終章
終章
杉三とチボーが商店街を歩いていた。通訳のために、商店街を歩いているチボーは、ありとあらゆるものを大量に買っていく杉三を見て、やっぱり日本人は変わっているなあと思わざるを得なかった。
「杉ちゃん、ほんと、いろんな人にお土産を買っていくんですねえ。家族以外の人にもこんなにいっぱい買っていくなんて、気を使いすぎではないかと思うんですが、、、。」
「気を使いすぎというか、使うの。使わなきゃいけないの。会社勤めをしている人にとってはな、お土産は、出世のための道具になる事もあるよ、日本では。」
「よくわからないのですが、それ、もしかしたら、贈賄ではないでしょうか?」
チボーはそういってしまったが、
「へへん。西洋人にはそう見えるよなあ。でも、僕は贈賄なんて馬鹿なことはしないよ。なんせ、働いていないんだもん。」
「そうなんですか。でも、そんなに大量に買い求めると、何だか誰か偉い人がいて、その人たちに貢物をしているように見えるんですけどねえ。」
「ま、日本と西洋はちがうからな。理解できなくてもしょうがないわ。」
そう口笛を吹きながら、道路を移動している杉三を、チボーは首をかしげながら追いかけていった。
「しかし、こっちは、動きやすくて良いわ。そこだけは認めるよ。車椅子でも、段差がなくて、楽に動けるわ。どこの店にも段差がない。それはうれしい。」
「そんなの、当たり前じゃないですか。誰でも買い物するんだから、だれでも使えるようにしなきゃいけません。そんなこと褒められても、嬉しくありませんよ。杉ちゃんの日本では、車いすで買い物をしてはいけないんですか?」
「そうだよ。車いすの人が、健康な人と同じように道路を歩いて買物ができるようになっている場所は、ほんとにちょっとだぜ。」
杉三は当然のように言った。
「あれれ。みんな同じと散々主張するのに、車いすの人は、買い物に出てはいけないとは、おかしいのではありませんか?」
「だからあ、日本では、体が健康で、働いて金を作って、子供を作って、最期に一人で生きていける人間だけが、幸せといういうものをもらえるんだ。その人の目線で皆同じというものが作られていて、その通りにできないやつは、できるやつにくっついておこぼれを貰うしかできん。だから、僕たちみたいな歩けない人間は、こうやって、できる人にものをやって、いざという時におこぼれを受け取るんだよ。わかる?」
「それ、法律でそうなっているんですか?」
「知らないよ。でもそうなってらあ。日本に住んでみりゃあすぐわかるから。日本では少数派として、独立しては生きていけないよ。嫌でも多数派のしんがりになって、多数派と同じ格好をして、行動できるようにならないと、認めてくれないからね!」
「じゃあ、水穂さんのような人は、どうなるんですか?」
「だから、あの顔のお陰で助けてもらっているようなもんじゃないのかよ。」
「残酷ですねえ。日本は。」
チボーも、内心、そんなところに戻すのは、やめたほうがいいのではないかと、思ってしまった。
「でも、食べ物がないのは、もっと困るからな。」
杉三の一言で考え直した。というか、考え直そうとしながら道路を歩いた。
「お、何か音楽イベントやってらあ。」
二人が公園の前を通りかかったところ、若い男性の音楽バンドが、パッヘルベルのカノンを演奏しているのが見えた。
「パッヘルベルいいね。僕も本当に好きな曲だよ。それにしてもこっちでは、こんなに早いテンポで弾くことが多いんかね?」
「そうだね。割と軽く演奏する人が多いですねえ。重くやる人は、少ないですね。こちらでは。」
「へーえ。日本ではお葬式の時にもよく流れてくるけどね。」
「そんなこと、こちらでは全然ないですよ。そんな風に使われたら、返って困ります。」
二人は、音楽の日仏事情を語り合ったが、その中でも美しくカノンが鳴り響いているのが、不思議なところだった。
「杉ちゃん。悪いんですが、水穂さんのこと、よろしくお願いしますね。あの人、何とかして生かしてやってください。」
チボーは不意にそんなことを言い出した。
「何言ってるんだ?そんなの。当たり前のことじゃないかよ。」
杉三は笑ってそう返すと、
「あ、御免なさい。何かそう思ってしまいました。」
自分でも何でそんな発言をしたのかチボーもわからなくて、顔の汗を拭いた。
「まあ、気にすんな。日本はまだまだ、だめなところもあるけどさあ。食べ物だけは、あるからな。」
そういう杉三を、パッヘルベルのカノンがむなしくかざっていた。
