『ラストシーン 貨物船ヤースヌイ号、甲板 PartⅡ』

「もっとも。貴方たち警察、特にあの副署長にとっては、単なる脅迫ではないけれど。このロシアン・マフィアを壊滅させた手柄は、あの副署長のものよ。そこにいる、攫われた子供たちのヒーロー役もね」


 しかし、これだけ副署長に力を使わせて、見返りが映像の返却だけでは、副署長に恨まれる可能性が高い。理世はそこで、飴と鞭を副署長に上手く使い分けたのだった。熟達した策略家は、人の感情すら天秤にかける。そして、多くのものをのせたその天秤が、巡り巡って望まぬ方へと傾かぬよう、遥か先のことすらも計りきるのだ。

「ちょっと! それってつまり、また手柄を横取りってこと⁉」

 もっとも、そんなことなど知る由もない美奈が、露骨にがくりと肩を落とす。だが、別段幸平たちにとってはいつものことらしく、まったく意に介していない。幸平に至っては耳垢を小指でほじっている。

「どうでもいい。今回の喧嘩も楽しめたし、腹減ったから早く帰りてぇ」


 一方、姫梨奈と越後はそれぞれ名を捨てて実を取るために、あくせくと動き始めた。

「理世っちが良いなら、私はそれで良いよ。ところで、この下にある赤いクーペが一台欲しいから、ちょっと搬入口から出してくるね」

「んじゃ、ついでにワイも船橋の金庫から、ごっそり拝借してきますわ。証拠品がちょっと無くなるくらい、この街じゃよくあるコトやろうし」

 その様はまるで火事場泥棒である。逞しいとしか言いようがない二人の様子を見て、美奈は呆気にとられた。

「……ショッピングモールで買い物するみたいな感覚で、抗争現場から物や金をかっ攫ってるわね」

「中世ヨーロッパの傭兵は、敵の所有する都市や農村から略奪することで、糊口をしのいでいたというわ。これくらい図太くて、逞しくなければ、この街は生きていけないわよ? 我々は所詮、裏方の存在だもの。これから先も、名を捨てて実をとる選択を強いられることになる。慣れておきなさい」


 腕を組み、平然とそれを見守る理世。そこへ、特殊部隊の隊員が一言嫌味を言いに来た。ガスマスクで表情は見えないが、その言葉の隅々にまで理世への敵意が表れている。

「覚えておくといい。貴様らのように野蛮で無秩序の輩が義賊を気取れる時代は、そう長く続かないだろう。何時の時代も、悪が栄えた試しはない」

 しかし、理世はまったくそれを意に介せず、薄笑いを浮かべてこう返事をした。

「その時代が来るのはまだ当分先ね。何せ、部下をこき使って、自分は義賊気取りの無頼から名声を貰う人物が、貴方たちの上司なのだから。貴方が出世すれば、また話は違うけれど」

 隊員はその言葉に言い返すことなく、踵を返して現場から去って行った。


 数瞬の沈黙。そして、美奈がぽつりと呟く。

「義賊気取りの、無頼ねぇ」

「彼の方が正しいわ」

 理世はきっぱりとそう言いきった。彼女は怒りを覚えているわけでもなく、動揺するわけでもなく、ただ事実を述べる。

「私たちは所詮、悪を潰す悪。自分は幾分かマシだと思い込んでいるだけで、彼ら正義の側からすれば、同じ害虫であることに変わりはないわ」

 彼女は説く。

 義賊などという、曖昧で偽善的な存在は、本来なら忌み嫌われなければならないのだと。それこそが、人々の心に正しい善、正しい正義を求める心がある証拠なのだと。


 しかし、今の世界で彼女たちを大っぴらに嫌う者は、そう多くない。何故なら、豊島一家という都合の良い自警団を、理不尽に苦しめられる多くの人たちが、必要とするからだ。

 自分たちの利益になるものを正しくないからという理由で、反発できる人間もまた、そう多くない。マフィアやテロリスト、汚職警官や多国籍企業など、様々な者たちの思惑が交錯するこの街で、それは特に難しいことだ。倫理や信念を持たない巨大な力がもたらす理不尽は、そう簡単に抗えない。

