葬送の天秤
城井 寝仔
第1話プロローグ
そこは、太陽も昇りきらないうちから騒がしい空気に包まれている場所だった。
ベージュのジャケットとボトムを着込んだ多くの人々はみな白い息を吐きながら動き回り、まだ灯りの灯る巨大な格納庫が立ち並ぶその場所を、右へ左へ忙しそうに移動している。格納庫間を繋ぐいくつもの道には、どこか岩のようなイメージを抱かせる装甲車が何台も走り、時折り騒がしい空気を貫くように響いてくるのは重機の甲高い駆動音。
アルトベルグ共和国ヴァイスベルグ方面軍第二軍部本部・シュッツバーデン基地。それがこの場所の名前だ。
ようやく地平から太陽が昇り始め、格納庫に灯っていた明かりが消えようとしていたとき、南に位置する基地の入り口から多重に、それも重厚に響く音の群れがやってきた。
一つは、キャタピラの回るどこかコミカルにさえ聞こえる高い音。
一つは、装甲車のエンジンが出す低い音。
一つは、まるで地鳴りのような重い音。
格納庫内で戦車の整備を行っていた一人の整備兵がその手を休め、外へ出ながら音の方へと視線を移すと、視界一杯にあるものが広がった。
砂埃と雪にまみれた銀色。その色を持つのは巨大な人型だ。
人の十数倍はある体躯に甲冑を纏ったような出で立ち、左腕には長大な盾を持ち、右腕には巨大なライフル。背中から天へ向かって伸びる二本の筒は対空砲だ。
どこか騎士にも似た雰囲気を纏う巨人――UNU[ユーエヌユニット]と呼ばれる人型兵器を前にして、整備兵が思わず上を見上げると、UNUはまるで忠誠を誓った王にかしずくかのように片膝を落とし、動きを止めた。
それでも整備兵が動かず上を見上げていると、UNUの頭部が大きく開き、その中から一人の男が姿を表した。
茶色の短髪に長身痩躯。ジャケットはだらしなく前が開いており黒のタンクトップが丸見えで、だぶついたボトムにはベルトさえ通していない。軍人をしているよりも酒場でバカ騒ぎをしている方が似合っていそうな若い男だ。
その男はUNUの頭部から肩部に移動すると、こちらを見ている整備兵に向かって満面の笑みを見せながら大きく口を開いた。
「ただいま~! 何だか騒がしいみたいっすけど、なんかあったんすか?」
男の口調に苦笑を漏らしながらも整備兵は一応の敬礼を返し、こちらも大きく口を開く。
「昨夜、第一軍部陸軍第十二大隊の面々がアダレイト前線基地攻略の任より一時後退、補給と修理のためにこの基地に立ち寄りまして! おいてはシュッツバーデン基地総員で補給と修理を済ませろと命令が……はぁ……」
溜息混じりに徐々に勢いをなくしていく兵士の声と、明らかに嫌々やってますという風にゆがんでいく表情に茶髪の男は苦笑を深めた。
「そいつは本当にご苦労様っす……勝手に突っ込んで息切れした挙句、補給と修理は第二軍部の基地で済まそうなんて、本当にやりたい放題っすねぇ第一軍部は……」
「本当ですよ……ちょっと助けてくださいよ伍長」
「ああ、それは無理っすね。ほら、俺こんなでも帰還したばっかじゃないっすか? シャワー浴びて一寝入りしたい気分なんすよねぇ……」
「うわ、うわ、そんなこと言うんだ。どうせ、任務って言っても大してキツイもんじゃなかったくせに! かわいい整備班の頼みごとも聞けないなんて胸の階級章は飾りですか!?」
「おいおい、第一軍部でそんなこと言ったら君、上官侮辱罪ものっすよ?」
「ここは第二軍部だから大丈夫です!」
開き直って言い切る整備兵に男が呆れたように笑おうとした瞬間、
「リュデュガ―……あんたこんなところでなにやってんだい?」
突然、背後から迫力のある声が響いてきた。
「げっ、
茶髪の男――リュデュガ―は、さび付いた機械が無理やり動いているようなぎこち無さで背後に振り返ると、その声の主を確認する。
そこにいたのは一人の女だった。
腰に届きそうなほど長い赤髪を項の辺りで一つにまとめ、長身で細い身体にベージュの軍服を着込んでいる。顔立ちは端整な部類ではあるのだが、どこか獰猛な獣じみた印象があり、見たものの眼に焼きつくような赤い切れ長の瞳はリュデュガ―を写し大きくつりあがっていた。
リュデュガ―が引きつったような笑みを浮かべると、女は脱力するように溜息をつき、
