第3話 進む途上の冒険者
担任の教師が教務机で暇そうに時間を計っている。教室の中からはどちらかと言えば戸惑い勝ちなペンの音。そして俺はペンも持たずに目の前に紙を一枚つまみ上げる。
進路希望調査。
「そー言われましても……」
俺はそう呟くと紙に息を吹き掛ける。あー、この紙消えて無くならないかな。
そんなことをしていると、後ろの席からペンを置く音。そして椅子を引き立ち上がる音がした。俺の横を後ろの席のクラスメイト、奮が歩いていく。奮は教卓の上に自分の進路希望調査書を置いた。
「お、熱田が一番乗りか。調査書は裏向きでいいぞ」
担任の言葉にはいと答えると、奮は調査書の提出を終えて帰って来る。
「なんだよやる気満々か? 優等生め」
軽くからかってやる。
「こないだのテストも出来が良かったしな。なんかあったんだろ?」
俺の言葉に奮はしかし、軽く笑って答えた。
「まあな。お前もがんばれよ、タクミ」
「くそ、いい子ちゃんめ」
俺は恨みがましく言ったあとに調査書に向き直る。
んなこと言われたってよ――。
「わっかんねえよ、夢なんて……」
呟いて、俺はペンを投げ出した。
●
「そこは昨日やった公式と同じ考え方の応用で――、そうそう」
恋に教えてもらって数学の問題を解く。俺、熱田奮は恋の部屋にいた。
恋の部屋はすっかり様変わりして、車椅子の生活に合わせた内装になっている。その部屋の壁際、勉強机に向かって俺と恋は勉強していた。
「うん、合ってる。凄いよあっくん」
「恋の教え方が上手いんだよ」
恋はもともと成績優秀でスポーツだって出来る女の子だ。まあ、現実ではスポーツは難しくなっちゃったけど。そんな恋だから、教えるのも上手かった。
「ううん、あっくんがやる気だからだよ。気持ちがないと覚えられないもん」
恋はそう言うと俺の頭を撫でて偉い偉いとか言い始めた。
「や、やめろよ恥ずかしい……」
恥ずかしいけど手をどけたりとかは出来ない俺だ。
「あら、仲がいいのね」
声と共に恋のお母さんが入ってきた。手にはお茶とお菓子を乗せたお盆を持っている。
「もう、お母さんノックしてよ!」
「あらあら、ごめんなさいね」
膨れっ面を披露した恋とは対称的に、おばさんは笑顔だ。
「お茶を淹れたから、少し休憩してちょうだい。頑張りすぎも駄目よ」
おばさんが机にお茶を置く。
「すみません、頂きます」
「いいのよ」
おばさんは笑顔を深めた。
恋と二人だけに戻ったところで、俺たちは休憩をとってお茶を飲んでいた。
「まったくうちのお母さんデリカシー無くてごめんね?」
恋の言葉に首を横に振る。
「そんなことないし――」
それに、と、俺は続ける。
「おばさんが笑顔でほっとするよ」
俺の言葉に、恋は少しうつむき、でも優しい笑顔になる。
去年、恋が事故に遭ってしばらくは恋の両親からの視線が痛くて、笑顔なんて無かった。でも、VRMMOによって恋が元気を取り戻してからはおばさんたちも笑顔だ。心底良かったと思う。
「あっくんのお陰だよ……」
恋の言葉。でも俺は否定した。
「いや、事故に遭ったのは俺のせいだ。だから俺は――」
言いかけた俺を、恋は否定した。
「ううん、あっくんのお陰。事故は仕方ないことだもん。だから、そこから私のためにがんばってくれたあっくんのお陰だよ」
俺の手を、ぎゅっと握る恋。
「ありがと、あっくん」
俺は凄くありがたい、そして愛おしい、そんな気分だった。そして顔が赤くなる。だって、そんなまじまじと言われたら!
