彼女と絆創膏とブランケット

@yoll

彼女と絆創膏とブランケット

 とっぷりと日が暮れた海岸線を青い車が一台、ヘッドライトの白い光で行き先を照らしながら走っていた。


 ハンドルを握る運転手の右手には海が見えた。

 岩にぶつかり白い泡を不規則に生み出している海岸線のずっと向こう側、即ち水平線では真っ黒な海は僅かな星明りに照らされて、深い藍色になった空に真っ直ぐに一本の線を引いていた。


 今から数時間前に、展望台から二人で見た黄金色に染まる水平線はとても煌びやかで、それはもう非の打ち所も無いほど素晴らしい景色ではあったが、今では助手席でまるで子供のように眠る彼女には、この静かな水平線が一番似合うと思っている。


 彼は随分と音量を絞ったスピーカーから静かに流れている、彼女が好きだと言ってくれたジャズのしっとりとしたドラムに合わせて、静かにとんとんとハンドルを指で叩きリズムを取っていた。


 ハイビームに照らされたタイトなコーナーの入り口が見えると、隣で眠る彼女を起こさないよう優しくブレーキペダルを踏み、十分に速度を落としたところで足をブレーキペダルから離すとハンドルをじわじわと切り始める。


 慣性で少しだけ彼女のシートベルトに固定された体が揺れたのを彼の視界が捉えた。


 コーナーの真ん中に差し掛かると、ハンドルを中立までゆっくりと戻しながら今度はアクセルペダルに足を乗せ、つま先の繊細なタッチですっかり落ちてしまった速度を焦れるくらいゆっくりと取り戻していく。


 それでも慣性に揺られて彼女の身体は先程とは反対の方へとほんの少し揺れた。


 その時、彼女の胸から膝下までを覆っていたペイズリー柄のブランケットがはらりと床に落ちる。青いワンピースの袖から伸びる細長い腕がハンドルを握る彼の視界の端に映りこんだ。


 袖の無い服を着ていても、不思議と日焼けしないその理由は彼には良く分からなかったが、きっと何か女性だけの魔法があるのだろう。そんな魔法を知らない彼の右腕は左腕に比べると随分と日焼けをしていた。


 コーナーを抜けると暫く長い直線がハイビームに照らされた。

 そこから二百メートルほど進んだ後、車はゆっくりとスピードを落とすとハザードランプを点けると路肩に寄せ停車をする。


 カチ、カチとハザードボタンの内側から鳴る小さなリレーの音を聞きながら、彼は停車した車の中で隣に見える彼女の腕の先、絆創膏が一枚張られた人差し指をちらりと見る。


 あまり得意では無いと言っていた彼女が作った弁当との戦いの後を見ながら、彼は床に落ちたブランケットを拾い上げ、埃を落としてからもう一度彼女の身体に優しく掛け直した。


 もし彼女が目を覚ましたのなら、この素敵な景色を背にしながら気の利いた言葉と一緒にキスのひとつでもしてみようと考えていたが、どうやらその機会は残念ながら今夜のところはお預けのようだった。


 ちかちかと点滅するハザードボタンを人差し指で押し込んだ後、彼はゆっくりとアクセルペダルを踏み込んだ。

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