その4
地獄の門を叩くかのような雷鳴は、まだ止まない。
「でも、僕らは一緒に雨に打たれていたんです。雷雨に。思い出しませんか? 御神木のことを」
「その神社の、その御神木のそばで? 雷が鳴っているのに木のそばにいるなんて、自殺行為よ」
「動けるなら、そうでしょうね。でも、動けなかったら、どうしようもない」
「動けない?」
「思い出しませんか?」
幾郎は、すうっと息を吸った。
そして話し出そうとした瞬間、ひときわ大きな雷が鳴った。
天井の照明がちらつき、いくつもの悲鳴が上がった。
幾郎も彼女も、崩れ落ちそうな足を踏ん張るだけで精一杯だった。
「落ちたんじゃないか?」「このビルですよね?」
周囲のざわめきが、潮のように満ち引きする。
「雷に打たれた御神木それがあなたです」
さらなる雷を落とす神のように、幾郎は一息に言った。
彼女は、酸素不足の金魚のように、しばらく口をぱくぱくさせてから、かすれた声を出した。
「だとして、あなたは?」
「うろに棲んでいたアオダイショウです。落雷で焼け死んだ」
「へえ。だから調べたの」
「違います。記憶は失われていた。戻ったのは、ついさっき、あなたの顔を見た瞬間です」
彼女は、ぱちぱちと忙しなく瞬きをした。
「それは、悲恋の物語なの?」
おそろしく平板な声だった。
「いえ。あなたは雄木だったし、俺も概ね雄だった。しいて言うなら友情ものでしょうか」
「乳銀杏が雄木?」
「気根を出すのは雄木がほとんどなんです」
「キコン?」
「はい。銀杏の木にぶら下がっている、長いこぶみたいなやつです。そういうのを乳銀杏と言うそうで。雄木であろうと、人は、そこに母の姿を見て信仰するんですけどね」
「そう? 概ね雄っていうのは?」
「焼け死んだ後も、戻り続けたからですよ。だけど、長く生きたあなたが去ったから」
幾郎は、ふうっとため息をついた。
「再びまみえようという約束を、果たしに来ただけです。何百、何千回生まれ変わっても、俺は蛇でした。神社の由緒書きには、蛇のこともちゃんと書かれているんですよ。卵を供える習慣もあったそうです。あなたが切り倒されてしまうまで」
「蛇も神様だったの?」
「銀杏と蛇は、御祭神の御使いと書かれていました。まずは子授け、子が生まれてからは乳が出るようにという願掛けに、人は集まったそうです。あの、蛇がうろに棲んでいたから」
幾郎が言い淀むと、彼女は顔を赤くした。
「原始宗教ね。猥雑な」
「まあ、そういうことですね。うろができる前から、銀杏には気根が垂れ下がっていたんでしょうけど。そういう木を乳銀杏と呼ぶ例は、各地にあるようです」
ちょっとの間、二人が黙り込んでいる間に鳴った雷は、確実に遠ざかっていた。
「蛇の一生は、木には一瞬。おまえはときどき黙り込むのだなと言われ言われて、それが生と生の間のことだと気付くのに、何百生もかかりましたよ」
幾郎は小降りになってきた外を見ながら、一人語りのように言った。
「同じ時の流れを生きるものに、生まれ変われるといいなと言ったのは、あなたです。牛でも馬でも、蛇同士でもよかったんでしょう。しかし、一番多く言葉を交わし、それなりの時を生きられるのは人だったから、きっと」
彼女も外を見て、空が明るくなり始めたことに気づいた。
雨宿りの人々は、出入り口の方に移動し始めていた。
「あなたは、雷が怖いのね。だから、口から出まかせのお話をした。偶然ですが、私も雷が苦手です。だから、気を紛らわせて良かったと言っておきます」
歩きながら前方を向いたまま、彼女はそう言った。
「怒ってますか?」
「いいえ」
ゆっくりと出口に近づいていた。
「そうだ。新しい御神木候補たちは、近くの雌
「兄弟木は、御神木ではないのね」
「そうですね。ただの木でしょうね。でも、それはどっちでもいいです。昔出会ったときに、あんたは人だった。覚えてるか? って言ってみますよ」
雨は止んだ。
そのことを確かめて、二人はビルの外に出た。
「じゃあ。馬鹿な話に付き合ってくださって、ありがとうございました」
幾郎は、丁寧に頭を下げた。
そのまま、黙っている彼女に背を向けて立ち去ろうとした。
「あんたなんか、みぃさん」
「せやで、ちどり」
街は雨上がりの匂いがした。
昔、出会ったときに 杜村 @koe-da
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