なぜ待てませなんだ」

　あの老人が、どこか悲しそうな笑顔でそう告げたとき、僕はもうメルと暮らすことができないのを知った。

　僕は優勝したが、「イクスリストプリュ」からの申し出は辞退した。これで安楽にｅ－スポーツのプロになったところで、面白くも何ともない。

　ただ、恥ずかしいだけだ。

　ワガママを黙って見守っている両親だけじゃない。現実と戦っている板野さんにも、そして、最後に歌ってくれたメル・アイヴィーにも。

「プリン……頼んでいいかな」

　聞き覚えのある声にはっとすると、ちょっと季節外れの白いワンピースを着た女の子が、銀色の髪を揺らして、ブルーの瞳で見下ろしていた。

「好きなだけ。僕のおごり」

　席を立とうとすると、くすっと笑った。

「もう頼んできちゃった」

「仕方ないな」

　ムッとしてみせると、メルは僕の向かいに腰を下ろした。

「あの後……どうなったの？」

　前よりも、ちょっと口数が多い。それは、僕との間に許されたのが、ほんのささやかな時間に過ぎないことを意味している。

　できるだけかいつまんで、説明しなくてはならなかった。

「何もかも、なかったことになった」

　メルもいない。大手企業による将来の保証もない。相変わらず、僕はゲームセンターでのアルバイトをしながら、進学資金を貯めている。

　プリンが届いた。これを食べ終わったら、たぶん、メルはいなくなる。

「あのお金は？」

　スプーンを手に、メルは尋ねた。

　板野さんの修学旅行費のことだ。「イクスリストプリュ」との取引はなくなったが、これだけは放っておけなかった。

「僕が払った……佐藤さんに」

「なるほど」

　それだけで、メルには通じたらしい。

　佐藤さんの手で、板野さん限定の奨学金が偽装された。メル・アイヴィーの獲得に失敗した佐藤さんは「イクスリストプリュ」をクビにされ、その代償として会社の名前だけを使わせてもらったらしい。

　資金源そのものは僕の貯めた12万円だからだ。

「で、これからどうするの？」

　本当は、ずっとそばにいてほしい。でも、それは甘えた考えだ。メルも、そんな僕との暮らしを望んではいないだろう。

「う～ん……」

　メルは、ちょっと考えてから答えた。

「プリン、お替りしていい？」

「やっぱり、よく食うな」

　俺は皿を返しに行くついでに追加注文をしようと、席を立った。

　スマホが、メールの着信を告げる。板野さんからだった。

《お土産、何がいい？》

　戻ってきた現実にハッと振り向いてみると、人の行きかう中、白いワンピースのメルはブルーの瞳を向けて笑ってみせた。

「どう？　ひと勝負」

　いいかも、しれない。

　たぶん、完敗だけど。

（完）