第2話一章
日差しを一杯に取り込む窓が並ぶ廊下を一人の女が歩いていく。
肩の辺りで切りそろえられたブロンドの髪に碧い瞳。訓練を積んでいるにも関わらず華奢で小柄な身体を包んでいるのは、アルトベルク共和国軍の蒼い式典正装だ。
女――リア・ベルネットは、思わず目を細めてしまうほどまぶしい日差しに足を止め、窓の外へと視線を移す。
窓の外では、夏を前にして青々と茂った木々に小鳥たちが止まり、優しいさえずりを響かせていた。
「戦時とは思えない光景だよ……」
現実とはかけ離れたのどかな景色に、リアは一人ごちてから再び歩き出す。目的の場所はすぐそこだった。
リアが足を止めたのは長い歳月を感じさせる黒光りした木製のドアの前だ。
彼女は呼吸を整えるように深い息をはくとドアを三度ノックして、
「リア・ベルネット少尉、召集の命により参りました」
「ああ、入ってくれてかまわんよ」
しわがれた男の声に、リアは「失礼します」と返してからドアノブを握る。
一歩部屋に足を踏み入れれば、やはりそこも戦時中とは思えない雰囲気を持つ場所だった。
あまり広いとは言えないが、床には赤い短毛の絨毯が敷き詰められており、左右の壁には中身がびっしりとつまった本棚。極めつけは中央に置かれたソファーと机のセットだ。下士官が使う兵舎と比べても天と地程の差がある。戦争に巻き込まれながらも必死に生活をしている人々と比べたら一体どれほどの差になるのだろうか。
(私に与えられている部屋だって豪華すぎるって言うのに……)
思わず顔をしかめた彼女の目に映るのは部屋の奥、何やら多くの紙束が積まれた机に座る禿頭の中年男だ。リアと同じ軍服に身を包んだ男の胸には、大佐を示す階級章がある。
リアはドアをゆっくりと閉めると、男が座る机の前へと歩を進め、音が鳴りそうな程に見事な敬礼をして見せた。
「ご苦労」
大佐は一言だけ言うと視線をリアの瞳に固定した。そのまま小さく息をはき、
「ここまで来てもらったのは他でもない。君が兼ねてより打診してきていた前線派遣が正式に決まった」
素っ気無く言い放たれた大佐の言葉に、当のリアはビクリと肩を震わせて大きく目を見開いた。きつく結ばれていた口までもが半開き状態だ。
そんな情けない顔を晒すことしばし、
「そ……それは本当ですかっ!?」
「少尉……」
苦笑交じりの大佐の言葉に、リアはようやく我に返り頬を赤くした。
その様子に大佐は苦笑を深くしながら、手元にあった書類をリアに掲げて見せつつ、
「そんなに前線派遣が嬉しいかね少尉?」
「はっ! 至福の極みであります!!」
リアは緩む頬を締め切れず、傍目から見てもニンマリした表情で書類を受け取った。
(ついに、ついに前線に出られるんだ……!)
そう。ようやく、やっと、ついになのだ。
十五歳から軍学校に通い、三年の教育課程をトップで卒業したときには少尉の階級を与えられた。小隊規模の指揮権限がある少尉という階級に当時は大喜びしたものだ。
これでお父様のように国を、戦争に苦しむ人たちを直接守っていくことが出来るんだ、と。
しかし現実は違った。卒業後に配属されたのは第一軍部アルトベルク基地。
首都アルトベルク守護のための最後の砦であり、アルトベルク軍の心臓部。そんな大基地に配属されたと言えば聞こえはいいが、裏を返せば前線からもっとも遠く、戦火の「せ」の字すら見当たらない場所と言う事だ。
火の粉すら届かない場所で来るはずのない敵を警戒する毎日。私はこんなことをするために軍に入ったのではないと何度も上官に具申して、ようやく今日、それが実を結んだのだ。
「まあ、嬉しいのは分かるがとりあえず書類に目を通してくれないかね?」
「え……あっ、はい!」
大佐の言葉に我に返ったリアは手に持つ書類に目を通し、
「え……?」
思わず呟き、動きを止めた。彼女が転属する場所として書かれていたのは、ヴァイスベルグ方面軍第二軍部陸軍シュッツバーデン基地所属、第〇五小隊……でも、それは。
「不満かね少尉? 君に隊を一つ任せようと言っているのだが?」
「あ、いえ……」
怪訝そうな大佐の声に、リアはなんとか表情を繕い首を横に振るが、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
第二軍部は義勇軍が巨大になりすぎたため数年前に半独立軍として国軍となった、いわば市民たちの軍勢だ。
だからだろうか。第一軍部に所属しているリアの耳に届く噂と言えば、第二軍部は軍隊ごっこをしている連中の集まり、国家守護の使命に値せず……そんな侮蔑と蔑みをこめた言葉ばかりだった。
(しかも、よりによって――)
そんな第二軍部の噂の中で、とりわけよく耳にしたのが第〇五小隊……何故か幽霊小隊などと呼ばれる隊のことだ。
度重なる命令違反。軍律を歯牙にもかけない独断専行……とにかくいい噂を聞いた事がない。さらに、幽霊小隊と言う通り名のせいで、「実は〇五小隊の奴らは司法取引をした死刑囚の集まりで、社会的に死んでいるから幽霊小隊なのだ」なんていう噂がたったほどだ。
(なんで〇五少隊の指揮官なのよ!)
心の中だけで叫び散らす。ついでに手に持っていた書類も八つ裂きにする。もちろん想像の中でだけだ。
引きつった表情を隠しきれていないリアに、大佐は哀れみ混じりの視線を送り、
「リア・ベルネット少尉。ヴァイスベルグ方面軍第二軍部陸軍シュッツバーデン基地所属第〇五小隊へ転属とする。以上だ。もう行ってくれてかまわんよ」
「はっ!」
言葉を挟む暇すら与えてくれなかった大佐にどうにか一言だけ返事を返すと、リアは部屋を後にした。
扉を閉め、一歩廊下を歩き出すと思わず大きな溜息が漏れた。
何故こんなことになってしまったのだろうか? これではまるで左遷ではないか。
(私が一体なにしたっていうのよ)
思わず足を止め、眉を寄せながら考える。心当たりなんてこれっぽっちも……
(いや、心当たりなんてありすぎるか……)
自嘲気味に溜息を一つ。そう、心当たりなんて考えるまでもなかったのだ。
そもそも、配属一年目の新任少尉が上官に具申など本来なら許されることではない。除隊処分とまでは言わないまでも、本来ならなんらかの罰則があって当然だった。それでも大目に見られたのは、
(私がツェーザル・ベルネットの娘だから……だよね)
リアの父――ツェーザル・ベルネットは、十年前、休戦協定を結んでいたセントシルヴィアの奇襲、実質上の協定破棄から始まった二次大戦初期に活躍した将校だ。
兵器として安定しないUNUをアルトベルクで初めて起用し、セントシルヴィアによって押し込まれていた戦線を国境にまで押し上げたのだ。その後も彼は幾つかの活躍を見せるが、前線基地攻略の途中に戦死してしまった。
父の戦死を聞かされたとき、リアは、悲しくもあったがそれ以上に誇らしかったのを覚えている。国のことを第一に思い、いつでも厳格であった父。そんな父だからこそ軍部の信頼も厚く、娘である自分にもその信頼と期待は受け継がれ、そして、ある種の特別扱いを受けることになったのだ。
父の威光を笠に着るのは良い気分ではなかったし、誰もがみなツェーザルの娘として自分を見ることに不満を覚えたこともあった。それでも、憧れた父のようになろうと、立派に国を守りたいと願って必死にもがいてきたつもりだったが……
(結果はこれか。でも……!)
沈んでいく気分に歯止めをかけるように、両の頬を思い切り叩き、頭を振った。
(でもこれで前線に出られるんだ……直接自分の手で何かをすることができるんだ!)
第二軍部転属がなんだ。考えようによっては、憧れていた父のように前線で戦うことが出来るチャンスなのだ。
(よしっ! 見てなさいよ……絶対に結果を残してやるんだからっ!)
