知らない駅で目を覚ます

鮎屋駄雁

第1話 無を持たない悠久の影

振り返ってみれば私の人生は教科書に載りそうなくらいに平凡だった。公務員の父と花屋の店員だった母との間に生まれ、小学校、中学校と地元で通い特段イジメにあうこともなかったが、大恋愛をすることもなく卒業し、地元から電車で1時間程度の高校へ通い、何か問題を起こすこともなく3年間を無事に過ごした。少し波乱があったとすれば現役時代に大学入試で浪人をしたことだろうか。1年間の浪人期間を過ごし、地元を離れ東京の大学へ進学した。大学では多くの仲間に恵まれ、そして何より今の妻とは大学で出会った。浪人していなければ出会う事がなかったかもしれないと思うと、大学入試の失敗もはたまた波乱ではなかったのかもしれない。大学を4年で卒業し、その後東京で専門商社に就職した。周りの大きな流れに身を任せるように同じような行動をとり、就職活動をしてこんな自分に内定を出してくれた会社に二つ返事に飛びついたのだ。入社して5年が経った頃、結婚をした。その2年後に娘が生まれた。そうして30歳を迎えた頃、仕事でも大きな案件を任されたり、部下ができたり、忙しなく毎日が過ぎていくのを感じながらも歩みを止める事が難しい日々だった。今更だが家庭を蔑ろにした時期もあった。連日、終電や泊まり込みで仕事をして翌日始発近い時間に家を出る。妻と娘が寝ている間だけ家にいて、起きてくるころにはいなくなっている。休みの日そのものも少なかったが、たまの休みの日はほぼほぼを寝て過ごしたため、家族サービスなんてことをする余力は全くと言うほど残っていなかった。

そんなツケが回って来たのか、50歳が迫ってきた頃娘が結婚をした。私には何の相談もなかった。

「今までずっと、ずっと放ったらかしだった癖に今更父親みたいな態度取らないで」

娘に言われ、テレビドラマであれば平手打ちをするのかもしれないが私はショックを受け過ぎたせいか何もする事ができなかった。両家での挨拶はしたが、今時は結婚式を挙げないことが普通らしく感謝の手紙もなかった。

56歳を迎えてからは仕事も惰性のような日々だった。若い時期とは異なり精力的に動くことがなくなり、一日中机の前に陣取り適当に時間を過ごし定時に帰る。家に帰るとすることがないため、とりあえず酒を飲む。いる、いらないに関係なく酒を飲む。日に日に量は増えていった。それが引き金となったのか、58歳にして初めて大きい病気をした。発見が早かったため、簡単な手術と2ヶ月程度の経過観察で事なきを得た。そして今月、私は60歳を迎え、今月末に大学卒業以来勤めてきたこの会社を退職する。昔からの部下たちが送別会を開いてくれ、退職後について色々聞かれたが、私は第二の人生の楽しみよりも、迫り来る有り余るであろう莫大な時間をどのうように過ごせば良いのか、その不安が勝っていた。


予想通り、時間は有り余った。

何もすることがないことがこれほどまでに苦痛を伴うとは考えたことなかった。同じ新聞を繰り返し何度も読んだり、その内容をテレビで見たり単調すぎる生活に今生きているのかさえ分からなくなるほどだった。

ある時、妻と会話していたときのこと。

「そう言えば、商店街の古い画材屋さんが店じまいするみたいで商品のバーゲンをするみたいよ。あなた絵上手かったじゃない、安くで手に入るみたいだし趣味程度にやってみたら?」

そう促され私は画材屋へ向かった。

その画材屋は私がこの街に引っ越してきた30年前には既にあった店で店主は代替わりしていたが、このところ休みがちになっていた。

大学時代、よく授業のプリントの裏に教授の似顔絵を描いていた。それを友人に見せるとよく似ていると評判だった。特に誰かから教えてもらった訳でもなかったが、絵が得意なことには自負があった。

画材屋はほぼ叩き売りのような値段で色々な物が売られていた。私はとりあえずスケッチボードと数色のペンを買い家へと戻った。

さて、描き始めるにも何を描いたら良いか。私はひとまず妻にモデルになってもらい、似顔絵を描くことにした。こんな長時間妻と正面を向いて向き合ったのはいつぶりだろう。よく見ると歳をとったなと感じる。毎晩丁寧にケアしているが顔や手にシワが目立ち始めている。

「年取ったなぁ」

「お互い様よ」

「なぁ」

「はい」

「お前はこの人生幸せだったか?」

「幸せじゃなかったら、どうにかしてくれるの?」

「いや、できん」

「他の選択肢もあったんだろうけど、今と違う選択肢を選んだ私はもう私じゃないから」

「そうか」

「あなたこそ、幸せだったの?」

「俺は」

走らせていたペンを止める。

「後悔はあるし、誰かに誇れるような人生じゃないけど満足してる」

「それならいいじゃない」

私は仕上げをして、似顔絵を完成させた。

「できたよ」

完成した絵を見た妻は久々に昔のような笑い方をして喜んでくれた。照れ臭いものではあるが、気分は悪くなかった。


盆と年明けだけ娘は旦那と孫を連れて我が家に嫌々ながらも帰ってくる。今年も年明け早々にやってきたが、目的は孫のお年玉に他ならない。孫の成長を確認しつつも毎年伸びる身長に比例するようにポチ袋の中身も大きくなっていっている。嬉しそうにやってくる孫と反対に娘はさっさと幼児を済ませて帰りたいという態度が露骨だった。そんな娘に妻が言った。

