秘剣考察。

「――やはり、明国の戈術というのが気にかかるな。それから『八寸』という尺の長さも糸口になる気がする」


 一寸は現在の縮尺にすればおよそ三センチメートルであるから、八寸ならば、だいたい二十四センチメートルの見積もりになる。

「ひょっとすると、八寸というのは源信斎の刀の柄の長さのことではないか? つまり、まず両拳をこのように柄を鍔近くで握り、刀を払うと同時に

 荒木は言いながら、正木坂道場から持ち寄った竹刀でその動きを実演してみせた。

「そうすると、てのひらうちで柄を槍術や戈術と似た技法で滑らせることができる。ゆえに、敵方から見れば太刀先が延びたように見えるわけだ」

「……」

 荒木は竹刀を振るい、その手から竹刀がすっぽ抜ける寸前で竹刀を強く摑んだ。

「そうして、刀を落とさぬよう柄の頭で握り直す。柄の長さが八寸なら、ちょうど刀が八寸延びるという寸法だ」

 荒木は竹刀を置いた。

「そうだな、私も最初にその手を考えた」

 十兵衛が首肯く。

「ついで言えば、八寸を柄の長さだと考えるなら、いま一つ考えられる解釈がある。つまり、刀身が乳切木のように柄の中に収納されていて、刀を振るうと同時に尋常の刀で言うところの『なかご』の部位が飛び出すという仕掛けだ」

 乳切木は正しくは契木と書き、樫で作られた棒に鉄製の石突と鎖分銅がついた武具である。鎖は棒の中に作られた空洞に収まっていて振り出し式になっており、このような形状になっている乳切木を振杖ふりつえと呼ぶ。

 もともとは天秤などに使われた民具で、ほぼ胸の高さに達する長さであることから「乳切木」と称されるようになった。

「刀身を柄の長さの八寸まで収納できるとすると、刀を振るった時に飛び出す長さもまた八寸ということになるわけだな」

 乳切木は中国のれんから変化したもので、朝鮮出兵の際に戦利品として多くの乳切木が日本に持ち帰られ、独自の武術に発展した。

 小笠原源信斎もまた、このような奇妙な仕掛け武器を用いた秘剣を編み出したのではないであろうか、というのが十兵衛の主張であった。

「だが、間合を八寸延ばすには、なにも刀を八寸延ばす方法ばかりとは限らない」

 十兵衛が言った。

「ところで兵庫殿に会いに尾張を訪れたときのことだったが、そのときそこで尾張藩に仕えているという明国の陳元贇ちんげんぴんの武芸上覧を見学したことがあった」

「ほう、陳元贇の武術を見たか!」

 荒木は興奮したように言った。

 明に生まれた陳元贇は、三十代で海を渡って来日し、寛永四年に尾張大納言義直に拝謁したのをきっかけに日本に帰化して、その武術も巷間に評判高かった。

 この当時、二七〇年もの歴史を誇った明王朝はその末期に差し掛かっており、彼のように国乱から逃れて日本へと亡命する唐人はそう珍しいものではなかった。

 あるいは一度明に渡った源信斎が日本へ帰国したのも、こうした大陸の情勢不安によるものかもしれない。

「私が見た陳元贇の武術は、非常に激しい動きを伴うものだった。この国の兵法では、あれほどまでの激しい動きをするのは珍しい」

 受け、破り、飛び違え、外し、種々の才覚、意識、智恵を取り出して七転八倒し、俄かに当分の難儀を遁れんとする。

 一般に日本武術を「静」の武術とするなら、さしずめ中国武術は「動」の武術ということができるであろう。

 十兵衛の推理は、小笠原源信斎の秘剣とはこうした激しい動きによって八寸の間合を一気に詰める足運びの技ではないかというものだった。


「刀剣を延ばして八寸を詰めるのか、それとも身体そのものを動かすか……」

 十兵衛は考え込む。

「少々突飛だが、腕の関節を外すという手も考えられるぞ。伊賀にもそういう術がある。もっとも、それで八寸も延びるかといえば心許ないがな」

 荒木の発想はいかにも伊賀の忍びらしい。

「もしくは、俺の我流・新陰流をお前が破った時のように、刀を相手に投げつけるというのはどうだ?」

「アレは流石にないだろう。その一撃を避けられたら、こちらはみすみす得物を失うことになるのだからな。だいいち八寸の延矩を用いた小笠原源信斎は、名だたる武芸者と試合をして連戦不敗だったという話だろう」