リアは力強く呟き拳を握り締めると、明るい日差しが差し込む廊下を歩き出した。
やることは山積みだ。
まずは、兵舎に戻って荷物の整理をしなければ。
●
リアが部屋を後にした後、大佐は椅子によりかかり大きな溜息をついた。そのまま机の上に置いてある一枚の書類を手に取り、
「ツェーザルの娘……か」
彼が持っている書類はリアの経歴などが書かれたもので、右上には表情を引き締めた彼女の写真が貼ってある。
大佐は何度も読み返した評価の欄にもう一度視線を移す。
ツェーザル・ベルネットの娘。父親の教育の賜物か、愛国心と人道精神に溢れた人物ではあるが、いささか落ち着きがなく、感情に左右されやすい人物である。
何度読んでも苦笑が漏れてしまう。リア・ベルネットの経歴書であるというのに、彼女自身のことは殆ど何も書かれておらず、書かれていたとしても、それは彼女自身が身に付けたものではなく父親の教育によるものだと言う。これではツェーザルの経歴書かリアの経歴書か分かったものではないではないか。
(厄介ばらいか……)
そんな言葉が脳裏をよぎる。
そもそも、女であるリアを喜んで軍に入れたのも、ツェーザルの娘だからという理由が大きかったと聞いている。
彼に助けられた軍人や市民の数は知れず、敵を恐れず勇敢に国のために戦った偉大なる人物。そんなツェーザルの娘が父の背中を追って入隊した。
そんな話を聞けば誰だって期待や希望を胸に抱くだろう。
つまり彼女は、この戦時下におけるマスコットだったのだ。
しかし同時に、死した英雄の影が未だに在り続けると言うことは、徹底した統制をしなければならない軍部にとって邪魔でもあった。だから、マスコットの効果が薄れた今を狙って邪魔者を排除した。
おそらくそういうことなのだろう。ここは第一軍部本部であるというのに、一部隊、それも一個人の人事をさらに上から言い渡されたのがいい証拠だ。
(この基地で多くを学び、然るべきときに前線に立ち、皆を導いて欲しかったのだがな……)
それこそ、偉大なる彼女の父のように……そこまで考えて大佐は自嘲気味に笑い、ポツリと呟いた。
「私も、彼女個人を見ていなかったのかもしれないな」
溜息一つ。大佐は静かに瞼を閉じた。
(あの娘はまだ若い……どうか、素晴らしき出会いと長久なる武運を)
●
「アルトベルク方面軍アルトベルク基地陸軍第十三大隊より転属してまいりました、リア・ベルネット少尉です」
リアに転属命令が下った三日後、彼女の姿はシュッツバーデン基地の司令室にあった。
転属命令が下ってから半日で荷造りを済ませ、その日のうちにアルトベルク基地を出立したのだ。
鉄道を乗り継ぎ、今では運行数の少なくなったバスにも乗って約三日。大陸北部にある首都アルトベルクから、大陸中央部ヴァイスベルク山岳地帯の近くにあるシュッツバーデンまではちょっとした小旅行だ。もちろん観光なんてしている暇はなかったし、する気もなかった。
基地に一番近い街シュッツバーデンで予定よりも早く着いた旨を連絡し、そこからシュッツバーデン基地へ。ここまででも相当ドタバタしていたにも関わらず、基地に到着したらしたですぐに兵舎へ案内され、荷解きもそこそこに基地指令に挨拶という運びになったわけだ。
「随分とお早いお着きで。お疲れになったでしょうベルネット少尉?」
目の前の机に座る老女――ブリギッテ・アーリンゲ基地指令から微笑と共にそんな言葉を投げかけられると、リアは表情を引き締め首を横に振った。
「いえ、移動に時間をかける方が失礼です」
「あらあら」
ブリギッテはリアの言葉に軽く目を見開くと小さな笑みを漏らし、
「ふふふ。少尉? 第一軍部ではどのように上官と接していたのか私には分からないのですけれど、ここではそんなに丁寧な言葉遣いでなくとも良いのですよ?」
「しかし……」
「ほらまた。あなたが誠実だというのは痛いほど伝わってきました。こんな老婆が基地指令だというにも関わらず、本心から上官への礼節を尽くしてくれたこともその証拠です。だから、もういいのです」
「は、はぁ……」
優しく笑みながらのブリギッテの言葉に、リアは得体の知れない脱力感を感じた。
というよりも、このシュッツバーデン基地に着いてからというもの脱力しっぱなしだった。
なんと言うか、基地全体の空気がゆるいのだ。
第一軍部の基地では私語など殆ど聞こえなかったのだが、この基地に着き、この場所に移動してくるまでの短い間でさえ、兵士達の会話を何度聞いたか分からない。私語どころか大笑いや喧嘩の怒声すら聞こえてくる始末だ。ここは本当に基地なのだろうか? そもそも軍隊なのだろうか?
(一体なんなのよここは……)
リアは密かに溜息をつき、そっと辺りを見回した。
縦に五歩、横に三歩も移動すればそれぞれ壁に当たってしまうくらいの狭い部屋。ブリギッテの座る安楽椅子と書類の積まれた机。横の壁は白い大鷲と三日月がモチーフとなっているアルトベルクの国旗が飾られているだけでひどく質素だ。部屋を照らす唯一の光源はブリギッテの背後にある大きな窓一つで、そこから基地全体と、夏も近いこの時期にまだ雪化粧をしているヴァイスベルク山脈を望むことができる。
(基地指令の部屋と言うよりは、完全に余生を楽しむお婆さんの部屋って感じよねぇ……)
そんなことを考えていると、正面のブリギッテは小さく息をはいた。
その音にリアが視線を向けると、ブリギッテは楽しそうに微笑み、
「貴女ならあの子たちも気に入るかしら」
「はぁ……?」
言葉の意味がわからずリアが首を傾げると、突然背後のドアからノックの音が響いた。
「基地指令、第〇五小隊所属のロルフです」
「はい、どうぞ。入ってくださいな」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは一人の男だった。
鮮やかで柔らかそうな短めの金髪に、金色の瞳。中肉中背でどこか女性的な印象がある体に、深い蒼を基調としたアルトベルクの式典正装を着込んでいる。
ロルフと呼ばれたその男は部屋に入るとリアへ視線を向け一礼し、そのままブリギッテの正面、リアの横へと並んだ。
「ご苦労様ロルフ。でも、私はフリッツをここに呼んだはずなのだけれど……」
訝しげな声で言うブリギッテに、ロルフは困ったように眉を下げた。そのまま何かを言いあぐねるように唇を動かし、最後にチラリとリアの表情をうかがってから溜息交じりに言った。
「はぁ、それがですね。フリッツ隊長は、今忙しくて手が離せないからお前が行けと」
「あらあら」
「なっ」
リアがここに来たということは、今日から正式に部隊の指揮官が替わるということだ。
(忙しくて手が離せないってどう言うことよ……!)
隊全体で正式な挨拶を交わす前に指揮官は一度顔を合わせ、引継ぎの際必要になる連絡事項を伝える義務がある。そしてその義務は、出撃などの緊急性のある物事以外に対して絶対的に優先されなければならないことのはずだ。
(ありえないわ……! 〇五小隊の指揮官ってどんな奴なのよ!)
リアが拳を握り締め微かに震えているのをしり目に、ブリギッテは「しょうがないわね……」と小さく呟いてからロルフへと視線を向けた。
「本当はこの場で引継ぎをしてもらうはずだったのだけれど……。ロルフ、申し訳ないのだけど、ベルネット少尉に基地の案内をしながら、そのままフリッツのところへ連れて行ってもらえないかしら?」
「はい。なんとなくそうなるような気がしていましたから……。それでは少尉、行きましょうか?」
「え……あっ、それじゃあよろしくお願いするわね?」
フリッツという奴にあったらなんて言ってやろうか……なんてことを真剣に悩んでいたリアは、苦笑するロルフの言葉に一瞬遅く返事を返すと、そのまま指令室を後にした。
ドアを閉め二人並んで廊下を歩く。
窓が並ぶ廊下に、すれ違っても雑談に夢中になっていてこちらに挨拶すらしてこない兵士達……本当にジュニアスクールみたいな場所だな、などとリアは思う。
何気なく隣を歩くロルフへ目を向けると視線が合った。何となく気まずくなったリアは焦りつつ、
「そういえば、お互い自己紹介がまだだったわね。私はリア・ベルネット。階級は聞いていたと思うけど少尉よ。兵種はUNU騎兵で歳は十八……あなたは?」
咄嗟に出た言葉で随分と早口になってしまっていたからか、ロルフはしばらくきょとんとした表情を浮かべていたが、やがて柔らかい笑みを浮かべた。
「はい、僕はロルフ・バルリングと申します。階級は曹長です。兵種は少尉と同じUNU騎兵で〇五小隊の副官を勤めさせていただいていました。歳は二十三です」
「えっ!?」
「はい? どうかされました?」
ロルフが首を傾げるとリアは何か言いにくそうに視線をそらし、
「気分を悪くしたら御免なさい。てっきり同い年か年下かと思っていたわ……」
「あはは! よく言われるのでもう慣れています。どうかお気になさらずに。それに、軍隊[ここ]じゃあ年齢なんて関係ないでしょう?」
「そ、そうね……」
そんなことを言いつつ、リアはチラリとロルフの顔を盗み見る。二十三というには幼すぎる顔立ちに、成人男性にしては柔らかすぎる雰囲気。これではどうみても……
(十五、六歳だよ……)
なんとなく詐欺という単語が頭に浮かんできたが、間違っても口から出ないようにグッと飲み込む。そして、ロルフの自己紹介を反芻してあることに気が付いた。
「あなた、〇五小隊の副官って言ったわね。副官なら隊の編成や人数なんかも把握しているはずよね? 教えてもらえないかしら?」
本来なら転属前に書類などで知らされることなのだが、今回の転属は急であり、しかも転属先が第一軍部でなく第二軍部だということで、ほとんどリアに知らされなかったのだ。
彼が副官だったというのなら丁度いい。
(部隊の戦力把握は指揮官の大事な仕事だからね)
私はこの隊の指揮官として国と国民に貢献するためにここにやってきたんだ。しっかり指揮官らしく振舞わなければ……そんなことを考え内心何度も頷く。
ロルフはそうですねと前置きをしてから、頭の中のメモ帳をめくろうとするかのように瞼を伏せた。
「我が第〇五小隊は戦車三両、UNUは予備機を含め四機、他砲兵、工作兵を含めた歩兵部隊から構成される総員三十名の混成小隊です。ああ、少尉のUNUが搬入されるのならUNUは五機ですね。各UNUのタイプは、後方支援砲戦型――」
「ち、ちょっと待って!?」
ロルフの言葉を遮ってリアは口を開いた。人数や戦闘車両の数はいい、標準だ。しかし、小隊にしてはUNUの配備数が多すぎる。
