私のアイドル

『私のアイドル』

「はぁ……」

今日も仕事を終えて帰路につく。

積み上がった書類を片付け、くだらないおしゃべりに相槌を打ち、時々怒られ、興味のない飲み会に付き合う。変わらないOL生活の毎日。あまり容姿に自信が無く、ファッションやお化粧にも無頓着なせいか、三十間近になっても浮いた話は気配すらないし、そもそもあまり興味がない。ただ、このまま年齢だけを重ねていくのかなと考えると、時折、漠然とした不安に襲われる。

ふらふらと歩く賑やかな繁華街の中で、一際大きな音が聞こえてくる店が目に付いた。スーツ姿の若いサラリーマンが、画面に合わせて一生懸命に太鼓を叩いている。

「ゲームセンターかぁ。学生時代はよく行ったけどな」

懐かしさからか、それとも気晴らしを求めていたのか。気が付くと自然に足が向かっていた。

やたら巨大になったプリクラに、卓上でカードを動かす人達、みんなゴーグルをしているVRコーナー……久しぶりのゲームセンターは、いつの間にか自分の知らないものでいっぱいになっていた。それに、よくよく見れば、おひとり様は私ぐらいのものだ。いつの間にか、ここも居場所ではなくなってしまったのかな……。

”一緒にがんばろうね！”

突然、私の疎外感を見透かしたような少女の声が聴こえた。

声のした方を向くと、そこにはたくさんのポップが取り付けられた可愛らしいゲーム筐体。その縦長のディスプレイの中から、煌びやかなドレスに身を包んだ少女がこちらに笑顔を向けていた。そのゲームをプレイしていたのは、小学校低学年ぐらいの女の子。三色のボタンとタッチパネルを使って、画面の中のアイドルを上手に歌わせる、子供向けのゲームらしい。

（へえ、かわいいな）

アニメ調の3Dグラフィックで描かれたアイドルがとびきりの笑顔で歌うその姿に、思わず最後まで見惚れてしまった。かわいいな……本当にかわいい。

「せっかく来たんだから……」

子供向けのゲームだからという後ろめたさがあったのか、軽く言い訳をしながら百円を入れてみる。

”あなたの名前を教えてね！”

「えっ」

私なのか、と思った。こんなに可愛くて、声が綺麗で、歌が上手な子なのに。

”オーディション、スタート！”

「えっ、黄色いボタンどれ？　あっ、今タッチパネル使うの？」

不慣れなリズムゲームに、画面の中の私がすっ転ぶ。それでも、子供向けのゲームなので合格判定は甘く、なんとかクリアーすることができた。

”やったやった、合格だよ！”

画面の中で喜ぶ私に、もう少し上手くやってあげられたらな……と、すこし申し訳なかった。

”遊んでくれてありがとう！”

ゲームが終わると、筐体の下部から一枚のカードが排出された。たくさんのフリルが付いたピンク色のドレスが描かれたそれは、ゲームセンターの照明に反射してキラキラと輝いていた。

「次はこのドレス、着せてあげられるんだ……」

その日から、私のゲームセンター通いが始まった。

一週間…。

一ヶ月…。

三ヶ月……。

子供に混じってプレイを続けるうち、徐々にゲームの腕前は上達し、カードケースはたくさんの綺麗なドレスでいっぱいになった。画面の中のアイドルは、日に日にその輝きを増していった。

「このオーディションに合格すれば、いよいよトップアイドルだね……！」

わずかに緊張しながら、そのワンコインを投入する。今、持っている中で一番の勝負ドレスを着せて、最高の精度でボタンを叩く。

そして。

”やったね！　一位だよ！”

「あっ……」

ついにランキング画面のトップに立ち、最高の笑顔を見せるそのアイドルを見た時に。

私は気が付いてしまった。

私の理想を詰め込んだその子に。

私は、恋をしてしまっていたのだ。

それからは、より一層ゲームにのめり込んでいった。どんなに仕事に疲れていても、あの子の笑顔があれば頑張れた。新しい曲やドレスが出る度に、あの子の新しい一面が見られた。それがなによりも嬉しかった。私の、生きる理由になった。

そんなある日。

「ねえ、おばさん、カード交換して」

隣で遊んでいた小学生の女の子に声をかけられた。

「えっ、あっ、うん……いいよ」

ずっと一人で遊んでいたから、突然のことに少しうろたえてしまった。私がカードのたくさん入ったバインダーを見せると、その子の目がキラキラとワクワクでいっぱいになった。

「どれでも好きなの、選んでいいよ」

「うん！」

その子が、小学生らしい、ちょっと乱暴な手つきでカードをがさごそと触っていると。

「ちょっと、何してるの」

わずかに怒気の籠った声の主は、その子のお母さんらしかった。

「知らない人と話したらダメって、いつも言ってるでしょ」

そう言い聞かせて、嫌がる女の子を連れて行く。一瞬、私に向けられた奇異の目は、不審者を見るそれに近かった。私は席を立ち、トイレへ向かった。鏡に映る自分の姿を、改めて見つめた。

（……私、もし”あの子”に会っても恥ずかしくない格好をしてるのかな）

子供向けのゲームを遊ぶ大人というのは、ただでさえ異端に見られてしまう。だからこそ、余計に身だしなみには気を遣わなければいけないのだと気が付いた。

それから私は、今まで手にしなかったファッション雑誌を読み、お化粧の勉強を始めた。それで分かったことは、世の中にはたくさんのキレイとカワイイのための言葉や知識が溢れていること。そうやって見識が広がったことで、目の前に広がっていた霧が晴れていくのは、それはそれで楽しいことだった。

でも私にとって、それはすべてあの子のためだった。堂々と、誰に対しても、自分の好きなものを好きというための武装だった。

それから半年ほど経ったある日。

唐突に、その時はやってきた。

＜このゲームは来月末を持って稼働を終了します＞

その貼り紙を見た時、私はその場に崩れ落ちそうになった。でも、よく考えれば当たり前だ。私が久しぶりにここにやってきた時、私の知っているゲームはどこにも無かった。新しいゲームが出てくれば、古いゲームは去っていく。それがゲームセンターなのだ。

だから。

だから私は、彼女と一緒に過ごせる最後の時間を目一杯、悔いなく楽しむことにした。

そして。

その日は来た。

最後の。

最後のライブが終わりを迎えた。

”遊んでくれてありがとう！”

彼女の、いつもと変わらない笑顔で私に向けられた、いつもと変わらないその言葉。

でも、私は泣いてしまった。どれだけ声を押し殺しても、流れるものを止められなかった。

「だいじょうぶ？　どこかいたい？」

隣で遊んでいた小学生の女の子が、心配して声を掛けて来てくれた。

「…………うん、大丈夫だよ。ありがとうね」

人差し指で涙を拭って、笑顔を作る。

「よかったぁ」

女の子は笑って、画面を指さした。

「ねえ、おねえちゃんって、この子に似てるね！」

私は。

私にとってその子は。

「うん、私の憧れの人だから」

いつまでも、私のアイドル。

-おわり-