 十兵衛は呆れ顔で言った。

「源信斎と戦った武芸者の悉くが、あんな単純な手で倒されるような輩ばかりだったとは思えないからな」

「おい待て、いったいそれはどういう意味だ?」

 荒木が十兵衛に詰め寄る。

「そう怒るな。なにしろ新陰開祖の上泉伊勢守でさえ源信斎には勝てぬだろうと言われているのだから、これは余程の技と見るのが正しいだろう」

「では、お前の考えるその余程の技というのは何だ?」

「そう言われると苦しいが……」

 十兵衛は考え込む。

「……そうだな、刀身がいわば蛇腹のように分裂する機構になっていて、分裂した刀身がまるで鞭のように変形して八寸ばかり延びる仕掛けというのはどうだ?」

「なんだそれは。そんな妙な思いつきより、俺は八寸の延矩とは人間の視界の盲点を巧みに衝いた技ではないかと思うぞ……」

「いや、ひょっとすると、これは一種の気合術のような……?」

 と、段々と議論が行き詰ってきたのか、十兵衛と荒木の考察は徐々に苦し紛れで非現実性を帯びたものになってきたようだった。

 やがて、業を煮やしたらしい荒木は嘆息して首を振った。


「……よそう、こうして二人して話していてわかるものでもない」


 荒木は仰向けにごろりと河原に寝転がった。

「源信斎の秘剣か……十兵衛、駄目許で訊いてみるが、お前の柳生新陰流には真新陰流のような必殺剣はないのか?」

 十兵衛は溜息を吐いた。

「そんなものがないことは、お前とてよくよく知っていることだろう。新陰流は秘剣だとか魔剣だとかいった外連けれんを嫌う。親父殿むねのりに言わせれば、他流にいう秘蔵の剣などというものは所詮は兵法の迷いに他ならない。たとえ叡山の法師卜伝の一つの太刀といえど、秘蔵の剣などというものを一つ頼みにしたところで、いざ立ち合いに臨んだ際に打太刀が定められた通りの動きをせねばどうにもならぬからな」

「……」

「俺の爺さまが上泉伊勢守に披露した無刀取りにしてもそうだ。世の人間は真剣白刃取りなどと称して無刀取りをなにか劇的な技のように勘違いしているようだが、実際はそのような派手な技ではないし、況してや天狗との立ち合いで生まれた摩利支天の技などではない。その実態は単なる近接格闘やわらの術に過ぎんのだ。そんなものを後生大事にするより、新陰流の基礎の動きを自在のものとし、無病の境地たる水月の位に至るほうが余程肝要だ」

「だが、それは源信斎の真新陰流とて同じことではないか? 源信斎の兵法にしてもその源流は、柳生流と同じ上泉伊勢守の兵法に他ならぬのだとすれば、源信斎が新陰流で邪道とされる外連の秘剣を遣うのはおかしいではないか」

「……うむ、それも腑に落ちない点のひとつだ」

 十兵衛が唸った。

「だが、源信斎の秘剣によって多くの名のある武芸者が斃されている。これもまたまた事実まことのことだ。然るに源信斎の秘剣は親父殿が言うような兵法上の迷いなどでは此れなく、正真正銘、本物の必殺剣ということだな」

「ううむ……」

 荒木は考え込んだ。

 いずれにせよ、その秘剣の正体を掴めなければ十兵衛は何の対処もできない。

「……しかし、ともかく、八寸の延矩というからには、その剣は八寸延びるのだろう。これだけは間違いがないはずだ。こうなれば十兵衛、少々心許ないが、彼奴が怪しげな所作をした際に、即座に八寸の間合を余分に取るしか法はないぞ」

 十兵衛は眉を上げた。

「兎にも角にも、八寸の間合さえ取れば源信斎の魔剣からは逃れられるのだからな。この際、秘剣の正体は判らずとも、その対処さえすれば問題はあるまいて」

 荒木はそう言って、フンと鼻を鳴らした。

「そんな安直な方法で対処できる秘剣なら、あまたの剣客が対峙して不敗などということがあるはずがないだろう。まったくお前というや……つ……は……?」

 十兵衛はそのまま宙を見つめて黙り込んでしまった。

「……十兵衛?」

 荒木が訊ねても十兵衛はまるで上の空で、大きく見開かれた片目に異様な光が宿っていた。

「十兵衛? おい、どうした十兵衛。呆けたのか?」

「……荒木」

 顔を上げた十兵衛は、満面の笑みを浮かべていた。




「見えたかもしれぬぞ――源信斎の秘剣が」


 空では鷹が、また一声高く鳴いていた。

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柳生十兵衛 秘剣・八寸の延矩 かんにょ @kannyo0628

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