たとえば生命に使われる時間の偏重

御子柴 流歌

たとえば生命に使われる時間の偏重

 教壇の上では、相変わらずの怠惰な授業。


 教室の外には、相変わらずの不変な風景。


 教室の中には、相変わらずの居眠り生徒。


 その中で、珍しく俺は起きている。覚醒しきっているわけではないが、まどろみに身を任せているわけではない。ただ、何となく、この身体を現実に押しとどめている。


 つまらないわけではないが、結局のところ面白くはない。


 ただ、それだけのこと。


 別に、周囲の流れに身を任せ居眠りに興じるのも悪くない。


 だがやはり、悪くないだけで良くないことは知っている。知っているし、解かっている。


 気もそぞろにペン回しをしていたが、失敗したのでその手を止める。


 机の上、教科書に覆いかぶさるようにしているノートには何も書かれていない真っ白のページ。統一された緯線の上に、制御を乱すような一文を書いた。





『たとえば生命に使われる時間の偏重』






「何書いてんの……、って何それ?」


「なっ」


 びっくりした。


 横の席からかけられた声。意識を完全に紙面へ飛ばしていたので、不必要に驚いてしまった。


「……意味分かんないんですけど」


「……自分でもよくわからんし」


「はぁ?」


「そりゃそうだろ。インスピレーションで書いたんだから」


 その反応リアクションには、ひどく納得がいく。俺も、隣の席に座っている奴がいきなり『おそらく君が明日の昼に紅茶を飲むとしても、僕は明後日に珈琲を飲む』(これも突然のインスピレーションだ)とか書いたなら、きっとドン引きするだろう。


 理解の範疇には無い文章だ。


 何というのが正しいのかはわからない。


 脊髄がそう書かせたのだ。


 そう説明しても納得がいく程度のこと。


 ただ、それだけのこと。


「思いつき?」


「うん」


「へぇ……」


 ほら。やっぱり。


 眉間に皴。唇は某政治家のような歪み。


 視線は、冷蔵庫の奥で永い永い冬眠から叩き起こされた、一体何時買ったのだろうと疑問に思うような鯵のひらきを発見したときと同じような。


 あるいは、ハンバーガーショップで「スマイル五個」とだけ注文して、そのまま立ち去り、数歩歩いたところで振り返ったときに向けられるものと同じような。


 もしくは……、いや、もう面倒だ。


 つまりは、敬遠されている。


 ――いや、《敬遠》でなく《蔑遠》か。少なくとも蔑みこそすれ、敬いの気持ちはない。


 得たくもないのに、そんな確信が容易に得られる視線だ。


 痛い、痛い。


 出刃包丁が貫通していくような痛みだ。刺されたことはないが。もちろん、生体反応を示すイキモノに対して……は、あるか。生魚。


「でもさ。何だか、熟考の余地だらけな文だね」


「ほお……、その心は?」


「この文章に足場を置いて考えるには、前提として《時間に偏りがある》ってことよね」


 何ということだ。


 真剣に考えてくれているらしい。


 うれしいが、かなり申し訳なく思う。


 いや、違う。


 キミも、ボクと同様に、オカシな人だ。


 背中合わせのようで、ともに前を向いているような。


 いや、前ではないかもしれない。


 いや、やっぱり前だろうか。


「それに、生物が《生きている》ことと《時間》との立ち位置が不思議。逐語的に考えれば、生物は時間の流れによって生かされているとも考えられそうじゃない?」


「ということは? 時計が止まれば生物は死ぬと」


「時計じゃなくて、《時間》」


「ああ、いや。ちょっとした喩え。それぞれの個体が時計を付けていたとして、たとえば個体Aの時計が止まればAは死ぬけど、Aの時計とは無関係に生きている個体Bは生かされ続ける」


「そう……だね。そんな感じ」


 ふうん、とだけリアクションを返して、教壇を見る。板書を書き終えた先生がこちらを向いた瞬間だった。あえて視線を合わせる。ここでヘンに視線を背けると疑われる、というものだ。


 鞄の中を手探りで捜索する。


 とりだしたるは無地のルーズリーフ。声で会話しているのがバレるといろいろと面倒だ。


『ボクとはスタンスが違うみたい』


 表情を見る。先を促すような視線に応えて、もう1行書き足す


『ボクの中では、かなり間違いに近い正解かな』


『どういうことよ』


 少し不満げだ。プライドの高そうな瞳がゆがむ。嫌いではない。


『《生かされてる》っていう考えじゃないからかも』


『じゃあ、どういうことなの?』


 丸文字が回答を求めてきた。これは少し似合わない気がする。


『ボクらが生きているから、時計が回る』


『ということは、死ねば』


『止まる。すべてが止まる』


 ――とまで書いたところで横棒を引いてキャンセレーション。


 ちょっと語弊があった。


『ヒトが居なくなれば、今までのすべてを記録していくことができなくなって、そこで《歴史》が終わる。ほかの動物でも同じ。途絶えたらそこがそれ自身のターミナル』


『なるほど? それなら《偏重》にはどういう意味を後付けする?』


 そして、スマイル。


『ただ漫然と生きてるモノにはたとえその時間が長くとも密度としては希薄。何かを成そうとしてるモノにはその時間が短くてもその間は濃密』


 ホラ、偏重ができた。


 それは決して不公平ではない。


 いわば、自己責任の領域。


 嫉みも僻みをも超越して届きやしない世界が、この世界。


 ……なのかもしれない。


 所詮、突発的に考えたフレーズにつけられる程度のこじつけでしかない。



 そう。


 自己責任なのだ。







「……何しとるんだ、キミらは」




 嗚呼、自己責任の重さよ。

 ――と嘆いたって無駄。

 嫉みも僻みも通用しなければ、嘆きも通用などしたりはしない。






 バレないはずがないのだ。

 人の目を盗むなんて、できっこない。





「知らぬ存ぜぬで視線を合わせるとはいい度胸だな。担任が声を覚えていないわけなかろうが」


 ですよねー。







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 少なくともさきほどの論議をしていた時間は濃密で、今こうして問題用紙の印刷の助手をしている時間は希薄だろう。


 ため息。


 しかし、出かかったそれを慌てて吸い込む。


 幸福を逃がしてなるものか。


 そうして、斜向かいで製本作業を担当させられた彼女を見やった。


 何の因果だろうか。まぁ、そういうものだ。


 気配というものの所為だ。


 ただ、それだけのこと。


 しかしながら、彼女も顔を上げた。


 勝気そうな瞳を向け。


 健康的な唇が言の葉を紡ぐ――。


「あとでクレームブリュレマキアート、奢りなさいね」


 季節限定なの、と付け加えて。


 そして、スマイル。


「だったら、ボク、エスプレッソ」


 そして、スマイル。




 同時に小さくふき出して。

 また作業に戻る。


 そう。

 ただ、それだけのこと。


 それだけで、またひとつ濃密な時間。

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