第67話 5月のお待ちかねの太陽

 [18歳・・・8月13日]


 『奈津。

今、走って行く後ろ姿を見ています。

今日を境に、明日からは、出会う前の2人に戻る・・・そう自分に言い聞かせながらデートをしています。』

涙は枯れることを知らずに溢れる。文字がかすんだ。

「・・・わたしといっしょだ・・・。」

『奈津を大切に思っているのに、きっと、大切にしてあげれない。奈津が傍に居て欲しいときも居てあげれない。普通の恋人同士が当たり前にできてることも、きっとできない。

メンバーのため、ファンのため、そして、ぼくと奈津2人のため、このまま韓国に帰ろう。それが一番いいって思っています・・・』

「・・・そんなの分かってる・・・。」

ここまで読んで、奈津は殺していた泣き声が思わずこぼれ出てきた。

「エーン。エーン。」幼い子どもが泣く時、漫画などにはそう吹き出しに書かれるが、本気で泣いたら、本当にそんな声しか出てこないんだ・・・奈津は今更ながらそれを知った。

奈津は画面を閉じようと、熱で動きの悪くなっている指を動かした。それなのに、奈津の目は、指が動くよりも早く、次の行を見てしまっていた。

『・・・でも、奈津が走り去っていくのを見て、心が叫んでいます。

「そんなの嫌だ!奈津が好き!!!」って。』

奈津の嗚咽が一瞬止まる・・・。

恐る恐る・・・視線を次の文章に進ませる・・・

『わがまま言ってもいい・・・?

ヒロに戻っても、ぼくは奈津が好きです。』

そう綴ってあった。奈津は口元を手で押さえた。「好き」という文字を見て、枯れることを知らない涙が、また溢れ出してきた。

・・・すると、その時、

誰もいないはずの奈津の部屋で声がした。

「わがまま言ってもいい・・・?

ヒロに戻っても、ぼくは奈津が好きです。」

スマホの文面と同じ言葉。


幻聴・・・。

奈津は軽く頭を振った。

すると、

「・・・いいですか?」

また、聞こえた。

リアルな幻聴・・・。

奈津は肘をついて頭をもたげると、少し起き上がり、目をつぶって、もう一度軽く頭を振った。

少し頭がクリアになる。

奈津はゆっくり目を開けた。すると・・・、

ベッドにうつぶせたまま・・・眠そうな目が嬉しそうに、こっちを見て笑っていた・・・。



[27歳・・・5月・奈津]


 足を止めた。そして、奈津は、太陽が射し込んでくる方にゆっくり顔を向けた。

一番向こうの席で誰かが静かに立ちあがる。

逆光で少しまぶしい。シルエットが浮かび上がる。

目が慣れて、表情が見えてくる。

・・・目を細めたいつものあのクシャッとした笑顔。

「こら!!」

奈津の声が待合ロビーに響く・・・

奈津の顔は安堵でほころび、涙目の笑顔に変わる・・・。

「勝手に熱愛宣言なんかして!びっくりしたんだから!

・・・そんなのずっとしないと思ってたのに・・・。」



[27歳・・・5月・悠介]


 自動ドアを通り越した向こうに、悠介を見つけた。大きいカバンごと手を挙げる。

 「先輩!!」

自動ドアが開くのが待ちきれない。扉が半分開いたところで思わず飛び出す。思いっきり自動ドアに体をぶつける。「あ痛っ!」とよろめくくらい。あ~、先輩が見てるっていうのに、もっとスマートで優雅なわたしで会うはずだったのに・・・。

それを見て、悠介は笑う。本当に可笑しそうに。おなかを抱えて。

「詩帆!そんなに、慌てんでいいから!」

先輩の笑い声につられる。そして、笑いながら駆け寄ると、背の高い先輩の横に寄り添うように立った。


[タクシーの中]

~【  】は韓国語で話しています。~

 

【そう言えば、思い出したんだけど、日本から遅れて帰ってきた上に、そっから、すっごい夏風邪引いて、ヒロの奴、めちゃくそ代表に怒られてたな。『おまえには責任感はないのか!!』って。あのスキャンダルくらい!熱もあって、代表激怒してるのに、妙に嬉しそうにしてて、ますます、代表の怒り買ってた!】 

そう言って、ハハハと笑う。そして、

【それにしても、意外に気づかれずにここまで来れたな。さすが、オレたち!変装も慣れてきた!】

ジュンだった。ジュンはもうすぐ27歳になろうかというのに、足をバタバタしなが後部座席で興奮気味に話していた。

【懐かしいなあ。9年?あ、10年ぶりだ!!】

ヨンミンがタクシーの窓から見える街並みを見ながら、独り言のように言う。そして、続ける。

【ヒロ兄さんと奈津さん、あれからずっとなんてすごい!!ぼく、絶対無理。】

ジュンはヨンミンの方を見る。

【オレも無理~!寂しがり屋だもん!

