第3話間章
後ろも振り返らずにただただ走る。
肺はずいぶん前から空気を取り入れている気がしなくて、足は鉄の塊でも結び付けられているように重く、じれったい。
それでも止まるわけには行かなかった。
足を止めてしまった者のなれの果てが、そこらじゅうに転がっている。
頭を打ち抜かれ脳髄を吐射物のように撒き散らす者。一発では死ねなくて何人もの兵士に取り囲まれ銃剣で串刺しにされる者。母親だったのだろう女の首を持って泣いていた少女は自分の腹から漏れる内臓を不思議そうに見つめていて、屈強そうな男は四方からの銃撃に人間としての形を失っている。
炎に抱かれ真っ赤に染まるその街は、遠い昔寝物語に聞いた罪人が死後に連れて行かれるという世界の具現のように思えた。
(なんで、なんで……!! 僕は約束を守ったのに……!!)
この街の詳細を教えれば、僕だけは助けてくれるって言ったのに。なんで、なんでこんなことになったのだろう。
答えは薄々わかっている。簡単だ。自分は騙されたのだ。
背後から銃声――振り返ることもなく建物の間に逃げ込む。
ここは建物が密集していて入り組んだ路地になっている。いくら地図があったって、ついさっきやってきた奴等が追ってこられるはずがない。
(早く、逃げなきゃ……!!)
路地を抜ければそこは街の出口の近くだ。このまま街を抜け出してしまえば……
「あは、あはは……」
笑いがこみ上げてきた。
街の出口に通じている橋の前には、一機のUNUが立っていたのだ。
他の機体にはない流線形が目立つ全体のフォルム。白い装甲に銀の縁取り。右腕に長大な長剣[マテリアルソード]。左腕に円形のシールド。シールドの中央に描かれているのは、交差した槍を背景に、馬に乗った乙女が剣を振り上げるセントシルヴィアの紋章。
いっそ神々しいとさえ思えるその機体は、あまり知識のない自分さえ間違えようのない存在だった。
始皇帝の名前を機体に冠するそのUNUは、皇帝専用機――シルヴィア。
完全に心が折れた。拳銃の一つもない自分が、どうやってあの巨人をかわして街の外に出られるだろう?
「あ、ああ……」
膝が折れる。しかし、視線はシルヴィアから外すことが出来ない。
一歩一歩、地響きを響かせながらやってくるのは死神の使い。
赤き瞳を持つ者を、穢れた者を裁く御使い。
(ああ、全部この目が悪いんだ……この赤い目が……!)
一瞬、コクピットへ繋がる頭部の窓からパイロットの顔が……この国を治める神が見えた気がした。
だから……
「あぁああああああああああああああああああ!!」
生まれつき左右の瞳の色が違ったのはきっと、神様が間違ったんだ。
そう自分を鼓舞して、自らを正すように、その行いを見せつけるように、間違いの証――左の赤い瞳を自らの指で押しつぶした。
●
そこは広い部屋だった。
ベージュの壁に赤い絨毯、窓が一つに机と椅子が一組あるだけの寂しい部屋。物が少ないせいで、ただでさえ広い部屋がより広くがらんとして見える……そんな部屋だ。
そこに人影が一つ、机に伏せるようにしてある。
暗い茶の長髪に左眼を覆う黒い眼帯、細身の体には白と銀を基調としたセントシルヴィアの軍服を纏っている。
影の持ち主である男――クリフォード・エヴァレットは、長い睫毛を震わせながら閉じていた瞼を開いた。
胡乱げに右の青い瞳を擦り欠伸を一つ。そのまま大きく伸びをして、
(純血政策決行日の夢かぁ……)
苦笑。我ながら趣味の悪い夢を見るものだ。自分ではもうほとんど気にしていないというのに……そもそも、夢を見るならもっと明るいものが見たかった。
「准将、お目覚めになられましたか?」
と、抑揚のない声と共に扉がノックされた。
クリフォードは苦笑を微笑に変えると、その声に返事を返す。
「あ、うん。入っていいよ」
「失礼します」
入ってきたのは、長い栗色の髪をポニーテールに結わえた女だった。長身痩躯に皺一つないセントシルヴィアの軍服を纏い、金色で切れ長の瞳は真っ直ぐにクリフォードを見つめている。
クリフォードはそんな女に笑みを返した。
「ご苦労様、アリア大尉。でも、居眠りをしていたのが分かっていたのなら起こして欲しかったかなぁ。これでも私は色々忙しいんだけど?」
