【番外編2】努力する話。

番外編2は都築と尾張のお話です。




「で、お前は結局俺のこと好きなの?」

「……あ?」

 一瞬だけ顔を上げた。目が合うと、逃げるようにうつむいた。トントン、トントン。広げたプリントに書き綴っていた英文のつま先。さっきまでスラスラと進んでいたはずなのに、ペン先を打ち付ける音が止まらない。あーあ。プリントに黒ごまが増えていく。

 知らなかったけど、俺の幼馴染ってこんなにわかりやすかったんだ。

 視線を感じているのか、再び顔を上げる。むっとした表情。見慣れたそれ。

「馬鹿なこと言ってねーで、課題やれ」

「もう終わったし」

「だったら茶でも入れてこい」

「うわっ、こき使うんだ?」

「じゃあ黙ってろ。せっかくあのうるさいのがいねーんだから」

「加賀見のこと? まだそんなふうに言う」

「あのなぁ。俺が悪かったのはちゃんとわかってるし、謝ったし、許してもらっただろ。そのこととあいつがうるさくて勉強の邪魔しかしてこないのは別の話。追い出したわけでもない。そうだよな?」

「うん、まぁ、その通りだけど」

「だったら無駄口叩くな」

 テストを控え、課題を終わらせながら勉強会を開こうと提案したのは加賀見の周りだった。キラキラと輝くイケメンばっかりよく集まったなぁなんて思うそのメンバーの中に俺と目の前のこいつも入っていて。始まったのはここ、俺と加賀見の寮の部屋だった。

 でもまぁ、二人部屋でやるには人数が多すぎたから、場所を変えようとなって。気付けば加賀見は仲間を連れて出て行っていた。ついていくべきかと思うより先に加賀見が言ったセリフは、じゃあ行ってくる、という溌剌な大声。

 以前なら、有無を言わさず連れ回されていたのに。最近は加賀見といる時間が短い気がする。

 目の前の幼馴染は、どうするんだ、とでも言いたげに俺を睨んでいた。そういう顔、他のやつに向けてたら友達の一人もできなさそうだ。赤みがかった髪は野暮ったく伸ばしているくせに、備わった強面風のイケメンっぷりが映えるだけなのもなんだかなぁ。

「緑茶でいい?」

「ああ。よろしく」

「はいはい」

 席を立ち、簡易キッチンに向かう。幼馴染はため息をこぼして課題を再開した。走り出したペンは英文を生み出していたけど、脇を通ってうつむく横顔を窺ったら髪に隠れた耳が赤く染っているのを見つけてしまった。

 やっぱりこの幼馴染、尾張は俺のことが好きに違いない。


 小さい頃から一緒にいた。俺の家は代々定食屋を経営していて、代々常連なのが尾張一家だった。家同士でとても仲が良く、俺と尾張は家族同然で育てられてきた。兄弟みたいな関係だったと俺は思う。

 小学校は二人で公立校に通っていたから、当然中学校の進学先も公立校になるんだと俺もこいつもそう考えていたのに、お受験、が始まったのは突然だった。

 尾張の家はいわゆる、はみ出し者の親分というやつで、大きな懐は大きな影響力を持っていた。色々な事業をしていたという話も、武勇伝もたくさん聞かされていたが、それは昔の話だと、尾張の親父さんはいつもそう締め括る。近年では、更生を目的に人を受け入れていたと、俺は母から聞いていたし、それは本当なんだろう。今はもうそういう時代じゃねぇからなぁ、なんて言いながら笑っていた尾張の親父さんを、尾張と一緒に少し寂しく眺めていたのも記憶にある。

 昔なら、尾張一家との関わりを後ろ指さされていた実家の定食屋が、いつしか地元でも指折りの美味しいお店に変わっていて。家族ぐるみでの付き合いは変わらず、俺と尾張の仲の良さも歓迎されていたはずなのに。それがどうして、お受験になったのか。