「そ、そうだ! これを渡さないといけないんだった!」
俺は慌てて話をそらす。そして鞄から学校のプリントを取り出して机に置いた。
「進路希望調査書?」
「うん」
俺は答える。恋は今、学校へは通っていない。歩けないから当然だ。幸いなことにうちの学校に特別支援学級があり、恋は今年からそっちへ編入、訪問学級を使って自宅で勉強していた。特別支援学級ではあるが、もともと通常クラスの生徒だったので友人関係などの配慮もあって通常クラスにも名前だけ在籍という形だった。そんなわけで一部のプリント類などは俺が届けることになっている。
「進路希望かー」
恋は呟く。
「もうそんなこと考えないといけないんだね」
恋が事故に遭ってからもう半年以上。俺たちは三年生になり、進路を考える時期だった。
「恋は、どうするんだ?」
俺はおずおずと聞いてみた。なんせ恋は歩けないわけで、選択肢は多くないだろう。それに気にはしてないのだろうけど歩けなくなったのは俺のせいだ。将来に対する憤りとかあるんじゃないか? そんなことを思う。
「んー」
しかし、恋はあっさりと言った。
「まだ分かんないかなー」
その顔はちょっと笑ったようにも見える。
「そうか」
俺は安心したような、よくわからないような、複雑な気分でうなずく。
「あっくんはどうするの?」
言われて俺は答えた。
「専門学校に行こうと思う」
「専門学校?」
恋の疑問に説明を返す。
「ああ。その、VR関係の技術を学びたくて」
「VR!」
恋の顔がぱっと華やぐ。
「俺達、VRMMOがなかったらどうなってたかわからないだろ? それで、VRのことをもっと研究して、恋や恋みたいなひとのためになるものを作りたいんだ」
俺は素直に言った。実際にそう思うことだった。嘘は入れてない。俺が仕事をして恋のためにもなれば、それはすごくいいことだと思ったんだ。
「それで最近勉強頑張ってたんだね」
恋はくすくすと笑う。
「でも――」
だが次の瞬間、恋は少しだけはてなを顔に作る。
「なんで専門学校なの? 大学でもVRは学べるでしょ?」
その疑問はもっともだった。今やこれだけ進化し、ちょっと高いとはいえ一般のゲームにまで普及したVR技術。もちろん大学でも学べる。むしろ自分で研究するという考えを持つならば大学へ行くべきなのかもしれない。
「それは――」
俺はちょっと困った。それを言うのが嫌なわけじゃなかったけど、恥ずかしいからだ。だけど、意を決して言う。
「専門学校の方が早く働けるだろ? その、早く働いて給料もらえれば――」
もらえれば――。
「恋を養ってやれるかな、って……」
言ったぞ! 俺は言ったぞ! ちょっと自分でもどきどきしながらだ。だってそうじゃないか? これって要するになんて言うか、プロポーズじゃん!? でも俺はそうしようと決めていたから、だからちゃんと伝えたんだ!
「あっくん……」
それを聞いた恋はすごくうれしそうで、だけどもすぐにちょっと困った顔をした。
「れ、恋……?」
俺は怖くなった。プロポーズはだめだったのだろうか? 俺、恋に実はそこまで好かれてない?
「うれしいよ、あっくん」
恋は確かにそう言った。だけど、そのまま言葉を続ける。
「うれしいけど、その、まだ早いと思うの」
「え?」
俺は一気に冷静になった。確かに俺達はまだ高校生だ。だけど、まだ早いってのは、“迷う程度には好きじゃない”ってことなのか?
俺が動揺していると、恋はそれを見て慌てて言った。
「あ、違うのあっくん! うれしいよ? うれしいし、あっくんのことは好き。好きだけど――」
だけど――?
「将来のことはまだ決めつけないで欲しいの」
俺は見えない衝撃に頭を殴られた気がした。
●
私は思った。あ、これはあっくん、勘違いしてるなって。
目の前のあっくんは私の言葉を聞いてからなんだか相当ショックな顔をしている。違うの、そうじゃないんだってば!
「あっくん、聞いて? 決めつけて欲しくないっていうのはあっくんのためなの」
「俺の、ため……?」
あ、これはだいぶショックだったのね……。
「私を好きだと言ってくれること、私のために行動してくれること、それはもちろんうれしいの」
私は思う。私はもっとあっくんに自由に生きてほしい。
「でもあっくんにはまだこれから先長い将来があるでしょ? その将来も私と一緒かもしれない。だけど、それでももっといろいろな可能性があると思うの」
私は続ける。でも、あっくんの顔は晴れない。
「私は私の事であっくんを縛りたくないの」
あっくんは無言で、でもその顔はショックだったことがありありと見て取れる。ああ、なんて言ったら伝わるんだろう!?
