プラネット×プラネット

ユメノ・メイ=B

Act1 月-The Moon-

7月×日

「あなたは月から降ってきたのよ」

今日、お母さんから唐突に言われた。

「そうかもしれない」

私は答えた。頭の中ではお母さんが何を言っているのか、訳が分からなかったが、反射的に出た言葉がそれだった。お母さんがいつものように洗い物をしながら言うので、何となくいつもの会話のように適当に相槌を打とうと脳が働いたのかもしれない。

「十五年前にね、夢を見たの。月から私のお腹に赤ちゃんが降ってくる夢。それであなたを授かったのよ」

お母さんが続けて話した事は昔の偉人の説話とかによくある話だった。お母さんは、多分、何気なく話したのだろうし、いつもの私だったら、「何言ってるの」と笑っているところだったが、その時、私は、何となく、自分の本当の故郷は月で、次の満月の日で私の誕生日でもある一週間後のその日、月から迎えが来るんだなと思った。月齢・八。


 7月〇日

月から迎えが来ると悟ってから、私はこれから一週間、どうするかを考えた。色々と考えてはみたものの、正直しっくりくる事がない。今まで話した事のない人と話してみたり、やった事のない事にも挑戦しようと試みたが、どれも違う。新しい人と付き合おうにも、新しい事に挑戦するにも七日という日数は短すぎる。結局私はいつも通りの日々を過ごす事にした。いつも付き合っている友達と喋って、遊んで、いつも通りの学生生活を送り、家に帰って…。そんな“いつも通り”の日々を残された七日間、この地球で過ごすのだ。私には「特別」よりも「普通」が似合っている。

そういえば、今日、少しだけ月にいた頃の記憶を朧げに思い出した。月での私の名前は「ツキホ」であった事。それだけだけど、地球での私の名前である「月穂」と同じだから、思い出しやすかったのかもしれない。でも「ツキホ」と「月穂」は同じであって同じじゃない。そうだとしたら、「ツキホ」と「月穂」の両方を併せ持っている事を思い出した「私」という存在は何なのだろうか。月齢・九。


7月△日

友達のさーちゃんと話していたら、さーちゃんに、

「なんだか消えていなくなってしまいそう」

と言われた。その時は曖昧な返事しかできなかったが、さーちゃんは保育園の頃からずっと一緒だから、何かを私から感じたのかもしれない。でもさすがに五日後にはいなくなるなんて、「月が本当の故郷」なんて、そんな話、優しいさーちゃんでも信じてくれないだろう。それに、さーちゃんの言った事は強ち間違いではないかもしれない。月から迎えに来ると悟った日から、何となく地に足がついていないような気がする。重力がなくてフワフワと海を漂っている気分だ。もちろん実際に浮いている訳ではないのだが、どこか自分の存在が心許ないものになっていくようだった。そして、「月穂」の存在が心許なくなっていく中で、また一つ、月の事を思い出した。それは私が月を統べる国王の娘であるという事だ。国王の娘である事を思い出したからって特に感慨も何も無かったが、国王の娘であるという事を思い出した事で、「ツキホ」の自分のアイデンティティーが少しだけ確立した気がした。でも、その分「月穂」の自分のアイデンティティーはどんどん消失していく。「ツキホ」の私と、「月穂」の私。そのうちの「月穂」の私が消失しかけている。自分で言うのも何だけど、物事にあまり執着しない私が、この「月穂」の消失が少しだけ寂しいもののように思えた。でも私はこの「月穂」の消失を食い止める術を知らないし、知っていたところで、寂しさを感じながらも食い止めようとはしなかっただろう。それが私なのだ。だから、せめて、残された「月穂」の時間を普通に、平穏に、過ごそうと思う。 月齢十。


 7月□日

同じクラスの篠田くんに告白された。篠田くんはかっこよくてスポーツも出来て優しくて、まさに才色兼備のクラスの人気者だ。言うまでもないが男子には頼りにされていて、女子にはモテモテだ。同じ学年には沢口さんとか秋野さんとか私なんかより美人で性格の良い女の子はたくさんいるのに、篠田くんはどうして私を選んだのだろう。そして、どうして今なのだろう。篠田くんに罪は全く無いのだが、そう思ってしまった。告白されたのはとても嬉しかった。私も少なからず篠田くんに好意を寄せていたし、篠田くんの気持ちを受け入れたかったけれど、もう、遅い。もう遅いのだ。篠田くんが好きになってくれた「月穂」はもう消えかけている。私は「ツキホ」になりつつあるのだ。そんな中途半端な私は最早篠田くんが好きになってくれた私ではないだろうし、もう篠田くんが好きになってくれた私には戻れない。それに私は新しい“特別”を今はもう求めていない。ただ、平穏に過ごしたい。それだけだ。私はうつむいて、

