銀毛猫は夢を見ない〈4〉

 彼女の足元には手のひらほどの小人が立っている。大理石の三角帽子を被り、石のヒゲを生やした土妖精ノームの彫像――その豪腕が、制服に付与された防御魔法を砕く。


 エリオットの試作ゴーレムだ。


「そこまで! 勝者はエリオット=ハンクスとする!」

 審判の判定で、観客席がどよめいた。誰もがこの結果を予想しなかったのだろう。


「そんな、いつの間に?」

「最初に転がしただろ? 魔導核を」


 アーシェの目がこぼれんばかりに見開かれる。


「まさか……最初から仕込みを?」

「ああ。土妖精ノームじゃ防御魔法を突破する事は出来ないが、ゴーレムの腕力なら可能だからな。無詠唱でも創換出来る事はわかっていたし、奇襲には打って付けだ」


 そう説明すると、アーシェは苦笑した。


「やっぱり、エリオには敵わないね」

「そんな事はない。もし奇襲に気付かれていたら俺が負けていた」

「気付けなかった事も含めて私の負けだよ」


 晴れやかな笑顔で言うアーシェ。負けた事で落第が決まったのに、まったく悔しそうじゃない。


(どちらかというと、悔しそうなのはあっちだな……)

 見れば、審査員席に座っていた召喚術科の教授が苦々しげに表情を歪めていた。


 彼の前まで歩いて行き、エリオットは一礼する。


「教授、確か俺が勝ったら研究室に入らせていただけるというお話でしたね」

「……ふん、まぁいいだろう。約束は約束だ。多少成績に難があるとはいえ、当代の首席を倒した実力者であれば箔が付く。我が研究室に迎える事もやぶさかではない」


 だがエリオットは頭を振って答える。


「いえ、その話はなかった事にさせていただこうかと」

「な、何……? どういう事かね?」

「より良い師を見つけたんです。新しいものを盲目的に否定しない、素晴らしい先生を」

「なっ……!?」


 教授は面食らったように口を開けたまま固まった。

 それを無視してエリオットは歩を進め――白いサーコートを着た壮年の魔術師の前で立ち止まる。

 そこにいるのは、錬金術科の教授であるサイラス=オルブライトだ。彼に向けて、エリオットは深々と頭を下げた。


「サイラス先生、俺を先生の研究室に入らせてください!」

「私の……?」

「はい。学科は違いますが、創換術を研究するためにはサイラス先生にご指導いただくのが一番だと思いました。お願いします!」


 必死に声を張り、頼み込む。召喚術科の教授と決裂した以上、ここで断られるわけにはいかない。たとえ断られても、相手が折れるまで何度もお願いするつもりだ。


 しかし、思いのほか軽くサイラスは笑った。


「まさか君から指名されるとは予想していなかったな。後でこちらから勧誘しようと思っていたくらいなのだが」

「……では」


 顔を上げるエリオットに、サイラスはにこやかにうなずいた。


「構わないとも。エリオット君、君を歓迎しよう」

「ありが――」

「ありがとうございます! サイラス先生!」


 後ろから割り込むように言ったのはアーシェだ。獣の耳をピンと立て、尻尾を激しくくねらせている。


「お、おい……喜んでくれるのはいいが、お前もう一回三年生をやり直すんだぞ?」

「いいの! ココちゃんともう一度会えるから!」


 困り顔のエリオットに、けれどアーシェは満面の笑みを浮かべて言うのだった。



 あれからまた一ヶ月ほどが過ぎた、学期末の冬。

 窓の外が冷たく雪に彩られる中、ソブルム魔導学院研究所の一室で実験は行われた。

 見守っているのはアーシェとサイラスである。まだ正式に研究室に所属したわけではないが、サイラスの好意で設備を使わせてもらっているのだ。


「落ち着いてやりたまえ。大丈夫、理論は間違っていない」

「……はい、先生」


 深呼吸を一つ。エリオットが魔導核へ魔力を込めると、部屋が白い光に包まれた。

 青い鉱石の周囲に魔法陣が浮かび、輝きを増してゆく。

 そして、叫ぶ。


創換魔法アセンブル〈魔法仕掛けの人形〉マギウスドール!」


 その瞬間――黒猫だったモノが全身の毛を逆立てた。身を起こし、数度体を震わせる。


「ココちゃんが動いた!?」

「成功だ!」

「エリオ、すごいよ! 本当にココちゃんが生き返ったよ!」


 体毛はなぜか銀色へと変貌しており、毛繕いどころか瞬きさえもしない。さほど高い知性を持っていないゴーレムだから当然だろう。だが、紛れもなくそれはアーシェが飼っていたココの姿だった。


「さすがだね、エリオット君。この分なら研究室に配属されてすぐ論文を出せるんじゃないかな?」

「さすがにすぐというわけには……。でも、そうですね。先生への恩返しの意味でもがんばります」

「私は背中を押しただけだよ。どちらかというとアーシェ君の方が世話になったのではないかな?」

「そうですね。アーシェは俺の研究のために落第までして」

「それは言いっこなしって約束だよ!」


 と、その時サイラスが思い出したように手を打った。


「そうだ。アーシェ君の落第の件なのだが、来年君達が同学年になるチャンスが与えられたよ」

「えっ!?」


 驚きに唖然とするアーシェ。エリオットも数度瞬きしてサイラスの言葉を反すうする。


「先生、それは一体……?」

「召喚術科の教授が、進級試験のペアを不正操作していた事が発覚してね。少々問題になっているんだ。だが一度試験が行われた以上、今更結果を変える事は難しい。そこで救済措置として、召喚術科の教授と一戦し、勝てば進級させる事になったんだよ」

「召喚術科の教授に勝てば……?」

「そうだ。なにぶん異例の事態だったから議論は紛糾したが、彼に勝てる学生ならば進級させても問題ないだろうという話になったよ。だが彼は強い。勝利出来る学生は少ないだろうが、がんばりたまえ」

「はい! がんばります!」


 迷いなくうなずくアーシェ。どうやら本気で勝つつもりらしい。


「だが召喚術科の教授に勝つって、かなり無茶振りじゃないか? あの若さで教授だぞ……」

「私は勝つよ。こっちだってソブルム魔導学院の首席だもん、肩書きは負けてない」

「そう言って俺に負けただろう」

「むー……ちょっとくらい応援してくれたっていいじゃない」


 アーシェは風船のように頬を膨らます。

 だが、一転してへらっと相好を崩した。ココを抱き上げ、マーキングでもするように顔を擦り付ける。


「でも、こうしてココちゃんに命を吹き込んでくれたからね。特別に許してあげる」

「まだ未完成の試作品だけどな」

「エリオなら完成させられるよ。私は信じてる」


 二人して笑い合う。

 その時、不意にサイラスが表情を強張らせた。


「先生? どうしました?」

「い、いや……ちょっと念話魔法が来てね。すまない、急用が出来たから実験はこれでお開きにしよう」

「先生も忙しいですね」

「ああ……まったくだよ」


 サイラスは打って変わって焦燥に満ちた様子で、そそくさと教授室へと入って行く。何か問題でも起きたのかもしれない。


 エリオットはわずかな違和感を覚えつつも、大きな達成感と共にその背を見送り、研究室を後にした。


 この後、激動の事態に巻き込まれるとも知らずに――

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