 緑茶を持って戻ると、尾張は伸びをしていた。課題は終わったみたいだ。

「はい、どーぞ」

「サンキュー」

 机に二つ、グラスを置いた。尾張はそれを見て、さらに俺を見た。視線が重なる。そわ、と耳の裏が粟立つ。

「勉強苦手だったのに、よくやってるよね」

「ジジイにやらされただけだ。まぁ、癖つけてもらったのは良かったって思うけど」

 元いた場所に腰を下ろして、ノートを覗いた。規則正しく並ぶ文字。それも全て尾張が言うジジイ、つまり親父さんから受けた教育の一環だ。ジジイなんて呼び方、一応反抗期なんだろうな。身近にいないから反抗できないんだけど。

「テスト対策もやんだろ?」

「うん。そっちはどの教科する?」

「そうだな、現国か、数学」

「じゃあ数学一緒にやろ」

 尾張の問いかけに答えながら、そわ、そわ。なんでかな、落ち着かない。数学の教科書を取り出し、開く。尾張は緑茶をあおった。

「範囲広いよね」

「お前は得意だろ。合わせなくていい」

「教えてあげる。教えるってね、いい復習になるんだ」

「……そうかよ」

 テスト範囲は一学期中の授業全てだ。高校生になると新しい内容が続けざまに降り掛かってくる。得意なのは確かだけど、復習は重要なのだ。

 尾張は数学が得意じゃない。中学校の時のお受験でも算数でつまづいていた。

「わからないとこある?」

「……」

「全部ってわけじゃないでしょ」

「当たり前だ」

「じゃあ、どこ?」

「……ここ、とか」

「ああ、これ難しいやつじゃん。やろう」

 こんな風に勉強するのも久しぶりだ。式を解く沈黙、微かな疑問がペン先に乗り、囁くヒントで次に進む。俺にとっては心地いい時間。

「なんか久しぶりだな」

 問いをひとつ解いた尾張が言った。同じことを考えていたから、すぐに返事ができなかった。

 とくりと、自分でもわかるくらいに、心臓が打った。

「お前と膝突き合わせて、いつぶりだ?」

「そうだなぁ。高校受験はなかったし、中学の時はもうさ、親父さんの家庭教師いっぱいいたよね」

「あれは家庭教師なんてもんじゃなかった」

「あはは!」

 さっき言ってた、癖。勉強する癖ってことだけど、お受験が大変だった尾張は入学が決まったあとも家でめいいっぱい勉強させられたみたいだった。俺は勉強が嫌いじゃなかったから、尾張の家にお邪魔して一緒に机を並べていても苦じゃなかったわけだけど、俺が帰ったあとも学校の高い水準についていくため相当厳しかったらしい。

 当時のことを思い出すと、尾張の周りは人で溢れていた。様々な事情を抱えて、尾張家を頼った人たち。尾張の親父さんはそれらにできるだけ応えていた。


 元々、お受験を決めたのは尾張の親父さんだった。尾張家を頼る様々な事情の中にはシングルマザー、シングルファーザーで働きに出たいと願う人も少なくなかった。だが、子育てとの両立は厳しい。

 尾張の親父さんはそういった子供を通わせる学校に寮があるここを選んだ。有名な私立。授業の質も高く、卒業後の生徒たちの進路も悪くない。なおかつ、学費についていろいろ免除できる条件があるらしい。尾張の家は元々学校に援助をしていたから、そういったことにも詳しかった。ちなみに女の子は系列の女子校に進んでいる。

 だからこの学校には尾張を慕う人がいて、まぁ、あんなことが出来ちゃったわけなんだけど。

 尾張自身がここに進学するつもりがなかったのは確かだ。なぜなら、先述した通り、俺と一緒に公立校に進むつもりだったから。

 中学二年の夏休みだったっけ。突然、親父さんがお受験を命じ、尾張は暴れた。それも俺の家、つまり定食屋の中で、だ。もしかしたらあの時すでに、尾張家と都築家の間で密約が交わされていたのかも。