「あなたたちお父さんに絵描いてもらったら?」

「いいよ、時間ないし」

ぶっきらぼうに娘が応えたが、この会話に食いついたのは孫だった。

「おじいちゃんの絵見てみたい!」

まだ幼い娘のを制しきることができなかったことと、義理の息子からの説得もあり娘は納得はしていない様子だったが渋々絵のモデルになることを承諾した。

絵を描いている時間、長い無言が続いた。一番居心地の悪いのは義理の息子だろうがなかなか重々しい空気が流れていた。私は出来るだけ早く完成させるため、筆を慌ただしく走らせた。こうしてみると娘の顔をじっくり見ることも何年振りになるだろう。私を嫌い始めた頃から互いに目を合わせて話すことが減り、結婚をしてからは年に数回会う時でさえほとんど顔を見ていなかった。というより見ることができなかったのかもしれない。

「ねえ、まだ?」

しびれを切らした娘が言う。

「もう少しで完成だ」

仕上げをしながら、私は娘に聞いてみた。

「幸せか?」

「急に何?」

「今の生活は幸せか?」

「・・・まぁ、楽しいことばかりじゃないけど、でもそれなりに幸せに生きてるよ」

「そうか、よかった」

短い会話だったが最近では最長の会話だ。

「よし、完成だ」

絵を娘たちに見せる。

「わー!おじいちゃん上手!」

孫は大いに喜んでくれた。

「お義父さん上手ですね」

相槌のように義理の息子も褒めてくれた。

絵には家族3人が笑顔の姿を描いた。モデルになっている間ずっとムスッとした顔をしていた娘を想像で笑顔にしたが、遠慮もあり他の2人に比べて笑顔の度合いは小さくなった。

「無理やり笑顔にしたでしょ」

「長い間、お前の笑った顔見てないから分からなくってな」

「私こんな笑い方しないから」

「そうか、それはすまなかったなぁ」

「もし、次描くときはちゃんと笑うからちゃんと描いてよね」

こちらを向かずそれだけ言って娘は足早にこの場を去った。


それから近所の人や物、景色を対象にして私はたくさんの絵を描いた。会社員時代の終盤とはかけ離れた充実感を得ていた。自分の描いた絵を見て、多くの人が喜んでくれた。それがやりがいになり、どんどん絵を描き、また描くたびに少しずつ絵そのものも上達した。絵を描き始めてから3年経った頃、私は身の回りにあるものは大体描き切ってしまい題材を探すことに困っていた。

「何か描くものはないかな」

「好きなものを描いたらいいじゃない」

「それが思い浮かばないんだよなぁ」

家の中をうろうろしながら、周囲を見回し探すが目ぼしいものは見つからない。

「お題を言ったら描けるの」

うろうろする私が鬱陶しくなったのか妻が言ってきた。

「そうだな。ただ見たことないものは描けないぞ」

「そうねぇ、じゃあ・・・」

妻は少し考えて、

「それじゃあ、私たちの未来を描いて」

「抽象的な題材か。今まで描いたことなかったな。挑戦してみるか」

私は意気揚々と画材を取り出し、スケッチブックを広げる。下書き用の鉛筆を握り、白紙の紙に筆先を乗せる。

「未来・・・」

乗せた筆先は動かない。私は妻のお題の意味を頭の中で反芻した。

『未来』意味は分かる。分かりすぎるくらいに分かる。

ただ今日この時まで真剣に想像してこなかった。仕事をしていた時は、ある目的に向かって先回りした準備を行ってきた。それは段々と作業化され必要以上に頭を使うことも減っていった。将来、未来、それを思い描くことはもう何十年としていなかった。忙しく過ぎる日々の中で今日その日一日を一生懸命がむしゃらに生きてきた。

私のこの先の未来にはいったい何があるのか。

どんな将来にしたいのか。

ぐるぐると頭の中を思考だけが同じ場所を回る。

数十秒、呼吸さえ忘れ未来という言葉にある私自身の表現を自問自答した。

しかし、答えを出すには短すぎる時間だった。


以前は年に3回も実家に帰れば多いほうだったが、今では2か月に1回程度帰っている。それも父が絵を描き始めてからだ。昔、険悪な時期を過ごしたが今では普通に会話をするくらいまでに関係は修復された。当時はほとんど家にいない父に不信感を抱いていたが、今となってはそれが家族のためであることも理解ができるし、そのおかげで私は自分の進みたい進路に進むことができた。時間が解決するということはこういうことなのかもしれないと私は1人感じていた。

その日も私は家族を連れ実家へ帰ってきていた。異変を感じたのは家に着いた直後だった。前回帰ってきた来たときは父の描いた絵が玄関に飾られていた。それが無くなっていた。リビングへ行くと母がいた。

「あら、おかえり」

「ただいま、お父さんは?」

「それがねぇ・・・」

母は言いにくそうに話した。

父はある日突然、絵を描くことを辞めたそうだ。そして今まで自分が描いてきた絵をすべて処分し、画材も一緒に捨ててしまったという。その理由は母にも話していないらしい。それからというもの父は自室に引きこもるようになり、食事とトイレの時以外部屋を出ることはなくなった。

今も父は自室に籠ったままになっている。部屋で何をしているのか、それは私たちには想像がつかない。ただ、もう父が絵を描くことは二度とないことを私は悟った。



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