現在アルトベルク陸軍小隊におけるUNUの配備数というのは一機がせいぜいだ。むしろ小隊規模では歩兵や砲兵との連携の難しさも相まって配置されていないことの方が多い。
確かに人型機動兵器のUNUは戦場において大きな戦果をもたらすが、リスクがないわけではないのだ。
そのリスクの元となっているのがUNUの動力に使われているUNM――アンノウンマテリアルと呼ばれる特殊な鉱石である。
この鉱石は、一定量の電気的刺激を与えると高エネルギーを発しながら周囲の重力を軽減するという特性を持つためUNUには必要不可欠なものなのだが、同時に夜間や高所などではエネルギー放出が安定しないという特性も併せ持つため、限定された地域でしか運用することはできない。
もちろん短時間ならば致命的支障はないのだが、長時間運用すれば過出力による各部のオーバーヒートや機能停止、最悪爆発によって自壊してしまう。一昔前までは「欠陥兵器」「巨大な棺桶」などと揶揄されていたほど、兵器として安定しない危険なものなのだ。
敵国であるセントシルヴィアが初めて戦争に導入し、UNUの無かった大戦初期のアルトベルクが苦戦を強いられたとはいえ、戦車のように積極的に量産できるような代物ではない。
思わず立ち止まってしまったリアを見てロルフは困ったように笑うと、
「驚いても無理はないかもしれませんね。第一軍部の方達はあまりUNUに乗りたがりませんから」
「そんなことは――」
ない。そう言おうとしたが結局言えなかった。今まで見てきたものがそれを言わせなかったのだ。
軍学校にいた頃、UNU騎兵科の生徒は他学科の十分の一にも満たなかったし、実際に第一軍部に配属されてからも、自分の機体と演習時以外でその姿を見かけることはなかった。セントシルヴィアの攻撃が激しい地域では配備が進んでいるのだろうが、それも結局は「配備せざるを得ないから」という消極的な理由に違いないだろう。
確かに、第一軍部はUNUに乗ることを拒んでいる。
(なりふり構ってる暇なんてないのに……)
国を守る軍が、兵士が、命をかけるのは当然のことだ。自分達は細々と生活を送っている人たちに、税金という形で食べさせてもらっている立場なのだから。そしてそれ以上に、この環境では命をかけなければ守れないものがあまりに多くあるのだ。だからこそ自分達は最前線でより多くの戦果を得なければならないのに……
(情けない……)
言葉を詰まらせ俯いたリアにロルフは深く苦笑した。
「それが普通なんですよ。命をかけることに抵抗がなくても、わざわざ死ぬ可能性の高い兵器に乗りたがる人なんて……」
いないですから。そう言おうとしたのだろうか? しかし、ロルフの口からその言葉が出ることはなかった。不思議に思い、彼の方へ視線を向ければ何故か困ったように笑っているだけだ。
「えっと……乗りたがる人が、なに?」
「いいえ、忘れてください」
聞き返したリアに、ロルフは笑ってごまかすと、注意を逸らすように話題を切り替えた。
「それよりも基地の案内なのですが、まずは外からにしましょうか。兵舎の中は実際に生活してもらって覚えてもらった方が早そうですし」
「ええ、お願いできるかしら」
あまり上手い話題の変え方とは言えなかったが、とりあえずは話題に乗ることにする。まだ転属して一日目なのだ。最初から全て話せという方が無理に決まっている。
それに、
(ここは第一軍部と随分違うみたいだし、ね)
きっと第二軍部には第二軍部なりの事情があるのだろう。そう考えることにする。
その後は特に会話もなく廊下を進み、突き当たりの階段を下ると玄関が見えてきた。
無言のままリアが外へ出ようとした瞬間、
「少尉。少尉はこの第二軍部のことをどう感じましたか?」
「え?」
立ち止まり隣を見れば、さっきまでと変わらない柔らかい表情を浮かべたロルフがいる。ただ、その金色の瞳は真っ直ぐにこちらを見つめてきていて、視線を外すことは許さないと無言のうちに語っているようだった。
リアは見入られたようにその瞳を見つめ返す。
何故だかは分からない。けれど、この質問には大きな意味があるような気がした。
だから、
「まだわからないわ」
肩を竦めながら飾らない言葉で正直に答えた。
第一軍部にいた多くの軍人のように「軍隊ごっこ」と斬って捨てることも出来たのだ。実際にこの第二軍部の雰囲気は軍隊ではないのだから。しかし、そう判断するには早すぎるとも思ったのだ。物事の上辺だけを見て判断するのは簡単だ。けれど、
(まだ私は、なにも知らないもの)
「……そうですよね。まだ転属一日目なんですから。つまらないことを聞いてしまいました」
そう言うロルフの顔は満足げな笑み。どうやら自分は答えを間違えなかったらしい。
内心安堵の息をはいていると、ロルフはさっきまでは見せていなかった意地悪げな笑顔を見せて、
「正直、他の第一軍部の軍人と同じように、ここを一目見ただけで、こんなのは軍隊じゃないとでも言われると思ってましたよ」
「え?」
「リア・ベルネット少尉。ようこそ第二軍部へ。さぁ、まずは格納庫から見て回りましょうか! そこにフリッツさんもいますから」
「ちょ、ちょっと……!」
いきなり態度が変わり、歩く速度が速くなったロルフに面食らいながらリアはその背中を追った。
●
最初に連れてこられたのは、兵舎から歩いて数分ほどのところにある巨大な格納庫が並ぶ区画だった。太陽が真上にある今はいいが、少しでも日が傾くとすぐに影が差し込んで薄暗くなってしまうほどに格納庫は大きい。
リアも第一軍部で格納庫は見慣れていたのだが、それはそれ、初めて間近で見る第二軍部の格納庫を物珍しげに眺めていると、前を歩いていたロルフが立ち止まり説明を始めた。
「戦車やUNU、大口径砲などは普段ここに収められます。格納庫にはそれぞれ番号が振ってあって各小隊規模で格納庫が与えられる形になっています。ここは、UNUの配備された小隊用の区画ですね。格納庫同士は縦横が垂直に交わった単純な道でつながっていますが、最初のうちは迷うことも多いので早くなれてもらえれば幸いです」
「へぇ……かなり規模が大きいのね? もしかしたら私がいたアルトベルク基地よりも大きいかもしれないわ」
リアがしみじみとそんなことを言うと、ロルフは首を振った。
「さすがにそれは無いですよ。なんて言ったってアルトベルク基地は首都防衛の要ですからね。ここが大きく見えるのは、UNUの配備数が多いせいで格納庫を巨大にしなければならなかったのと、敷地の割に格納庫が多いからです。要は、狭い部屋に荷物を詰めるだけ詰めたせいで片付けようがない状態と一緒ですよ」
(ああ、それは嫌かも……)
リアは思わず散らかった部屋を想像して身震いした。
埃の舞う室内、無造作に投げ捨てられた衣服、ベットのシーツなんかはいつ替えたかも分からないくらいに黄ばんでて……
「そういう部屋を見ると徹底的に掃除したくなるのよねぇ……」
「ふふ、少尉は掃除がお好きなんですか?」
「えっ!? あっ、私、口に……?」
「ええ、はっきりと」
リアは内心頭を抱えた。こんなことを口に出したら指揮官としての威厳丸つぶれじゃないか! ただでさえ自分は年下なのに。
リアはそんなことを考えつつ、赤く染まった顔を背けて咳払いを一つ。少しキツめにロルフを睨んで、
「……忘れなさい」
「はい、それが命令なら」
「命令です!」
何か微笑ましいものを見るようなロルフの表情に、リアは更に顔が熱くなっていくのを感じた。
(どうすんのよこの状況!!)
もう開き直ってロルフの部屋の大掃除でもしてやろうか!? でも、なんだかこの人の部屋は片付いてそうだし……
(って、なに考えてんのよ私は!?)
誤魔化そうとすればするほど変な方向へ頭が回る自分に途方にくれていると、背後から声が届いた。
「おっ! ロルフ坊……と、そちらはどちらさんだい?」
リアが驚いて振り返れば、そこには一人の女が立っていた。
赤く鮮やかな長い髪を項の辺りで一つにまとめた長身でスタイルのいい女性。顔立ちは端整なのだが、どこかやんちゃ盛りの少年のようだ。
ベージュの軍服に身を包み、胸には軍曹の階級章があるので彼女もここの兵士なのだろう……そんなことを思ったリアは、女の瞳の色に気が付いて息を呑んだ。
(赤い、瞳……)
「ああ、アメリアさんご苦労さまです。こちら、第一軍部から転属されてきたリア・ベルネット少尉です」
「へぇ~ この
アメリアの品定めをするような視線にようやく気が付いたリアは、慌てて表情を引き締めた。
「え、あっ……本日付けで〇五小隊の指揮官に正式に任命されましたリア・ベルネット少尉です! どうかよろしくお願いします!」
そのまま深く頭を下げてから気が付いた。
(軍曹ってことは私より階級下じゃない……!?)
しかも、ロルフの口ぶりからすると〇五小隊の構成員――部下になる人間だ。そんな人物に何故私は馬鹿丁寧に挨拶などしているのだろう?
(これじゃあ完全にナメら――)
れる。そう思って顔を上げようとした瞬間、
「あははは! 面白い娘じゃないか! 私はアメリア・セシル。第〇五小隊所属の軍曹さね。兵種は戦車兵さ。よろしく頼むよ少尉?」
「え、ええ……」
なんとか答えながらも、リアの表情は情けなく歪んだものになっていた。
命令違反の多い第〇五小隊を任されると知ってからずっと、私が〇五小隊を矯正してやるんだと密かに思っていたが、転属一日目にして計画は頓挫してしまうようだ。部下にへりくだって喋る掃除好きの指揮官になんて誰が付き従うものか。
ためしにロルフの方へ視線を送って見れば、こちらへ背を向けている。
アメリアのように堂々と笑うのは悪いと思ったのだろうが、ヒクヒクと震える肩を見れば笑いを堪えているというのは一目瞭然だ。
「まあまあ、そんな情けない顔しなさんな。私としては一安心だよ。第一軍部から新しい指揮官が来ると聞いて、どんな高慢ちき野朗が来るか心配だったからねぇ……これで転属一日目に上官リンチで銃殺ってことはなさそうさね」
豪快に笑って言うアメリアにリアは頬を引きつらせた。
(この人、新しい上官が気に入らなかったらリンチするつもりだったんだ……)
ロルフを見て噂ほど酷い隊ではないんじゃないか? と期待した自分が馬鹿だったらしい。確かにこれはめちゃくちゃだ。
(いいわよ、やってやろうじゃない……!)
ふふふ……と、内心どす黒い笑みを浮かべながらリアはゆらりと顔を上げた。
(まずは、上官への礼儀というものをこの人に叩き込んでやる……っ!)
