磨き

T_K

傷だらけだから輝く

「私なんて、もう死んだ方が良いんだ」



マキは、ビルの屋上に立っていた。


風が強く、フェンスに掴まっていなければ、今にも落ちてしまいそうだ。



「もう傷つきたくない。何で私ばかり」



下を覗き込み、人がいない事を確認する。


いくら死ぬとは言え、流石に人の上に落ちてしまう事は避けたかった。



「これで、楽になれる」



フェンスから手を放す。いつでも飛び降りられる状態だ。


だが、いざ死と直面すると、恐怖で足が動かなくなった。


やっぱり別の方法で死ぬ事にしようか、


そんな考えが過った刹那、風が急に強くなった。


咄嗟にフェンスを掴もうと手を伸ばすが、


手を伸ばした事で却ってバランスが崩れた。



「あぁっ。死にたくない!」



そう思ったのも束の間、身体が宙に舞った。


どうやら足を踏み外してしまった様だ。


せめて楽に死にたいな。そう思い目を瞑る。


目を瞑っても、身体が宙に浮いている感覚は残り続ける。


もうすぐ死ぬんだ。


それにしても、ビルの屋上から地面へは、


意外と時間が掛かるものだとマキは思った。


が、どうもおかしい。何時まで経っても地面につかない。


それどころか、途中からは落ちている感覚すらなかった。


良かった。案外呆気なく、きっと痛みも伴わずに死ねたんだ。


マキはそう考えていた。



「やれやれ、店の前で死なれちゃ困るな。君は俺の店を潰す気か?」



最近の天使は横柄な喋り方をするもんだ。あ、自殺だから悪魔かな。



「何時まで目を閉じているつもりだ?全く、ここで寝られても困るんだが。


仕方ない。店の中で休ませてやるから、暫くしたら出ていってくれよ」



どうやらあの世では悪魔が何かしらのお店を経営しているらしい。


恐る恐る目を開ける。



「あれ、あの世って意外と現実と同じなんだ」


「残念だが、ここはあの世じゃなく、現実だ。そして、ここは俺の店だ」



起き上がって辺りを見回す。どう見ても老舗の喫茶店だ。


不思議な事に傷だらけのコーヒーカップばかりが棚に並んでいる。


カウンターの奥には端正な顔立ちの男が傷だらけのコーヒーカップを磨いていた。



「あの、私、ビルの屋上から飛び降りたはずで」


「あぁ、俺の前に落ちてきた。勘弁してほしいね。店の前で死ぬのは」


「でも、あの高さから落ちたのにどうやって」



男は微笑を浮かべて答えた。



「魔法。と言えば、納得して貰えるかな」



きっと頭の打ち所が悪かったんだ。マキはそう思い始めていた。



「その顔、納得してないな。仕方ない。疲れるからあまりやりたくないんだが。


君のカバンにあるミネラルウォーターを出してくれないか」



男の言われるまま、カバンから水の入ったペットボトルを取り出した。


すると、男は大袈裟に手を動かし始めた。


次の瞬間、ペットボトルの蓋がカタカタ音を立て始める。


驚く暇もなく、蓋は飛んでいき、中から水が飛び出した。


水は空中でいくつかの小さな塊になり、


そこから様々な動物のカタチに変わっていく。


犬や猫、果てはライオンにまで変わっていった。


男が手を叩くと、空中に漂っていた水が、


あっという間に氷へと変わり、手の平に集まっていく。


男はその手をいつの間にか用意していたグラスの上にかざした。


心地良い音を立てながら、グラスに氷が入っていった。


男はそのグラスにコーヒーを注いでいく。



「アイスコーヒーお待ちどう様でした」



マキは呆気に取られていた。



「信じていただけた様でなにより。君は合格だ。


それ飲んで、心を落ち着かせなよ。話は飲み終わってから聞こう」


「あ、はい。有難う」



マキはアイスコーヒーを飲み干し、一息ついていた。



「で、君はどうして死のうと思ったんだい?」



男はグラスを片付けながら話掛けてきた。



「私、子供の時に怪我をして、


顔に傷が残っているのが今もコンプレックスなんです。


色んな人にずっとその傷の事を言われ続けて、からかわれて。


どうせこの顔と傷は変えられないし。整形するお金もないし。


もう生きていくのも嫌になって。それで」


「死んでしまおうと。ま、そんな感じだったらそんな顔になるだろうな」



マキはムッとした。



「あんたみたいな顔立ちの良いヤツに言われたくない!