「好きだよな」

「……えっ?」

「数学。そっちに進むのか?」

「え、あ、ああ。どうかな」

 考え事をしていて、尾張の言葉が聞こえてなかった。驚いた。また、とくり。

「実家継ぐのか?」

「いや、兄さんも姉さんもいるからね。姉さんが調理師免許持ってて、兄さんは経済学部卒で、やる気満々」

「だよな。昔っから手伝ってた」

「俺もやってた」

「小遣い目的だろうが」

 ははっ、と柔く笑う尾張のその顔は、残念だけど俯いていてちゃんと見えない。見たい。聴き逃してしまった尾張の声が、今更、惜しい。

「やっぱりさ、好きだよ」

「……あ?」

 ゆらゆらと揺れる尾張のペンを捕まえて、尾張の視線を奪う。もう笑顔はない。そう思ったけど、尾張はまた笑った。

「ああ、そうだろうな。九九覚えるのも早かったし」

「……そっちね」

「どっちだ。……お前、笑ってんじゃねぇ」

「あはは。ごめん、ごめん」

 ペンを離して、その手で頭を搔く。痒くなんてないのに。

 ひと息ついて、話を戻す。目の前にあるノートを埋める数式は、どれも日常生活に必要のないものばかり。でも、俺にとって大事なのは、このノートが埋まっていくこの時間だ。

 跳ねる心臓が、温かな血を送る。熱が上がる。

「俺はまだ進路決めてないよ。勉強は好きだからやってるけど、将来に繋がるかはわからないよね」

「まぁな」

「尾張はどうなの? 親父さんのあと、継ぐ?」

「無理に決まってんだろ、俺なんかに、あんな」

「そんなことないと思うよ。尾張のことみんな慕ってる」

「それはジジイがやってきたことだ。俺は息子ってだけ」

 ペンが再び走り出した。尾張はジジイなんて言い方してるけど、親父さんのこと嫌っているわけじゃない。もしそうだったら、ここまできちんと勉強に向き合っていない。

 そういう真面目なところが、尾張が慕われる理由で、尾張自身の魅力だと思っているけど、本人は七光りにしか感じていないらしい。確かに、尾張の家を頼りたいと近づいてくる人間は多かったから、そう考えるのも無理はないのかな。

「なぁ、ここの式、わかんねーんだけど」

「ん? ああ、それはね」

 ペン先を追って問題文を読む。応用の二つ目。話を拒む、簡単な問い。

 将来なんて何もわからない。でも、俺には一つ確信があるんだ。

 今思えば、その確信を得たのはお受験のときだったのかもしれない。


 受けない。そう断言した尾張を、尾張家と都築家が総出で説得する構図は一言で言えば、壮絶、だった。最初こそ話し合いで解決を見ようと冷静に言葉を交わしていたはずが、繰り言に変わり、苛立ちに変わり、憤怒に変わり、暴言に変わり、地団駄を踏んで駄々をこねるまで至った尾張の姿は、いつも前を歩いて頼りがいのある背中とは真逆の様相だった。親父さんも親父さんでヒートアップし、都築家の父、つまり俺の父さんが止めに入っても収まることなどなく、むしろ巻き込まれ、そりゃあもうすごかった。

 今でも覚えてる。そろそろ椅子でも投げつけそうな勢いだから避難しようかと、母が兄妹を連れて奥にひっこもうとした時、親父さんが俺の名前を呼びながら大きな声で問いかけてきたのだ。