一方そのころ。水穂はマークと日本へ帰るための諸手続きについて話し合っていた。まず、空港で飛行機に乗ったり、また降りるのにも、自力で歩いていくのは大変だと思われたので、マークは手伝い人をつけようと提案してくれた。当たり前の事だと言ったが、水穂は申し訳ないと言って、それを断った。
「ですけど、空港で倒れちゃったりしたら大変でしょう?それに、こっちでは、こういう手伝い人を頼むのは珍しくありません。だから、恥ずかしがらずに手伝ってもらってください。」
「そうですが、、、。」
「なんですか。日本人は、手伝ってもらうのに、罪悪感を持つんですか?」
「平たく言えばそういう事です。他人の手を借りないで自身でやることが美徳とされているからです。」
「はあ、そうですか。でも、この状況では当てはまらないでしょう。第一、手伝ってもらわないと、疲れて倒れちゃいますよ。成田についてからも、手伝ってもらったほうが。」
「それはそうですが、日本では人手を借りるのは良いことだとは思われません。それより、手伝っている人に負担をかけて、何て悪いやつだと考える人のほうが圧倒的ですから。」
「ええー?それでは、どこにも行けないじゃないですか。普通に外へ出る必要があるときでも?」
「はい。そういうことなんですよ。だから、よほど緊急のときでなければ外へ出てはいけないのです。そうなっているんです。」
「あれれ。おかしなところですねえ。」
マークは頭をふって、思わずあきれてしまった。
「じゃあ、せめて、飛行機に乗る前だけ、お手伝いさんと一緒に行ってくれませんか。本来は、成田空港まで一緒に行ってもらう事が多いんですが、それは取りやめにしますから。こちらでは、水穂さんのような人を、一人で飛行機に乗せるなんて、どういうことだと、僕たちが責められちゃうんです。わかりますか、この違い。」
水穂は少し考えて、
「そうなると、結局、悪いのは周りの人になってしまうわけですか。仕方ありませんね。どこの国家でも本人の意思という物は、反映されないということになりますね。」
ちょっと頷いて、皮肉っぽく言った。
「はい、すみません。まだ、どういうサービスが、心地よいのか、暗中模索なのだと思います。」
「仕方ないですよ。文明化すれば、文明化すればどこの国家にしても、見返りがほしくなりますよ。それをほしがらないで、手出しできるのは原住民だけだって、青柳教授が言ってました。僕がそんな台詞を言うとは、思いもしませんでしたけど。」
「そうですか。やっぱり偉いですね。青柳先生は。」
マークは又、頭をかじった。
「それよりも、水穂さん。今回は本当にすみませんでした。本当は、もう少しよくなってもらおうと思いまして、こっちへきてもらいましたのに、まさかこういう結果になるとは、僕も、予想していなかったので。何も提供できなくて、本当にごめんなさい。」
「いえ、悪いのは僕のほうですよ。海外へ行くときは、漬物とか何かを大量に持って行くのが通例でしたけど、今回そんな余裕がなくて、何ももってこられませんでしたから。全部僕の過失です。」
「いいえ、結構です。そういう事は本来、こちらで聞くなりすることだったんですから。僕たちが急に来いなんていいだしたのが、まずかっただけのことですよ。」
「謝るのはもういいです。お終いにしましょう。」
マークが頭を下げると、こんな言葉が返って来たのは驚いてしまった。つまりこれだけいくら議論しても解決できない問題なんだとわかった。なのでもう、謝るのはしないことにした。
「本当にお世話になりました。短い間でしたけど、看護してくださってありがとうございます。お礼も何もできなくてもうしわけありません。」
「お礼なんてとんでもない。申し訳ないのはこちらのほうです。いくら謝っても足りないですよ。よかれと思っても、何一つできないって、ほんとにあるもんですね。それも、やってみなければわからないって。皮肉ですね。」
マークは、本当に切ないなと思った。本当に辛かった。
「いつまでもお元気で暮してください。妹さんの事もあって、大変なこともあると思いますけど、ご自身の事も大切になさってください。偶には、休んでもいいじゃないですか。尽くし過ぎる必要はありませんから。」
マークはそういわれて、ぽろんと涙が出た。
