天を臨む繭の子ら

星崎ゆうき

第1話:予兆

『地表からおよそ五百キロメートルの高さまで、主に酸素と窒素からなる気体、つまり空気が存在しています。この空気は、上層にあがれば上がるほど、どんどん薄くなっていきます』


 円形に配置された座席に、四十名ほどの中学生たちが腰かけ、頭上のドームスクリーンを見上げている。その視線の先には、地表から見える空の光景が映し出されていた。

 この世界において、その青い空間を、直接見ることができる機会はほとんどない。ましてや子供たちにとって、青空という概念は想像の中の風景でしかない。


『かつて、地上から三十キロメートルの高さには、オゾンというガスがたくさん含まれていた場所があり、これをオゾン層と呼んでいました。太陽の光には、私たち生物にとって有害な紫外線という光線が含まれているのですが、オゾン層は紫外線を吸収する役目を果たしていたのです。しかし、今から百五十年ほど前、オゾン層は突如として消えてしまいました』


 百五十年前に発生した地表環境の激変。この街では、子供のころから良く聞かされる話ではあったし、学校の教科書にも当たり前のように書かれている。しかし、なぜ環境変化が起きたのかについて、その明確な理由が語られることは少ない。

 当たり前のことを掘り下げていくと、たどり着く先には、いつだって靄がかかっている。


『日本政府は環境省に国土監視局を設置し、地表に到達する紫外線量の計測と、地上への違法侵入者に対する取り締まりを行っています。健康維持増進法という法律は皆さんもご存じでしょう? 未成年者は、主に健康上の理由で地表への侵入が禁止されています。成人でも地表へ出る場合には国土監視局の許可を得る必要があるんです。これは厚生省が実施している地表紫外線到達量と、がん及び白内障発症率に関する疫学調査の結果に基づいているんですが……』


「お前さ、あのおばさんが何言ってるか、わかるか?」


 灰色の座席に浅く腰掛け、腕を組みながらドームスクリーンを見上げていた城崎友樹しろさきともきは、隣に座る池守淳いけもりじゅんに声をかけた。

 座席が並ぶ円形施設中央には、ドームスクリーンに映像を写し出すための投影機プラネタリウムが設置されており、その隣でマイクを握る博物館職員が映像に解説を加えている。


「まぁね」


「お前って、やっぱりすげえな……。ってなに? 難しすぎて、なに言ってんのか、全く分かんないんだけど」


「友くん、静かにしなきゃだめだよ」


 友樹の後ろから声をかけた小柄な少女、平嶋希里ひらしまきさとは、「静かに」 と言うように口に人差し指をあてている。彼女の隣に座っている折野綾おりのあやは、そんな二人の様子を見て苦笑していた。


「へいへい。ったく」


『紫外線から私たちの身を守るために、地表から二百メートル地下に建設された施設が、皆さんが暮らしているゲゼルシャフトです。旧東京市街の真下に位置しているこのゲゼルシャフト東京は、2170年に建造が開始され、現在も拡張工事が続けられています』


「なあ、淳、俺たちはいつからモグラみたいになっちまったんだろうなぁ」


「モグラ、見たことあるの?」


 「いや、ねぇな」とつぶやいた友樹は、両腕を頭の上に置きながら、ドームスクリーンに映し出された自分たちの住む街、ゲゼルシャフトの全景図を眺めていた。

 学校などの教育関連施設、そして官公庁関連の施設はゲゼルシャフト中央部に配置されている。東西には居住エリア、南北には商業エリアが配置され、その外側を取り囲むように管理区画と工業エリア並ぶ。合理性に配慮された空間。そこには一切の無駄がない。


 上映プログラムが終了すると、制服姿の学生たちは、ドームスクリーンの出口広場にぞろぞろと集まってきた。


「今日はここで解散する。みんな寄り道しないように家に帰るんだぞ。それから、この博物館で何を勉強したのか、自分が学んだことをノートにちゃんとまとめてくるように。確認するからなぁ」


「先生、いつまでにやるんですか?」


「明日までに決まってるだろう。じゃ、解散っ」


 少しだけ猫背のクラス担任はそう言って、博物館を足早に出ていった。


「マジかよ。話、聞いてても全く理解できなかったんだけど……。社会科見学って、授業ないからラッキーだと思ってたけど、わりとめんどくさいな」


 友樹はズボンのポケットに両手を入れて小さくため息をついた。


「友樹は普段からちゃんと勉強してないからだね」


 綾は四人の中でも一番背が高くて、少しだけ大人びて見える。穏やかな性格の彼女は、その可憐な顔立ちも相まって、クラスの男子からは人気があった。


 「チッ」 と舌打ちした友樹は「ほら帰ろうぜ」 と歩き出す。淳はそんな友樹の後ろから、「あとで僕のノート見せてあげるから大丈夫だよ」と背中を叩く。


「淳ちゃん、それはいけないことよ。友くんも自分でしっかりやらないとっ」


 希里は前を歩く男子二人に、真剣なまなざしを向けながら頬を膨らましていた。


「お前、真面目すぎんだよ。ってか希里は今日の話、理解できてんのか」


「ふぇ? なんとなくわかるよ。子供にとって、お酒やタバコがいけないのと同じことでしょ?」


「あはは、希里は単純化しすぎだけど、概ねそうだよね。子供は、がんになってしまうと進行がとても速いんだよ。細胞分裂が大人よりも活発に行われているからね。だから、紫外線が降り注ぐ地上に出ることは、健康維持増進法って法律で、禁じられているんだ」


「淳は、やっぱすごいね」


 淳の解説に感心していた綾の隣で、希里が急にしゃがみこんでしまった。


「希里!?」


 希里は病弱だ。友樹はそんな彼女を、小さなころからずっと見てきた。貧血で倒れそうになったり、急に吐き気を催してうずくまったり、突然の熱発で机にうつぶせていたり。いつだって友樹はそんな彼女の隣にいた。


 綾が希里の顔を覗き込むと、真っ青な顔をした彼女は「ごめん、少し疲れちゃったみたいで……」と小声で返した。友樹は、肩で息をしている希里の背中を支えると、彼女の右腕を自分の左肩にかけ、ゆっくりと立ち上がる。


「俺、こいつ送ってくわ、家めっちゃ近いし。んじゃな」


 車道脇に等間隔で建てられている人工灯の光が、居住階層へ通じている東大通りに、友樹と希里の影を作っていく。残された淳と綾は、そんな二人の背中をしばらく見つめていた。


「あの二人、仲いいよね。さあ、僕たちも帰ろう」


「幼馴染だからね……」と呟いた綾は、うつむいていた顔を淳に向けながら「ねぇ、淳。空って、なんで青いのかな」と問いかける。


「レイリー散乱だよ」


「レイリー散乱?」


「光は波のようなものだからね。空気中の微粒子にぶつかると光が散乱するのさ。光の波長が短い青い色ほど強く散乱するから、僕らには空が青く見えるってわけ」


「淳って、何でも知っているのね」


 綾の前を歩く淳は、ふと立ち止まって振り返る。


「いいの? 綾は」


「えっと、なんのこと?」


 首をかしげる綾に 「難しいよね、自分の気持ちと向き合うのって」 とだけ言って淳は、再び歩き出した。


「ちょっと、何言ってるのよ」


「何でもないよ」


 複雑にねじれた情動は、時に自分の気持ちに蓋をする。自分の想いと現実の狭間で、心はいつだって不安定だ。

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