 だからこそ、理世は思うのだ。

 この街がゴミ溜めである内は、自分たちの需要がなくなることはないだろうと。豊島一家がお役御免となる時は、この街が魔都ではなく、単なる国際都市へと変わる時である。


「だから、この狂騒の街に本当の善が現れるまで。私たちはせいぜい、趣味と実益を兼ねた偽善に励みましょう。それに、ただ理不尽に流されるより、例え偽善と言われても抗い続ける方が、面白いじゃない?」

 理世はそう言って、少し曇った表情をしていた美奈へ、にっこりと笑いかけた。彼女なりに安心させたかったのだろう、越後が見れば卒倒するほど、年相応の優しい笑顔である。もっとも、それは今回の一件を幕引きまで見事に予想し、たった一手でカルテルの精鋭部隊を退かせた策士だと、知らない場合の感想だが。


 海からの風が美奈と理世の髪を撫でる。

 二人はその風を受けながら顔をあげ、夜明け前の白んだ空を眺めた。星の光は消え始め、月も夜空を照らす役目を終えようとしている。狂騒の街とは思えぬほど、澄んだ空気が漂っていた。

「まぁた、随分とめんどくせぇ話してんな。目の前の胸糞悪い連中が、気に食わねぇからぶっ飛ばす。これでいいだろ。考えるより感じて行動する方が、俺好みだ」

 そんな話をずっと横で聞いていた幸平は大欠伸をして、理世たちより一足先にタラップを降りていく。

 埠頭には既に、越後と姫梨奈の二人が手を振って理世たちを待っていた。

 もっとも、姫梨奈の方は真っ赤なクーペに乗り、越後は恐らく現金が詰め込まれているであろう鞄を持っていたが。理世が珍しく、声を上げて笑った。その顔は心底から楽しそうだとしか表現できない、濁りのない笑みである。


「――まったく。これじゃあ、義賊気取りの野蛮で無秩序な輩と言われても仕方ないわね」

 そして理世はひとしきり笑い終えると、タラップを下り始める。

 ふと、美奈はこの場を立ち去る前に、答えが分かり切った質問を理世へ投げたくなった。それは彼女が思っていることを理世に聞くことで、より確かなものにしたかったからなのかもしれない。

「けど、アンタはそんな一家だから面白いんでしょう?」

 美奈の問いに、理世は立ち止まって振り返る。白んだ空よりも澄んだ白色の髪を風になびかせ、紅蓮の炎を彷彿とさせるほど紅い瞳が、美奈を見た。


「えぇ、誰が何と言おうと、最高にね。私も、そして幸平や姫梨奈、越後たちにとっても、豊島一家こそが最高に面白い、自分の居場所。――だから貴方も、自分の面白いを磨き、信じなさい」


 美奈はその答えを聞いて、満足する。

 美奈が何をしようとも、それを疑問に思い、否定する者は必ず現れるのだ。それはまるでコインの裏表がごとく、何かをしようとする限り、必ずその裏にそれは現れる。

 だからこそ、この世界は面白い。様々な人間が何かを起こし、その何かに対抗してまた別の誰かが何かをやり始める。世界に決まった形などない。世界は常に何かへ抗い、変化と拡張を続けるからこそ広く、多様なのだ。

 善と悪。秩序と混沌。生と死。様々な相反するものが入り混じり、この『狂気インサニオ』という名を冠する街は、そしてそれを許容する世界は成り立っている。

 そして、そんな世界の中で大切なものを捉え続ける方法こそ、美奈の問いに対する理世の答えであった。


 自らの面白いを磨き、信じなさい。


 美奈は、理世のその言葉を胸に刻み付け、船を下りようとする。

「飴玉のお姉さん」

 その時、彼女の上着を力なく引っ張る人物がいた。例の少女である。少女はまだ希望の灯りに戸惑いながらも、ゆっくりと美奈に頭を下げた。

「ありがとう。おかげで、明るくなったよ」

 その言葉を聞いた美奈は、たまらずにその少女を力いっぱい抱きしめた。彼女の目の端にはうっすらと、朝日に光る涙が見える。

「アンタたちのこれからは、きっと平凡な道じゃないと思う。嫌なコトだってあるし、逆に良いコトだってあるわ」

 身寄りのない子供たちが、この街で暮らしていくのは生易しいことではない。これから先も多くの困難が待ち構えていることは明白だ。

「けど、これからは自分でそれを選んでいけんの。誰に支配されることもない、自由ってモンをアンタたちは手に入れたってコトよ」

 しかし、それでも子供たちは自由を手に入れた。自らの道を自らで決める足を、子供たちはようやく動かせるようになったのだ。そこには、汚い欲望と理不尽な暴力によってつけられた足枷はない。

