自宅のコーヒー

 東京都内某所、私の自宅のキッチンにて。


「違う……」


 私は淹れたばかりのコーヒーを手に、難しい顔をしていた。

 世間は外出自粛の真っ最中、お店も休業中のところがあちこちにあって、営業しててもテイクアウトだけだったり、店内の飲食スペースはお休みだったり。

 だもんだから私は、最近はもっぱら家でコーヒーを飲んでいた。

 会社に持って行く用に買っていたドリップバッグはまだまだある。これを使っていつもしているように淹れてもいいんだけれど、最近はドリッパーとペーパーフィルターを使って、豆を手で入れてコーヒーを淹れている。


「豆を買ってみたはいいけれど……なんか違うんだよなぁ、自分で淹れると」


 そう零しながら、あんまり上手く淹れられなかった一杯をぐっと飲み干す私だ。

 きっかけは、ここのところの外出自粛で客足が遠のいている、行きつけのコーヒー屋さんが豆の通販を始めたことだった。

 推し店が苦しんでいる! 私も推し店のコーヒーに飢えている! と勢いのあまり、挽いて粉にしたブラジル産のスペシャリティコーヒーを二百グラムお買い上げ。ドリッパーとペーパーフィルター、淹れたコーヒーを入れる用のポットは近所のスーパーや百円ショップで揃えた。最近は百円で大概のものが買えるから便利。

 で、いざハンドドリップにチャレンジ、とやってみたわけなんだけれど……お店で観察した淹れ方をなぞろうにも、お店が使っているドリップポットなんて私の家には無いし、そもそもコーヒーを淹れるプロの技に、素人の自分が近づこうなんて無茶なわけで。

 だものだから私は、「美味しいけれどなんか違う」コーヒーを量産していた。


「淹れ方をチェックしようにも、同じ器具はないしなぁ……やっぱり買った方がいいのかなぁ、細口のポットとコーヒーミル」


 せめて器具だけでも揃えようか、とも思ったりしたが、私は一人暮らし、買ったところで置き場所をどうするか悩むことになるのは間違いない。

 そもそも、今使っている電気ポットもまだまだ使えるのだ。コーヒーだって挽いて粉にしたものが手元にあるのに、ミルを買ってもどうしようもない。

 すぐに現実に立ち返って、私はふっと息を吐いた。


「……うん、まぁいいや、無いものねだりしても仕方ない。もう一回やってみよう」


 気を取り直して、私はもう一度やってみることにした。素人が本職の腕に近づくためには、練習あるのみ。プロだって最初はうまく出来なかったに違いないのだ。

 先程淹れた一杯分の出がらしをゴミ箱に放り込んで、新しいフィルターをセット。そこに一杯分、およそ十グラムのコーヒーの粉を入れる。百円ショップで購入したミルクパン型の計量スプーン、大さじ一杯がちょうどコーヒー十グラムになって、使い勝手がいい。

 電気ポットでお湯をもう一度沸かし、均したコーヒーの粉の上に、そっと、そっとお湯を垂らしていく。


「えーと。まずは少量垂らして蒸らし……ここでじっくり蒸らした方が、濃く出るんだったっけ」


 友人に連れられて何度か行った神保町の有名喫茶店、そこが公開していた動画で説明していた美味しいコーヒーの淹れ方を思い出しながら、じっくりと待つ。お湯が落ち切ったらまた少量垂らし、蒸らしてを繰り返す。

 曰く、ここでじっくり蒸らせば蒸らすほどコーヒーの味が鮮明に出て、豆の特徴がはっきりと出るコーヒーになるんだそうだ。中煎りや深煎りのコーヒーは長く丁寧に蒸らした方が苦味と風味が出て美味しいが、浅煎りだとこの淹れ方では酸味が立つので、蒸らさずにサッと淹れた方がいいらしい。

 私は酸味が強いコーヒーがそんなに好きではなく、今使っている豆も中深煎りでお願いしたので、じっくり蒸らすようにしている。

 三度ほど蒸らしを繰り返したら、徐々にお湯の量を増やして抽出していく。その際、なるべくペーパーフィルターにお湯が当たらないように注意する必要があるが、普通の電気ケトルだとこれが結構、難しい。

 なかなか狙ったところにお湯が落とせないし、そもそも豆の量が多くないからポイントが狭い。やっぱり買った方がいいかなぁ、細口のドリップポット。


「こんなもんかな……うーん、『コーヒーを一杯分だけ淹れるのは難しい』って、本当だなぁ……でも一杯分淹れないと美味しくないんだもんなぁ……」


 そう零しながら、お湯を注いでしばし待つ。ドリッパーの下からポツポツと抽出されたコーヒーが落ちていくのを、見るだけでも楽しかったりする。

 ドリップバッグを使った淹れ方では、出来ない楽しみだ。これがハンドドリップのいいところかもしれない。

 やがて、ドリッパーから落ちる雫が止まって、マグカップの中は黒褐色の液体で八割方満たされた。頃合いだろう、ドリッパーを外す。


「よーし……さてと」


 そうして、そうっとマグカップに口を付けて、コーヒーを飲み込むと。


「お……」


 じわっと広がる苦味に、ほんのり奥から上ってくる酸味が舌の上で弾けた。鼻に抜ける香りも、香ばしくて甘くて、悪くない。

 だいぶ、イメージ通りのコーヒーが淹れられたのではないだろうか。


「うん、今回はいいかも。上手くいった」


 うまくいったことに安堵しつつ、笑みをこぼす私だ。自分の手で淹れた、至福の一杯を楽しみながら、考えるのはコーヒーを飲みながら楽しむ甘いもの。


「ホットケーキミックスあったっけ……スコーンでも焼きたいなぁ。優雅なコーヒータイムしたーい」


 自宅の粉もの置き場に目的のものがあったか思い出しながら、私は部屋の天井を見上げる。

 このところの自粛続きで、ホットケーキミックスが何故か品切れ続きなのだ。なんでさ本当に。

 とりあえずあったらそれを使って、無かったらまぁ、小麦粉はあるし他の物を作れば何とか出来るだろう。

 優雅なコーヒータイムを理想のものにするべく、私は粉ものを入れている戸棚を開けた。

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一日の始まりは一杯のコーヒーから 八百十三 @HarutoK

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