「ごめん」

とだけ言った。篠田くんからの告白を私なんかが断るなんておこがましいにも程があるのだが、それ以上何も言えなかったし、篠田くんの顔を見る事もできなかった。

「そっか」

篠田くんも、たった一言だけ、そう言った。私の聞き間違いでなければ、その声は少し震えていた。気配で篠田くんがその場から去ったとわかってから、

「もう少し、早ければよかったのに」

と私は笑った。

今日思い出した事は、月の住人は孤独を愛するという事だ。だから恋愛も友情もない。結婚はするけれど、あくまで子孫を残すための前儀式で、その相手は親が勝手に決めている。相手には何の感情も持たないし、相手からも何か特別な感情を持たれる事もない。求めもしないし、求められもしないのだ。感情は多少あるけれど、孤独を愛するがゆえに、他社との関わり合いが最小限のため、感情の起伏は乏しい。そう考えると、地球は温かい場所だなと思う。月は、寂しい所だ。だけど「ツキホ」の私が「月穂」の私を半分以上侵食している今、少しずつ「月穂」と一緒に感情が消失していくのがわかった。

私は今、孤独を受け入れる準備をしているのだ。 月齢十一。


 7月♢日

 私がどうして地球に来たのかを思い出した。

 月では、必ず一番初めに生まれた子どもが王位を継ぐ事になっている。性別は関係なく男でも女でも初めに生まれれば王位を継ぐ事になるのだ。私は国王にとって一番初めの娘なので次の王位継承者は私だ。月の住人は基本的に千歳までは生きる。しかし、月の王族というのは平均寿命がもっと長い。千五百歳までは優に生きる。それこそ、時間を持て余すくらいに。そのため、月の王族の先祖はその持て余した時間をどうにかして埋めるために、いわゆる「留学制度」を考え出した。他の星に行き、その星に住まう。その制度が慣例化されて現在にまで至る。星と星を移動すると負荷がかかって、私が月の記憶をさっぱり忘れていたように、星の記憶は無くなってしまう。記憶を忘れてしまうのに、これまでずっと続いてきたのは、月の王族が記憶に頓着しておらず、結局ただの暇つぶしなのだ。

 私も例に漏れず、その長い寿命を消費するために百歳の誕生日に別の星へ「留学」する事になった。本当は木星に行く予定だったのだが、宇宙飛行船にシステムエラーが起き、この地球に転送されたのだ。そしてその転送による急激な負荷により、私は赤ん坊の姿となって地球のお母さんのお腹に“落ちた”。だから私の留学は結局「暇つぶし」どころか「やり直し」になってしまったのだ。月からの迎えは、留学に送り出してから百年後、地球で言う十五年後に来る事になっている。

 思い出したはいいが、この制度は正直馬鹿馬鹿しいと思う。行った先の星で学んだ事も、覚えた事も、やった事も全て忘れてしまうのに。それに私に限って言えば、「暇つぶし」にすらならなかった。月に戻ったとしても私は留学した百歳から変わらないままなのだ。意味なんて何もなかった。

 そう考えると、急に虚無感に襲われた。「ツキホ」が侵食していても、まだ地球で得た感情は少しだけど残っている。嫌だ。忘れたとしてもこの十五年間、「月穂」として生きた時間を完全に無意味なものとして終わりたくはない。平穏で暖かい日常を少しでいいから覚えていたい。地球は月の住人が長くいるには様々な感情で溢れすぎている。孤独に、感情は必要ないのに。 月齢十二。