やきもきし始めた私に、あっくんが言う。
「俺、帰る」
「あっくん!」
ここで帰すのは不味い! 誤解したままじゃダメ!
「あっくん、聞いて、ねえ!」
でもあっくんはそのまま部屋を出て行った。車椅子の私は急には動けなくて、追いかけられなかった。
「もう、あっくん!」
私の叫びは閉められたドアに跳ね返って、そのまま消えた。
●
「それで、以来数日会ってないと」
私の言葉に、レンちゃんはこっくりとうなずいた。
「モカさん、どうしたらいいと思います?」
「うーん」
聞かれて、私は腕組みをして考える。
「そうねえ――」
言いながらフレンドリストのウインドウを立ち上げて確認する。イギさんはログインしてない。
「こういうのはイギさんの方が得意なんだけど、まだお籠りしてるのよね」
イギさんはゲームだけでなく、いろいろな相談に乗ってくれるし、感覚が違うのか割と私たちとは違う角度から物を見たような意見も言ってくれる。でもそのイギさんは今絶賛お籠り中なのだ。ゲーム以外に意識が行っちゃうとなかなか戻ってこないのよね。
「うーん」
私は再びうなって周囲を見渡した。イギィヒルズ、イギさんの別荘の中は暖炉に火をともして暖かな雰囲気。でもそこには特にヒントがあるようなこともなかった。
「うーん……」
私は三度うなる。今度のうなり声はしりすぼみだ。
「モカさん……」
レンちゃんが不安げに私を見る。
「だ、大丈夫よ! 私がなんとかしてあげるから!」
取り合えず大見えを切る。相談相手が不安なときに自分が不安がってたらダメよ。うん。
「オルドくんはログイン自体はしてるんでしょ?」
私はもう一度フレンドリストを見る。オルドくんは今はログインしてない。
「ログインはしてて、でもウィスパー送っても返事がなくて……」
ウィスパーとは個別の相手にしか聞こえない遠距離通話のこと。ゲームにログイン自体はしてるなら会うことはできそうね。
「ゲームにログインしてるなら私から伝えれば会ってくれるかもね。それに――」
確認をするように聞いてみる。
「誤解なんでしょ?」
誤解。つまり言いたいことが言い表せなくてすれ違っただけのはずなのよね。
「はい」
レンちゃんは答えた。
「私はただ、まだ現時点で将来を狭める必要はないって言いたいだけで、あっくんがその、プロポーズしてくれたのはうれしいし……」
「う、ラブラブ光線が眩しい!」
私は思わず手で顔をガードした。いやあ、愛があるって眩しいなあ。
「と、とにかくちゃんと会って話をしましょ。誤解してるだけなんだからちゃんと話せばわかるわ」
うん、そうよ。すれ違ってるだけなんだから。
「オルドくんがログインしてきたら私が連絡とるから、そしたら私立会いのもとで話しましょ」
「はい、モカさんありがとうございます!」
レンちゃんは顔を輝かせて私を見た。まあ、この程度の相談で良かったわ。
と、その時丁度オルドくんのログインを示すメッセージがポップしてきた。
「お、来たわね」
私はレンちゃんに確認をする。
「オルドくん呼んでみるけど、いい?」
「お願いします」
レンちゃんは手を合わせてお願いポーズ。私はオルドくんにウィスパーを飛ばした。
「もしもし? オルドくん?」
「あ、モカさん」
通話に出たオルドくんはちょっと、いや結構暗い声だった。
「オルドくん、今レンちゃんが来てるんだけど――」
そこまで言ったとき、通話の向こうでオルドくんが呻いた。あ、この流れはやばいかも?