「忙しいのは重々承知しておりますが、しっかり身体をお休めになるのも職務の一つだと思われます。そして、上官の体調を管理するのも副官の務めかと」
女――アリアは、眉一つ動かさずそう言い切り、さらに言葉を続けた。
「そもそも、准将が多忙なのは上層部の嫌がらせではないのですか? 准将という地位にありながら、正式な部隊一つすら任せてもらえず、UNUのみで編成されたテスト大隊の一指揮官など……私には理解できません」
「まぁまぁ、アリア。何度も言っていると思うけれど、UNU独立大隊の指揮官に志願したのは私の意思だし、上の連中が赤瞳の私を疎むのは当然のことだと思うんだけど?」
暢気なクリフォードの答えに、アリアは無表情ながらも眉を寄せて言った。
「しかし、准将は陛下が唯一お認めになった赤瞳の
「まぁまぁ」
クリフォードは徐々に早口になっていくアリアの言葉を両手を広げて留めると、どうしたもんかなぁ……と溜息一つ。
(その
セントシルヴィアは多種多様な人種が混在する国家だ。そして、多くの人種をまとめるために人種ごとの格付けが行われている。
基本的に生涯その格付けが変わることはないが、極まれに国家に多大なる貢献をする者が現れることがある。そういった人物に与えられるのが
誤った血に生まれし者という意味を持つその称号を得た者は、格付けから外され、その人種では得られない特権をいくつも得ることが出来る。たとえば職業選択の自由、規制されていた施設への入場など。無論、それに伴って生活水準が高くなるのは言うまでもない。
(この国で残ってる赤瞳は私一人って言う話だし、お偉いさんがムキになるのも分からなくはないんだよねぇ……)
問題は、お堅いアリアにコレを言っても納得しないということだ。
(もう何回も言ってるのにねぇ……)
このまま喋っていても会話が進まないことは目に見えているので、クリフォードは意識的に話題を変えることにする。
「そう言えばアリア、君がここに来たってことは調査分隊の選抜が終わったのかい?」
「ええ、終わりはしたのですが……」
アリアは無表情を取り繕うと、わずかに視線を外した。アリアにしては珍しい仕草だ。
思わずクリフォードの顔に嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「何か言いたいことがあるのかな? ん? いいよ、言ってみてよ」
ニマニマしたクリフォードの表情をチラリと見ると、アリアはためらいがちに口を開いた。
「……本当に分隊規模で、ヴァイスベルク突破を慣行させるおつもりなのですか……?」
クリフォードは笑みをさらに深くすると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「本気も本気さ。アリアも今の戦況が好ましくないのは分かっているよね?」
言いつつ、頭の中に大陸の地図を思い浮かべる。
今現在激戦区となっているのは大陸中央の国境付近だ。特に戦闘が激しい場所は大分して三つ。
ヴァイスベルク山脈を避けた進軍路である大陸東部・西部戦線と、ヴァイスベルク山脈の比較的標高の低い位置を通るアルステーデ山道を基点とした中央戦線だ。
陸軍主力のほとんどをUNUに切り替えはじめているセントシルヴィアにとって、標高が高くUNUの暴走を引き起こしかねないヴァイスベルク越えはどうしても行うことが出来ない。他陸戦戦力にしても、大規模な基地や拠点の設営が難しいヴァイスベルクを無理に超えて行けば、補給がままならず嬲り殺されるのが目に見えている。
結果的にセントシルヴィアの主戦場となるのは、UNUの活動が保証される平野部や海岸線――東西戦線に限られてくるのだが、
(中央のアルステーデはアルトベルクにがっちり押さえ込まれてしまってますしねぇ……中央を疎かにするわけにはいかない、と)
実際、東西戦線ではセントシルヴィアがやや優勢ではあるが、国境付近までほぼ直通で進軍を行えるアルステーデを押さえているアルトベルクは、中央戦線でセントシルヴィアを押している。
今は不落と呼ばれるアダレイド中央前線基地によって、国内への侵略は避けられているものの……
