El Condor Pasa

@yoll

貴方はどこに居ますか?

「必ず、貴方を見つけます」


 私はその言葉を最期に最初の死を受け入れた。


 始まりはきっと何百年も昔。私はあの草原で貴方に恋をした。

 その時の事を今でも昨日の事の様に覚えている。




 青い空の下、急な斜面ばかりの切り立った崖の中に辛うじて存在する草原で狩りを行う貴方は、その陽に焼けた逞しい両腕に石を削りだして作った自慢の穂を差し込んだ鋭い槍を持ち、岩陰で獲物をじっと待ち続けていた。途中何度も強い風が吹き、黄金の輪で束ねられた長い黒髪が頬に纏わり付いても、微動だにせず、ただ黒曜石のような黒い瞳を前に向けていた。


 そこに一匹の野兎が岩だらけの僅かな足場を跳ねて来たのか、崖の下から貴方が身を隠す岩陰の前に姿を現した。

 貴方は槍を掲げたその腕をゆっくりと頭の高さまで持ち上げた。次に体全体を大きくしならせ、引き絞り、ついにはその槍を稲妻の様に放り投げる。


 見事に槍の穂先は深々と野兎に命中し、その腹を貫き地面に縫いとめた。

 それを見た貴方は風の様に駆け出し、野兎を地面に縫いとめる槍を引き抜くとにっこりと微笑んだ。

 


 貴方は狩りの名手だった。その逞しい腕が放つ槍はどんな小さな獲物でも外した事がないのを私は知っている。

 標高の高い、崖ばかりのこの場所は大きな動物も滅多に姿を現さない。目にするのは野兎が精々で、他は時々頭上で大きな翼を広げて滑るように飛んでいくコンドル位なものだった。


 僅かな畑に植えられるのはトウモロコシばかり。彼が狩った小さな野兎一匹でも、命そのものを頂くそれはご馳走だった。


 その時代の私はまだ年若く、手が開けば何時も仲が良い女友達とおしゃべりをしていた。何時の時代も変わらないが、恋の話などには特に花が咲いたものだった。その時にはまだ、恋に恋をするのが楽しいと思っていた。

 だから、突然貴方の妻になることを長老に告げられた時には、それはもう心臓が止まるほど驚いたことを良く覚えている。村の女が皆憧れていた貴方に娶って貰えるとは、正しく青天の霹靂だった。


 私は野兎を左手に掲げた貴方の元に駆け寄った。

 慌てて貴方は右手の槍を左の脇に抱えると、その胸に飛び込んだ私の体を開いた右腕で力強く抱きしめてくれた。


「これで夫婦になれる」


 嬉しそうにそう言った貴方の陽に焼けた逞しい右腕に抱かれ、私はその時ただの憧れが恋に変わったことを知った。

 

 暫くの間そうしていたが、お互い我に返ると駆け足でもと来た道を戻って行く。村の入り口で心配そうに腕を組んで待っている長老に貴方は私と一緒に野兎を掲げた。

 長老は何度も頷くと腰に挿していた鋭い石のナイフを手に持つと、付いて来いと言って祭壇へと向かっていく。それに私達は従った。


 石造りの祭壇が見えてくる。

 長老は祭壇の前で立ち止まると野兎を渡すよう手で示した。貴方は直ぐに手にした野兎を渡す。


 長老は受け取った野兎を祭壇にそっと横たえると、手に持った石のナイフでその腹をゆっくりと切り開いていく。真っ赤な血と臓物がびちゃりと祭壇を赤く染め上げていくなか、滔々と婚姻のための祝言を上げ始めた。


 その途中、長老は野兎の臓物から心臓を丁寧に取り出すと、神が供物を受け取るとされる一段高い平たい石の上に恭しく置く。

 祝言が止んだとき、神の前で貴方は私の夫となった。

 気が付けば、祭壇の周りには村中の人間が集まり私達を祝福してくれていた。


 その夜、私は貴方の逞しい腕に抱かれ、睦言を囁かれ、男を知り、甘い時を過ごした。




 何度も月がその姿を変え、夜に強く吹き付ける風が肌寒さを感じるようになって来た頃、それはやってきた。


 村を病が襲い、次々に村人が死んでいった。

 なす術も無く呆然とする私達は正しく無力だった。


 長老が今際の際に残した言葉。


「神に生贄を捧げよ」


 始めは私よりも若い娘が神に捧げられた。だが、勿論病が止むことなど無いのは今では良く分かっている。でも、そのときの私達は神に祈るしか、神に捧げものを送ることでその慈悲を乞うことしか出来なかった。

 また一人、二人と神に娘が捧げられた。それでも病が治まることは無い。

 何時しか処女の娘が村から姿を消した。


「お前が神に捧げられることになった」


 そう、貴方に告げられた時には不思議と恐怖は感じなかった。神に捧げられることは栄誉有ることであったし、何より神に捧げられたその命は再びその神により甦ると信じていたからだ。


 だから私はその身を神に捧げる直前、神を祭る祭壇の前で、貴方のその黒曜石のような黒い瞳を見つめて、再び廻り逢う誓いを立てた。


 貴方は力強く頷いた。




 次に私が目を覚ました時のことは今でも忘れられない。

 何時ごろの時代であったのかは今でもはっきりとは分からないが、あえて言うとすれば十六、七世紀頃だろうか?