「ちょっと話をしたいってことでさ、イギィヒルズまで来てくれないかな?」
「……」
「オルドくん? おーい」
「……」
私は焦ってフレンドリストを確認した。オルドくんの名前の横に離席中の文字。ア、コイツイルスヲツカイオッタナ。
「あの、モカさん……」
レンちゃんが半笑いで私を見た。
「だ、大丈夫よ! とにかく会って話せばいいんだから――」
私は立ち上がって宣言した。
「とっ捕まえればいいのよ!」
●
そんなわけで私とレンちゃんはオルドくんを探して街へ出た。このゲームはフレンドリストにその人がいる大まかなエリアの名前が記載される。それを頼りに来たまではいいんだけど……。
「よりによってここに逃げ込むとは……」
私たちが来た街、そこはエニマからは幾分遠い山の麓にある街。その名を『遺跡都市コデックス』、通称迷宮都市。
「オルドくん、そこまで話したくないのか……」
私は頭を抱える。
「あっくん、私の事嫌いになったんじゃ――」
「それはないわ」
レンちゃんの言葉を遮る。
「そこまで思い詰めてればログインすらしないはずよ」
それは確信があった。
「ログインしてるってことは心のどこかで何かを期待してるのよ。だから話す余地があるはずだわ!」
私は言う。
「だからこの街からオルドくんを探して、誤解を解くのよ!」
叫ぶ。こういうのは勢いが大事!
「あの、……モカさん」
「ん?」
恥ずかしそうなレンちゃんの様子に周りを見ると、周囲のひとたちが私たちを見つめてる。あ、声が大きすぎたわ。
「と、とにかく探しましょ!」
私はレンちゃんの手を引っ張って歩いた。
遺跡都市の名は伊達ではない。この街は古代文明の大きな遺跡を中心にして、遺跡そのものを利用して作られた街だ。とっくの昔に解明が終わった遺跡の表層部分を利用して街が広がっている。遺跡はもともと何かの宝物庫らしく、そこへ至るダンジョンの構造になっている。表層は天井が崩れてむき出し。むき出しになったダンジョンの一部を街に作り替えているというわけだ。それだけにこの街はまさに迷路。迷宮都市の名に恥じない。
そんな街の中を私とレンちゃんは二人で歩いていく。
「うわー! ゴーレムが動いた!?」
遠く、崩れた天井と残った壁の向こうに未発掘だったであろうゴーレムが立ち上がるのが見える。
「研究は爆発だー!!」
反対側の壁の向こうに爆発が見えた。住み込みで遺跡の研究をしている錬金術師が空を飛んでいく。
「なんて言うか、賑やかな街ですね……」
レンちゃんの控えめな発言。
「この街はね、ランダムイベントが突発的に発生するように作られてるのよ」
ランダムイベント、つまり何が起きるかわからないイベントだ。定期的に新しいイベントが複数実装されて、古いイベントは消えていく。そして実装されたランダムイベントがプレイヤー、あるいはNPCの行動によって発生する仕組みだ。ランダムイベントの存在で更新が頻繁なのでプレイヤーの人気も高く、この街を訪れるプレイヤーの数も多い。
「しっかしどこへ逃げたのかしら」
フレンドリストのエリア名は大まかな表記でしかない。実際に細かくどこにいるかまでは自分で探す必要がある。
「レンちゃん、気を付けてね? 変なもの触ると変なイベント起こるかもだから」
「え?」
振り向くと、レンちゃんは犬のような石でできたそれを撫でていた。
「触っちゃダメでした、……か?」
「ど、どうだろ……」
石でできた犬は自ら動き、レンちゃんの前で尻尾を振っている。これはゴーレムの類かな? そーいえばさっきもゴーレムを見たような……。
そう思った刹那、地響きが遠くから近づいてくるのを感じた。遠くの出来事だと思っていたそれを見やる。
「ウヲー!!」
ゴーレムは叫ぶとこっちへ歩いてきた! ちょっとまって! あいつ身長十メートルはあるんだけど!?
「レンちゃん逃げるよ!」
「は、はい!」
必死に走る。ゴーレムは壁を壊し、道をまたいで超えながらこっちへ迫る! 動きが遅いから踏まれる人とかはいないけど、歩幅がでかいから歩くスピードは速い!
「な、なんでこっちに来るのお!?」
私は叫んだ。ゴーレムは確実に私たちを追ってくる!
