第10話 そこは聖域

「では星野さんは先に教室に行っていてください。諸々の確認と最終手続きがありますから」


 篠沢さんが促すと、星野さんは「はーい」と返事して素直に立ち上がった。

 そして扉の前まで行くとにやけた顔で振り向いた。

 

「密室で2人きりだからって変なことしちゃ駄目ですよ」

「いや、しないから……」


 僕が呆れのため息をつきながら言うと、星野さんがパタパタ手を振る。

 

「いえ、リサちゃんに言ったんですよ?」

「私!? 私が襲う方なの!?」


 篠沢さんは勢いよく立ち上がって自分を指さした。

 

「それはもう、綾太さんは筋金入りのピュアですから」

「私がピュアじゃないみたいな言い方やめて」

「リサちゃんもピュアだとは思うけどちょっと格が違うよ」


 なぜか胸を張って誇らしげに言う星野さん。


「褒められてるのかけなされてるのかわからない……」


 僕は苦笑いするしかなかった。

 

「ではお先にー」


 僕と篠沢さんに特大の困惑を残して、星野さんは軽やかに校長室を出ていった。

 

「……はぁ」


 篠沢さんがため息をついてまたソファに腰掛ける。

 

「……愉快な子ですね」

「そうですね。まあ、あれで結構深刻な悩みを抱えてたりもするんですけど……」

「悩み?」


 僕が問い返すと、篠沢さんは短くうなってから苦笑した。

 

「まあちょっと星野さんは魔法絡みでお父様との間でいろいろあって……。すみません、言い出しておいてなんですが、私の口から話していいことでもない気がするので」

「あ、そうですよね。深刻な悩みを他人の口から聞くのはよくない」

「はい、ただ……佐田野さんにはできればあの子の助けになっていただきたいな、と思っています。巻き込むような形になってしまったのは心苦しいのですが、きっとそれができるのは佐田野さんだけだと思いますので」

「……ご期待に添えるかどうかはわかりませんが、頑張ってみます」


 神様になれとか、年頃の女子高生の悩みをどうにかしてくれとか、さっきからいちいち荷が重すぎる気もするけど。

 どうせ星野さんが満足するまでは逃げられないわけだし、星野さんのことは嫌いじゃないから可能な限り力になりたいと思う。

 

「それでは改めまして、こちらの書類の方に目を通していただいて……」


----------


 手続きを終えた僕は、朝のホームルームの時間に合わせて担任の若い女性の担任とともに教室に入った。

 ちらりと、これからクラスメートになる面々に目をやってみる。

 

「……うわぁ」


 女子校なんだから当たり前だけど女の子しかいない。しばらくここで過ごすと思うと気後れしてしょうがない。

 さっき星野さんがかけてる魔法のレベルは上げてくれたから、僕の本当の姿は誰にも見えてない……はず。それでもひそひそとささやきあってる女の子たちを見るといい知れない不安に襲われる。

 

「今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。それでは、自己紹介をしてもらしましょう」


 先生に視線で促された僕は小さくうなずいてから、改めて新しいクラスメートたちに向き直った。

 

「佐田野綾と申します。今までは共学の学校に通っていたので勝手がわからずご迷惑おかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」


 言って小さく会釈した。パチパチパチ、と拍手が上がる。

 少なくとも、初日から徹底した無視みたいな、僕の女子校に対するイメージの中で一番陰湿なものとは違うようでよかった。

 

「佐田野さんの座席は、星野さんの隣ですね」


 ――ざわざわざわ。

 

 先生が言った瞬間、教室がにわかに騒がしくなった。

 

「つ、ついに聖域が……」

「あの子、一体……?」


 かすかに耳に入ったのはそんな言葉。

 ……聖域? なんのことだろう。席の話だとは思うんだけど全然意味がわからない。

 困惑しつつ、僕は視線を一身に浴びながら星野さんの隣の空席に向かっていく。

 当の星野さんは何やら古めかしい装丁の本に視線を落としていた。

 僕の視線に気づいたのか、星野さんがわずかに顔を上げる。

 

「……ぷふっ」

 

 そして緊張気味の僕の顔を見て小さく吹き出した。

 僕は苦笑いして小さくため息をつくと、何も言わず自分の席に腰を下ろした。意外なことに、星野さんはそれ以上からかってはこなかった。

 それから姿勢を正して教室の前方に向き直ろうとしたところで、教室の異変に気づく。


「……え、何?」


 教室にいる生徒、みんながみんな僕を……もしくは隣の星野さんを見て唖然としていた。

 