 7月♤日

 私が地球にいられる時間はあと二日。だんだん孤独を受け入れている事がわかる。孤独が怖くなくて、むしろ愛するようになりつつあった。感覚が月にいた頃の、「ツキホ」に戻りつつあるのだろう。今まで、こんな感覚は無かった。「ツキホ」は元々自分なので気分が悪いとかは無かったが、こんなにもあっさりと侵食されていくものなのかと私は自嘲気味に笑った。今まで私は物事に執着しない人間だと思っていたが、それはその物事が当たり前に“ある”からだと気づいた。その当たり前に“ある”物事が無くなろうとしている今、私は初めてその物事に執着していた事を悟った。「月穂」の私、家族、友達、これから知る事になっていたであろう“愛”という感情、全てに私は無意識に執着していたのだ。「月穂」の私が「忘れたくない」と何度もささやく。でも「ツキホ」の私の侵食を食い止める事はできない。それに「ツキホ」の私だって私なのだ。「忘れたくない」と思うと同時に「戻りたい」とも思った。感情のいらない、人と関わる事のない世界で生きる「ツキホ」の私に。それは多分元の私が「ツキホ」だからだろう。私は結局、どんなにあがいても根本的には「ツキホ」なのだ。 月齢十三。


 7月♧日

 明日に月から迎えが来る。不思議と寂しさは感じない。多分、「月穂」の私は本当にわずかしか残っていないのだろう。今日は色々な場所に行ってみた。「月穂」が過ごしたこの町を最後にもう一度だけ、目に焼き付けようと思った。それが意味のない行為だとしても。学校、公園、商店街……。見まわしてみるとありふれた普通の町だ。「月穂」は消えても、「月穂」がここで日々を過ごしていたという事実は変わらない。全てを回り終えて満足すると、私は「ありがとう」と呟いた。「月穂」を守ってくれて。「月穂」を受け入れてくれて。「月穂」は確かに、この町で、この地球で生きたのだ。 月齢十四。


 7月☆日

 私はこの日記を月に持って行こうと思う。記憶は曖昧なものだからすぐに消えてしまうけど、記録は見つかりさえしなければ永遠に残す事が出来るはずだ。記憶を失ったとしても、これさえあれば、少なくとも「月穂」がいたという証明になるはずだ。

 もうそろそろ時間だ。私は海に行こうと思う。そこで迎えを待つ事にする。そういえば、地球での「月穂」の記憶はどうなるのだろう。「月穂」のお父さんやお母さん、さーちゃん、学校の先生、篠田くん、色んな人。その人達が出会った「月穂」は消えてなくなって、いなかった事になるのだろうか。「月穂」が「いやだ」と言っている気がした。でも私は無力だから、「月穂」は結局消えなければならない。でも「月穂」は“いた”のだ。存在していなかったのではなくて、突然行方不明になるのだ。記憶もろとも。でも、「月穂」に関わった人達が少しでも「何か足りない」と思ってくれればそれでいい。「月穂」の欠片がわずかでもこの地球に残ってくれるのなら、願ってもない事だ。それは「月穂」ではなく、「ツキホ」の最後の願いだ。 月齢十五。



 十三月♯*日

 今日は本を読んだ。城の書庫には暇をつぶすために先祖の代から収集された有り余るほどの本がある。その中に奇妙な本があった。題名の無い薄い本だ。読んでみると、私と同じ名前の少女の話だった。同じ名前であるというだけで親近感を抱いた。初めから中盤にかけては「月穂」という少女が“地球”で楽しそうに過ごした事の記録。しかし突然少女は自分が月から来た存在で、一週間後に月から迎えが来る事に気づき、残された日々を穏やかに過ごす。そして最後に「ツキホ」が消えてなくなってしまう「月穂」の幸せを願って終わるのだ。気づくと涙が流れていた。泣くという行為は生まれて初めての経験だ。どうして胸があんなに苦しくなったのか。この本の主人公が私と同じ名前だからなのか。そういえば、侍女から私が“地球”に留学していたのだと聞いた。じゃあ、あの本は私の記憶なのだろうか。でも、何も思い出せない。あの本に書いてあった事を体験した記憶がない。地球で言う十五年間を過ごしたらしいが、その十五年分の記憶がごっそり消えているため、その本も自分と似た境遇にあった同名の人物の物語のようにしか思えなかった。

 だけど、私はこの「ツキホ」の代わりに消えてしまった「月穂」がどこかに少しでも息づいている事を願わずにはいられなかった。彼女が少しでもどこかに生きているといい。そう願いながら、私は孤独の世界へと帰ろうと思う。





 To be continued.....












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