未来
ネギま馬
未来を
いつからか本心で笑わなくなっていた。何も友人の話が面白くないとかそんなことで誤魔化しているわけではない。
「でさぁ、その女優のミズキリナって子がさぁ」
あぁ、結局こいつとは喧嘩してしまうのか。嫌だなぁ。
「なぁ、聞いてんの?」
「あぁ、聞いているさ」
庄司の言葉をそっくりそのまま、生返事で返す。庄司は納得のいっていない様子で、少し不審に思いながら喋り続けた。好きな女優のこと、高校生らしく浮かれた恋愛の話。全てが昼休みの喧騒に巻き込まれながら溶けていき、
俺は三日後に庄司と喧嘩する。それは理不尽なほどにドロドロに熟れて腐りきった果実のような不快感のする暴力的な甘さと、偏見的な恋愛観を引き連れて僕を断罪せんとする、なんとも面白くない未来だった。
突発性先見症候群、一般的に一望千里病と呼ばれたそれに俺は罹っていた。その病は特に何か自身の体に悪影響があるかと言われればそうでもなく、むしろ好影響ばかりを及ぼすものとして社会には認知されている。
端的に言ってしまえば、異常な脳の活性化により起こりうる、いや絶対的に起こる未来が見えてしまうという病だった。一望千里病に罹った人の中にはその未来が見える特性を利用して富と権威を手に入れる人がごまんといる。
だからこそ、この病は社会を淡々と生きる人々にとってこの病への視線は同情とか、そういう病気に罹った人を見る目ではなく、ただ将来を約束された成功者を見るような羨望の眼差しで見てくるのだ。嘉祥はそんな眼差しで見られたくないから、自分の病を隠している。
それにこの病もあまり良いものではなかった。そのことは発症した人の自殺率に現れている。一望千里症に罹った約60%の人は、発症から約五年以内に自らの命を水へと流している。自らの未来が見えてしまい、それに絶望してからの死だった。
「なんか、名波ってよく見ると可愛いよな」
庄司がそう呟いた。庄司が名波のことを好いていることは知っていた。勿論、その感情にまだ無自覚だということも。
そんな彼女のために嘉祥は庄司と喧嘩することになることも、見えていた。
「そうだなぁ」
適当に相槌を打った。その言葉が案外に不満だったらしく、庄司は唇を尖らせながら「全然わかってないじゃん」とポツリとつぶやく。そういういじらしさも庄司の長所であり、嘉祥が庄司を友人として好いている理由の一つだった。
「俺、飲み物買ってくる」
「ん? おお」
後ろで庄司の同意が聞こえたことを確認して、喧騒の広がる教室をあとにした。
「あ、ごめん。ちょっと抜けるね」
***
自動販売機の唸るような駆動音だけがけたたましく静寂を切り裂く。職員室の隣に設置された自動販売機の群れの横に並ぶように置かれたベンチに腰をかけた。
もし、未来が見えていなかったら。
こんなにも狂いそうな地獄の淵には立っていなかっただろう。未来が見えて、その人との関係性までもが見えてきてしまう、今回は庄司との喧嘩、ほかにも嘉祥が見ようとしていないだけで、表面下に起こる齟齬というものも感知している。そんな日常が疲れるのだ。
「トマトジュース、いる?」
嘉祥がいらないと否定する前に自動販売機の中からガコンと何かが落ちる音が聞こえた。思わずため息が溢れる。はい、と渡されたトマトジュースを渋々飲んだ。
「最近、どうなの? 青春しているかい?」
「そんなことができるわけないだろ」
「おや、中々悲観しているじゃないか。何かあったのかい? 私が相談に乗ろうか」
「お前のせいで悩んでいるのに、お前に励まされたらたまったもんじゃないよ」
そっか、と隣に腰掛けた名波が笑った。やっぱり彼女にも見えたのだ、俺と庄司が自分のせいで喧嘩するということが。
涼川名波も突発性先見症候群を患った人の一人だった。別にそれを彼女が話したわけでもなく、ただ嘉祥と名波が互いに発病者である両者が邂逅するという未来を見ていたからだった。そして何処と無く声をかけて、打ち解けて、しばらくすると自分たちの病による悩みを話す仲間になっていった。
「なぁ、もうやめにしないか」
嘉祥がそういうと名波は上手く検討がつかないようで小首を傾げた。その問うような仕草に答えて続ける。
「お前が原因で、俺が喧嘩することはわかっているんだろ? だから、もう会うことはやめにしないか?」
「なんで?」
「なんでって、会わなければもしかすると喧嘩しなくなるかもしれないし」
「そんなことあり得ないってわかっているよね」
彼女の冷たく突き刺すような低い声で返答ができなくなる。千望一里病が見せる未来は、変わるはずのない絶対的な未来なのだ。結局、嘉祥がどうもがこうともその結果は変わらない。
「だから私たちは見える未来をもがくことしかできないんだよ」
「自分の無力に喘いで、見える絶望に目を背けながら」
そう言って彼女はベンチから立ち上がる。
「私だって見えているんだよ。私ね、友達と絶交するんだ」
恋愛がらみでね、と苦笑まじりに付け足した。
「その原因も、わかっている」
それは嘉祥もわかっていた。庄司が原因だということを知っていた。
「だから変えられない事実を前にして、私は無力に喘ぐしかない。むせび泣いて、自分のことを恨むことしかできないの」
「私だって、絵里と喧嘩したくないよ」
「独りであること、未熟であること」
唐突に彼女はそう言った。
嘉祥も唐突に思った。
もしも俺が、俺の死ぬときが先見できる範囲に近づけば、俺の死期は見えているのだろうか。
***
「そういえば、大学入試どうするの」
「さぁ、どうするんだろう」
そういえばそういう季節だったなと思い出した。今年で高校を卒業して、俺たちは晴れて社会人か、大学生になる。もちろん専門学生になる人もいる。
それぞれが自らの分岐点に立って、未来の見えない不安に抗いながら、苦しみながら重い足を奮い立たせて一歩を踏み出す。
そんな感情を嘉祥は理解できなかった。
「まぁ、別にそんなことどうでもいいんだけど」
彼女がまた自動販売機へと向かう。ガコンと何かが落ちる音がした。手渡しでトマトジュースを渡された。今度は無塩の。
「まぁ、せいぜい見える未来を楽しみましょうや」
にししと彼女が笑うところをただ眺めることしかできなかった。
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