「なあ! 君も行かんか!」

 蚊帳の外で、いつもの親子喧嘩を見ていただけの俺にはあまりに唐突な言葉。

 行くってどこに。ああ、学校のことだ。君、も。それって、尾張と一緒にって意味か。

 泡が弾けるように、親父さんの言葉の意図が目の前で炸裂する。

「はい」

 さも当然のように、俺は答えていた。だって、そうだろ。尾張が行く場所に、俺も行く。ついていく。手を引っ張っていってくれるはずだ。今までがそうだったのだから。

 俺の返事に反応したのは親父さんだった。暴れる尾張を放り出し、豪快に笑った。

「アーッハッハッハ!! 決まりだなぁ! わしの息子よりよっぽど肝が据わってらぁ!」

 放り出された尾張は俺の父さんと一緒に床に転がって唖然としている。

「学費は心配しなくていいぞぉ! ハッハッハ!」

「ちょっ……! 何勝手に決めてんだ親父!」

「文句あっか? ウジウジウジウジ言い訳ばかりしおって! 見てみろ!」

「……ッ」

 尾張の視線が俺に向く。怒りか、羞恥か、とにかく耳まで真っ赤になった尾張は、いつも俺を導いてくれる力強さなどなく、つい笑ってしまった。

 尻もちをついたままのその体に、手を伸ばす。俺はこの時、選んでいた。俺が手を差し出し、尾張はその手を取る。一緒に歩いていく。

 行き先なんか関係ない。隣に尾張がいる未来を、俺は選んでいたんだ。


 だから怒らなかったのかといえば、それはちょっと違うと思う。俺と尾張の関係性は時間が経つにつれて変化していった。

 二人で勉強を始めてお受験をして、受かった中学校。地元の友人がいない新しい環境は、不安を抱かせた。頼れるのは隣にいる尾張だけで、尾張もまた、寄りかかることが出来たのは俺だけだったんだ。

 気付かないうちに、殻にこもっていた。俺も、尾張も。互いを見ているようで、見えていなかった。

 結果として、尾張は俺が新しい友達を作ることに対して邪魔するようになり、俺は尾張の後ろで守られる選択をし続け、形成された歪な友人関係はとうとう決別を迎える。転入生、加賀見によって。

 加賀見に誰よりも執着していたのは、俺だった。

 親友を欲しがったのは他の誰でもない、俺だったんだ。加賀見は俺を見てくれた。尾張が見てくれなくなった俺自身を見てくれた。

 そして与えてくれた。分厚く成長してしまった殻を破るきっかけ。加賀見はきっとそんなことまで考えていなかっただろうけど、怒ってもいいのだ、という台詞は、俺がずっと願っていたこと。

 尾張に俺を見てほしい。


 問題を解く軽快なペンの音が止まっていたことに全く気づかなかった俺を、尾張はじっと見つめていた。そのことにも気づいていなかったわけだけど、尾張の優しいため息が教えてくれた。