(全体的に戦況を見れば拮抗していると言わざるを得ません)
中央に戦力を集中しアルステーデを奪還することも出来なくはないのだろうが、進軍経路の狭いアルステーデを押さえたところで、補給基地から遠いセントシルヴィア軍はそこから先の進軍は望めない。アルステーデが陥落したことを知れば、アルトベルクがその出口に戦線を敷くことが目に見えているからだ。
出口が狭ければそこから出撃することの出来る戦力も限られる。ましてや敵国領内だ、地の利は向こうにあるだろう。そうなれば、より少ない戦力でアルステーデ出口付近を死守させ、残りの戦力を東西の戦線へ送り込まれることになる。まだUNU技術や配備数の少ないアルトベルク相手とはいえ東西の苦戦は必死だ。
中央戦線は現状を維持するより他がない。頼みの航空戦力――爆撃気球でさえまだまだ未発達の上、動く対空砲と言えるUNUが敵国に配備されている以上、深くまで進入させるわけにはいかないのだ。アダレイド防衛のための航空支援がやっとだろう。
考えれば考えるほどこの二次大戦は、初期に決着出来なかったのが痛い。
奇襲と本格的なUNU投入により、全ての戦場で主権を握っていた二次大戦初期。
アルトベルクに早期のUNUの導入を実現させ、アルステーデの奪還を果たし、アルステーデを抜けた平野へ広大な布陣を敷いた上で、現在の戦況を作り上げた敵将――ツェーザル・ベルネットの手腕こそが見事だったとはいえ、勝機を逃したことに違いはない。
(まぁ、過ぎたことを考えても仕方がないですよねぇ……)
今考えるべきはこの膠着をいかにして崩すかだ。そのために今回は手を打つのだ。
ふとアリアを見れば、彼女は状況を理解してはいるが心情では納得できないという表情だった。だから、クリフォードは笑みを浮かべ、言った。
「私はなにも、馬鹿正直に真正面からアルステーデを抜けろとは命令してないよ。ただ、ヴァイスベルク山脈を抜けろと命令しただけだ」
「しかし……それでは死んで来いと言っているも同然では……?」
困惑気味に言うアリアに、クリフォードは両の口端を吊り上げる。
確かに、アルステーデ山道以外の進軍路を用いれば標高的に見てUNUの動作環境限界を超えることになるし、超えられたとしても退路は険しく補給線もない。死ぬしかないだろう。
けれど、
(それがどうした?)
もしこれから出撃する調査分隊がアルステーデ以外の進軍路を見つけられたならば、それこそ大きな功績であるし、超えられず朽ちたとしても軍にしてみれば些細なことだ。欲を言えば、
(ヴァイスベルクを超え、敵国内のUNU戦力と戦闘になって欲しいものです)
敵国内にどれほどのUNUそして騎士がいるのか……それは未知数。
これから送り出すのは精鋭だ。ヴァイスベルク越えで消耗していたとしてもUNU戦力以外に遅れをとることはないだろうし、並のUNU操縦技術でも太刀打ちできないだろう。万が一彼らがUNU戦力と戦い帰還するようなことがあれば、それこそ敵国内には脅威はないと判断し、堂々とアルステーデを突破して力押しでアルトベルク国内を蹂躙してやればいい。
戦争とはそういうものでしょう? 内心でアリアに問いつつも、クリフォードは違う言葉を口にした。
「始皇帝セントシルヴィアはおっしゃった。敵を知らずして勝てる戦はない。故に、未知たる道程を切り開く者たちは気高く、勇敢である。決して嘆く事なかれ、そは命を賭して礎となる勇者なのだから……とね」
セントシルヴィア史に残る、始皇帝が敵国へ潜入した兵へ送った一説だ。
恍惚とした表情でそれを語るクリフォードにアリア怖気を感じる。しかし、クリフォードはそれに気づいた様子もなく、
「超長距離捕捉可能な
「……はっ、承知いたしました」
アリアは、蕩けるように笑うクリフォードに思わず身体を震わせるも、そう返事を返す他なく、微かな恐怖を抱いたまま部屋を後にする。
リアが第二軍部へ送られる五日前のことだった。
葬送の天秤 城井 寝仔 @siroinekonoko
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