第4話 捨て身の決戦

 僕の条件は単純だった。

「進学の経費に、友人の修学旅行費も含めてください」

 佐藤は一も二もなく引き受けた。調べてみると、学校が契約している旅行会社は「イクスリストプリュ」傘下だったので、話は簡単にケリがついた。

 僕の優勝と同時に、修学旅行費負担のための奨学金が設立される。板野だけじゃなくて、もっとたくさんの高校生が幸せになれる。

 当然、これは大会の直前まで内緒にしているつもりだった。板野が体調を回復してアルバイトに出てきても、僕は極力、目を合わせたり言葉を交わしたりすることを避けた。


 そんなこんなで夏休みの後半は瞬く間に過ぎ去り、《リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ》の当日がやってきた。

 木曽川と揖斐川と長良川が合流する辺りにある大きな遊園地に設営された大きなスクリーンの前で、僕はピリピリしていた。

 だが、別に世界的プレイヤーを相手にするからではない。

 ……その日の出場はもう店長に告げてあった。もちろん、優勝したら店の宣伝に名前を使わせてくれと大喜びだったのだが、いざ前日となると、その表情は暗かった。

「板野ちゃん、倒れたんだって。今、過労で入院中」

 僕が費用を負担しようとしたものだから、よけいにムキになってシフトを入れ、がむしゃらに働き過ぎたらしい。しかも、修学旅行の参加確認は、大会と同日だった……。

 負けるわけには、いかない。今日勝って、今日中に佐藤を動かす。僕の手元にメルがいる限り、嫌とは言うまい。

「大丈夫、あなたは勝つわ」

 燦燦たる夏の太陽の下で、白い帽子を目深にかぶった、白いワンピースの少女が耳元で囁く。

 目の前のスクリーンには、世界から集まったプロのe-スポーツプレイヤーたちの顔と使用キャラクターが次々に映し出されている。


 そして、闘いが始まった。

 メソポタミア神話の英雄ギルガメッシュが、手にした斧を縦横に振り回す。

 インドの叙事詩『ラーマーヤナ』の聖猿ハヌマーンが、無数のチャクラムを四方八方から投げつける。

 フィンランド神話『カレヴァラ』の魔女ロウヒが、巨大な鷹に姿を変えて空中から襲いかかる。

 そのどれも、僕の操るシラノ・ド・ベルジュラックの敵ではない。それに、僕をブルーの瞳で見つめているのは世界のアイドル…メル・アイヴィーだ。

 負けるわけがない。

 午前中の予選が終わると、僕はベスト8に入っていた。

「やるじゃない」

 これまで見せたことのない不敵な笑いを横目に、僕は遊園地内のフードコートでハンバーガーを頬張った。メルはというと、選手特権で食べ放題なのをいいことに、もう幾つも皿を積み上げて、デザートのプリンにとりかかっている。

「大丈夫、歌わせたりしないよ」

 雲一つない、暑い青空を見上げると、喉の中をひき肉の塊が滑り落ちていった。


 でも、世界を股にかけて戦うプレイヤーは違った。

 中国の『児女英雄伝』の女傑、十三妹しいさんめいは画面中を自在に飛び回り、シラノの首を1回は斬り落とした。

 日本の『白波五人男』の弁天小僧は、シラノの剣を唐傘で弾いては、背後に現れて斬りつけてくる。

 そして炎天下の下で迎えた決勝戦を前にした休憩時間に現れたのは、あの佐藤だった。

「脱帽いたしました。まさか、メル・アイヴィーの歌なしでここまでいらっしゃるとは」

「バカにするな……僕は長谷尾英輔だよ」

 ちょっと大見栄切ってみせたら、佐藤は笑い出した。

「これはいい! メルさんとあなたを並べてプロデュースする日が、本当に来るかもしれませんね」

 その時だった。

「そうでしょうか」

 滝のような汗も凍りつかせる声が、佐藤を、いや、会場全体を沈黙させた。メルは声を落として囁く。

「あなたがたの思い通りにはなりません。私も、英輔さんも」

 メルが初めて、僕を名前で呼んでくれた。

 そのことの意味に考えが及ぶ前に、決勝戦の開始を告げるアナウンスが響き渡った。


 シラノ・ド・ベルジュラックの前で、双剣を手にした美青年が恭しく一礼する。

 イギリスの『ハムレット』で主人公と一騎打ちを演じる美剣士レイアーティーズだ。

 決戦のステージの上で、1本目が始まる。 

 ……強い!

 シラノの流星突きが、高速で交差するレイピアとダガーで弾き飛ばされる。かと思えば、一瞬の隙を突いて2つの刃が絶え間なく襲いかかる。だが、こんなときのための技を磨いていない僕ではない。

アラス野の疾走スプラン・シャン・ダ・ラス!」

 画面の端まで押されたシラノが、一気にレイアーティーズを反対側の端まで押し返す。

 1勝を収めた僕に、会場内からは歓声が上がった。でも、スキンヘッドの対戦相手は怯んだ様子もない。余裕たっぷりの嘲笑を浮かべると、2本目に臨んだ。

愛する妹に捧ぐ!デヴォート・トゥ・マイ・スウィート・シスター!

 開始と同時に背後へ飛んできたレイアーティーズの不意打ちに、シラノが倒れ伏す。

 これが、相手の実力だった。僕の身体が、ガタガタ震え出した。

 ダメだと思いながらも、目が観客席のメルを探している。

 ……いた!

 真っ白な帽子の下から、ブルーの瞳が見つめている。

 決断を促すように。

 ここで勝てば、何もかもが手に入る。メルも、僕の人生も、板野さんの修学旅行も。

 だけど、これらは全部、僕のワガママでもある。最初から、なくても文句の言えないものなのだ。

 3本目が始まる。レイアーティーズが跳躍する。

復讐するは我にあり!ヴェンジェンス・イズ・マイン!」

 でも、指は動かない。僕は覚悟を決めた。

 しかし。

 客席から微かな歌声が響き始めたのを、僕の耳は聞き逃さなかった。

 

 今、君の前にあるもの

 求めているのに、恐れているもの

 自分の心を見つめて

 自分が呼ぶ声に答えて

 あなたが正しいと思っていること

 あなたが自分で決めたこと

 それは、つらい未来をもたらすかもしれない

 でも、私はそんな今のあなたが好き


 「いけない、メル!」

 そう言いながらも、身体の中に燃え上がった何かが、勝手にシラノ・ド・ベルジュラックを動かしていた。

 防御しても出遅れた分、ダメージは大きい。でも、起死回生の技はある。

伊達男の心意気ル・クール・デュ・ベラトル!」

 放り上げた羽根帽子が落ちてくる前に、包帯で巻いた頭を晒したシラノの剣が相手の身体を貫通する。レイアーティーズがばったり倒れると、崩れ落ちた身体の上に、ふわりと羽根帽子が落ちてくる。

 わっと賞賛の歓声が上がったが、僕はもう、それを聞いてはいなかった。

「メル!」

 観客席から姿を消したメルを探して、僕はステージから飛び降りた。

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