「な、何ででしょう!?」
「ワフン?」
「わふん、てあなた――、わふん?」
走りながら後ろを見る。
「レンちゃん! それそれ! その犬ゴーレム!」
レンちゃんが抱えて走ってるそれを指さす。
「絶対それだわ! 捨てて捨てて!」
「捨てるんですか!? かわいそう!」
「かわいそうでもいいから!!」
私の剣幕にレンちゃんは、てい、と犬ゴーレムを足元に放った。すると――。
「ワン! ハッハッハ!!」
犬ゴーレムはうれしそうに走り出す。レンちゃんの後を追って。
「何でそーなるのよ!?」
「ウヲー!!」
「ワンワン!」
「に、賑やかですね!」
「そういう賑やかさいらないからー!!」
私たちはとにかく走るのだった。
●
「もー! ここはどこなのよー!」
私は叫んだ。私とレンちゃん、それに犬ゴーレムの二人と一匹は巨大ゴーレムから逃げるために必死に走り回っていたのだけど……。
「ここ、ずいぶん暗い場所ですね」
「ワフン」
犬ゴーレムを抱えたレンちゃんをわき目に、私は周囲を見渡す。薄暗い。どうやら狭い通路の中にいるようだ。私はカンテラに火を点ける。明かりに照らされたそこはどう見ても遺跡の内部、ダンジョンそのものだった。
「夢中で走ってるうちに遺跡の中層に降りちゃったみたいね……」
私の言葉に、レンちゃんはでもややふわふわとした言葉を返す。
「でも街の中なんですよね?」
なら安全だよねーなどと犬ゴーレムと話している。実はそーでもないんだこれが。
「あのね、この街の地下に広がる遺跡はまだ手付かずのところが多い設定になってて、要するにモンスターやトラップが存在する危険地域なの」
「そうなんですか!? なんだかすごいところに街を作るんですね……」
「調査中の遺跡を中心にそこに調査隊のキャンプを発祥として街が広がったっていう設定なのよ」
というイギさんの受け売り。
「凄い街なんですねー。ねえペルー」
「ペルー?」
「あ、この子の名前です」
犬ゴーレムの名前だったか。
「ひょっとしてその子、連れていくつもり?」
連れてくつもりなんだろーなー。
「連れて行っちゃだめですか?」
やっぱり。
「だめよ、その犬を追いかけてゴーレムが来たのはわかってるでしょ? 捨ててきなさい」
私はお母さんか。
「でも、ここってモンスターやトラップが存在するんですよね? そんなところにこの子だけ置いていくなんて……」
レンちゃんは犬を抱え込んでいやいやする。
「そりゃ私だって心苦しいけど……」
「じゃあ連れて行きましょうよ!」
レンちゃん、おめめうるうるは卑怯だわ……。
「わかったわよ。でも地上に出るまでよ?」
「わー、よかったね、ペルー!」
はあ、私もこの甘い性格どうにかしたいもんだわ。
「とにかく地上目指して歩きましょう。トラップ探知はお願いね」
私はそう言って歩き出した。
ところで私には実は大きな弱点がある。
「ねえ、レンちゃん」
隣を歩くレンちゃんに声をかける。
「なんですか?」
犬、もうペルーでいいや。ペルーと戯れながらも時折トラップを探知しつつ、歩き続けるレンちゃん。そのレンちゃんの顔をなるたけ見ないようにしながら聞いてみる。
「レンちゃんは、ここの出口がどこかって、わかったりしない?」
「え? 私この街に来たの初めてですよ? ましてやダンジョンの出口なんてわかるわけないじゃないですか」
そーよね、うん。そうなのよね。私はマップを確認する。確認するんだけど。マップは移動の邪魔にならないようにという配慮で基本的にはウインドウじゃなくて視界に直に重なって映る。もちろん半透明。
「うーん」
私はうなる。
「あ――」
あ、レンちゃんは察したみたいだ。
「ひょっとして、モカさんも出口が……」
「ごめんなさい、わかりません」
私は顔はそっぽを向いたまま、でも素直に謝った。
「ええ!? ちょ、ちょっと地図を見ましょう! 地図!」
言われて私は地図をウインドウモードに切り替える。私たちのいる周辺がウインドウに切り出された形の地図だ。地図には一応いろいろな記号が載っているんだけど……。
「中心が私たちでしょ?」
私は自分の位置を確認する。
「で、今こっちから来たはずだから――」
そう言いながら私は自分たちが来た道の方が上になるようにウインドウを回した。
「ちょ、ちょちょっと待ってください! 地図は回したらだめですってば!」
「え、そうなの?」
ああ、回したらだめなの? しょうがない、元に戻すか。元ってどうなってたっけ? こうかな? 感でウインドウを回す。