「こんなところで油売ってる暇あるのかい? ロルフ坊から聞いてるだろ? 帰還したらすぐにブリーフィングルームに集まるようにって。それに、アンタが降りなきゃ整備のやつらにだって迷惑がかかるんだよ?」
「そうですよ伍長! 伍長達が気持ちよく戦えるのも俺ら整備班の――」
「アンタもこんなとこでふざけてないでさっさと仕事にもどんな! やること終わって暇だってんならあたしの戦車でも見てもらおうかねぇ……まだふざけられる体力があるんだ、二日くらい寝なくても平気だろ?」
「いえ! まだ自分には仕事が残っております! それでは伍長、軍曹、失礼いたします!」
うすら笑いを浮かべながらの女の言葉に、整備兵は背筋を伸ばし敬礼を返すと、そそくさと格納庫の中に戻っていってしまった。
その様子を見ていたリュデュガ―は、ご愁傷様とばかりに去っていく整備兵の背中に手を合わせ、笑いを堪えるように表情を歪めながら再び女の方へと視線を戻した。
「相変わらずの鬼っぷり……あれは俺でも仕事に戻りたくなりますわ」
「鬼にしてんのはどこのどいつだい? あたしは自分で言うのもなんだけどいい女だよ?」
自信満々に言い切った女の言葉に、リュデュガ―は一瞬にして真顔に戻った。そして、ふるふると左右に頭を振り、
「すんません姉さん……その冗談はさすがに笑えませんわ。その性格じゃ嫁の貰い手なんて……」
彼の言葉は、突然下から響いてきた鈍い金属音によってかき消された。
慌てて視線を下げれば、UNUの丁度くるぶしの辺りに拳を押し付け、満面の笑みを浮かべる女の姿があり……
「へぇ……続きを言ってごらん?」
(うわぁ……あれを身体に貰うのだけは勘弁願っす……)
冷や汗をかきながら、見事に踏んでしまった地雷を解除する方法を考えていると、
「あっ、リュデュガ―さんにアメリアさん。丁度よかった」
どこか間延びした声が聞こえてきた。視線をそちらに向ければ、女――アメリアの背後から人影が一つ、こちらに走り寄ってくるところだった。
その人影は、深い青を基調としたブレザーとスラックスというアルトベルク軍の式典正装を纏った金髪の男のものだ。
「おや、ロルフ坊? ブリーフィングルーム集合じゃなかったのかい?」
振り返ったアメリアの言葉に男――ロルフは、立ち止まりつつ柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ。そのつもりでしたけど、アメリアさんたちの姿が見えたので先に話してしまおうかなと。今回のお話はお二方とレーナさんに特に重要な話なので」
「重要? どんな話なんすか?」
アメリアとリュデュガ―が身構えると、ロルフは困ったように眉を下げ、
「明日付けでこの小隊……第二軍部陸軍第〇五小隊の指揮官が変わるそうです」
「なっ……!」
「ちょっ……!」
それぞれの反応を示した二人を見て、ロルフは小さく溜息をつくとそのままの調子で言葉を続けた。
「詳しいことはブリーフィングルームで話しますが、今度の指揮官は第一軍部からの転属だそうです……いやはや、わざわざこの隊に転属なんて上層部は一体何を考えてるんでしょうか」
「第一軍部の勝手なんて今に始まったことじゃないけどさ……この話、フリッツは知ってるのかい?」
「ええ。本来なら今回の出撃前に話すことでしたから。でも、出撃前にこんな話できるわけないでしょう?」
出撃前にそんな話をすれば多少なりとも隊に動揺が走る。例え今回の任務が死亡率の低いものだったとしても、出さなくていいような犠牲が出ることは目に見えている。
リュデュガ―はやれやれと長い息を吐き出すと、
「ったく、本当に好き勝手かましてくれますね第一軍部は……当のフリッツさんはジャンク拾いに夢中で帰ってきてないし……」
「ま、フリッツのあれはどうしようもないんだけどねぇ」
リュデュガ―の言葉にアメリアは笑み混じりの溜息をつくと表情を引き締めた。
「でも正直な話、気になるところではあるね。縁起でもないあだ名を付けられたあたしらの指揮官として、どんな奴がくるのかさ」
「……そうっすね」
三人はそれ以上話すことなく、ただ、朝焼けの空へ上っていくそれぞれの白い息を見つめていた。
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