「貴女! 私は上官――」
「ところで少尉? 私を見たときに驚いていたみたいだけど……なんでだい?」
「――えっ? あ、それは……」
意気込んで口にした言葉はアメリアにいとも簡単に遮られてしまった。しかも、一番聞かれたくない質問で。
アメリアの赤い瞳は真っ直ぐにこちらに向けられている。それも、獰猛な獣の瞳に宿る鋭さをもって、だ。
(う、あ……)
身体が竦む。アメリアの身体から得たいの知れない威圧感を感じて言葉が上手く出てこない。リアが言葉を詰まらせていると、アメリアは片方の頬だけを吊り上げた人を馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「私が女軍人だからかい?」
違う。と、リアはなんとか首を横に振る。
確かに女性軍人は珍しいがそこまで驚くことでもない。第一軍部にも極わずかだが女性だけで組まれた隊というのは存在するし、ましてここは第二軍部だ。志あるものを同志とする義勇軍から発展したここならば、大して珍しいことでもないはずだ。
そんなことよりもリアが驚いたのは……
「それとも私が……
アメリアの言葉に固く唇を噤む。
赤瞳人種というのはその名の通り赤い瞳を持つ人種であり、元は敵国・セントシルヴィアで差別を受けていた人たちのことだ。多くの国を侵略して一つの国とした歴史を持つセントシルヴィアの中には、数多くの人種が存在する。その中で、最後までセントシルヴィアに抗い続けた国に住んでいた人種が赤瞳人種であり、十数年前までは異常とすら思える迫害を受けていたのだ。……そう、十数年前までは。
(純血政策……)
リアの頭にそんな言葉が浮かぶ。
十数年前、アルトベルクとセントシルヴィアがまだ休戦状態だった頃にそれは起こった。
皇帝シルヴィアの名の元に、祖国内の浄化と謳われたその政策は、なんてことはない。赤瞳人種の大虐殺だった。
今生きている赤瞳人種は、差別に耐えられなくなり虐殺を掻い潜り亡命してきた人たちだけだ。
しかし、命がけでアルトベルクへと来た赤瞳人種たちにも問題は起きた。
確かに、アルトベルクへ逃げ込んだ赤瞳人種たちはセントシルヴィアにいた頃よりは人間らしい生活を送れているとはいえ、差別されていたという風評は止められるものでも、まして消えるものでもない。結局はその風評で悪印象を持たれ、アルトベルクでも多くの人間から差別を受けるという結果になってしまっているのだ。
「まあ、驚かれるのもいい顔されないのも慣れちゃあいるさ。セントシルヴィアでは汚物、アルトベルクでは異邦人だからね、私達は」
自嘲気味に言いながらアメリアは小さく息を吐いた。今までの威圧感が嘘のように消えうせる。
リアはそんな彼女の様子を見ると、無意識のうちに大きく息を吸い込んでいた。そして――
「そんなことありません!」
碧い瞳をアメリアの赤い瞳へと真っ直ぐに向け、周りに響くくらいの大声で叫んだ。
「赤瞳人種だろうがなんだろうが、ここに生きているじゃないですかっ!? 汚物でも異邦人なんかでもないですっ! それに貴女はこうやって軍に身を置いて戦ってる!」
叫びながら、リアはまずいなぁ……と頭の隅で思う。
上官の威厳なんかこれっぽっちもない。
でも、それでも、自分のことを汚物や異邦人と言って嘲る彼女が許せなかったのだ。
『人は全て平等であり、幸せになる権利がある。国はそれを支えるために平和でなくてはならない』
大好きだった父の言った、一番大好きな言葉だ。
理想論だというのは分かる。けれど、その言葉を信じて、それを成すために自分は軍学校へ入ったのだ。国を平和にすればそこに住まう人たちが幸せになる。そして、幸せに暮らす人たちをずっと見ていたいと心から願った。だから自分は兵士になったのだ。
赤瞳人種の虐殺だって元はと言えば戦争のための前準備だったと聞いている。多くの人種を強制的にまとめる為の見せしめだったと。
ならば彼女達は被害者のはずなのだ。怒っていいはずなのだ。
(それなのに、自分達が悪いみたいに……!)
自分の意志とは関係なく浮かんできた涙を、リアは乱暴に拭った。
「だから、そんなこと言わないでくださいっ! 言っちゃ駄目なんですよぉ……!」
堪えきれずリアが嗚咽を漏らすと、今までずっと様子を見ていたロルフが、溜息を漏らしながらアメリアへと歩み寄り表情を曇らせた。
「アメリア軍曹? ちょっとやりすぎです。少尉だって指揮官らしく振舞おうと頑張ってたんですよ? それなのに台無しにして……大人げないです。なさすぎです」
背伸びしたロルフに小突かれると、アメリアは苦い表情を浮かべ頭を乱暴に掻いた。そのまま空を見上げ、「あ~……」と情けないうめき声を上げてから、
「悪かったよ少尉……今まで会ってきた第一軍部の野朗どもは私を見るなり嫌そうな顔してたからね、その腹いせのつもりだったのさ。……だから、その、泣くのは止めにしないかい?」
「な、泣いてなんていませんっ!」
困りきったアメリアの言葉にリアはもう一度目を擦ると、そのまま恨めしげにアメリアを睨みつける。
「はは、そんな顔しないでおくれよ。これでも真剣に悪いって思ってるんだからさ」
今にも「う~……」という子犬のような唸り声を上げてきそうなリアに、アメリアは長く息を吐き出した。その表情はなんとも言えない笑みで、
「『口ではなんとでも言える』なんて言葉もあるけどさ、このご時世私達のために大声で叫んでくれる奴なんてそうそういるもんじゃない。まだお互いのことなんて知りぁしないけどさ、私は少尉のこと気に入ったよ。これからよろしく頼むよ、少尉?」
差し出されたアメリアの手を見てリアはおずおずとその手を握り返した。
「……こちらこそ、よろしく」
握ったアメリアの手は、軍人とは思えないほどに細く綺麗だ。
思わず見とれてしまっていると、突然前から可笑しそうな忍び笑いが聞こえてきた。
なんだろう? と思いリアが顔を上げると、そこには声通りの表情を浮かべたアメリアの姿があり……
「ククク……! 私としてはああやって大声で自分の考えを言う奴って言うのは好感持てるんだけどね……少尉? 周りを見てごらん?」
え? と、言われるままに周りを見て見れば、武器の整備を行っていたものや演習帰りの兵士達が足を止め、みなこちらに注目していた。中には拍手をしているものや「いいぞ譲ちゃん!」などとはやし立ててくるものまでいる。
「な、なっなっなぁあああ!?」
「何真っ赤になってんだい? 少尉は正しいことを言ったんだ。もっと胸をはりゃあいいんだよ。赤瞳人種だろうがなんだろうが、今ここに生きている……か。他の赤瞳のやつらにも聞かせたかった名演説だ」
「や、ややややめて……っ!」
「ああもう可愛いねぇ! 隊長なんかより私の娘にしちゃいたいくらいだよ!」
「えぇぇえええ!?」
もう堪らないっ! と言った様子でアメリアが抱きついてくると、リアはなすすべなくその両腕に抱き寄せられてしまった。見た目からは想像も出来ない強い力でふっくらとした大きな胸に顔を押し付けられる。
リアはふごふごと意味の分からない悲鳴をあげながら必死にもがくが、一向にアメリアの腕の力は弱まる気配をみせない。
(い、息! 息できな……っ!! 骨折れ、るぅ……!)
ああ、もうだめかも……混乱しきった頭で、リアがそんなことを思った瞬間、
「……
アメリアの背後からいかにも軽そうな男の声が聞こえてきた。
声に気を取られて一瞬だけ力の緩んだアメリアの腕からようやく抜け出すと、再び抱きつかれないように警戒しつつ、リアは声の方へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、いかにもだらしなさそうな若い男だった。
茶の短髪に青い瞳、顔立ちはどこか軽薄な印象はあるがかなり整っている。軍服である茶のジャケットは羽織っておらず、下着である黒のタンクトップが丸見えだ。下のボトムにもベルトは通してなく裾が地面に着きだぶついている。体格の方は中背で、筋肉質とは言えないまでも無駄な肉はついておらず、引き締まっている。
リアがマジマジとその男の姿を見ていると、その視線に気が付いたのか男はにへらとだらしない笑みを浮かべ近づいてきた。
「はじめましてっすよね? 俺はリュデュガ―・アーレンス。所属は第〇五小隊でUNU騎兵やってるんすが……いやはや、この基地に配属されてくる女の子はみんなチェックしていたつもりなんすがねぇ……まさかこんなに可愛い子を見落としていたなんて俺もまだまだっすね!」
「えっ? あっ……えっ?」
リアが状況を飲み込めずあたふたしているうちに、男――リュデュガ―は一瞬にして距離を詰め両手を握ってきていた。
「どうっすか今夜辺り? 俺、シュッツバーデンの街にいい店知ってるんすよ~」
「え? あのぉ……」
これはもしかして口説かれているのだろうか? だとしたら随分、いや、かなり下手な口説き文句だ。こんな言葉じゃジュニアスクールに通う女の子ですら落ちはしないだろう。でも、男に口説かれるというのはそんなに悪い気分ではないかもしれない。
(でも、こういう時ってなんて言えば……)
反応に困りあたふたしていると、突然目の前からリュデュガ―の顔が消えた。代わりに視界に入ってきたのは白く綺麗な拳であり、耳にはずいぶんと鈍い音。
それは、アメリアがリュデュガ―の頭をぶん殴ったせいだったと気づくのと同時に、アメリアの呆れ混じりの怒声が聞こえて来た。
「恥と常識を人並みに身につけてから出直しておいで!」
相当強い力で殴られたのだろうリュデュガ―は、頭をさすりながら顔を歪め、
「姉さん! いきなり殴るのは無しですって! それに邪魔しないでくださいよ! これでも俺真剣なんすから!」
「この大バカ! 真剣ならなおさら質が悪いよ! どうせアンタじゃ玉砕記録更新するのがオチなんだ、黙って大人しくしてな!」
それは酷いっすよ姉さん……などと呟き、半ば本気で落ち込んでいるリュデュガ―をしり目に、リアは目の前で起きたやり取りにオロオロするばかりだ。
すると、不意にアメリアが視線をこちらに向けてきた。表情は呆れきったもので。
「少尉も少尉だよ……なにこのバカ男の三流以下の口車に顔赤くしてんだい」
「えっ!? えっ!?」
思わず両手で顔を触るが顔色など分かるはずもない。その様子にアメリアは深く溜息をついた。
「若いうちから軍隊なんて規律だらけで殺伐としたところにいたんだろうからしょうがないんだろうけどねぇ。……少尉、アンタ処女だろ? というより、男が隣にいたことすらないだろう?」
「はぁああああっ!?」
ボソリと呟かれた言葉にリアは思わず声を上げた。
今度は自分の顔が赤くなっているのが実感できる。それどころか頭に余計な熱が篭っていることすら分かる。
(だ、だって、しょうがないじゃない……!)
