雨鏡

安良巻祐介

 


 雨の日、自宅で熱いコーヒーを入れて自分の部屋で飲んでいたら、窓の外に人影が立っている。

 叩きつける雨粒で歪んだ硝子の向こう、それは片手に何かを持って、じっとこちらを見つめているらしい。

 土砂降りの音のせいで、無言なのかどうかもわからないが、気味が悪いのでカーテンを閉めようと立ち上がったら、人影が片手に持っているものが、小ぶりのコップであることに気が付く。

 その瞬間、人影は、ゆっくりと、コップを持った手を上へと掲げた。

 硝子の面を塗り潰していた土砂降りの雨の音が急に細くなり、窓が透けていく。

 よく見えなかった誰かの姿が、露わになる。

「あ」

 それは、自分自身だった。

 全身ずぶぬれになった自分が、窓の外から、ひどく割れ欠けた古いコップをこちらに掲げている。

 その顔は、能面のように無表情なものであった。

「乾杯」

 はっきりと自分のものだとわかる声が、強弱のない平坦な声で、呟いた。

 鼻先に、濃い香りが届く。

 無意識のうちに、こちらも手の中のコップを掲げていた。

 手元のコーヒーカップの湯気が、いつの間にか、窓を通り抜けて、鏡に映したように、雨に煙るその目の前のずぶ濡れの自分の持つコップの中へと吸い込まれている。

 それに引きずられるようにして、窓辺へと、近づいていく。

 雨の中の自分も、同じように、窓のすぐ前へと近づいてくる。

 ――ああ、「雨の鏡」。

 意味も分からないまま、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 鏡を介して、自分と自分は一つになって、部屋の内からも外からもいなくなる。

 土砂降りの雨音がまた戻って来て、珈琲の香りと共に誰もいなくなった部屋を埋めていく。

 この後に起こることをそうやって見つめながら、私はひどく透明な溜息を一つついた。

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雨鏡 安良巻祐介 @aramaki88

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