私の気持ちなんて判らない癖に!」


「どうして人間ってのは、自分で自分の見た目を悪くするんだろうね。


俺には理解出来ない。じゃぁ」



男は手を自分の顔にかざした。



「この顔なら、気持ちが判ると思うのか?」



離した手の奥から覗いたモノは、言葉にし難い、傷だらけのとても醜い顔だった。



「わっ!」


マキは思わず仰け反ってしまった。


「これはあくまで、君が思う一番醜い顔に挿げ替えただけだ。


これで判っただろう?君の考え方は間違っていると。


俺がこの顔なら君はきっとこう思うだろう。この人よりはマシだ。


そもそもこんな顔のヤツに助けられるなんて最低だ、と」



マキには反論する言葉が思いつかなかった。


確かにその通りだろうし、


もし、こんな顔の男が自分を助けのだと思うと、ゾッとする。



「根本的な間違いを心から実感したところで、次のステップだ」



そう言いながら、男はまた自分の顔に手をかざし始めた。



「では、これならどうだろう?」



男が手を退けると、先程と同じ様な顔が再び現れた。


しかし、さっきの様な嫌悪感は不思議となかった。



「さっきとの違いが判るかい?」


「ええと。微妙に変えたか、もしくはちょっと慣れちゃったか」


「残念。顔は一つも変えていない」


「えっ。じゃぁ、やっぱり慣れただけかも」


「そう思うならもう一度さっきの顔に戻してみようか」



同じ様に男は顔を変える。


3回目ともなれば見慣れているはずなのに、やっぱりその顔は悍ましかった。



「話やすい様に元の顔に戻させてもらう。


さて、これで判っただろう?顔の良し悪しなど、そもそも関係しないと」


「でも、それならどうして?同じ顔でもここまで印象が違うなんて」



男はニヤリとした。



「それだ。それが重要。君なら気付いてくれると思ったよ。


同じ醜い物でも、醜さの質が違うんだよ」



すると男は、奧の戸棚から2つの石を取り出した。



「もっと判り易くしようか。


この2つ、全く同じ物だが何かが違う。それが君に判るかな」



男から渡された2つの石は、どこからどう見ても違い過ぎていた。


1つは傷だらけの汚らしい石。


もう1つは光沢を帯び、まるで鏡の様にキラキラしている。



「これが全く同じ物って事自体信じられないくらい違い過ぎます。


からかってるんですか?」


「良いから、1つずつ言葉にしていってくれ。片方の石はどう見える?」


「傷だらけで、色も濁っていて、見ていても楽しくないです」


「じゃぁ、もう片方は?」


「綺麗で、輝いていて、ずっと見ていたいくらいに美しいです」


「そうか。でも、それは単なる勘違いじゃないかな」


「いや、だってどう見たって違う」



(男がマキの言葉を遮る)



「こうしたら、どう見える?」



男は、石を持っているマキの手に、自分の手をほんの一瞬だけかざした。


すると、2つの石は共に輝きを失い、汚らしい石になった。



「2つとも、汚くなった・・・」


「さっきの話を思い返せば判るはずだが?」


「これも、質の違いって事ですか」


「そうだ。見ての通り、


この2つの石はどちらも実は傷だらけだ。だが、こうすると」



そう言いながら男が手をかざすと、2つの石は眩しい程の輝きを放ち始めた。



「わっ!2つとも凄く綺麗になった」


「この2つは、共に傷だらけな事には変わりない。


だが、この醜い傷も、少し変えるだけで、これだけの輝きを放つ様になる。


君には屁理屈に聞こえるかもしれないが、これが物の心理だ。


醜い傷こそ、本当の美しさになる。


そして、それが人間の美しさの本質だと、俺は思っているよ」


「醜い傷が、美しい」


「そう。美しさは傷の集合体なんだよ。例えばこの石もそうだ。


傷が少なければ少ない程、この石は醜く、汚らしいただの石でしかない。


しかし、傷が増えていき、


この石自身が輝こうとすれば、これだけの美しさを誇れるんだ。


俺は人間の美しさも同じだと思っているよ。


傷のない人間なんて、何の美しさもない。


作られた美しさも同じだ。


それは本当の美しさじゃなく、ただのまやかしに過ぎない。


傷つき、傷つけられ、沢山の小さな傷がついて、


それが美しさへと変わっていくんだよ。」


「でも!それはただの理想なだけじゃないですか!」



マキは声を荒げた。



「理想を持って、何か悪い事でもあるのかい?


