訪門

3

「奉納演武」これは古い武道を受け継ぐ者が寺社仏閣や集会所において、

予め決められた攻防を行う「型」と呼ばれる技術あるいは他にはない特徴的な鍛錬法を公演するものであるが

今回「明進流兵法めいしんりゅうひょうほう」と称する団体が初めて訪れた

那烏神社なにうじんじゃは普段活動している都市圏から200キロ離れていた。

彼らは通信網が発達した現代に対応し、膨大な数を誇る抜刀技術を映像共有サイトで演じ急速に門下を増やしていた団体であった。

師範以下12名、大小に加え得意としている大太刀と外物とのものに用いる鎖鎌を携えての大遠征である。

「なんで訴えなかったんですか師範?」

およそ神前に似つかわしくない装束の者が問うた、この男セーラー服である。

「言い方が良くないよ、円口まどぐちくん。我々は招待されたんだ」

今回このような遠出を可たらしめたのには理由がある


土着の流派「矛槍仏伝鋭刃流むそうふつでんえいじんりゅう」の伝承者及び関係者から

『交通費と宿泊費はうちで負担するからこちらにいらっしゃい』といった内容の現金書留の書状が届き厚意に乗ったのだ。

矛槍仏伝鋭刃流は居合を大正初期に公開し全国各地の剣道場で「居合」と頭に浮かべるならばこれであるといったある程度の知名を得ていた流れではあるが

ホコとヤリを最初に名乗る以上、元来は長柄物ポールウェポン、ほかに当身柔術グラップリング&ストライキング、剣術、短棒術を扱う綜合武術であり

誕生した江戸時代中期以来昭和を過ぎた現在においても一度たりとも門外にその技術を公開していなかった。


誘いに乗ったのはこの未知の技術を相手方から引き出し手中に収めんが為でもあり、

外部に剣を舞う様を披露する目的で常備している撮影機材がこの度別の役割を担おうとしていた。


明進流師範、加美雅実かみまさみは内心ほくそ笑んでいた。

先代が流派の骨子を記している伝書をあろうことか紛失するという遣い手にあるまじき失態を犯したため

明進流の技法の大半は公開された他流の技法を改変して一応の体を保っているに過ぎないのだ。

今回は彼が「復興」を願ってやまない綜合武術を目の当たりにする好機であった。

身体操作の違いが想定出来うるためそのまま取り入れる事は不可能ではあるが、常日頃行っている事をまたすれば良いのだ。

つまり、知り得た戦闘技術をあたかも古来伝承された風態に整え、

綜合古流武術明進流兵法、「再臨」と演出しゆくゆくは「武」というある種危険地帯から身を引き、

箔を付けた上で各エンターテインメントシーンに顔を売って行く。

これはその旅の途上であり且つ達せねばならない通過点チェックポイントである。


書状にて紹介された宿はバブル期に建設された大衆旅館だった。


4

武藤章一郎むとうしょういちろうが目を覚ましたのは普段と同じ午前5時のことであった。


先代から士業をなりわいとしている彼が「明進流」の名を知ったのは意外なことに週一回行っている稽古時ではなかった。

勤務中気まぐれに覗いた近年通ったという名称申請の欄のそれはあったのだ。

きっかけこそ普段なら流し読みして終わる些細なものではあったが、就業中気になって仕様が無かった武藤はその日稽古が済んだ際に門人達に問うた。

「メイシンリュウっていう人達が居るらしいんだが、聞いたことは有るかい?」


聞けば明進流、戦国時代末期に消滅した筈の陰之流かげりゅうの直系だと言う。

なるほど門人がタブレット端末で見せた映像には…二刀で舞い、大太刀で飛び回る様が映っている。

「影流・・・?どこが?」

歴史的資料となって自治体の倉庫や個人宅に眠っている伝書のたぐいを解析し、流派を創作あるいは復元しようと試みる者は存在する。

が、映像を見る限りは、

「ニオイだけで断定するのは、良くない傾向では有る。だが付き合ってみて第一印象が真相であるという事がままあるのも世の常。・・・うーんどうしたものかね」

心情的には雨後の筍の如く現れては鳴りを潜めていく新組織(自称合気柔術、欧米式忍術、所属不明軍隊格闘、ブーメラン空手、ナイフ格闘術、古武道健康法、格闘護身術、掌底打撃体術、自己流手裏剣術などがそれにあたる)が脳裏に浮かんだが、果たして今回もそれなのだろうか?

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毒狂剣二刀流 新左衛門 @kaizo

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