軍学校にいた頃は早く一人前になろうと必死でそれどころじゃなかったし、そもそもそんな感情を抱くことすら不純だと思っていたのだ。軍に入ったら入ったで余計そんなことを考える時間などなくて……
あまりに色んなことを考えすぎて言葉すら出せずに口をパクパクしていると、アメリアは二度目の溜息をついた。しかし、視線は困った娘を見るような生暖かいものだ。
「一生懸命なのもいいけどね、軍人である前に女ってことをわすれちゃあ駄目さ。第一軍部じゃどうだったか知らないけどね、ここじゃあ好いた惚れた、誘ったヤったを禁止なんてしてないのさ。だから少尉も少しは――」
途中からアメリアの言葉が耳に入らなくなり、リアは頭の中で何かが切れるのを感じた。
ああ、今までよく耐えたよね……私。なんて声が頭の中に響いてきて……
「しょ……」
いつのまにか俯いていた顔を勢い良く空へと向けながらリアは叫んだ。
「処女で一体なにが悪いんですかぁぁああああああああああああ!!」
その叫びは格納庫に反射しながらこだまし、山彦[やまびこ]となって帰ってくる。
三度ほど自分の声が聞こえて来たときリアはようやく我に返った。
(私、なんかとんでもないこと叫んだ気が……)
おそるおそる空に向けていた顔を前へと向けると、ぽかんとした表情の三人が立っており、周りを見回せば完全に動きを止めた多くの兵士たちがいる。
まるで時間が止まったみたい……そんなことを考えていると、頭より先に身体が反応した。
嫌な汗が背中を伝い、身体中の血が顔に集まってくるような感覚。
(あはは……もう、だめ……)
状況は劣勢。戦略的撤退もやむなし。リアは踵を返し三人に背を向けると、一歩足を進めた。
「あっ、少尉どちらへ?」
今までずっと黙っていたロルフが何事も無かったかのように声をかける。そこでリアの頭の方も限界を迎えてしまった。
「お手洗いです……っ!!」
そんなことを叫んだリアは、身体と思考の赴くまま猛烈な勢いで走り出した。
●
走って行ってしまったリアの背中を唖然と見つめていた三人は、誰からともなく笑み混じりの息をはいていた。
「面白い
「ええ、本当に。でも、いい子だというのは何となくわかりますよね?」
「なんとなくもなにも、いい娘じゃないか」
ロルフとアメリアがそんなことを話していると、リュデュガ―は「えっ?」と首を傾げ、
「まさか、あの人が新しい隊長っすか!?」
「今更気が付いたのかい?」
アメリアの呆れ声にリュデュガ―は頭を抱えてうめいた。
「上官口説いたら独房とか、そんな軍法ないっすよねぇ……」
「大丈夫。あれは口説いたうちには入らないからさ」
「それはそれでキツイっす……」
そんな二人のやり取りを見つめながらロルフは小さく息をはき、リアの走っていた道を眺めながら、
(後はレーラさんとフリッツさんか……このまま上手く行けばいいんですけど)
●
バカだ馬鹿だばかだ私は。
(一体なにやってんのよぉおおおお!)
リアはでたらめに格納庫前の道を疾走していた。
(いきなり処女宣言はないでしょうよ!?)
それも大声、叫び、悲鳴といったレベルのだ。
一気に自分の評判は広がるんだろうなぁ……なんて思う。無論、戦果や功績といった名誉なものではなく、人前で処女宣言をしたちょっと頭が楽しいことになっている人物としてだ。
(一日目にしてこれって……)
訓練で培った体力にものを言わせて全力疾走を続けていたリアは、溜息とともにスピードを緩めた。長い溜息と一緒にとぼとぼと歩く。
勝手に混乱して勝手に自爆した自分が全面的に悪いのだが、
(どうして、上官として転属してきた私に対してあんな話題になるのよ……普通はもっと色々あるでしょうよ……)
二度目の溜息。
頭をかき回すような恥ずかしさが抜けてしまえば、後に残るのは自己嫌悪と八つ当たりじみた思いだけだ。
(大体なんなのよ、あの人たちは……)
思わず表情をゆがめる。〇五小隊は予想していた以上にめちゃくちゃな部隊らしい。
全然軍人っぽくないロルフに、赤瞳人種のアメリア、いきなり上官を口説き出すリュデュガ―……それに、
(挨拶にもこないフリッツとかいうやつ……)
「はぁ……」
三度目の溜息。
溜息をすると寿命が縮むなんて話があるけれど、もしそれが本当ならこのまま溜息だけで自分は殺されてしまうんじゃないだろうか?
(一日目にしてこれだもん。これから一体どうなるんだろ……)
どうにかしてやろうという意気込みよりも、これから先の不安が勝って本日四度目の溜息をつきそうになったときその音が耳に届いてきた。
――――――!!
耳鳴りのような人間の可聴域ギリギリの超高音。こんな独特な駆動音を出すものをリアは一つしかしらない。
その音に吸いよせられるように、十三の数字が振られた格納庫へ足を踏み入れた。
格納庫の中は電灯で照らされているとはいえ薄暗く、油と埃の鼻に来る臭いで満ちていた。周りを見回せば、壁沿いに階段と足場があり、正面には巨大な柱が二本一セットとなるUNU専用の固定器が設置されている。
そして予想通り、固定器には一機のUNUがかしずくようにして鎮座していた。
そのまま目を凝らせば、UNUの肩と足元にそれぞれ一つの人影がある。
肩の上にいるのは男で、足元にいるのは少女だ。
(なんで子供がこんなところにいるの……?)
疑問に思ったリアは、ゆっくりと足を進め背後から少女の肩を叩いた。そのまま、格納庫内に響く音に負けないようにと思い切り息を吸い、
「ねぇ、君! こんなところにいたら危ないよ!?」
声をかけた瞬間だった。目の前の少女の身体がビクリと跳ね上がり、ものすごい勢いでこちらに振り返ってきた。
背丈と顔立ちからして十三か十四だろうか? ややウェーブのかかった栗色の髪に、ブラウンの瞳。身体は小柄で、着込んでいる軍服はサイズが合っていないのか随分ぶかぶかだ。表情は驚いたのだろうどこか怯えを含んだもので、目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
悪いことしたかな……リアはそんなことを思いつつも、少女の両腕に抱かれているものに気がつくと目を丸くした。
(え……これって……)
少女の髪と同じ色の毛に全身が覆われており、プラスチックで出来た黒い瞳は丸く愛らしい。全体的にマルッとして可愛らしい体はしかし、少女がよほど強い力で抱きしめているのだろう、いびつな形になっていた。
(ぬいぐるみ、だよね……?)
少女が抱いていたのはネコだかクマだかは分からないが、ぬいぐるみに間違いない。
軍服を着ているのだからこの基地に配属されている兵士なのだろうが、何故そんな人物がぬいぐるみなど抱いているのだろうか? そもそも、アルトベルク内で徴兵が許される成人――十五歳になっているのかすら怪しい。
(誰かの子供……?)
いや、基地内に家族を連れてくる軍人など聞いたことがないし、許されるものでもないだろう。だったらこの子は?
「えっと……君、名前は? なんでこんなところにいるのかな?」
リアは驚かせてしまったお詫びとでも言うように優しく笑って見せ、視線を少女に合わせる。
「あ……う、ぅ……」
しかし少女は困ったように眉を寄せ、助けを求めるように辺りをきょろきょろ見回すだけだ。こんな表情をさせるほど、私は彼女を驚かせてしまったのだろうか……? リアがそんなことを考えていると、突然上から声が降ってきた。
「悪りぃ、レーナは上手く喋れねぇんだ。なんか聞きたいことがあんなら俺が答えてやるから勘弁してもらえねぇかな?」
驚きつつ上を見上げて見れば、いつのまにか男がこちらを見下ろしてきていた。さっきまで聞こえていたUNUの駆動音も消えている。
リアは、レーナと呼ばれた少女と男を交互に見ると躊躇いがちに口を開いた。
「なんでこんな小さな子が
「小さな子って随分失礼だな……レーナは十五歳。立派な戦車兵、それも砲手だぜ? 子供扱いしたらフライパンでぶん殴られるか、戦車砲お見舞いされんぞ?」
「うそ!? だってこんなに小さいのに……!」
それにぬいぐるみだって抱いてるし……その言葉は危ないところで飲み込んだ。
レーナの方へ視線を向けると、彼女はじーっとこちらを見つめてきている。何も喋らないせいか、余計にその視線が批難がましく思えて仕方がない。
リアは誤魔化すように小さく笑い、
「あはは……ごめん、ね?」
「お、く、いあ、えるかあ……。あいじょうう、うあいあんで、あぐったりお、いない、お……?」
よく言われるから……。大丈夫、フライパンで殴ったりもしないよ……? そう言う彼女はオドオドと気弱に笑ってみせるが、雰囲気はどこかいじけている。
(そう言えば、私もお父様から子ども扱いされてよくいじけてたっけ……)
もう随分と昔のことを思い出して、リアは思わず苦笑を浮かべた。
「よっ、と……!」
そんな声と共に男がUNUの肩から飛び降りてくる。
伸ばしっぱなしの栗色の髪に琥珀色の瞳。ジャケットは羽織っておらずインナーの黒いタンクトップと、ベージュのボトムという姿だ。体格は細いのだが、がっちりとしている印象をうけた。表情はどこか眠そうに緩んでいて髪にも寝癖がついている。
リアは、その男の姿を見てだらしないと思うよりも先に脱力感を感じてしまった。
(あはは、第二軍部の人たちってみんなこんな感じなのかなぁ……なんとなくだらしなくて、階級も確認しないでいきなりなれなれしく喋る……)
苦笑が浮かぶ。しかし、自分もとんでもない赤っ恥をかいてきたばかりの身だ。今すぐふさわしい態度をとれと言われてもかなり難しかっただろう。
正直、この男のような砕けた態度で接してくれた方が落ち着けて助かる。
(こっちも、変に固くならずにすむしね)
一度深呼吸をしてから男に視線を戻すと、彼は大きな欠伸を一つ漏らし、
「アンタ見ない顔だな? 新しく配属されてきた奴か?」
「ええ、まぁそんなところね。貴方は整備兵? この機体を弄ってたみたいだけど?」
リアが聞くと男はああ、と頷いた。
「まあ、俺は整備兵ではないけどな……。自分の乗る機体だ、人に弄ってもらって何かあったら嫌だろ? それにコイツはちと特殊でね、細かいところは普通の奴らが弄ろうとしたってそうそう簡単にやれるもんでもないのさ」
「特殊……?」
男の言った言葉に首を傾げ、リアは鎮座するUNUをもう一度見上げる。
膝を立てた状態で動きを止めているUNUには、大して変わったところなど見当たらない気がする。背部から伸びる二本の対空砲も右腕部の主武装である実弾ライフルも、腰部に二つ備え付けられている双発式滑走走行補助用の推進器も現在アルトベルクで標準とされているUNU――《リッター》と同タイプのものだ。
違う点を上げるとするならば、装甲の色んな所にライフルや
と、そこまで考えて、リアはあることに気が付いた。
(……ちょっと待って! 普通こんな大きなダメージもらったら装甲は交換なんじゃないの!?)
思わず目を見開き今度はよく観察する。
ほぼ全身にあるといっていい程にある傷の中で、突出して目立つのは二箇所。右肩部装甲にある深い裂傷と、左大腿部装甲にある弾痕だ。この二つの傷は装甲を貫くいびつな穴を開けており、内部機器が見え隠れするほどに傷が大きい。もう装甲として役に立っていないだろう。
(それに……)
一度正常なUNUとの違いに気が付いてしまうと、後はもう簡単だった。
まずパーツのバランスがおかしい。
右腕部は丸みを帯びている作りになっているのに対し、左腕は鋭角なシルエットを持っている。動力である
各部全て共通規格のパーツを使って組んでいるのならば、こんなアンバランスな機体になりはしない。つまりこの機体は、規格の合わないパーツをカスタムし無理やり組み合わせた機体ということになる。
そしてもう一つ。今まで自分がシールドだと思っていた十字架状のパーツへ視線をやった。
左腕に取り付けられたそれは、十字の下の部分が二つに割れ、拳の方へと突き出している。まるで何かの射出機だ。少なくとも、身を守るためのシールドではないことは確かだろう。
「なに? この滅茶苦茶な機体……」
リアが思わず呟くと、正面の男は心底楽しげに笑った。
「驚くのも無理ないわな。コイツは補修機も補修機、もう原型なんて留めちゃいねぇからな。元の機体の名残と言えばほれ、コレくらいだ」
そう言って男が見せてきたのは手の平に乗せられた石の破片だ。小石ほどのそれは、男の手の上で黒く金属的な光沢を放っている。
リアはマジマジとそれを見つめてから、
「これって、UNMの破片?」
「ああ、前の出撃で傷が入ったみたいだったからな。レーナに出力チェックをしてもらいながら削ってたんだ」
「う、ん」
傍でレーナが頷くのを感じながらリアはその破片を見つめた。
UNMは外見的には鉄鉱石となんら変わりはないが、強大なエネルギー放出に耐えうるだけの強度を誇っている。ただし一度傷が入ってしまえば、そこから一気に亀裂が生じて砕けてしまう。ゆえに、出撃後は逐一UNM動力炉をチェックして、傷が入っていれば脆くなったその部分を削る必要がある。
UNU騎兵ならば誰でも知っている初歩的なことだ。
そういう初歩的で大切な整備を怠っていないというのは関心できることだが、そもそも、その整備を行う機体が酷すぎる。
リアは小さく溜息をつきながら半目で男を見つつ、
「あなたねぇ、そんな機体に乗るなんて……死にたいの?」
「進んで死のうなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇさ。それに、見てくれはこんなだが、この《ガイスト》はなかなかやってくれるんだぜ?」
まるで、大事な宝物を誇る少年のような純粋な瞳でボロボロのUNUを見上げる男に、リアは思わず苦笑を漏らした。
(機名まで付けちゃってるんだ)
激戦区で戦うUNU騎兵の中には、自分の機体に名前をつけるものも少なくはないと聞いている。
苦楽を共にし、正真正銘、命を預ける相棒たるUNUに愛着が湧くのは当然と言えるのかも知れない。前線に出たことがないリアでさえ、その話を聞いたとき何となくその気持ちが分かる気がしたし、憧れさえ抱いたこともあった。
けれど、
(なんで
まさか……と思う。
第〇五小隊はなんと呼ばれていた? 目の前の男は自分がここに来るまで一体何をしていた?
(……まさか、ねぇ?)
でも、そう考えれば全て辻褄が合うのだ。
リアは顔一杯に優しげな笑みを貼り付けると、ブロンドの髪を微かに揺らしながら小首を傾げた。
「ねぇ、あなたUNU騎兵よね? 所属と名前を教えてもらえないかしら?」
視界の隅でレーナがびくりと震え、おずおずと男の傍へ寄っていくのが見えたが、今は無視だ。それよりもまず確かめなくてはならない。
そして男は違和感を感じた様子もなく、何気ない口調で言った。
「ん、俺か? 俺は第〇五小隊所属、フリッツ・エングラー准尉だが?」
「ああ、やっぱり……」
ふふふ……と内心どす黒い笑みがこぼれる。
(何から言ってやろうかしら……?)
言いたいことは山ほどある。山ほどありすぎて頭では処理しきれなかった。
だからリアは行動に移した。なに、軍隊ではよくあることだと、大きく頷きつつ、
「ん? やっぱりって言うのは一体どういう――のわっ!」
短いながらも深い踏み込みの拳――首を刈り取るような起動を描く右フックだ。
男――フリッツは、拳が顔面に着弾するスレスレのところで顔を仰け反らせて回避した。フリッツの足元ではレーナが悲鳴すら上げられず目を見開いてこちらを見ているが、リアはそれに構わず憎々しげに舌打ち一つ。
「ちぃっ……!」
これでも軍学校の体術訓練では、顎先を狙ったこのフックで自分よりも体格のいい男をノックアウトしてきたのだが……鈍っただろうか?
(うん)
思考は一瞬、当たらなかったのならもう一発。
右の拳を大きく振りきりつつ身体を回転させ、そのまま左の裏拳を男の顔めがけて打ち出した。フリッツは回避のために仰け反らせた身体を戻している最中で、レーナが彼の腰にしがみ付いているせいで飛び退くこともできない。これなら避けることはできないだろう。
「だから……っ! いきなり何すんだっつぅんだよ!!」
フリッツは叫びつつ、拳と自分の顔の間に手のひらを差し込んだ。
手のひらを叩く小気味良い音が響いてリアの動きが止まった。拳を握り込まれたのだ。
リアは歯軋り一つ、フリッツを睨みつけ、
「いきなり? 何すんだ? アンタねぇ……! アンタが基地指令の召集に応じなかったせいで私、私は……!」
とんだ赤っ恥をかいたのよ……!
八つ当たりだとは何となく分かっている。けれど、頭では理解していても心はそうはいかない。
このフリッツという男がはじめから司令室に来ていれば、小隊員たちにあんな醜態をさらすこともなかったし、新しい指揮官としての威厳も保てたはずなのだ。
(それなのに……!)
「召集? ……それじゃあアンタが新しい指揮官のリア・ベルネット少尉殿か」
フリッツは、受け止められてもなお振りぬこうとするリアの拳を押さえ込みつつ、呆れたように溜息をついた。
「それだったらロルフを行かせただろ? 実質〇五小隊はアイツが仕切ってたようなもんだ。お飾りの俺が行くよかマシだと思ったんだがな」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
指揮官よりも部下の方が優秀だったという話はいくらでもある。それこそ星の数だ。それでも一指揮官となった以上は、最低限果たすべき義務があり使命がある。それを果たそうともしない奴は指揮官以前に軍人として、国や民を守る兵士として失格だ。
(頭きた……!)
もう自分がかいた恥など頭になかった。こうして咎められてさえ自分の態度を改めない――それどころか、「代役を行かせたのだからいいじゃないか」と平気で言い切るこの男にリアは腹が立っていた。
「ふざけんじゃないわよ!? ことがアンタ一人のことならいいの。でもこれは隊全体の問題でしょう!? ましてやここはヴァイスベルク山脈を挟んでいるだけで、中央戦線が目と鼻の先にあるのよ! 今も戦っている人たちがいるの! 死んでいっている人たちがいるの!! 第二軍部と言ったっていつ出撃命令が下るか分からないの! それをアンタはこんなボロUNUにかまかけて責務を怠るなんて――」
「ぼ、ろ、じゃない!」
まくし立てるようにしてわめいていたリアを止めるものがあった。それは舌足らずで小さな、けれど、一生懸命な声。
視線をそちらに向ければ、今までフリッツに抱きついていたレーナが、目に涙をためてこちらを睨んできていた。
彼女は、何とかしてしっかりした言葉を紡ごうと何度も唇を動かして……
「ふ、ふりっつひゃん、ひゃんと、ひゃんがえてる、もん! か、かつてあこと、いああいでくだひゃい!」
自分より年下の少女の声にリアがたじろぎ拳を下ろすと、目の前のフリッツが今まで浮かべていた無気力そうな表情を変えた。人を馬鹿にしたような笑みへと。
「ご立派ご立派。お国を守る第一軍部出身の軍人様は言うことが違うね。だが俺は、正直なところ、この国がどうなろうが知ったことじゃないんだ」
「なっ……!? アンタなに言って……アルトベルクがセントシルヴィアに負けてもいいって言うの!?」
「ああ、興味ないね」
即答と呼べる速さで答えたフリッツにリアは絶句した。
この男は自分の言っていることを理解しているのだろうか? この国が負けるということは……
「アンタ、それでどれだけの人が死ぬと思ってるの!?」
「…………」
フリッツは答えない。
コイツは人の命を……!
