『ぼくのアイドル』

「じゃあ、ちょっとの間、お願いね。目を離したらダメよ」


ショッピングモールで母から年長組の妹を託された少年は、その小さな手を引いてゲームコーナーへと向かった。母が買い物をしている間、いつもここで時間潰しをしているのだ。もらったのは、わずかなお駄賃。とはいえ、クレーンゲームはすぐに終わってしまうし、動く乗り物は小学五年生としてはもう恥ずかしい。今の少年にとって、ここは退屈な場所だった。一方で、まだ小さい妹はあちこち目移りしながら無邪気にはしゃいでいた。


「今日はあれやる~!」


ぴょんぴょんと跳ねながら彼女が指さしたのは、縦長のモニターが特徴的な女児向けゲーム。急かされながら百円を入れて、隣に座ってプレイを見守る。


「ん~! え~……?」


「ほら、どの曲がいいの」


よく分からずにタッチパネルを叩く妹を見かねて、彼女の希望通りにメニュー画面を操作してやる。初めて見るゲームだが、画面に表示される説明をちゃんと読めば理解は簡単だ。どうやら、音楽に合わせてボタンとタッチパネルを叩いてクリアを目指すリズムゲームのようだった。


「も~わかんない~! おにいちゃんやって~!」


一度ぐずり始めると聞かない性格なのは、兄が一番よく分かっている。席を入れ替え、代わりにプレイを続行する。画面に映っているのは、このゲームの主人公らしい、恐らく自分より年上の女の子。ピンク色のストレートヘアーが目を惹いた。


”カードスキャンで着せかえたら「けってい」をおしてね!”


「カード……」


視線を下ろすと、筐体に据え付けられた三枚のカードがあった。そのうちの一枚をカードリーダーにかざすと、画面の女の子が可愛らしいフリルの付いたスカートを身に付けた。それからドレスに靴と、カードをかざす度に、彼女が綺麗に着飾っていく。なんだかお人形遊びをしているようで、少年はすこし気恥ずかしくなった。


曲が始まると、リズムに合わせて三色のマーカーが画面に流れてきた。


「ほら、赤色の丸がここに来たら、このボタンを押しな」


一色だけを妹に任せ、残りのマーカーを自分が担当する。子供向けのゲームだし、これなら妹が多少いい加減にプレイしてもクリアはできるだろうという算段で、事実それは上手くいった。ただひとつ誤算だったのは、曲が終わる頃には、すっかり少年の胸の鼓動が早くなっていたことだ。


「見てこれ~カード~きれい~! ……おにいちゃん、どうしたん?」


「……うん」


筐体から排出されたカードを嬉しそうに見せびらかす妹に、少年はわずかに頬を上気させて虚ろに答えた。


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(よし、誰もいないな)


慎重に周囲を確認して、少年は筐体に百円を投入した。あれから、彼の行き場の無かったお小遣いの使い道が決まった。ただ、その新しい趣味は周囲に到底理解されないだろうという自覚があったので、知り合いに見つからぬよう、こうしてわざわざ最寄りから一駅先にあるスーパーのゲームコーナーまで遠征をしているのである。


彼は手提げ鞄から少年向けホビー雑誌の付録に付いてきたカードケースを取り出した。その極彩色のドラゴンが描かれたカバーを開くと、中から出てきたカードには、キラキラに光る可愛いドレスが閉じ込められていた。


(これと、このカードの組み合わせならポイント高くて絶対つよい…………あと、似合いそう。ちょっと)


こうして、彼の密かな楽しみは続いた。


そんなある日。


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「へえ、こういうの好きなんだ」


いつものように筐体で遊んでいる最中、突然、背後から浴びせられたその声にびくりとした。たぶん、本当に背中が震えていた。聞き覚えのある女子の声。少年は祈るような思いで振り向いたが、その祈りはどこにも届かなかった。顔を見知った、同じクラスの女子。見られた。少年の思考は、そのわずか数瞬で明日から卒業までの地獄の日々を思い描いていた。青ざめた表情で、何もしゃべれないでいると。


「実はさぁ、私もコレ好きなんだ。かわいいよね~」


「えっ。……えっ。へぇ……」


意外なその言葉に、少年はまともな返答ができなかったが、構わず女子は続けた。


「私も一回やろっかな。隣、座っていい?」


「あっ、うん」


女子が長椅子に腰かけると、お互いの肘が触れた。この曲いいよね、と言いながらボタンを押す彼女だったが、その操作は少年に比べて明らかに拙かった。


「これさあ、クラスで遊んでるの、たぶん私とキミだけだよね」


彼女はプレイを終えると、少年の方へ向き直って言った。


「……うん」


少年のバツの悪そうな顔を見て、女子はいたずらっぽく笑った。


「じゃあ、ふたりだけの秘密だね!」


「う、うん」


「私もよくここに来るんだぁ。また一緒にやろ! ね!」


「う……うん……」


「やった! じゃあ、またね!」


「あっ、カード取り忘れ……」


「別にいいよ! あげる!」


喜び、大きく手を振って去っていく女子とは正反対に、少年の気分は重かった。


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(……やっぱり、遠いなぁ)


