メル・アイヴィーは地球儀を割る

成井露丸

メル・アイヴィーは地球儀を割る

 僕の足元で地球儀が割れた。木の床の上で無残にも。

 メル・アイヴィーによって割られた地球儀はこれで三つ目だ。


 僕は割れた青い表面に日本列島を見つける。太平洋には地球の半径と同じ深さの海溝が横たわっていた。その半球の端で重力に引かれて太平洋の水が落ちていくように、僕は心の中でサメザメと涙を流した。僕の頬の上にも一筋だけ本物の涙が流れた。


 メル・アイヴィーが初めて地球儀を割ったのは六月のことだった。

 ジメジメした梅雨の季節の珍しく晴れた日に、地学教室の棚から地球儀が落ちた。詳しく言うと、メルが振り回したフック棒が棚の上に置いてあった地球儀に当たって落ちたのだ。フック棒というのはアレだ。プロジェクターの映像を映し出すスクリーンを天井から引き下ろしてくる時に使う先にフック付いた長いアルミ製の棒である。それがコツンと地球儀に当たって、床に落ちて地球儀は割れた。


 僕が目撃したのは現場ではなくて、メルとその友達が先生に叱られているところだった。怒られているのにメルは自分は間違っていないと反論と共に唇を尖らせ続けていた。最後には先生の気分を害してしまって「口答えするなっ!」て怒鳴られていたんだ。


 僕は溜息をつきながら、教師が「口答えするなっ!」なんて言っちゃダメだろぉ、って思うけど、「まあ、先生も人間だしな」って達観したみたいに言ったら、メルは「カリフォルニアじゃそんなの通んないよ!」って言って僕の脛を蹴った。痛かった。


 そういうわけで僕の知っている経緯はメルから事後的に聞いたもので、事実関係の報告としては公平さを欠くものになると思うから、そのあたりは差し引いて聞いて欲しい。

 メルと一緒の掃除当番になったのは、同じクラスの女の子二名。メルとは別グループの女の子達だ。まぁ、正直言って、メルはクラスで浮いているので、メル以外の女の子たちは全員『メルとは別グループ』になるのだと思う。「そうだよね?」ってメルに尋ねたら、また脛を蹴られた。メルのローキックは的確だ。


 初夏の陽気の中、階段状になっている地学教室の段を登ったり降りたりして、掃除をしていると、だんだん楽しくなってきて、メルは歌を口ずさみ始めたのだそうだ。


「何の曲を歌っていたのさ?」

You are everythingユー・アー・エヴリシング

MISIAミーシャ?」

 僕が言うとメルは馬鹿にするように目を細めて「違うわよ」と唇を尖らせた。

 「You are everything」はダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイのデュエット曲だ。英語の歌だね。ちなみに邦楽で有名なMISIAミーシャの曲は「Everything」。

 帰国子女のメルは英語の曲を沢山知っているし、よく歌う。英語の発音も流石に上手いので僕は大好きだ。


 地学教室の掃除中にメルは機嫌よくなってきて、一人で「You are everything」を口ずさみ出した。そんなメルのことを女子二人が指さしてからかったのだ。

 僕は歌を歌う女の子を見ると微笑ましいとしか思わないし、銀色の髪を靡かせながら目を閉じて口ずさむメルは単純に素敵だと思う。でも、同性の間では癪に障るだとか、調子に乗っているとか、そういう風に言われることがあるようだ。

 ただ、女子たちが誰かを弾く時、その言葉はシンプルに「キモい」という表現に集約されがちなので、何が問題なのだか僕にはサッパリ分からない。女子の気持ちは分からない。


 「ちょっと静かにしてよね。掃除の時間でしょ?」とか、そんな事を言われたのだとかなんだとか。

 メルはもちろん「別に歌ったっていいじゃない? 掃除はちゃんとしているんだし」とか、そんな直球を投げ返したそうだ。メルらしい。

 その後で言い合いになった時、メルの言った言葉に対して、その女子が「メルちゃん、今の日本語なんだかおかしくない? やっぱりアメリカ暮らしが長いと日本語が不自由になっちゃうのね〜!」という不用意な言葉を放ち、それにメルがキレたのだ。