「あんたは国を……人の命を何だと思ってるのよ!!」
リアが悲鳴のような声を上げると、フリッツはまるで見せ付けるかのように大きな溜息を漏らし、真正面からリアを睨みつけた。
「それじゃあ聞くが、アンタはどう思っているんだい? リア・ベルネット少尉殿? かの有名なツェーザル・ベルネットのご息女さん?」
リアは小さく深く息を吸うとフリッツの目を睨み返し、自分の中にある最高の言葉を口にした。
「私は、人の命はみな平等であり、幸福であるべきだと考えているわ。そのためにはまず、この国が平和でなければいけない。だから……」
アンタのような考えは許せない……! そう続くはずの言葉は、吐き捨てるように笑うフリッツの一言で一蹴された。
「理想論にすらなってねぇ。なぁおい、それは一体誰の言葉だい? ツェーザルのご息女様?」
「――っ!」
もう頭の中が滅茶苦茶だ。感情の制御なんて出来なくなり勝手に涙が滲んでくる。
もはや口では言い返すことが出来ず、感情の任せるままに右手を振るった。
乾いた音が格納庫内に響く。
リアの振るった手のひらがフリッツの頬を叩いたのだ。
彼は叩かれた頬をさすっているだけで何も言ってこない。表情すら、眉の一つすら変えてはくれない。
(避けられたくせに……!)
そう考えると酷く自分が惨めに思えて、リアは逃げるように駆け出していた。
●
いつまでたっても帰ってこないリアを心配に思ったロルフたちは、彼女を探して各格納庫を見回っていた。
「本当どこいったんでしょうねぇ……少尉は」
「まぁ、こんだけ広いんだ。新任なら迷っても仕方ないけどねぇ」
「つかあの少尉さん、トイレの場所知ってたんすかねぇ……わざわざ兵舎まで戻ってたりして」
「……アンタ、本当にあの娘[こ]がトイレに行ったとでも思ってるのかい?」
「はい? だって本人が言ってたじゃないっすか?」
「……はぁ。駄目だねこりゃ。アンタが戦死したら、一生フラれ男って墓石に刻んでやるよ」
「なんでっすか!? 俺なんか変なこと言ったすか!? ねぇ、ロルフさんも笑ってないで教えて下さいよ!!」
「あはは……」
そんな会話をかわしながら道行く兵士達に話を聞いてみるが、姿は見たがどこに行ったかまでは知らないという答えばかりだ。三人は仕方なく第〇五小隊の割り当てられている格納庫の一つ――第十三番格納庫に向かうことにした。とりあえずは、前指揮官であるフリッツに報告した方がいいだろうと言うことになったのだ。
十三番格納庫に足を踏み入れると、そこには見知った顔が二つUNUの整備をしている。
ロルフは、UNUの胴体部から伸びるコードが繋がった機器の操作をしているフリッツの背中に声をかけた。
「フリッツさん。ただいま戻りました」
「おう、ご苦労さん」
振り返らずにそっけない返事を返してくるフリッツに、ロルフは苦笑を浮かべる。
「おや、レーナもいたのかい?」
「う、ん」
フリッツの背中をじっと見つめているレーナに、アメリアが声をかけると、レーナはぬいぐるみを抱いたまま小さく頷く。
そのいつものどおりの光景に「物好きだねぇ……」などと呟いてから、アメリアはUNU――ガイストを見上げた。そのまま溜息を一つ。
「しっかしまぁ、いつ見てもオンボロだねぇ……よくこんなもんで戦ってられるって関心しちまうよ」
アメリアとしては、いつもと同じ
普段ならここでフリッツが「そうかぁ?」などと呟いて、自分が更に何かを喋って、リュデュガ―が馬鹿を言うのがお決まりで、そこから本題に入るのが長年続いてきたやり取りだ。しかし……
「お、ろ、じゃ、あいおん……」
「え?」
小さな声に目を見開くと、フリッツを見ていたレーナがこちらを見つめてきていた。それも浅く眉を立てた表情で、だ。腕には相当力が篭っているのか、ぬいぐるみが可哀想なくらいに歪んでしまっている。
(珍しいこともあるもんだねぇ……)
レーナは普段大人しく、あまり自己主張をしないような子なのだ。それが、こんな恨みがましい表情で何かを言い返してくるなんて本当に珍しい。それも、いつも通りの冗談を本気にしてとなると、レーナがこの隊に正式に配属されて以来と言ってもいいくらいだ。
(こりゃ、なんかあったね)
アメリアが眉を潜めていると、リュデュガ―もいつもと雰囲気が違うことに気が付いたのか、慌てた様子で口を開いた。
「そ、そう言えば、ここに新しい少尉さんこなかったすか? 途中ではぐれちまって見つからないんすよ」
「ああ、来たぜ?」
そう言って振り返ったフリッツの顔に、リュデュガ―たち三人は目を見開いた。フリッツの左頬に赤く残っているのは、これ以上はないというほどにくっきりとした手形だ。
「ここに来てなんか喚いたと思ったら、俺に平手かましてどっか行っちまったよ。ひでぇ指揮官もいたもんだ」
はき捨てるように言うフリッツをよそに、アメリアはロルフへと視線をやった。
彼は、不安的中とでも言うように眉を下げて溜息をはいている。
(まぁ、軍人にしとくにゃ勿体無いほど真っ直ぐな娘だったからねぇ……)
そりゃあ性格がねじくれた目の前の馬鹿とは反りが合わないはずだ。と、アメリアは苦笑と共に思う。それよりもあの新任少尉が不幸だったのは、フリッツの傍にレーナがいたことだろう。レーナは普段自己主張しない分、一度主張をはじめれば酷く頑固だ。それも、問題がフリッツのこととなれば……。
(レーナのフリッツ贔屓に巻き込まれたんならご愁傷様だよ。本当に)
まぁ何はともあれ、女に殴られたんなら論議の余地がないほどに男が悪い。とりあえず、フリッツには後で二、三発殴られてもらうとして、問題はこの馬鹿男が何を言ったかだ。
「アンタ、一体何を言ったんだい? 女が手を上げたんだ。よっぽどのことだろう?」
「さぁな」
「そうかい」
フリッツの気の抜けた返事に、アメリアは小首を傾げながら可愛らしい笑顔。
そのまま、踏み込みと腰のひねりを乗せた右拳でフリッツの顔面ど真ん中を打ち抜いた。
「――っ!?」
思わずしりもちを着き悶絶するフリッツと突然のことにあたふたするレーナ、同情の表情を浮かべるリュデュガ―に、目を見開き固まったロルフ。
そんな面々をしり目にアメリアは、これからどうなるんだろうね……などと思いつつ、これ見よがしに溜息をつくと、床に転がるフリッツに厳しい視線を向けた。
そして、
「どんな理由であれ、女に手を上げさせる男は最低のクズさ。よーく覚えておきな」
●
「はぁ……」
リアは後ろ手にゆっくり扉を閉めると、大きな溜息をついた。
壁にある電灯のスイッチを入れてから見回す部屋の中は酷く質素だ。
大きく三歩も行けば奥までついてしまうほどの狭い部屋に、窓が一つ。四方の壁は白いだけで全く飾り気がない。部屋の中にあるものといえば、パイプベットに小さな本棚とスタンド付きの机、そしてクローゼットだけ。
しかし、ただでさえ狭い部屋の中、それだけの家具があれば殆どのスペースは埋まってしまう。自分の持ってきたトランクが残り少ないスペースに置いてあるので部屋だか物置だか分からない状態だ。
(それでも一人部屋っていうのは、やっぱり優遇されてるのかな?)
ふとそんなことを思う。他の兵士の寝泊りする場所と言えば、最低でも二段ベットが二つはある四人以上の相部屋だ。自分のスペースと呼べるのは、カーテンで仕切れるベットの上ぐらいのもので、隠し事など一切できないし、一人の時間など取れたものではない。
(相部屋の方がよかったんだけど……今はありがたいかな?)