賑やかな繁華街。スーツ姿のサラリーマンが入口で一生懸命に太鼓を叩いている脇を通り抜けて、少年はそのゲームセンターへと入店した。わざわざ、さらにもう一駅向こうまで遠征してきたのは、もちろん誰とも鉢合わせしたくなかったからだ。


クレーンゲームやメダルゲームに隠れた奥まった場所に、三台並びの筐体があった。そのうち一台は大人のお姉さんが、もう一台はおじさんが遊んでいる。やはり、ここで遊ぶ子供は少ないようだ。少年は胸をなでおろし、空いている筐体に座った。


(よし、今日は三回やるぞ)


そう思って百円玉を取り出したその時。


「ちょっと! なんでこんなところでやってるのよ!」


聞き覚えのある声に慌てて振り向くと、またしても見覚えのある女子の顔があった。


「一緒にやろって言ったでしょ!」


「え……でも……」


「なんで?」


「……ごめん」


「ごめんじゃなくって!」


「ごめん…………ぼく、一人でやりたいんだ」


「私とじゃ嫌なの?」


「そうじゃなくて、一人で……」


「ああもう分かった! もういい! 私、本当はこんな幼稚なゲームになんて興味ないっての! せっかく私から声かけてやったのにさあ!」


「……ごめん」


「バカ! 覚えときな!」


肩をいからせて店を出ていく彼女に、少年は意味も分からず謝った。彼女が興味のないゲームを始めた理由も、こんな遠くまで後を尾けてきた理由も、その怒りの理由も、今の彼にはまだ理解できなかった。


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翌日。


少年は、改めて昨日のゲームセンターにやって来た。


(やっと遊べる……)


着席し、百円を投入する。集めたカードの中から、昨日、自室で考えに考えたコーデを選ぶ。画面に映る、思っていた通りの可愛らしいアイドルの姿。なんだか、ひさしぶりに落ち着いてプレイできている気がする。


「あっ」


曲が終わると、金色の星が降りてきた。滅多に出ない、最高レアのドレスだ。今日はツイている。そう思ってカードを手にした時。いくつかの視線を感じた。嫌な、視線だ。


「うわ、こいつ、マジで女のゲームやってんじゃん」


「本当にわざわざこんなとこまで来てんのかよ」


クラスの男子たち四人が、周りを取り囲んでいた。昨日の仕返しにと、あの女子が言いふらしたのだ。


(どうして……)


どうして男子が遊んではいけないのか。


どうして好きになってはいけないのか。


分からない。分からないけれど、きっと自分だけが人とは違う。遊ぶ度に感じていた、気恥ずかしさや後ろめたさが、後ろ向きな気持ちを後押しする。人とは違う価値観を貫くには、彼はまだ若すぎた。


「笑える~」


「学校中に言いふらしてやろうぜ」


(………………っ!)


何も言い返せなかった。


言い返す理屈を持っていなかった。


悔しい。ただただ悔しい。


下を向き、歯を食いしばることしかできない。


目頭に、熱いものがこみあげてきた。


「……いい加減にしなさいよ、キミたち」


突然、割って入って来たその声。低く、怒気に満ちている。皆の視線が集まる。そこには、先程まで隣で同じゲームをプレイしていたOLが腕を組んで立っていた。


「私もこのゲームやってるんだけど、何か悪いの?」


「えっ、いや……別に……」


知らない大人に凄まれて、男子の一人がたじろぐ。


「だって、こいつ男だし……」


「は? どっかに女性専用って書いてある? 男子が遊んで何が悪いの。ねえ!」


「いや……あの……」


「ねえ!」


「いや悪くないです全然!」


「それから言っとくけどね、この子は私の親戚なの」


「えっ?」


少年が驚いてOLの顔を見上げた。彼女は、軽く笑い返した。


「私がお願いして、このゲームのカードを集めてもらってるの。……なんか悪いことしてる?」


OLが、さらに男子たちを睨んで責め立てる。


「いえ、悪くないです! ホントに!」


「じゃあ、この子に謝って」


「ええ……」


「謝りなさいっ……!」


「ご、ごめん……なさい」


「からかって悪かった……」


「よし。分かったら、とっとと帰んな」


ようやく解放された男子たちは、駆け足で店を去っていった。


「あの……ありがとうございます」


二人だけになったところで、改めて少年がお礼を言った。


「ねえ、キミ、このゲーム好きなんでしょ。昨日も来てたし」


「……はい」


「じゃあ、堂々とやりなさい。だって、アイツらの『嫌い』より、キミの『好き』の方が強いでしょ?」


「っ…………はい!」


その言葉に根拠は無かったが、少年にとっては救いだった。彼はきっと、歩いている道が正しいかどうかではなく、この道の先にも灯りが照らされているのだということが知りたかったのだ。


「……で、ちょっとお願いがあるんだけど」


「はい?」


「あの……実は私もこのゲームを遊んでるお友達がいなくって。……一緒にふたりプレイ、してくれない?」


そして、その日は少年にとっての新しい道が拓けた日でもあった。


「……はい! ふたりで一緒に!」



-おわり-

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私のアイドル 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA

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