 日本語が時々不自由なところはメルのコンプレックスなのだ。そりゃ、傷付くよ。メルだって好きで海外暮らしが長かったわけじゃない。

 そして、メルは手近なところにあったフック棒を掴むとその女子に振り下ろした。


 まぁ、後は推して知るべしなのだが、その女子同士の恐ろしい乱闘の中に、地球儀は巻き込まれてしまったわけだ。パックリと無残に割れた地球儀は地学教室の床の上に転がった。その断面にマントルは無かった。


 僕とメルは今年の春に出会った。高校二年生の春、メルはアメリカから日本に帰ってきた。アメリカでずっと暮らしていたメルは、それでも家庭の中では日本語を使うので、基本的には日本語の日常会話に不自由はなかった。でも、やっぱり、いろんな文化の違いもあり、クラスの中で少し浮いた存在になっていったのだ。

 四月の間は、まだ、女子も男子も突然現れた銀髪の美少女に目を奪われたし、彼女は学校の話題をさらっていった。しかし、一ヶ月もすると、この帰国子女のお嬢さんの気難しさや、自己主張の強さに皆が気づき、人いきれは引いていった。

 二回目の席替えでメルの隣になった僕と彼女の間の空間はいつも空いていた。別の女子が割って入って、メルの周りに城壁を作る事は無かったから、僕はいつでもこの銀髪の王女さまにちょっかいを出すことが出来た。

「メルはさ、女子のグループ作ったり、グループに入ったりしないの?」

 僕は何の気なしに、何の他意もなく、ふと思った疑問をメルに投げる。

「私って、父の仕事の都合ですぐに海を飛び越えて転校しがちなんだよね。だから、作っても突然終わっちゃうし。なんだかそういうのも、まぁ、どっちでも良いかなぁって思っちゃって」

 そう言って、メル・アイヴィーは校舎の窓から空に浮かぶ雲を眺めていた。引っ越したことがない僕にはピンと来なかった。


 地学教室の一件で怒られる君を、僕は同じ職員室でボウっと眺めていた。何故、僕も職員室に居たかというと、僕も怒られていたからだ。

 僕の方は物理部の顧問の先生に怒られていた。物理部のワークステーションを使って仮想通貨のマイニングをやっていたのがバレて大目玉を食らっていた。まぁ、早い話が学校の設備と電力を使って金儲けをしていたことがバレたのだ。

 「私利私欲のために物理部の活動をしてはイカン!」と責められていたのだ。物理部の顧問の先生も、立場上仕方なく怒っているって感じだったし、つまらなくって、僕はメルの事を眺めていた。先生の前で怒られながらも毅然としているメルのことを綺麗だなって思っていた。銀色の髪は彼女が特別だって教えてくれた。こんなに分かりやすいことはない。


 その日、僕らは、一緒に帰路についた。川沿いの道。河川敷で遊ぶ子どもたちや、サックスの練習をする大学生の二人組。


「なんで、ダイアナ・ロス?」

「いいじゃない。だめ?」

「古典じゃん? 古典」

「お母さんが好きなのよ」

 そう言って、メルは両手をお尻の後ろで組みながら口ずさみ始めた。


You are everything, and everything is you.

Oh, you are everything and everything is you.


 彼女は河川敷に降りていく。僕は、彼女に付き従い、雨露に濡れた草の間に革靴を突っ込んでいく。そして、彼女のメロディーの少し下をなぞっていく。


'Cause you are everything and everything is you.


 君がダイアナ・ロスなら、僕がマーヴィン・ゲイだ。

 まぁ、こんなにパッとしないマーヴィン・ゲイなら、メル・アイヴィーにとっちゃ願い下げだろうけどね。君は口ずさみながらも、少し驚いたように振り向いて、ニパッと笑った。二人の音で倍音が増幅されて響きは豊かになる。


How can I forget when each face that I see.

Brings back memories of being with you.