本当は、他の兵士と違うように扱われたように思えてしまう一人部屋は嫌だったのだが、今は最低の一日を振り返るための時間が欲しい。
リアはトランクを避けるように部屋を進むと、黒い皮の軍靴も履いたままベットに倒れ込んだ。
何気なく視線をやった窓の外はとっくに日が沈んでいて真っ暗だ。時折り見える光は夜勤の警備兵が持つ懐中電灯と、装甲車や軍用車のヘッドライトだろう。
その光をぼぉっと眺めることしばし、リアはベットに顔を埋めるように下を向いた。
そのまま頭の中を整理するように今日、とりわけ、格納庫から逃げ出した後のことを意識的に思い出す。
あの後、どうにかして頭の中を切り替えようと一人で兵舎の中を見て回った。
このシュッツバーデン基地の兵舎は、四つの細長い建物が正方形を描くように配置されておりなかなか広く、全部見て回るのには随分と時間がかかってしまったが有意義ではあった。
その中でも一番印象に残っているのは、基地の南側に位置する第四兵舎と呼ばれる建物のことだ。
第四兵舎は他の兵舎とは違い子供達で溢れ返っていた。
話を聞いてみれば、彼らはみな戦争で親を無くした子供達で、軍学校に通う金もなく、ただ戦う意思だけを持って義勇軍――第二軍部へと集まってきた子供達だという。
第四兵舎はそんな子供達に軍事教練を施す場所、つまり戦災孤児専用の軍学校だったというわけだ。
身の丈に合わないライフルを一生懸命に構える姿や、拳銃を分解し組み立てる姿に感服したリアであったが、同時に何かが間違っているとも思った。
『あんな小さな子たちまで戦うことを覚えなくちゃいけないなんて……』
そんなことを呟いたリアに、第四兵舎を案内してくれた教導官は少し寂しそうに笑って見せてから、言った。
『なにもここで習った子全てが戦場にいくわけではありませんよ。ここの教導過程をすぎたら後は彼らの自由です。ここに残り戦うも良し、基地から出て新しい道を探すも良し。最低限の読み書きと技術も教えますから、生きていこうとすれば彼らは生きていけるはずです。もっとも、親の仇を殺すことを糧に生きている子も多いですから、やはり大部分はここに残ってしまうのですけれどね』
この言葉一つとってさえ、第一軍部と第二軍部の違いを見せ付けられた気がした。
第一軍部の軍学校――つまり、国の保有する軍学校では、軍事教練過程終了者は兵士になる以外の道なんて提示されない。あまつさえ、兵士一人を《作る》のにいくら金がかかるのか、なんてことも堂々と語られるのだ。
(人の命をどう思っているのか……か)
自分がフリッツに言い放った言葉だ。
命とは尊いものである……奇麗事ではあるが大前提だと思う。なにせ、政治や法律は人々の暮らし、ひいては命を守るためにあると言ってもいいぐらいのものなのだから。
それを踏まえた上で、答えも確かにある。
(人は平等で、幸福になる権利がある……そのためにも国は平和じゃなくちゃいけない)
しかし、フリッツはそれを誰の言葉なのかと問い返してきた。父の理想に共感している自分は何も言い返せなかった。それは何故だろう?
(本当にそう思っているのに……)
無意識に視線が机の上へ向かっていた。そこにあるのは、ボロボロの写真立てに収められた一枚の写真だ。
写っているのはまだ幼い自分。そして、白髪交じりの金髪と碧の瞳を持つ厳格そうな男の姿。男は深い蒼の軍服を纏っており、慣れない様子で幼いリアの頭に手を置いている。
荷解きも出来ないほど慌しかった中で、その写真だけは荷物から取り出し飾っておいたのだ。
幼い自分の笑顔と、尊敬する父の姿を見つめながらリアは溜息をついた。
と、
「少尉、起きてるかい?」
突然そんな声が聞こえ扉がノックされた。リアは慌てて起き上がると皺の出来てしまった軍服を簡単に整え、立ち上がる。
「ええ起きてます! 起きてますよー!」
自分でも首を傾げてしまうくらい間抜けな返事を返してしまい、思わず俯いてしまいそうになる。が、
(今さらか。もっと格好のつかないようなこと叫びまくったし)
自嘲気味に溜息を漏らし、肩を落とす。
「あはは! なに慌ててんだか……入るよ?」
「ええ、どうぞ」
部屋に入ってきたのは手に紙の束を持つアメリアだった。風呂上りなのだろう、長く赤い髪は微かに濡れていて、電灯の光を受けて艶やかに光っている。
そのアメリアは、部屋に入るなり無遠慮に辺りを見回して吐息を一つ。
「ったく、年頃の女の部屋じゃないねぇ……味気なさすぎるよ。せっかくの個室が泣くよこれじゃあ」
「大きなお世話です。そもそも、こんな時勢で飾り立てた部屋に住んでいる女の子の方が珍しいですよ。」
「そんなもんかい? まぁなにはともあれ座らせてもらうよ? よっと」
むきになって言い返すリアを半ば無視して、アメリアはベットに腰をかけてしまった。
リアはその様子に呆れ気味の苦笑を浮かべる。
今さら何を言っても無駄だろうし、この基地に来てからの短い時間でだいぶ慣れてしまったが、少しは上官の部屋だということを意識して欲しいと思う。これでは、ちょっと遊びに寄って来た友人のようだ。
そんなことを思っていると、アメリアがこちらに視線を合わせ手に持っていた紙束を投げ渡してきた。
リアが慌ててそれを受け取ると、アメリアはゆっくりと息を吐き出し、
「しっかしまぁ、つれないじゃないのさ少尉? トイレに行くとか言っておいて一人で基地見学とはねぇ……私もロルフ坊も、リュデュガーの阿呆も結構探し回ったんだよ?」
「あ、それは……すいません」
「それに、ブリギッテの婆様のところにも顔出さなかったみたいじゃないのさ?」
「あっ!?」
言われてから気が付いた。そう言えば、ブリギッテ基地指令のところに報告に行くのをすっかり忘れていた。第一軍部にいた頃ならお叱りでは済まないところだ。それがなかったのはここが第二軍部という場所だからだろう。
しかし、それにしても……
(基地指令のことを婆様呼ばわりって)
フランクだとはずっと思っていたが、ここまで慣れ慣れしくていいものなのだろうか? どうしても違和感と疑問が拭えない。
むむっと、眉間に皺を寄せているリアにアメリアは小さく笑みを零すと、大きな動作でベットに寝転がる。
「まぁ別にいいんだけどね。そうそうその書類、この基地の装備と編成、大まかな決まり、ついでに〇五小隊員のプロフィールだから目を通しておくようにって婆様からの言伝だ。で、本格的な引継ぎ作業は、明朝0900時に基地司令室で婆様立会いのもとやるみたいだから、そのつもりで」
「ちょ、ちょっと……! そんな大事なことさらっと言わないで下さいよ!? それを伝えるためにわざわざここに来たんでしょう!?」
リアが思わず声を大きくしてしまうと、アメリアは身体を起こしてこちらを見てきた。その表情は、獲物を見つけた肉食獣のような笑みだ。
ゾクリと、背筋に寒気が走る。
(い、一体なに……!?)
身構えてしまったリアに、アメリアはクツクツと笑った。
「まぁそれもあるんだけどね、本題じゃあない。……少尉、フリッツの馬鹿とレーナ相手にやらかしたんだって?」
「それは……」
言葉に詰まる。
今思い出しても情けないと感じてしまうことなのだ。ここであれこれ詮索されるのは精神衛生上よろしくない。というよりも、正直勘弁して欲しい。
(今だって頭の中ぐちゃぐちゃなのに……)
表情を曇らせたリアから何かを感じ取ったのか、アメリアは「あはは!」と大口を開けて笑うと、
「心配するんじゃないよ! あの馬鹿もぶん殴ったし、聞きたいことは吐かせた。なにより、もうすぎちまったことさね。根掘り葉掘り聞いて傷口開こうなんて思っちゃいないさ。ただ、これだけは忠告しておくよ。レーナが傍にいるときはフリッツにちょっかい出すのは止めときな」
「へ……?」
肩透かしを食らったように間抜けな声を漏らしたリアに構わず、アメリアはニマニマとした表情で言葉を続ける。
「なにせ、レーナにとってフリッツは白馬に乗った王子様だからね、贔屓っぷりは半端じゃあない。少尉も人間なら分かるだろ? 思い人をけなされて良く思う奴はいないさね」
「あ、えと……なんて返したらいいか……というよりも、アイツが白馬の王子……ですか?」
いきなり話題の方向性が変わってイマイチ頭がついていけていないが、それでもなんとかフリッツの姿を思い出す。
全体的に気の抜けたビールのような印象で、容姿もどこにでもいる――いや、雰囲気の分並以下に見えるだろうか? そんな男が白馬の王子……?
「…………」
「ほんと、男の趣味以外はよく出来た
引きつった笑みを浮かべるリアにアメリアは苦笑すると、「よっ」という掛け声とともにベットから立ち上がった。
「それじゃあ、私はおいとまさせてもらうよ」
「あっ、ええ……」
扉へと歩き出すアメリアを呆然と眺める。本当に、この人は一体何をしに来たのだろう?
リアの視線の先、アメリアが扉を開く直前、彼女はいきなり振り返り小さな笑みを見せた。
リアが疑問に思うと同時、アメリアは口を開いて、
「その机の写真、ツェーザルと子供の頃の少尉だろ? よく撮れてるじゃないか」
「あ、はい……」
「まっ、親父が憧れっていうのはいいことさ。私個人はツェーザルに会ったことはないが、赤瞳のやつらを差別せず戦ったっていうツェーザルは偉いとも思う。ただ、憧れはあくまで憧れだ。そればっかり追って喋ってちゃあ、どんな言葉だって相手にとどきゃあしないし、甘っちょろい理想論なんてなおさらさ。それでも、自分の見てきた、感じて来たこと全てで理想論を語るなら、芯の通った生きたものになるよ。もしかしたら何かを変えることができるかもしれない」
「えっ?」
跳ね上がった鼓動を誤魔化すようにリアが小首を傾げて問い返すと、アメリアは照れくさそうに頬を掻き、
「つまりだねぇ、少尉は少尉さ。少尉自身の答えを探せばいい。少なくとも、少尉の言葉を聞いてこんな時間にここまでおせっかいしに来た奴のことを忘れないでおくれ。私は、少尉が早くここに馴染んでくれることを願ってるよ」
それじゃあお休み。
そんな言葉を最後に、アメリアは部屋を出て行ってしまった。
リアはしばらく閉まった扉を眺めてから、天井に向かって長く重い吐息をはいた。そのまま、仰向けにベットへ倒れ込む。
(私の言葉……か)
元気付けに来てくれたのだろうアメリアの言葉を反芻しつつ、リアはゆっくりと瞼を閉じる。
今日は色々なことがありすぎた。考えることも、やることも山積みだ。でも、と思う。
(しっかりしないとね……)
軽く両の頬を叩き軍靴を脱ぎ捨てる。今は少し休もう。
きっと、眠れはしないのだろうけど。
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