「はい、あいつも困りもんですよ。もう、こちらが何をやってもだめです。せめてバカロレアだけは受けておけと言ったのですが、もう三回も落っこちて、それ以降は、勉強も全くしないし、仕事もしないし。本当にだめな子です。十年前から、ずっと二人で暮していますが、あいつにとって、僕は単にご飯くれる、兄ちゃんでしかないんでしょうね。それだけの、だめ兄貴ですよ。」
「だめ兄貴って、まだこれからじゃないですか。心が病んでしまうと、回復するには、十年どころか、もっともっとかかりますよ。中には、五十年以上かかってやっと解決できた例も少なくなりません。ただ、本人か家族の片方が死んで解決という最悪の事態は、どうしても避けて貰いたいなと思います。日本ではそうなってしまう例が後を絶たないのですが。それを狙う殺人事件もすくなくないし。少なくともこちらでは、支援もたくさんあるでしょうから、使えるものは使って、解決できるようにしてください。」
そういわれると、マークはやっぱり誰でもそういうよなあと肩を落とした。もう、使えるものというか、医療機関などにもたくさんお願いをしているのである。いずれも、効果なしだったのだ。薬を飲んでも、話を聞いてもらっても、トラーは変わらなかった。
「すみません。ちょっと今、ムカッとしてしまいました。でも、日本の方からしてみれば、こっちのやり方をみんな手本にしているわけですから、もう、しっかりしなきゃな。僕たち、日本よりまだまだ進んでいると思わないと。」
「そうですよ。第一、バカロレア、日本で言うところの高卒程度認定ですが、それを作ったのは、ナポレオン一世でしょ。」
「あ、ああ、御免なさい。」
確かに、多くの国には、高校に行っていなくても、試験を受ければ大学を受験する資格は得られるという制度が存在するが、実はこれ、英雄ナポレオン・ボナパルトの発案したものであった。ドイツではアビトゥーア、日本では高卒程度認定、そしてフランスでは、バカロレアと呼んでいる試験である。ヨーロッパではこれに合格して大学に進学する人物は珍しくないが、日本では馬鹿にされる原因の一つになってしまう。これをもう少し有効化してやれば、大学にも個性的な人物が入って来るかもしれないのに。
「そうですね。トラーもそのうち何とかなるのを待つしかないなと思っていましたが、何か手を出さないといけませんな。今は、頼りない、ダメな兄貴ですが、それではいけませんね。何かかっこいいところを見せなくちゃ。」
「僕ははっきり聞いていないのですが、彼女、貴方がばか者をと怒鳴ってくれた時に、かっこいいと思ったそうですよ。杉ちゃんがそういっていました。」
水穂にそういわれて、マークは酷く赤面した。
「あー、買ってきた買ってきた!よーし、これで土産を買い忘れた人間はいないなあ。お土産も買ったし、良い音楽も聞かせてもらったし。良い一日だったぜ!」
「もう、杉ちゃんいなくなったら、また寂しくなっちゃうわね。お兄ちゃんは仕事があるし、外に行くところがあるけれど、あたしはこの家でまた一人ぼっちよ。」
トラーがちょっと悲しそうに言った。
「まあな、何もしないと居場所がないよなあ。かといって、学校に行こうとかそういう気にもならないんだろう?」
杉三がそういうと、トラーはもうしわけなさそうに頷いた。
「面白くないわよ。学校なんて。試験で100点取っても、答えを書くだけで何も楽しくないわよ。」
「まあ、そうだな。おっそろしく退屈な場所だよな。だけど、他に何もやることはないんだろ?」
「ないわねえ。」
「でもいるだけの人生もやだろ?」
「そうねえ。つまらないし。」
「だけど、やってほしい、頑張ってほしいと言ってくれる人が、現れたら別だよな。しかも、家族以外の人でな。そして、心から、愛してくれる人でな。」
「そんな人、いるかしら?」
投げやりな感じでトラーは言った。
「今に来るよ。ふふふふふ。」
「からかわないでよ。杉ちゃん。」
トラーがムキになってそういうと、玄関のドアがガチャンと開く音がした。
数日後。
いよいよ、杉三と水穂が日本に帰る日が来た。その日はいつも通り朝食を取った。水穂も久しぶりに浴衣は脱いで、羽織袴姿に戻った。
「じゃあ、空港まで送ります。その後は、お手伝いさんに手伝ってもらって下さい。」
「はい。」
マークは、タクシー会社に電話した。暫くすると、タクシーが到着したが、どうも何だか別世界に行く車に見えてしまった。全員だまったまま、タクシーに乗り込んだ。
