Bout.2:ルルボデから来た獣(後篇)
二年前、儚子の暮らす世界とは異なるところ――異世界にある小国、ルルボデで一人の、もしくは一匹の獣人が拘束された。
名前、無し。
罪状、殺人と死体損壊、遺棄……。
小柄で凶暴な顔付きをしている訳でもないその獣人は、王都を三度引き回された。見物に来た者は揃って「無実の罪ではないか」と獣人を哀れんだが、数日の内に獄中で起こした事件が、彼らの誤解をすぐに正した。
ルルボデの郊外にある監獄では、男女の区別無く四人の罪人が同じ牢屋に入れられた。当然ながら女性の罪人は父親不明の子を宿したり、苛烈な仕打ちに自ら命を絶ったりしたが……。
その獣人に限っては、全くの無事で特別牢へ追放された。
獣人が収監された翌朝、地下牢へ見回りに来た管理官は強い鉄錆の臭いを感じ取った。照明など置かれていない為、慌ててランタンを取りに戻り踵を返した彼は、見た事の無い惨状を獣人の牢屋に認めた。
「あっ、へへ……管理官さん、どうです、アンタも……脂っこいけど……まぁまぁです……へへへ」
屈強な男達三人の姿は何処にも無く、代わりに――各部位が丁寧に解体された肉片、内臓がズラリと並んでいた。
「おっ、お前がやったのか……!? 一人で、三人を!?」
麺を啜るように三人何れかの坐骨神経を食べていた獣人は、キョロキョロと辺りを見回し、赤黒く染まった口元を緩めた。
「へへ、アタシ以外に誰もいませんよね……そういう事、です。へへ」
即日、獣人は特別牢という個室を与えられた。手足は鎖で縛られ、排尿排便は真下に置かれた木桶へ、食事は一日一度、屑野菜を煮込んだ汁だけであった。宗教的理由から死刑を禁じていたルルボデの特例、《看取りの刑》を執行されたのである。
日に日に空腹感が増していく獣人は、収監されてから一〇日が経った日の夜、道中の弁当代わりか清掃員一人を拉致し、監獄から逃げ出した。千切られた鎖を前に管理官達は不祥事の発覚を恐れ、「執行完了」として獣人を闇に葬った。
その後、ルルボデでは獣人全てに対して排斥運動が巻き起こった――。
「へへへ、乱暴は止めてって言ったんですけどぉ……盛る殿方は止められず、故にアタシもやむを得ず……へへへ」
ルルボデから来た獣は歌うように来歴を語ったが、儚子は興奮も感動も恐怖も戦慄もせず、唯黙して地面に着いた四つ足を眺めていた。三センチメートル程に伸びている爪は全てがカミソリであると断じた儚子は、若干腰を落として襲撃に備えた。
「へへへ……へへ……」
スタスタと四つん這いで近寄って来た獣は、実に晴れ晴れとした笑顔で――まるで尻尾を振る子犬のように――儚子の一歩先で立ち止まった。
「アンタ、獣人と戦った事、ありますんでぇ?」
「無いんであれば」獣はニッコリと微笑んだ。
「そりゃあ、残念」
右前方に駆け出した獣。儚子の身体が対応して向きを変えた瞬間、獣は跳ねるようにして左へ動いた。即座に獣の左手が地面を掴み、逆立ちに近い形で右回し蹴りを儚子に見舞う。カポエイラの技術の一つ、《マカコ》に近い技であった。
下方から上方へ軌道を変えてくる蹴りに対し、儚子は受けずに躱す事を選んだ。人体を気軽に解体出来る力、カミソリの爪がもたらす危険性は計り知れない為だ。
「ほっ」
大きく仰け反った儚子の足を狙い、殺人獣は勢い良く飛び付こうとした。しかしながら少女が右に回転しながら跳ね跳び、この襲撃を回避する。
「アンタ、凄いなぁ……」
四足獣の強みは急速な方向転換にある。惜しくも少女の瑞々しい両足を引き千切れなかった獣は、爆発的な加速を以て追撃を開始した。着地し、構えを取った儚子は眼前に迫る獣の両手を睨め付けた。
肩口に迫る爪……その軌道を読み違えれば死は格段に近くなる。目を凝らし、凝らし、凝らし――右体側を獣に向け――。
「ごほぅぉっ……!?」
ガバリと開かれた口の中へ、儚子は投擲に似た運動から繰り出した左拳を思い切りに突っ込んだ。
「ぐぅ、ぐがあがぁ……!」
鋭く伸びた歯など一切恐れずに繰り出された拳は、喉奥まで一気に侵入を果たす。同時に吐瀉物が沸き起こって来るも、行き場を失ったが為に獣の呼吸困難を引き起こした。
「…………っ!?」
獣は死に物狂いで両手足をばたつかせるも、儚子は実に落ち着いた様子で、しかし手早く喉奥から左手を引き抜く。折れた歯、吐瀉物がすぐさま地面へ流れ落ちた。
「げへっ、げへっ!」
地面に手を突いて内容物を吐き出す獣は最早……儚子が大きな尾を掴んでいた事など感じる余裕は無かった。
「あっ――」
儚子は尾を掴み、肩に背負うと――渾身の力で背負い投げを敢行した。幾ら身体の一部とはいえ、尾に全身を支える、しかも強烈な引っ張りに耐えうる力は無く、瞬時に「ブチリ」と鈍い音がし……。
「ぎゃあああぁああぁあぁあっ!?」
無理矢理に尾を捥がれ、転げ回る獣がそこにいた。臀部が下になる度に鮮血が地面を汚し、奇妙な模様に染め上げていく。
「ころ、殺す殺す、殺して――」
呪詛を呟く獣は、一つの異変に気付いた。
あの女は何処だ? 一体何処に――あっ……。
突如消えた儚子の姿。それはやがて頭上から降って来て――。
「げっ…………」
全体重を乗せた踏み付けが、獣の頭部と地面とを激しく打ち付け合わせた。
「……っ」
痙攣を起こす獣の事を、しかし儚子は放って置かなかった。「手負いの動物は必ず仕留めろ」とは父親の言であった。彼女は無防備に露出する首筋を目掛け、二度、三度と足刀蹴りを食らわせた。
果たして……獣の身体は淡雪のような輝きに満ち、一〇秒と経たずにすっかりと消えてしまった。汚れた手を水飲み場で丹念に洗った儚子は、慌てて生け垣の元へ走って行った。
「ミィ」と小さく鳴いた子猫が、タオルケットを引き摺ってノソノソと出て来た。
ご飯とミルク、買ってあげなくちゃ。そうそう、病院にも行かなきゃ。
儚子はすぐに愛猫を抱き抱え、両親の待つ自宅へ急いだ。
異世界から来た美少女と素手喧嘩をするだけの物語 文子夕夏 @yu_ka
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