「ああ、そんな大雑把に!?」
「あれ、違ったっけ?」
私は混乱してさらに地図をくるくる。くるくるくる。
「んー、わかんないね!」
笑顔。笑顔は大事よ、うん。
「あの、モカさんてひょっとして、方向音痴?」
ぐさ! あ、今心に何か刺さったわ。でもいいの、イギさんに言われ慣れてるから。私はちょっとよろめいてから、それでも努めて笑顔でうなずいた。そして胸を張る。
「えっへん!」
「威張らないでください!」
「ごめんなさい」
素直に謝る。素直さは美徳ね。
「というわけでレンちゃん、地図見てもらえる?」
「と言われても……」
レンちゃんは私の手元のウインドウに目を落とす。
「えーっと、中心が自分なのはわかるんですけど、もうくるくる回しすぎてなんだかどれがどこにあるのやら……」
地図の縮尺はぐちゃぐちゃ、記号の位置もどこへ吹っ飛んだか。そんな地図はレンちゃんが見てもわからないらしい。
「そもそも私初めてきたから地図を見てもわかるかどうか」
「そ、そうよね」
しばらく無言でお互いぐちゃぐちゃな表示になった地図を見つめる。ああ、これはやばい奴ね。
どうしたものか。そんなことを考え始めた時、ペルーが鳴いた。
「ワン、ワン!」
「あ、ペルー!」
ペルーはレンちゃんの懐から飛び出すと走り始めた。
「待ってペルー!」
レンちゃんが慌てて追いかける。
「ちょっと、明かりの外に出たら危ないわよ!」
私も追いかける。ペルーは何かに導かれるように走っていく。ひょっとして何かを見つけたのだろうか?
「ペルー、何か見つけたんでしょうか?」
レンちゃんの声に、私は答える。
「かもね! 今はペルーの後について行った方がいいかも!」
何もわからないところを行くよりはましかもしれない。私たちはペルーを追って走った。階段を下りた。階段を登った。ぐるぐる回りこむ廊下を走った。どんどん走った。いったいどこまで走るんだろう? 最早ここが遺跡のどの層なのかもわからない。
「ワッフン!」
と、唐突にペルーが立ち止まる。そこは行き止まりだった。
「行き止まり!?」
「でもペルーは壁の前から動きませんね」
ペルーは壁の前で尻尾を振り続け、壁の方を鼻で指し示す。
「ひょっとして、この壁の向こうに行きたいんじゃ?」
なるほど、壁の向こうか。私は壁の状態を確認する。うん、行けそうかな。
「よし、レンちゃんは下がって!」
私は杖を取り出して意識を集中した。
●
俺の眼下に広がる街はとてもきれいだった。この遺跡都市は中にいると埃っぽいだけの狭苦しさを感じる街だ。でも、ここから見下ろすと全体が見えて、迷路状の街並みの中に様々な人々が行きかう様はきれいだった。
「まるで大量の玉を転がしたピンボールみたいだな」
俺はさびれた温泉宿に泊まった時に触った古ぼけたピンボールを思い出した。レンから逃げ続ける俺にはお似合いだな。そう思う。
「ヲヲン」
「お前もそう思うか?」
隣を見た。そこには大きな、身長十メートルくらいだろうか? そんな巨大なゴーレムの顔があった。俺は今、街の中心に近い塔、その外壁に座っている。ひとりで風に吹かれたいと思って歩き続けたらなんとなくたどり着いていた。塔をよじ登るのはなかなかいいスキルトレーニングだったようで、レベルに変動はないが体力ゲージが増えていた。
「はあ、もう一往復してこようかな」
俺は塔の外壁を見つめる。何かに集中した方が気が晴れる。そんな理由でこの外壁をもう五回以上昇り降りしていた。
「ヲ、ヲヲ!」
「お前もやるか?」
ゴーレムがうなずく。塔がでかいとはいえ、ゴーレムは昇り降りできる大きさじゃない。その代わりというか、ゴーレムは俺と一緒にしゃがんだり立ったり、いわゆるスクワットを一緒にしてくれていたのだった。
「いいやつだよな、お前」
「ヲヲヲ……」
ゴーレムと見つめ合う。こいつと出会ったのは偶然だ。なんだか街中で寂しげに泣いていたから、声をかけてみたのが出会いだった。こいつも寂しいんだろうか? 寂しさを共有するもの同士、気が合うのかもしれない。
「じゃあ、やるか」
俺は外壁の上で立ち上がると、隣の足場になりそうなところに足を延ばす。その時だった。
「キャスティングスペル! ブーストインパクトブレイク!」
俺の目の前で、外壁が爆散した。
「え?」
気が付いたときには俺は空中を落下していた。周囲の光景がゆっくりに見える。俺の周りには爆散した瓦礫が飛び交い、共に落ちていく。そして目の前には、こちらへ迫りくるレン。レン!?