「もうこんな時間だな」

「ん? あ、ほんとだ」

 携帯を取りだし、待ち受けにある時計を確認する。食堂は授業が終わる頃から閉店時間まで営業を続けているけど、そろそろ夕飯時も過ぎて人も少なくなっているはず。

「どうする、行くか?」

「ちょっと待って、加賀見からメッセージ」

 通知が光っていた。開くと、一言づつのメッセージが二件。

「あいつらも行ってんだろ」

「うーんと、そうみたいだ。いや、もう食べたから戻るって」

「そうか。どうする?」

 尾張は言いながら、じっと俺を見ている。携帯から顔を上げると、その視線とぶつかった。

 久しぶりに膝を突き合わせた。テスト勉強をしていた。ただそれだけの視線だなんて、思えない。

「腹減ってんだろ」

「まぁ、そうだね」

「加賀見たちが戻ってくるの待つか?」

「……」

「それとも」

「ああ!」

「なっなんだよいきなり!」

 尾張から寄せられる言葉に、そのひとつひとつにとくとくと湧く心がある。

 思い出した。

「前はこうだったね」

「はぁ?」

「だからさ、小さい頃。兄弟みたいに一緒にいたのを思い出した。俺のこと、俺の手をいっつも引っ張ってさ」

「それはお前がよく立ち止まって動かなくなるからだろ。目を離したらすぐいなくなる」

「そうそう。ぼーっとすんなってよく怒られた」

「今も集中すると周り見えなくなるしな。さっきだって無視しやがった」

「そうだっけ?」

「自覚ねーのがタチ悪いんだよ。だから……」

 ペンを片付けていた手が止まる。だから。その言葉の続きを、尾張はわかりやすく躊躇った。

「だから、なに?」

「はー。飯行くぞ」

「話題の逸らし方が雑!」

「うっせ。今日の日替わりが何か加賀見に聞け」

「なんでだよっ」

 ばたばたばたっと尾張は広げていたノートや教科書を乱暴にたたみ始める。こぼれ落ちたペンが一本、机の上を転がった。

「尾張!」

「置いてくぞ」

「尾張はそんなことしない」

「……あのなぁ」

 そう言いながら尾張は顔を背けた。鞄からはみ出たノート。半分残った緑茶。芯が出たままのペン。

 ため息を捕まえる。

「しないよね、尾張」

「わかったから、飯行く準備しろよ」

「さっきの続き聞いてから」

「続きもなにも」

「だから、なに?」

 ぎろりと、尾張の鋭い視線が突き刺さる。その頬は赤らんでいて、格好がついていないことに気づいているんだろうか。

 ああ。胸が湧く。ついと口角が上がる。それを見た尾張がまた、眉を顰める。

「だから……。いや、なんつーか」

「そこまで言ってやめるなよ」

「うるせえな。だから、間違ったんだよ」

「間違った?」

 その単語は予想していなかった。尾張の表情が曇る。

「お前は俺の後ろにいてくれるもんだと、思い込んでた」

 尾張は渋い顔をしながらも、続けた。

「守ってるつもりだった。でもそれは、閉じ込めてただけだった。そのことにさえ気付いてなかった。お前が……都築がどんな気持ちなのか知ろうともしないで」

「……加賀見とのこと思い出してる?」

「ああ。だから間違った。お前に怒られてよかった。ずっと間違ったままだったら、何も見えていないままもっと酷いことをしていたかもしれない。加賀見にも感謝してる」

「そうだね、俺もいつか、尾張にひどいことしてたかもしれない」

「それはないんじゃないか? わからないが、そんな気がする」

「そうかなぁ」

 二人の間に苦笑いが渡る。

「俺は、お前が思うような良い奴じゃない。同じように、お前も良い奴じゃない」

「えっひどいな」

「小さい頃から一緒だからって、なんでも知ってるわけじゃねーってことだ。でも、一つ変わんねーことがあるとしたら」

「あるとしたら?」

「俺はお前の隣に居られるよう、努力を続けるべきだってとこだな」

 宣言した尾張は机の上に残っていたペンを取った。苦笑いが、微笑みに変わる。

 ああ、もう。それって、自白じゃないのかよ。

「俺がどうしたいかってやたら聞いてくるのも努力のひとつってわけだ?」

「ん?」

「そこは無自覚なの!? さっきっから、教科なにするかとか、進路のこととか、食堂行くかどうかも、ぜーんぶ俺に聞いてきてたじゃん!」

「……そういやそうだな」

「いちいちときめいてた俺が馬鹿みたい」

「あ?」

 わかってないって顔してる。これ、本当に無自覚みたいだ。

 俺のことを見てくれている。それだけでこんなにも心が湧くってのに。

 尾張の手の中に収まるペンを無理矢理奪い取り、立ち上がる。呆気に取られたその表情を見下ろして、ふん、と鼻を鳴らして見せた。

「俺だって、努力するよ。尾張に、選んでもらえるように」

「あー……頑張れ?」

「言われなくても!」

 もはや、何言っても伝わらない気がする。俺はもうとっくの昔に、尾張を選んでいるんだけど。そんなこと気づきやしない。

 俺が差し出したペンを受け取りつつ、尾張も立ち上がった。なんだか悔しくて、鞄を持ち直す尾張を置いてさっさと部屋を出ることにした。食堂へ行くのに、財布があればそれでいい。

 自分でもわかるくらい、どすどすと足音を立てながら出口に向かう。

 そんな俺の背中を、尾張がどんな顔で見ていたかなんて知らないまま。


「結局、あいつが俺のこと好きなんじゃねーか」

 こぼれる惚気を聞く者はない。


 尾張の浮かれた笑声に俺は振り返らなかった。

 そんな俺たちの意地の張り合いが終わるのは、いつになることやら。

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非王道主人公の周りで起きるトラブルをこっそり解決する話 あくた @kaiko1020

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