第十章 その1 実習ミュージアム
「みんな、ちょっと聞いて」
閉館作業がひと段落して椅子に座り込んだ時のことだった。分厚いファイルを片手に、池田さんが私たちに呼び掛けたのだ。
「9月から博物館実習が始まります。今年は大学生ふたりを1週間、40時間受け入れることになりました」
「博物館実習? 去年は取ってませんでしたよね」
私はメモを開くと同時に首を傾げる。
「専門の職員がいなかったからね。今年はシュウヤさんもいるし、それにほら、博物館存続意義のアピールにもなるし」
すかさず里美さんが隣からそっと耳打ちした。なるほど、そういう事情があったのか。
博物館実習は学芸員を目指す大学生にとってクリアすべき大きな壁だ。
学芸員資格は無資格で取得できるものではない。文部科学省で指定された科目を履修して大学を卒業するか、学芸員認定試験に合格するなどの条件が存在する。
博物館実習は学芸員取得のため履修すべき科目のひとつだ。大学で『博物館学概論』や『博物館資料論』などの科目を既に履修した学生が、勉強してきた成果を現場で発揮する機会となる。そして我らが船出市立郷土博物館でも、多くの大学が長期休暇である9月に博物館実習の学生を受け入れて教育の場としての機能を果たそうというのが今回の狙いだ。
ちなみに収入を伴うインターンシップとは違い、博物館実習では給料は発生しない。この点では教育実習に似ている。
「学生の指導はシュウヤ君が主導しますが、僕たちも積極的に協力していきましょう」
名を呼ばれたシュウヤさんが「皆さん、よろしくお願いします」と頭を下げる。私たちは「合点承知の助!」と親指を立てて答えた。
「ところでシュウヤさん、博物館実習て具体的にどんなことするのですか?」
話がひと段落着いたところで私はシュウヤさんを呼び止めた。直接私の関わる業務ではないが、単なる好奇心だ。
「資料の扱いや展示の方法を現場で身に着けることが多いね。俺も滅多に触れない古い書簡の調査とか、仏像の胎内仏を見るためにX線装置にかけたりしたよ」
さすがは東京国立博物館、やってることが本格的だなぁ。X線装置なんて病院でしか見たことないぞ。
「あとは展示のアイデアをプレゼンしたり」
「まるでゼミだな、学生時代を思い出すよ」
近くで聞いていた池田さんも会話に加わる。大学に通ったことの無い私には今ひとつ想像がつかないが、高校とは授業の内容もだいぶ違うんだろうな。
「ええ、大学の単位になりますから。ちゃんとレポートの課題も考えておかないといけませんね」
シュウヤさんの言葉には、いつも以上に力がこもっていた。自分も数年前は同じ実習生だった身、後進たちのことを考えると先輩としてやる気も出てくるものなのだろう。
9月はあっという間に訪れた。夏休みが終わって子供の来館者はぐっと減り、以前と同じく館内がしんと静まり返る時間が大半を占める。
今一盛り上がらないまま終わってしまった夏休みだが、それでも普段に比べればお客さんは多かったのだ。
しかしお客さんが来ないから休館、なんて融通が利かないのが公営施設だ。いつも通り、私は朝の開館業務のため、事務室を行ったり来たりしていた。
そんな時、ちらりと事務室からつながる会議室に目を向けると、見慣れない顔の女の子が席に座っている。
長い髪を後ろで結び、就活で使うようなスーツ姿は初々しさも感じる。だが黒いパンツとヒールの低いパンプスのおかげで活発な印象をも与える。そんな彼女も机の上の書類を何度も何度も読み返し、そわそわして落ち着かない雰囲気だ。
そう、この女の子こそ今日から博物館実習に参加する大学生なのである。4回生と聞いているので私より2つくらい年上のはずだが、慣れない場に放り出されて緊張しているためか、妙に可愛らしく思えた。
社会人としては私の方が先輩だ。ちょっと意地悪に「ふふっ」と笑いをこぼしながら、私は受付に立った。
不足していたパンフレットを補充し、開館の準備はすべて整った。さて、あとは時間がくるのを待つだけだ……が、ひとつ気になることがある。
「あとひとり、まだ来ないなぁ」
ちらりと腕時計を覗き込んで私は呟いた。
予定では実習生がもうひとり、男子が来るはずなのだが。まだ時間まで5分あるものの、実習初日にギリギリで来るなんて大丈夫かな?
それにここは交通の面でどうも不便だ。市街地からは離れているし、最寄駅からも歩いて来られる距離ではない。駅からバスに乗らないととても来られない場所にある。
ちゃんと書類にバスの時刻と乗り場も案内しておいたはずなんだけど……乗り損ねたりしてないかな?
そんな時、「ポーン」と呼び出しのブザーが響く。ふと見るとまだ作動を切っている自動ドアの外に、背の高い男の人が立っていたのだ。どうやら彼が呼び出しボタンを鳴らしたらしい。
「すみません」
一時的にドアのロックを外して男の人を館内に招き入れる。若く爽やかでありながら、丸い黒ぶち眼鏡とが理知的な雰囲気を醸し出している。背もかなり高く、一目見た印象は最高に近かった。
「博物館実習に参加します、太田と言います」
「お待ちしていました、少々お待ちください」
やっぱり、もうひとりの実習生だったか。私は受付の近くで太田さんを待たせ、事務室に顔を突っ込むと大声でシュウヤさんを呼んだ
「シュウヤさん、来られました」
「おお、来たか」
なかなか来ない実習生の到着にほっとしたのか、安堵の顔を浮かべながらシュウヤさんは駆け寄る。
「太田さんですね、どうぞこちらへ」
そして事務室奥の会議室に案内する。太田さんはにこにこと気持ちの良い笑顔のまま、シュウヤさんの後ろをついていった。
実習なんて不安だったけど、これは思ったよりスムーズにいきそうだ。そう楽観的に考えていた私の耳に、突如あり得ない言葉が飛び込んできたのだ。
「ちっ、男かよ」
……え、今、何か言った?
一瞬で瞳孔が全開になった。すれ違ったのは相変わらず若々しい笑顔の太田さんに、何も気付いていないシュウヤさん。とてもそんなこと言うような人は、ここにはいない。
ただの空耳だよね?
言い知れぬ不安に苛まれながら、私は会議室へと向かう二人の背中を見送った。
不死鳥ミュージアム 閉鎖寸前博物館の来館者10倍計画 悠聡 @yuso0525
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