ファストフード店のコーヒー

「おっ」


 仕事帰り、飲み会帰り。

 居酒屋の前で解散し、駅に向かう途中の私は、スマホに入れていたクーポンアプリを立ち上げて、小さな声を上げた。

 某大手ファストフード店のクーポンアプリに、コーヒーの割引クーポンが出ているのだ。Mサイズ150円が、50円割り引いて100円。

 思わず、酒が入ってテンションの上がった心の中でガッツポーズを決める。酒を飲んだ後はやはりコーヒーに限る。それもこんな風に、しこたま酒を飲んで面白くも無い話をたっぷり聞いた後は。

 私は努めて冷静を装って、しかし早足になりながら、すたすたと駅までの道を歩く。目的のファストフード店は駅の前、帰り道の道中にある。焦ることは何にもないのだ。

 そうして程なくすれば、私の目の前に映る四角くて色鮮やかな看板。夜の9時という時間であっても、それは煌々と輝いている。

 私は手元のスマホにクーポン画面を表示した状態で、店の自動ドアを潜った。まっすぐに注文カウンターへ。時間が時間なので待っている人の姿はなかった。


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

「こちらのクーポンを利用で、ホットコーヒーでお願いします」


 応対してくれた、ファストフード店の制服に身を包んだ女性店員へと、私はクーポンの画面を見せる。

 クーポン画面を見て、クーポンの番号を見て、レジに打ち込んだ女性がすぐに私へと視線を向けた。


「ホットコーヒー、Mサイズですね。他にご注文はございますか?」

「いえ、大丈夫です」

「お砂糖とミルクはご利用ですか?」

「どちらも要りません」


 淡々と、簡潔に答えていく。

 心遣いとかは最低限でいいし、座席がふかふかで座り心地がよくなくてもいいし、そこまでのサービスを求める必要のないファストフード店であるからこそ、それ相応にシンプルな受け答えになるのは、どうしてもある気がする。

 まぁそうは言っても、店員のサービス精神が旺盛なファストフード店だってあるし、座席の座り心地のいい店だって結構あるし、コンセントや無料のWi-Fiが備わっていて長時間座っていられる、カフェみたいに使えるお店もあるし。

 ここについては色々と個人差・店舗差があるとは思う。

 だが、それでも。


「かしこまりました、100円になります。こちらからお渡しいたします」

「ありがとうございます」


 礼の言葉は忘れずに。私はどこのお店に行くのでも、そこは大事にしていた。

 ありがとう、と一言言うことで、店員の側がいい気持ちになるのであれば、言った方がいいと思っている。店員だって人間だもの、気持ちよく仕事をしたいだろうし、気持ちよく仕事をしてほしいではないか。

 Mサイズのちょっと大ぶりの紙コップに、コーヒーマシンで予め作っておいて温めていたポットからコーヒーが注がれる。SサイズとMサイズの違いなんてそんなに大したものではないが、それでも一回りくらい大きなカップにコーヒーが注がれると、ちょっと贅沢をした気分になる。気分だけ。

 プラスチック製の蓋を被せれば完成、そうして出来上がったホットコーヒーが、カウンター前で待つ私の前へ運ばれてくる。


「お待たせいたしました、ホットコーヒーでございます。お熱いので気を付けてお持ちください」

「ありがとうございます」


 店員がカウンターの上に置いた紙コップを片手で受け取り、私は軽く頭を下げて踵を返した。このまま店内に行くこともできるが、今日はそういう気分ではない。コーヒー片手にとっとと帰ることを選択した。

 店員から注意の言葉があったように、コーヒーで満たされた紙コップはなかなかに熱い。カフェであれば紙製のスリーブを重ねることもあるのだが、ファストフード店にそれを求めるのは酷だろう。

 そもそもの話、夜の9時ですらちょっと蒸しっとして暑いのに、そんな時に熱々のホットコーヒーを飲むなんて変人、そうそういるはずもない。

 私は交差点で信号待ちをしながら、買ったばかりのコーヒーにかぶせられた蓋を開ける。ポコンと穴に填め込んで、ずっと吸い込んだ。苦味と酸味のちょっと強いコーヒーが、私の口の中に流れ込んでくる。

 この、高級な感じはしないけれど、安っぽい感じでもない、ほどほどラインのまぁそれなりに美味しいコーヒーを、ワンコインで飲めるというのが、実に有り難い。大手のファストフード店だから大体どこでも飲めるというのがさらにいい。

 この手の需要は今ではコンビニが満たしている部分が大きいと思うが、ファストフード店はそれを店内のスペースで飲めるというのが強いと思う。座席にゆっくり居つくことが出来るなら猶更だ。


「はーっ……さて、帰ったら久しぶりにあれ、やろうかな」


 家に帰宅した後のことを考えながら、私はもう一度コーヒーに口をつける。

 お酒に酔ってふわふわした頭が冴え渡るのを感じながら、私は青に変わった信号をまっすぐ見据えて、横断歩道へと一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る