「星野さんが……」

「笑った……?」


 聞こえてきたのはそんな声で、僕はますます当惑を深める。

 ――「笑った」? 笑ったことになんでそんなに驚くんだ? そりゃ人なんだからおかしければ笑うだろうし、特に星野さんなんていつもけらけら楽しそうに笑ってるようなタイプなのに……。

 そこまで考えたところで、さっきの篠沢さんの言葉が脳裏をよぎった。

 

『佐田野さんの前ならそうでしょうね』


 それはつまり、僕の前とそれ以外では態度に違いがあるということで……。

 僕はまたちらりと隣の星野さんの様子を窺う。

 星野さんはまた真面目な顔で本に向き合っていた。


「…………」


 ……もしかして星野さん、学校では真面目キャラとかクールキャラとかそんな感じだったりするの?

 

----------


 1時間目の授業が終わったあとの休み時間、僕はこれからリンチでもされるのではないかというほど、ミリ単位の隙もない包囲に遭っていた。

 暴力の代わりに、女の子たちによる怒涛の質問攻めが僕を襲う。

 

「星野さんとはどんな関係なの!?」


 どうやら星野さんは積極的にクラスメートと関係は持っていないものの、いや、だからこそかもしれないけど、とにかくクラスの「姫」的存在として人気を博しているらしい。


「ええと……ただの知り合い?」

「なんの?」

「あー……」


 基本的に学校の方は魔法と関係ないということだから、まさか「魔法の」なんてというわけにもいかない。

 

「共通の趣味の」

「趣味って何!?」

「いやー、そのー……」


 助けを求めるように星野さんを見る。

 星野さんはやっぱり本を読んでいた。

 

「……読書、かな?」

「なんの本なの!? 私も前に聞いたけど『内緒』って言われちゃって……」

「なんの、と言われても……」

 

 横目で星野さんが手にしている本の表紙を凝視する。

 筆記体の英語で何か書いてあるようだけど、汚れもあってなんだかさっぱりわからない。

 

「海外の古典文学……とか?」

「あー、海外のかー! 確かに星野さんっぽい」


 ……海外文学が? 星野さんっぽいか? どっちかっていうと人を選ぶシュール系のギャグマンガとかの方が似合いそうじゃないかと思うんだけど。

 海外の古典文学が似合いそうな星野さんとか、イメージの乖離が激しすぎて頭が混乱してくる。

 

「よかったら今度おすすめの本とか教えてくれないかな?」

「ええと……」


 それはどう考えても星野さんの好きそうなってことだよね?

 

「今度遊びに行こうよ!」

「あー……」


 それはどう考えても星野さんも交えてってことだよね?

 

「みんなで読んだ本の感想発表会とかもいいんじゃない?」

「あはは……」


 君に至ってはもう僕通り越して星野さん見てるよね?

 

「まあ、星野さんもいろいろ忙しいみたいで、私も普段からそんなに一緒にいるわけじゃないから……」


 というかむしろ知り合ったばっかだよ。

 今なんの本読んでるかも知らないし、そもそも普段から本を読むのかもわからない。

 本に限らずどんな趣味があるのかもよく知らないわけで、なんなら僕に見せてるのが星野さんの本性かどうかもわからない。

 

「そうなんだー」


 普通に相槌を打った感じだけど、がっかり感が隠しきれていない。

 というよりは関係を独占しようとしてるんじゃないか、とか疑われてるのかもしれない。

 

「そういえばさっき『聖域』がどうとか聞こえたんだけど、どういう意味?」


 質問から逃れるためにはこちらが質問をすること。攻撃は最大の防御だ。

 

「ああ、それね。このクラス29人だから机の列が5×6で一箇所余るじゃない? なぜかね、何回席替えしても星野さんはその空く席の隣になるの。だから誰も星野さんの隣に座れなくて、段々『聖域』なんて呼ばれるようになっていったんだー」

「へえ、そんな偶然が――」


 ――いや、あるわけないよね。

 どう考えても魔法だよね。星野さん、改竄してるよね?

 僕は苦笑いしながら一瞬星野さんに視線をやる。

 

「……てへ」


 星野さんが小さく舌を出しておどけていた。

 ……うん、多分やっぱりこれ本性なんだろうな。

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30歳童貞、魔法使いになるついでに魔女なJKと女子校に通う 明野れい @akeno_ray

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