 空は青くて、風が君の銀色の髪を攫った。

 太陽は熱くて、空気には湿気があって、僕のシャツが背中に張り付いた。

 でも、君と声を重ねると、川の流れが、鳥の歌声が、僕たちの生む空気の振動に応えてくれる気がした。


You are everything, and everything is you.


 そして夏休みがやって来た。


「おじゃましまーす」

 メルが我が家にやって来た。僕が高校生になって初めて家に連れてきた少女が銀髪の帰国子女で、母親は驚いていたし、妹は「フオォォォォ!」と謎の雄叫びをあげていた。高校一年生の妹も僕と同じ高校に通う。高校一年生の間でも、高校二年生帰国子女、銀髪のメル・アイヴィーは有名人なのだ。


「妹かわいいね」

「そうか?」

 自室に繋がる階段を後ろからついてくるメルが羨ましそうに言うので、僕は興味なさそうに答えた。まぁ、僕の妹だから見た目は可愛いいと思う。でもな。性格はネジ曲がっているし、頭のネジは外れている。まぁ、僕の妹だからな。将来の彼氏になる奴が大変かわいそうだ。幸運なことに、妹にはまだ、彼氏のような存在は居ないらしい。神の采配だ。


 部屋で二人っきりになると、メルは僕のベッドに腰掛けた。僕は自分のデスクの椅子に座る。

「なんか音楽かける?」

「なんでも良いよ」

 メルがベッドに腰掛けながら足をばたつかせた。僕は音楽ストリーミングのアプリを立ち上げて『恋人たちのジャズ特集』なるプレイリストをメルに見えないようにクリックした。小気味の良いピアノのリズムがブルートゥーススピーカー経由で流れ出す。こういう曲は、ピアノの音の粒が跳ねて踊って広がる。ピアニストの指先がイメージできる。


「へー、ジャズか〜」

 メルは嬉しそうに自分の麦わら帽子を押さえた。「あ、室内だと帽子取るんだっけ?」と言うので「そうなんじゃね?」って返すと、「じゃあ、もうちょっと被ってる」とメル。僕たち、コミュニケーション取れてるよね、多分。

 メルは右手で押さえた麦わら帽子を顔の前までずらしてくると、ジャズのコード進行に合わせて「ファーーーーーッ」と奇声めいたメロディーを躍らせた。気分よくワンフレーズ歌うと、そのままバタリと、ベッドの上にバタリと倒れた。

 夏の薄い空色のワンピースに濃い褐色の細いベルトが腰回りに二回りしていて、首周りには黒いチョーカー。

 奇声めいたメロディーも、ちゃんと鍵盤の上には乗っていて、ヴォーカルパートとして成立している。僕はそんな彼女の音感と感性に憧れめいたものを感じると共に、嫉妬めいたものも感じた。僕はそんなに器用にも情熱的にも歌えない。


 ――コンコン


 部屋の扉がノックされて妹が飲み物をお盆に載せて持ってきてくれた。

「開いてるよ」

 と僕がいうと、ゆっくりと扉を開けて妹が入ってくる。視界にメルが居ないので一瞬「あれ?」と、キョロキョロしたが、直ぐにメルが僕のベッドで、ふくよかな胸の膨らみを上にして目を開いたまま横たわっているのを見つけると、「お兄ちゃんっ!」と言って興奮気味に僕を糾弾した。

「いや、何もしてねぇし。お前の妄想が逞しすぎるだけだし」

「あ、そうなの?」

「そうよ」

 僕が溜息まじりに言った言葉に、妹が首を傾げ、僕の代わりにメルが答えた。妹よ、反省しなさい。そして、妹は反省と共に部屋を出ていった。

 クーラーの強くかかった部屋のローテーブルには、よく冷えた『ひやしあめ』が置かれていた。妹よ、なんなんだい、このチョイスは。


 僕たちは結構インドアなのだ。特に日本の夏は、最近、猛暑日ばかりで、日射病がトレンドワード入りする始末だ。クーラーの効いた部屋の中で、静かに遊ぶのが正義でしかない。


「こんなのでもやってみる?」

 僕が取り出したのは、この前、家電量販店の玩具コーナーで、衝動買いしてきた3Dパズルだった。3Dパズルは普通のジグソーパズルと違い、ピースを組み合わせていくと、二次元の絵ではなくて、三次元の造形が出来上がるおもちゃだ。とりあえず、手元にあるのはロンドンのタワーブリッジと、小さな乗用車、そして、地球儀だった。


「もう少し、買う時に一貫性とか考えなかったの?」

 ベッドから起き上がって銀髪に手櫛を通すメル。「多様性は正義でしょ?」と僕。メルがニヤリ。


 僕は三つの箱を持ち上げて、メルに見せた。

「どれやる?」

 メルは一思案すると、僕の持った箱のうちの一つを指差した。それは、地球儀だった。


「因縁浅からぬ関係ですな。メルと地球儀は」

 僕とメルがよく話す切っ掛けになったのは、六月にあった地学教室の地球儀破壊事件が発端だ。


「『因縁浅からぬ』って何?」

 メルが首を傾げる。

「英語じゃFateかな?」

 僕がそういうと、少し思案した後に、メルは「なるほど」と頷いた。


 僕が地球儀の3Dパズルの箱を開けはじめると、メルが右手をズイと差し出してきた。

「自分で開けるって?」

 メルはコクリと頷いた。僕は箱のまま、メルにそれを渡す。彼女はニッコリと笑って受け取った。箱からビニール袋を取り出すと、それをビリリと開く。ひっくり返すと、3Dパズルのパーツが転がり出てきた。


 僕は僕で何か一つ作ろうと思い、タワーブリッジの箱を選択する。僕も箱を開いて、ビニール袋からパーツをテーブルに出そうとすると、メルが邪魔するように僕の左腕を強く押してきた。おっとっと、と姿勢を崩す。


「わーわーわー!」

 メルが僕の動きを止めようと声を上げる。

「どうしたんだ? 押すなよ、痛いよ」

「机の上に、それ撒いちゃだめ!」

 メルが青い瞳をクリクリと丸くする。興奮している様子は様子で可愛い。「だめ!」っていう唇の形が、ぷっくりとしていて、そのまま吸い込まれそうになる。


「……なんで?」

「だって、パズルのパーツが二種類混じっちゃったら、大変だよ?」

 メルに言われて気づいた。確かに。

 ジグソーパズルでも、複数の種類のパズルが混ざってしまうと、大変なことになる。我ながら初歩的なミスを犯すところだった。サンキュー、メル・アイヴィー。


「じゃあ、どうする?」

 僕は『ひやしあめ』のプルタブを開けながら、開けかけたタワーブリッジの箱を閉じ直した。


「地球儀。一緒に作る?」

 首を傾げるメル。首筋に流れる銀色の髪。白い肌。果物のような瑞々しい唇。「そうだね」と言って、僕は彼女の隣りに座って地球儀パズルのピースを摘んだ。


 三十分ほどで地球儀は出来上がった。商品箱の写真にあるほど綺麗には作れなかったが、それは、確かに地球儀だった。


「出来たね」

「うん」

 気づけば二人は、ローテーブルを前に、至近距離で向き合っていた。僕の目の前にはメルの青い瞳がある。僕の胸の鼓動は高まっていった。彼女の瞳が少し潤んでいる。


「あなたのことが好き」

「僕もだよ、メル・アイヴィー」

 気づけば僕はメルの麦わら帽子の下に居て、メルの唇が僕の唇を覆った。机の上に置かれていた彼女の手は、夢中でその上を走り、作ったばかりの地球儀にぶつかって、それを破壊した。

 粉々になったパズルのピースが、僕とメルの下半身の上に散らばった。


 これがメル・アイヴィーの割った二つ目の地球儀。


 唇が離れる。柔らかい感触が僕の唇からふんわりと離れる。彼女の青い瞳に吸い寄せられながら、僕の頭は今起こったことの解釈に一生懸命になった。


「僕たち、付き合おうか? メル」

 勇気を振り絞った僕が吐いたのは、ちょっと格好悪い月並みな言葉だったわけであり、メルの次の言葉を聞いて、僕はいたく反省したのだ。

「付き合うって……何?」

 

 いずれにせよ、僕たちのキスは始まりであって、僕たちはお互いにとって特別な存在になったのだと僕は確信していた。その夏、僕たちは一緒に買い物に行って、一緒に図書館に行って、一緒に映画に行った。

 街を歩く時にも、君は人目を気にせず好きな歌を口ずさんだし、その横にいて僕は時々歌声を重ねたり、ただ耳を傾けたりした。歌いながら歩く高校生カップルに、周囲の視線が集まることはあったけれど、僕はあまり気にしなかった。メルがそこにいて、そこに歌があることが僕には重要だったのだ。


 でも、それは、僕だけが見ていた幻だったのだろうか。

 夏の終わりと共に、三つ目の地球儀が割れた。


 二学期の始業式が終わって、僕は職員室で声を掛けられた。一学期に割れた地球儀の補充がようやく届いたので、地学教室に持っていって欲しいというのだ。


「なんで、僕なんすか?」

 それは不満というよりも、純粋な疑問だった。日直かクラス委員にでも、そういう仕事は頼んだら良い。何も、不精者で、どちらかと言うと問題児の僕なんかに頼まない方が良いだろう。僕なんかに頼んだら、ろくなことが起きない。

 地球儀を地学教室に運ぶなんていう、こんな誰でも出来そうな単純な仕事を頼むにしてもそうだ。こういうちゃんとした仕事は、僕に向かないのだ。


「お前、物理部だろ?」

「そうですけど。地球儀を持っていくのって地学教室ですよね?」

「あぁ、そうだけど。まぁ、物理も地学もおんなじようなもんだろ?」

 先生は面倒くさそうに言う。いや、それは教師が言ったらダメなやつでは? 理科の先生に怒られますよ。「全然違いますよ」と言いそうになったけど、それを言ったところで、どうなるものでもないので、僕は仕方なく地球儀を受け取った。


「それに、おまえ、地球儀を割ったメル・アイヴィーと仲良かっただろ?」

 教師の質問に僕は「えぇ、まぁ」と曖昧に呟く。夏休みはメルとよく一緒に居た。同じ歌を何度も一緒に歌ったし、唇を何度も重ねた。でも、それは、学校に報告するようなことではなくて、二人の確かな思い出として胸の中で大切にしていくことだ。

 でも、教師からであっても「メル・アイヴィーと仲良かった」と言ってもらえるのはちょっと嬉しかった。まるで公認のカップルみたいだ。

(でも、どうして過去形なんだろうか?)

 そう疑問符を浮かべる僕に、その先生は言った。


「でも、残念だったな。親御さんの急な異動で、また、アメリカだなんて。お前も寂しいだろ?」

「――え?」

 教師の言葉の意味を僕はすぐには理解できなかった。


「知らなかったのか? メル・アイヴィーはまたアメリカに引っ越していったんだよ――」


 驚きのあまり、僕の手のひらから滑り落ちた地球儀は、スローモーションで職員室の床に落下していった。あまりに大きな驚きが時間を止めるって本当だったんだ、と今分かった。

 

 そして三つ目の地球儀が割れた。


 君が太平洋の上を軽やかに飛んでカリフォルニアに飛べたとしても、僕が太平洋を飛び越えることは難しい。その間には大きな大きな溝が横たわっているのだ。

 その溝で、僕たちの世界は二つに分かたれている。


 どうして君は何も言ってくれなかったんだろう。

 僕の胸には地球儀みたいな大きさでポッカリ穴が空いていて、隙間風がヒューヒューと通り抜けていく。

 もうすぐ夏が終わって秋が来るのだ。


 職員室を出た僕は、廊下を歩きながら「You are everythingユー・アー・エヴリシング」を口ずさむ。足取りは重くて、笑顔は作れないけれど、君の歌うメロディーを頭の中で再生しながら、僕は自分のパートを口ずさむ。


You are everything, and everything is you.

Oh, you are everything and everything is you.


 地球儀が三つ割れて、僕は、一人っきりのマーヴィン・ゲイになった。



(引用:"You are everything" 作詞作曲:T. Bell, L. Creed )

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