「レン!?」
叫ぶ。
「あっくうううううん!!」
レンは叫びながら塔の外壁を蹴り、加速し、宙を泳ぐように俺に向かってくる。
「レン!!」
「あっくん!!」
俺は気が付いた。二人とも落ちている! そうだ、このままじゃ二人とも落ちて死ぬ!
「レン! 手を!」
レンに手を伸ばす。
「あっくん!」
レンも手を伸ばす。空中で、二人の手が重なる。レンを抱き寄せた。でもこのままじゃ落ちるだけだ!
「このお!!」
俺は剣を抜いて塔の外壁に思いっきり刺した! 石壁と金属がかち合う音。そして右手に物凄い加重を感じて、がりがりと壁を削る。一瞬だけ速度が落ちた。でも次の瞬間には剣が折れて手から吹き飛ぶ!
「ぐあ!?」
剣が折れた反動で俺とレンは空中へ再び放り出される。地上が近い! そう思ったとき。
「キャスティングスペル! ブーストインパクトブレイクううううううう!!」
“俺達の真下の地面が爆発した”。その衝撃派にあおられて、俺達の体が浮く!
「ヲヲヲヲヲヲン!!」
浮いた俺たちの体は、下からすくい上げる様に持ち上げられたゴーレムの手に包まれた。
「いってててて!!」
包まれた、といってもごつごつしたゴーレムの手の上だ。着地はかなり痛かった。ように思う。だってVRだし。
「レン、大丈夫か!?」
抱きかかえたレンを見る。
「ごめん! ごめんねあっくん!!」
「え? お、おい?」
レンは急に俺を抱きしめた。ゴーレムの手の上で、俺達はお互いを抱きしめる。
「あっくんのこと好き! 大好き! 誤解だったけど、突き放すようなこと言ってごめん!」
「レン……」
俺はレンを抱きしめる手に力を籠める。
「あっくんのプロポーズ、うれしかった! ただ、専門学校に私のために行くとか、私のために選択肢を狭めないで欲しいだけなの! だから、だから――!」
「レン、いいんだ、もう。わかったから」
うん、俺はレンを抱きしめ直す。わかった。いや、わかっていたけど、プロポーズした直後という状況が俺を勘違いさせていたのかもしれない。
「レン……」
「あっくん……」
俺たちはお互いを見つめ合った。そしてそのままキスをする。瞬間。
「おー!」
「わー! おめでとー!」
「よ、若けえなあお二人さん!」
急に大勢の声が聞こえる!? なんだ!? 何があった!? 慌てて周囲を見る。周囲にはたくさんのひとがいて、ゴーレムの手はゆっくりとそのひとたちの前に降りていたらしい。
「え、あの、その……」
レンと二人でかしこまる。俺達、みんなの前でキスしてたのか!?