 最後にもう一度力強く抱きしめて、美奈は少女を離す。それから、あの貨車で渡すことができなかったぶどう味の飴玉を掌にのせ、そっと少女に差し出した。

 美奈の言葉を聞き、その手にのっている飴玉を一瞥して、しばらく少女はきょろきょろと不安そうに視線をふらつかせる。しかし何かを決心したのか、美奈の目を見て少しずつ口を開いた。

「わ、わたし、本当はぶどう味じゃなくて、オレンジ味の飴が好きなの……」

 少女の意を決した言葉に、美奈は大笑いする。そして上着のポケットから、オレンジ味の飴を取り出した。

 少女はぱあっと顔を明るくさせ、オレンジ味の飴を取る。少女が初めて掴んだ自由の味は、甘酸っぱいオレンジの味だった。

「そう。それが自由ってモンよ。好きなら好き、嫌いなら嫌い。誰に媚びるコトもなく、自分の意見を言うことが出来る。けど、あんまし好き放題やると、お姉さんたちみたいな悪ガキになるから、気をつけなさいよ」

 最後に、美奈はもう一度少女を抱きしめる。彼女なりの、子供たちと別れることに寂しさを覚えているのだろう。だが何よりも、六橋美奈という人間を成長させてくれたことに対する、感謝の気持ちを表していた。

「――元気でね。もしまた、理不尽がアンタたちを襲うコトがあったら、遠慮せず日本人街に来なさいよ」

「うん。分かった」

 美奈は手を離して、近くまで来ていた警察官たちに少女を預ける。美奈たちは所詮、この街の宵闇を歩く無頼の輩。これから先、陽の降り注ぐ明るい道が待っている子供たちには、関わらない方が良い。

 美奈もそう考え、昇ってきた太陽を横目で見ながら、ゆっくりとタラップを降りていく。


「「ありがとう! 飴玉のお姉さん!」」

 

 そんな時、彼女の後ろから子供たちの大声が届いた。子供たちの顔にもう曇りなどなく、年相応の明るい笑顔を浮かべている。

 美奈へ向かって一生懸命に手を振る子供たち。美奈はそれが、たまらなく嬉しかった。

 照れくさそうに頬を指で掻いて、タラップを降りきる美奈。そこには、一家の面々が待っていた。美奈を迎え、一家は帰路へとつく。

 

「へっ、随分と人気者になったモンだな。とりあえず、腹減ったから俺にも飴玉くれよ。飴玉のネエチャン」

「うっさいわね。アンタには、ポケットの糸きれだってやんないわよ」

「はいはい。お店に帰ったら、腕によりをかけて朝ご飯を作ってあげるから。幸平はそれまで我慢」

「ところで越後。連中の金庫の中身で、今回の派手に暴れまわった分の帳尻は合いそうかしら……?」

「ぎ、ぎりぎりなんとか。見るに堪えない赤字から、まだ直視できる赤字になりましたわ」


 東京共和国、通称インサニオ。

 力と理不尽が支配する狂騒の街。そこでは夜空に浮かぶ星すらも見えぬ欲望の光が常に煌めき、誰も彼もが思い思いの踊りを踊る。

 そんな街で、理不尽をぶっ飛ばすという、極めて単純な理想を掲げる愚連隊があった。

 変化を続けるインサニオで、その者たちは変わらない信念と理想を掲げ、これからも理不尽と戦い続ける。


 彼らの、そして彼女らの名は、豊島一家。

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ストレインシティ・ロックンロール 水茄子 @Mizunasu711

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