ヒロたち、実際に会えるのって、1年に1回か2回しかなかったんじゃないかな。会えても短時間だったり・・・。】

ジュンの言葉を聞いて、改めてヨンミンは目をパチクリさせる。

【うわ。七夕を地でいってる!】

あの頃と違って、日本デビューを果たしてからは、あれよあれよの怒濤の日々で、あっという間の10年だった。とにかく、この10年走り続けたのだ・・・。その間、自分の恋愛さえままならないのに、人の恋愛事情など心配する余裕など、ヨンミンにはなかった。それでも、ヒロとシュンの間では、そんな恋愛の話も時にはしていたに違いない。

ジュンがヨンミンの顔を覗き込む。そして、

【おまえは知らないと思うけど、2人の危機は何度かあった!】

と謎のドヤ顔をした。ヨンミンは少し、唇を尖らせると、

【ぼくだって、4,5年前の2人の危機は知ってました!】

ヒロとジュンの関係には及ばないにしても、ヒロの精神的な不調をヨンミンも感じ取って、当時はそれなりに気にかけていたのを思い出す。

【それにしても、先月、みんなに奈津さんを紹介するとき、ヒロ兄さん、嬉しそうでしたもんね。エスコートしながらデレデレでした。それに、奈津さん、めちゃめちゃ綺麗でした。10年前は髪も短くて男の子みたいだったのに!】

【なんか、まなみちゃんだっけ?ほら、おまえのファンの子!あの日の奈津ちゃんのプロデュースはあの子なんだってさ。2人のこと知ってて応援してたのは、オレたち以外には、まなみちゃんだけだったみたいだぞ・・・。それ以外にはずっとシークレットだったもんな】

ヨンミンは目を丸くする。

【えっと・・・あのサッカーを一緒にした人!!へえ。信頼できる人だったんだ~。そんな風には全然見えなかったような記憶があるけど・・・。】

ヨンミンは当時を思い出したのかクスクス笑った。そして、

【メイクも上手だったし、うちの事務所の専属になったらいいのにね!】

と冗談なのか、本気なのか分からないようなことを言って、また笑った。

【あの時は、オレたちに紹介はしたものの・・・未来はまだ未定。この先どうなるか分からないって、2人とも少し暗めにそう言ってたのに・・・、ヒロの奴、熱愛宣言したな!!】

2人はタクシーの中で顔を見合わせた。ステージの上で見せるような満面の笑顔で。

それから、ヨンミンは口元に手を持って行くと、クスッと笑い、

【それにしても・・・ヒロ兄さん、怒ってるだろうなあ。既読無視してるもん!】

と言った。

【たまたまヒロと奈津ちゃんが観に行くサッカーの試合を、オレたちも観に行くってだけで、ヒロに怒られる筋合いは一切ない!】

ジュンは顔を上に向けるといたずらっ子のように笑った。



[27歳・・・5月・病院の待合ロビー]


 麻のジャケットの下には薄い黄色のインナー。

2人はゆっくり近づく。そして向かい合う。黄色いカーディガンと黄色のインナー。

あの夏の日。鏡の中、お揃いの黄色いTシャツを体に当てて、立っていた2人の笑顔。

「お日さまの下でデートだ。」

奈津はかばんから黒縁の度が入っていない眼鏡を取り出すと、そう言って笑っている顔にそっとかけた。

「やっぱり、これ・・・。」

眼鏡をかけられて、その奥の目をもっと細めた。それから、大切な物を覆うように・・・

奈津をギュッと抱きしめた・・・。


奈津が出てくるのが遅い。まなみが外からロビーに戻ってきた。2人の姿が見えないのか奈津を呼ぶ。

「奈津!まだ?そろそろ来るよ!」

それから、ブツブツと小声で文句を言う。

「あんたは相手を誰だと思ってるの!!あのヒロよヒロ!ホントにアイドルの彼女っていう自覚がないんだから!もう、いっつも!」

そこまで言い終えたとき、抱き合ってる2人を見つけた。

まなみは両手を口に当ててびっくり顔になる。

そして、奈津を抱きしめている黒縁眼鏡の奥の目と目が合った。

「まなみちゃん。昼からずっとロビーに座ってたんだけどなあ!何度か目が合った気がしたけど、全然気づかないのは、高校の時といっしょだ!」


 看護師のみさとは気になってロビーに向かっていた。さっき、ロビーに座ってた人、絶対似てた!わたしの大好きなあの憧れのBEST FRIENDSのヒロに!!!本人じゃないのは当たり前だけど、あんなに似てるんならそっくりさんでもいい!・・・お近づきになれるもんなら、なりたい!!いいや、なってやる!!思わず笑みがこぼれて肩でクックックと笑う。

笑いながら、みさとはロビーに出た。

居た!!目当ての彼が!!

あのスタイル。スラッとした佇まい。そしてあの顔。

嘘・・・!!

「ヒロ。」

みさとは小さくつぶやくと息を飲んだ。

ヒロは・・・なぜか小沢先生と一緒にいる。患者・・・?

2人は向き合って笑い合うと、玄関に向かって歩き始めた。ヒロがそっと、小沢先生の背中に手を当てる。

みさとは思わず声を出す。

「小沢先生!!」

奈津はみさとを振り返った。コウキも振り返る。

「えっと・・・。その人は・・・?」

ドキドキしながらみさとが訊いた。

奈津はコウキの顔を見る。コウキがうなづく。

奈津は一呼吸おくとみさとに言った。

「わたしの彼!!」


奈津の長い髪がなびく。コウキはまぶしそうに手をかざす。

外では待ちかねていた太陽が、その光をさんさんと、いつまでもいつまでも2人に降り注いでいた。



【 完 】




 読んでいただき、ありがとうございました!!

2年間の連載の間、1つ1つのアクセスが本当に励みになりました。感謝でいっぱいです。

奈津とコウキの幸せを願うように、皆さんの幸せも心より願っています。

本当にありがとうございました!!

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Summer Day Chie @7325

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