 戦火で崩れ落ちた激しい雨の街中で私はごみを漁っていた。

 ごみを漁っている手はとても小さく至る所が血で滲んでいた。胸元に目をやると煤にまみれて襤褸切れのようになった服を身に纏い、その服の隙間からはあばら骨が浮かび上がっていた。体のあちこちが酷い痛みを訴えていた。


 記憶を取り戻した私は、それまでの私が歩んでいた記憶も持っていた。とても辛い記憶を。


 その時代の私は、今でも信仰する気はない神を信仰する夫婦の下に一人娘として産まれた。家具職人として生計を立てる両親はそれなりに裕福で、年がいってから産まれた私を溺愛していた。

 あの草原では想像することすらできなかった暖かい寝床で眠り、具沢山の温かいスープを腹いっぱいに食べることが出来た。その記憶は間違いなく、幸せに包まれていた。


 だが、私が五歳の誕生日を迎えて直ぐに起きた戦争が、その生活を一瞬にして変えてしまった。


 馬に乗った兵士たちが次々に街に入り込むと食料を徴発し、女を襲い、男を殺していく。街に掛けた火は見る見るうちに広がり、両親は私を逃がそうとして火の手から逃げ遅れ、それに飲まれて目の前で焼け死んだ。


 そうして全てを失った幼い私は一人で暫くの間、激しい雨で鎮火した街の残骸の中で食料を求めてごみを漁っていたと言う訳だった。


 直ぐに限界はやってきた。

 痛む体を眺めてみれば、酷い火傷が至るところに見て取れた。どうやら、火の手からは逃げおおせたようだったが、無傷でと言うわけには行かなかったようだ。


 ごみを漁る小さな手はよく見れば冷たい雨によって強張り、がくがくと震えている。

 堪えきれず水溜りの上に両膝を付くと胃が痙攣し、自然大きく開いた口から胃液が逆流した。


 そのまま、意識が遠くなり私は自分の胃液が混じった冷たい水溜りの上に倒れこんだ。歪んだ水鏡に映る私の髪がくすんだブロンドだったのが何故か印象に残っていた。


 二度目の死は余りにも唐突だった。

 貴方に逢いたいと小さく呟いた。




 三度目に私が目を覚ますと、再び草原に立っていた。


 見渡す限りただ、草原が広がっていた。何処を見ても崖はなく、ただ背の低い草がどこまでも地平線に向かって茂っていた。

 その空にコンドルの姿は見えなかった。


 私は遊牧民のようだった。暦も持たない生活を送っていたため、いつ頃のことなのか全く分からないが、今までの長い経験から察するに恐らく二回目の死からそう時間は経ってはいないだろう。


 夏の宿営地は日差しが強く気温も高いため、テントに入っていないとばててしまう。特に記憶を取り戻した私にとってはこの高い気温が苦手だった。あの、少し肌寒い風が吹く、切り立った崖の上から貴方と一緒に眺める光景が懐かしかった。

 

 白い布製のテントの中でヤギの乳を布袋に入れた後、手にした金属製の包丁で羊の肉を解体しながら、私はぼんやりと藁の上に敷かれたシーツ代わりの布を眺めていた。


 私は結婚をしていた。

 そして、貴方ではない男に抱かれた。

 もう、生きていくことが、出来なかった。


 私は三度目の死を自分の意思で迎えてしまった。

 貴方を探すことも忘れて。

 貴方に、逢いたい。




 それからどれ位私は世界を彷徨っているのだろう。貴方を探して。

 世界を知れば知るほど、貴方のことを遠く感じてしまう。

 情報技術が発展し、インターネットやSNSが世界を簡単に繋げるようになった時代とはいっても、この広い地球の中で貴方に出会える確立は?


 四度目の私から、自ら命を絶つことを禁じた。

 貴方以外の男との一生を過ごした。

 子供も産み、育て、孫に囲まれてその一生を終えることも最近では増えてきた。


 でも、貴方に逢いたい。

 その、黒曜石の瞳に見つめられ、その、逞しい腕でもう一度私を抱きしめて欲しい。

 肉体は汚れてしまっているかもしれないけど、魂は永遠に貴方だけのもの。 




 私のこの告白を何時か貴方が見つけて、返信を返してくれることを祈って。

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