「わー!!」
「キャー!」
「素敵よー!」
歓声と拍手。俺たちは、なんだかすごく照れながらだけど、うれしかった。
「あっくん」
レンに向き直る。
「ああ」
もう一度キス。沸き上がる歓声。俺達を包むものは祝福だった。
●
眼下では恋人たちと観衆が幸せに包まれている。一方私は。
「どうやって下りればいいのかしら……」
途方に暮れるモカさん三十〇才独身。ちょっと泣きそう。
「ワン!」
ペルーが一声だけ、泣いてくれた。
●
「ほう、そんなことがあったのか」
イギィヒルズ。お籠りから帰ってきたイギさんを囲んで、俺達は話していた。
「すみません、モカさんにはご迷惑をおかけしました」
モカさんに謝る。
「本当よ! もうああいうのはごめんだわ。オルドくんもこれからは早とちりしないように!」
「はい、すいません……」
ちぢこまって謝る。
「で、あれを連れてきたのか?」
イギさんが窓を見やる。そこには開け放たれた窓と、外に見えるゴーレムだった。窓辺に座り込んでレンと手を振り合っている。レンの膝にはペルーがいた。
「連れてきちゃだめよって言ったんだけど……」
モカさんが頭を抱える。
「だって、ペルーがついてくるから……」
レンはそう言うけど、俺でもあれはどうかと思う。外では集落のひとたちが遠巻きにゴーレムを見ている。
「すみません」
俺はさらにちぢこまって言った。
「ふむ。まあ、それは今後どうにかするとしよう」
イギさん、それでいいのか? 連れてきたひとりである俺でもちょっとびっくりだ。
「それで――」
イギさんはお茶を一口飲んでから言った。
「二人はめでたくゴールインということでいいのかな?」
え、そこ!?
「そうよー、若い二人はサクッと結婚よ。もう暑くてモカさん見てられないわ」
「いや、そんな茶化さないでくださいよ!」
俺は慌てる。
「結婚というか、その、将来はお互いがまだわからないから、結婚するだろうけど、深くは決めないでおこうってことになりました」
「そうか」
イギさんはうなずく。
「別に将来別れるとか、そういうわけじゃないですけど」
俺の言葉にレンはうなずく。
「何があるかわからないし、何になるかもわからない。だから今はお互いに夢を追いかけようって」
「いいことだな」
イギさんは続ける。
「将来を見据えるというのは大事なことだ。だが、完全に決めつけてしまうのはつまらないからな」
「つまらない、ですか?」
「ああ。何が起こるかわからない方が、冒険はわくわくするというものだ」
なるほど。俺は納得した。レンを好きとか、結婚するとか、そういう意思と未来の可能性はまた別の要素なんだ。だから俺はレンを好きなまま、未来への冒険に身をゆだねていいんだ。
「で、進路希望はどうしたかも聞いておこうか。一応これでも人生の先輩だからな、アドバイスするぞ?」
「ああ、それなんですが――」
俺はイギさんを見ていった。
「やっぱり大学に行くことにしました」
「ほほう」
イギさんのうなずきに、レンが答える。
「大学の方がいろいろな可能性を探りながら勉強できるものね」
「です。レンの入れ知恵なんですけどね」
「そうか」
いいんじゃないか、と、イギさんはそれだけを言った。
「そういえば、レンは結局どうするか俺も聞いてないんだよな」
恋の家で聞いたときはわからないと濁されたままだ。
「んー」
レンはちょっと迷ってから、口を開いた。
「大学は通信で勉強しようと思ってて」
そうか。まあそうだよな。現実の恋は歩けないから、通学という選択肢はないわけだし。
「それで……」
「それで?」
俺は促す。
「ちょっと、文章を書いてみようかなと、思って」
「文章?」
俺の声はちょっと高めに響いた。意外だったんだ、レンが急に文章を書くだなんて。
「うん。なんていうか、小説とか、そういうのをちょっと、ね」
「へー! レン、そんな夢あったのか!」
「いや、最近なの。その夢は」
「でも、俺応援するよ!」
俺は素直に言う。レンがやってみたいというなら、その可能性は探っていくべきだと思う。俺も俺の可能性をもっと探るんだ。
「ありがと、あっくん」
「二人でがんばろう、これからのいろいろも」
「うん」
「あーあー、暑いわねえ、この二人は」
軽く笑い合う俺達。でも、笑いながらもちょっとだけ、イギさんだけがいつもより神妙な顔をしていた気がした。
END
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