パリの凱旋門とか、エッフェル塔のような観光名所をすり抜けて、やっと空港へやってきた。今回空港の内部では、お手伝いさんたちに手伝ってもらう事になっていたため、マークたちが立ち会えるのは、正面玄関までであった。あとは、手出しは一切せず、餅は餅屋で、専門家に任せてしまう。こういうはっきりしたところはやはり西洋である。
正面玄関の前でタクシーはとまった。
「ありがとうございました。」
「元気でね!」
タクシーの運転手に手伝ってもらって、杉三も水穂も外へ出た。一度も後を振り返らず、中から出てきた手伝い人に、体を支えてもらいながら、歩いていく水穂と、隣ででかい声で砂山を歌っている杉ちゃんの姿が見えなくなって初めて、
「さよなら。」
と、トラーは口にする事ができた。運転手さんがそれをいい終わるまで待っていてくれたのがよかった。
タクシーが再び動き出して日常生活に戻っていく。
その数分後、小さな飛行機が、大空へ飛び立っていった。
「おかえり!杉ちゃん!こんな旨そうな缶詰を買ってきてくれるなんて、もう感謝感激だよ!フォアグラなんて、一生食べられないものだと思っていたんだ!」
ブッチャーは、すぐ開けて食べてみたかったが、お行儀が悪いので、それはやめておいた。
「あたしは、化粧品かあ。でも、こんな派手な色の頬紅、中年のおばさんがつけてもいいものかしら?」
恵子さんは貰った化粧品の蓋を開けて、そういったが、
「いいんじゃないの?パリの道路ではおばさんたち、皆それをつけていたぜ!日本人は地味すぎるんだからよ。もうちょっと派手にしても、いいんじゃないのか?」
と、杉三は笑った。
「しかも、僕のはブランデーですか。それにこれ、VSOPどころか、ナポレオンと書いてありますね。どうも、すぐに飲んでしまうのは惜しいですね。高級品ですから、戸棚に飾ろうかな。」
ジョチは、貰った酒瓶を見て、大きなため息をつく。
「えー、それは嫌だなあ。置きっぱなしでほこりをかぶるよりも、飲んでもらったほうが、いいなあ。」
「そうですか。わかりました。そのまま飲むと、アルコールが強いですから、魚料理にでも使いますね。しかし、杉ちゃん。このブランデー、日本円に直すと五、六万はする代物ですから、入手できたのなら、他の観光地にはいかれなかったのですか?ルーブル美術館とか、オペラ座とか。」
「うん、行かなかったよう。」
ジョチがそう聞くと、杉三はあっさり答えた。
「なんだ、それじゃあ、ずっとマークさんのお宅にいたのか。」
「ルーブル美術館のお土産話も何もないの?」
ブッチャーと恵子さんが、相次いで発言すると、
「なんのことだかしらないな。」
杉三は、そっぽを向いた。
「しかもこれ、一人につき、一袋渡してくれということですが、計算が間違いでなければ、一人分足りませんよ。このお菓子。」
ジョチが、箱の中に入っていた袋入りの焼き菓子の、袋数を勘定しながらそういうと、
「あ、ごめん!蘭忘れてた!」
杉三は、はっとした。
「仕方ありませんね。まあ、僕も酒に強くないですから、このブランデー、多分全部飲めないので、半分蘭さんに差し上げましょうか。」
「すみませんジョチさん。杉ちゃんも、おっちょこちょいだなあ。蘭さんの分をわすれるなんて、かわいそうですから、そうしてやってください。」
ブッチャーが杉三の代わりにそういうので、みんな大爆笑だった。
同じころ、四畳半では、少し疲れたからと言って、水穂が杉三たちの会話に加わらずに、布団で眠っていたが、ヘリコプターが墜落した感覚がして目が覚め、再び布団にすわって咳き込んでいた。
「何しにいったんだよ。」
やっと彼に面会を許してもらった蘭は、喜び勇んで四畳半にやってきたが、ふすまを開けたのと同時に、この有様を見て、がっかりと落ち込んでしまったのであった。
「本来なら、もうちょっと楽に成りにいくんじゃなかったのかよ!」
水穂にしても、食べ物がないのでやむを得ず帰ってきたとは言えず、
「仕方ないよ。」
とだけ言った。蘭も、それ以上彼をせめてはいけない気がして、こう切り出した。
「あ、そうだ。今日、マークさんからうちに速達が来たんだよ。何度も妹のトラーさんが四回目のバカロレアの試験に挑戦すると言い出して、勉強をはじめたそうだよ。お前のお陰だと書いてあったが、お前、何かしたのか?」
「知らない。彼女が勝手にそうなっただけのことだよ。」
それだけ言って、後は咳き込むしかなかった。
蘭は、心配そのものの顔で、親友をみつめた。
本篇15、杉、パリへ行く 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます