「心の中の恐れ」
「ねぇ、先生。本当に何か怖いものとか不安に心当たりないんですか?」
広い草原のど真ん中で、れむは根気よく昂に向けて話しかける。
この絵画の世界から脱出するには彼の心に閉じ込めた不安や恐れを取り除く必要があるからだ。
だが肝心の昂はというと、れむの問いかけに反応は返すのだが、「うーむ」だの、「ほほう」だのと、まるで曖昧な返答しかしない。
本当に彼にそのような感情があるのか疑わしくすらあった。
「ダメです~。もうお手上げですよ。黒ちゃんも何か手伝って下さいよ」
遂にお手上げといった様子でれむは泣きそうな顔を希州へと向けた。
しかし希州の方はというと、こちらの声が聞こえていないかのように何か考え込むようにじっと腕を組んでいる。
「もぅ…どうしたらいいんですか」
れむは盛大な溜息と共に座り込んだ。
するとそれを見た昂は不思議そうな目をしてこちらを見ている。
「どうかしたんですか。先生」
「うむ。お前は帰りたいのかい?現実に」
「そりゃあもう帰りたいに決まっているじゃないですか」
鼻息荒くれむは頷く。
思えばもうずっと双葉の顔を見ていないような気がする。
そう思っただけで益々戻りたいという気持ちは募った。
しかし昂はそれ聞いて理解出来ないとでも言いたそうに首を傾げていた。
「おかしな事を言うね。現実世界の何がそんなにいいんだ。僕にはわからないね」
「ええーっ。今更それですか」
「今更も何も僕は僕にとってどこにいようと絵さえ描ければ後はどうでもいい」
「……究極ですね。それは」
れむはげんなりと肩を落とした。
彼に何らかの不安や恐れがある事は確かなのに、肝心の本人にその自覚がないという事なのだろうか。
これはどうする事も出来ないのかもしれない。
そう思ってれむが途方もなげに白いキャンパスのような空を仰いだ時だった。
「うむ。そうか。その手があったか」
「黒ちゃん?」
その時、今までずっと黙って何か考え事に没頭していた希州がスッと立ち上がった。
精悍な顔立ちにはいつもの余裕が感じ取れる。
「れむちゃん、アレをやってみよう」
「アレ?」
「そうアレだよ。アレ」
希州はにんまりと笑った。
そして懐から何故か五円硬貨を取り出して得意そうに翳した。
「催眠療法さ」
「さ……催眠………胡散臭ぁぁぁっ」
れむは若干引いた様子で希州を遠巻きに見ている。
つまり彼はこの五円硬貨を紐か何かにぶら下げて、催眠術のような方法で昂の不安や恐れを聞き出そうとしているのだ。
これは明らかに胡散臭い。
「うわっ、何だいその顔は。全然信用してないじゃないか」
「してないも何も……そんな非科学的なおまじない、本気でやろうとしてないですよね?」
「れむちゃん、最近すっかり双葉に感化されちゃって…。オジサン悲しいぞ」
希州はわざと泣き崩れる演技をしてひれ伏した。
双葉がイラつくのもわかる気がする。
「はぁ。もぅ。他にどうする事も出来ないんですし、奇跡に縋ってやってみましょうよ」
「あ…あぁ。何か物凄く引っ掛かりを覚えるが、やってみよう」
「ちなみに黒ちゃんって、催眠術の経験あるんですか?」
「いや。ないさ」
「……………」
どうしようもない苛立ちを覚え、のたうつれむの横で希州はさっさと五円硬貨に紙縒りを括り付け、即興で道具を作成した。
「さぁ、先生。ちょいとこの五円玉を見てくれないか?」
「は?何だい。そりちんけな小銭は」
昂はまるで興味がないといった様子で一瞥をくれる。
「ほらぁ、そんなの全然効かないじゃないですか」
やるだけ無駄だったとれむが憐れむような眼を向けた瞬間だった。
希州がにやりと笑ってこちらを見た。
「えっ?……う…そ」
気付いた時には昂はまるで土下座のような個性的な恰好で眠っていた。
どうやら希州の俄か催眠術が奇跡的に効いたようだ。
「どうだい。れむちゃん。俺の実力は」
「嘘みたい。それに先生の寝姿も嘘みたいな恰好ですけど、じゃあ早速不安や恐れがないか聞いてみましょう」
「ああ。そうだな」
二人は夢の中で眠りに落ちた画家を見て頷いた。
天空の風水「普遍的寓話エンドルフィン」 涼月一那 @ryozukiichina
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。天空の風水「普遍的寓話エンドルフィン」の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます