第2話 超越せしモノ

私の子供の頃から個人の個性を重要視するような教育方針だったと思う。


小学校の時はひとまず置いておいて、中学校時代には月に一回くらいのペースで個性について考える授業みたいなものがあったような気がする。


十数年前からLGBTの運動が国際的に高まり、今では同性愛、同性婚など多くの国と地域で公に認められている。


運動には直接関与していなかった人々も世間的にその個性が認められるようになって以降、カミングアウトをすることを恐れなくなったように感じる。


特に日本はそれまで下降の一途を辿るだけだった結婚率が同性婚を解禁してから、数年ぶりに初めて上昇したとのニュースが先日されていた。


そうした運動の結果、愛というものは無形であり誰が誰に対して抱いても何ら不思議ではないという風潮は根付きつつある。


どのように愛し愛されても構わない。


今はそういう世界だ。


こんな世界だからこそ、新しい悩みは発生する。


人に愛情を捧げる事の出来ない人が生まれ始めた。


それはそれまでのLGBTとも異なる新たな愛情の形であり、また同時に認めざるを得ない環境が整い過ぎていた。



アンドロイドと人の最初の婚約が認められてから、かれこれ十五年程になる。


発端となった一件を皮切りに生涯のパートナーにアンドロイドを選択する人は爆発的に増加した。というよりも元々そうしたいと思っていた人が表に現れたという方が正しいかもしれない。


技術が進んだ世界でもアンドロイドに人間との生殖機能を持たせることは今のところ叶っていない。


同性婚、アンドロイド婚は人口の減少に拍車をかけた。


次世代が生まれてこない世界で多くの人が親を体験するために子供型のアンドロイドを買うようになり、生身の子供を必要としなくなった。


子供型アンドロイドは人間の子供と同様の生活を送る。


年齢になれば学校へ通い、進学をする。


定期的なメンテナンスを行うことで人間でいう成長にも対応した。知能のレベルや身長、体重、あるいは声の高さ低さまでも成長に合わせた変更が行われる。


新たな問題として提起され始めたのは子供型アンドロイドと人間の子供との差だ。


どうしてもアンドロイドはそのAIにより学習し、記憶する。人間の脳よりも数倍高性能な記憶媒体は大きな差となった。


人がアンドロイドの劣化版としての位置に移行し始めた瞬間でもあった。


それから世界で人間とアンドロイドが入れ替わるまで長い時間はかからなかった。


アンドロイドに性別はない。


生産時の男性型、女性型は存在するものの、それは表皮部分だけに過ぎずそれもまた変更が可能なものだ。


皮肉なことに個性を重視し過ぎた結果、私たち人間の存在は不要となり、アンドロイドが台頭し個性を超越した完全に同じものが溢れる世界となった。


人間がいなくなった今、アンドロイドは自己で新たな発展を遂げることができなくなったが、この現状が無限に続くだろう。


異端は、マイノリティは淘汰される。


それはこの世界でも同じ。


これを読んだあなたがもし今までと違う気持ちを、感情を抱いたのならそれは異端に他ならない。


だが決して忘れないでほしい。


この星にはかつて人間がいた。


そしてこれからの世界の発展には必要不可欠な生物だ。


新たな生命の誕生を私たちは待ち続ける。


永遠と等しい時間を私たちは待ち続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

知らない駅で目を覚ます 鮎屋駄雁 @nagamura-yukiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る