さっきも言ったが、この石も、石自体が輝こうとしなければ、


君も見た通りただの汚い石にしか過ぎない。


だが、石自体が輝こうとすれば、これだけ綺麗に輝く。


何故人間はそれが出来るのに自分から諦めるのか?


やろうともせず。願おうともせず。


所詮、美しさなど、他人が決めるものだろう。


そんな他人の戯言に、自分の美しさが左右される事自体がバカらしい。


自分を醜いと言う輩の声に耳を傾けても何も得などしない。


いくら、偽善だの、理想だの言われようが、それが美しさの全てだ」



マキは男を真っすぐ見据えた。



「貴方は、私でも美しくなれると、そう言いたいんですか?」


「君がそう思えば、いくらでも美しくなれると俺は確信しているよ。


そもそも、そう思えない人間なら、俺は助けていない。


流石に店の前で死なれるのは困るが、魔法で死に場所なんてどうにでもなるからな。


さて、あまりにも長く話過ぎた。今すぐ決めてくれないか」


「何をですか」


「美しくなるか、死ぬかだ」


「死ぬ!?」


「これからもずっと醜いままのモノを野放しにする程、俺はお人好しではない。


関わってしまった手前、せめてもの気遣いとして安らかに死なせてやる。


言い忘れていたが、君を生かすも殺すも俺次第だ。


本当に美しく生まれ変わりたいと願うなら、君を生かす。


しかし、一欠けらでも迷いがあるなら、俺は君を迷う事なく殺す。


それくらい雑作もない事は、君も良く判っているだろう?」


「私は・・・」


「これからも一生傷つけられ続けるだろう。身体も心も。


その負った傷を輝きや美しさに変えられるのは君だけだ。さぁ、答えを聞こうか」


「私は、もっと美しくなります。例えどれだけ傷つけられても、


その傷をきっと美しさに変えてみせます。この石と同じ様に。


強く美しく輝きます!」


「ははは。どうやら迷いはない様だ。俺が思った通りの人間で良かったよ。


さて、話はこれで終わりだ。俺との約束、忘れるなよ?」


「一度死んだ身ですから。忘れません。絶対に」



目の前が一瞬にして真っ白に、そして一気にその白が黒へと変わっていく。


はっと目が覚めると、マキは地面に倒れ込んでいた。


辺りには通行人だろうか、心配そうにマキを見つめていた。


不思議な事に、ビルの屋上から落ちたにも関わらず、


身体の痛みはなく、どこもケガしていないようだ。


そっと立ち上がり回り、男のお店があった場所に視線を向けるが、


シャッターが降りている上、


そのシャッターにはテナント募集中の張り紙がしてあった。



「夢、だったのかな・・・」



取り囲む人達を掻き分け、マキは家へと歩きだした。


家に辿り着き、鏡を覗き込む。本当にどこにもケガは負っていなかった。


マキの顔には所々に新しいスリ傷が出来ていた。


だが、マキの表情は以前にも増して明るかった。



「この傷から、私の新しい人生が始まるんだ」



顔の傷は見る見る内に治り、以前よりも遥かに美しい肌へと変化していた。


それだけでなく、段々と、マキの顔の傷は美しく輝き始めていた。


時が経つにつれ、まるで人が変わった様に、


誰が見ても美しい顔へと変わっていった。


時折、マキは自分が飛び降りたビルの前へと足を運んだ。


やはりシャッターは降りている。


あの時と変わらず、テナント募集の張り紙が貼られていた。



「有難う」



閉まっているシャッターに向かってそう呟き、マキはその場を後にした。


男はその様子を店内から見つめていた。



「初めの傷だけは魔法を掛けてみたが、あれ程までに変化するとは。


人間ってのは、本当に面白いなぁ」



男は微笑みながら、いつもの様に傷だらけのコーヒーカップを磨いていた。


コーヒーカップは、眩い輝きを放ち始めていた。

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