途上の冒険者 ー熱田奮は彼女のために奔走するー

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第1話 始まる途上の冒険者

 それは学校の帰り道だった。

「あっくん――!」

 声と共に俺は突き飛ばされた。激しい暴風雨の中、傘を手放してしりもちをつく。でも、しりもちをついたことなんてどうでもよかった。なぜなら――。


 なぜなら次の瞬間、俺の目の前に彼女の右足だけが転がってきたからだ。



 ●



「こんのやろおおおおおお!」

 俺は持てる力の限り剣を振るった。両手で握りしめた両刃の剣を全力で。

「キャアアアア!!」

 目の前の大ネズミが脳天から血をしぶきながら叫ぶ。それでも大ネズミは死なない。当たり前だ。ちらりと大ネズミの簡易ステータスに目をやる。しぶく血のさらに上に表示されたそれはレベル十五と表示されている。俺のレベルは一だ。つまり、これだけ派手にエフェクトが見えても実際にダメージはあまり与えられていない。それでも俺は――。

「うおおおおおお!!」

 逃げずに剣を振るう。大ネズミの攻撃をかろうじて避けながら、何度も向かっていく。

 俺は、こんなところで立ち止まっていられないんだ。



 ●



 一月前。

 学校からの帰り道。歩くのもままならないような暴風雨の中を、俺、熱田奮(あつた ふるい)は懸命に歩いていた。

「くそ、今季最大の台風とか言いやがって。こんなんなら最初から休校にしやがれっての!」

 誰にともなく叫ぶ。予報で台風が来ることはわかっていたが、途中から台風の勢力が強くなったこともあり、学校側の対応が遅れて休校になったのはすでに登校する生徒が出始めてからだった。つまり学園祭実行委員の仕事で早めに家を出た俺と――。

「きゃ!?」

「おっと! 大丈夫か、恋?」

 俺の彼女の恋(れん)だった。恋を支えるために伸ばした手が盛大に雨に濡れるが、もはや傘などさしていてもあまり変わりがない。

「うん、ありがと」

 恋が言う。風にあおられた恋ももうびしょぬれだ。

「まったく、学校の対応を呪うぜ」

「もう、怒ってもしょうがないでしょ。あっくんの家までがんばろ!」

 学校から俺の家までは結構近い。なので恋と一緒に俺の家まで何とか帰ろうというわけだ。学校で雨宿りという手もあったが、この台風は正直いつ過ぎていくかわからない。

「ああ、もうちょいだな。がんばるか」

 俺は普段から悪い目つきをさらに鋭くして、雨の中を踏み出した。一応の事、傘をなんとか広げる。完全に広げられなくても顔だけ守れれば少しは違うか。中途半端にさした傘の下で、ため息をついた。そのとき。

「あっくん――!」

 恋の声。聞こえた時にはもう突き飛ばされていた。体勢を崩してしりもちをつくように倒れる。手から離れた傘が風にさらわれて飛んで行った。

「恋、どうし――!?」

 顔を上げた俺の前で、恋の右足が異様な方向にひしゃげたのがゆっくりと見えた。ちょうど膝の真下辺り、そこに鉄板が食い込んでいる。ゆっくりとした動きの中、恋が倒れていき、恋の右足は――。


 ちぎれて俺の目の前に転がってきた。


「恋!!」

 叫ぶ。動きを取り戻した世界で、鉄板が俺たちの後ろにすっ飛んでいく。それはどこかの店の看板らしかった。この台風で飛ばされてきたのだろう。だがそんなことはどうでもいい。

「恋! 恋!!」

 俺は恋に駆け寄って叫んだ。恋は道に倒れ、右足の切断面から流れる血が雨と混じって道路へ流れていく。

「あっく、あっくん――! い、痛い、痛いよ――!」

 震える声で恋は俺にしがみついた。

「きゅ、救急車!」

 俺は携帯で救急車を呼ぼうとした。が、恋が必死にしがみついてきてうまく電話できない。

「わ、私――? 私の足……?」

「見るな!」

 慌てて恋の顔に覆いかぶさる。

「ごめん、ごめん……! 恋――!」

 そこから先、俺は救急車を呼んだはずだが、正直あまり良く覚えていない。



 ●



 事故から一月。今日も学校に恋の姿はない。

 あの事故で恋は右足を失った。それだけでなく、どうも怪我の具合がよくなかったらしくて、後遺症でもう歩くことすらできないそうだ。

「今日の調子は、どう?」

「うん、晴れてるから、いい気分だよ」

 そんなメールのやり取り。恋とはあれからも関係を続けているけど、日を追うごとに恋は塞いでいっている気がする。

「学校終わったら、そっち行くよ――と」

 メールを打ち終えて、窓の外を見る。昼休みの学校は賑やかだ。対して俺は、目つきの悪い顔でただ外を眺めるだけ。塞いでいるのは俺も同じか……。

 そんなことを思っていたら、急に頭に衝撃が来た。なんだかやけに軽い衝撃。

「いて……」

 痛くはないが、なんとなく反射で口にしてしまう。

「おい、奮。元気ねえぞ」

「タクミか……」

「ほれ、パン」

 そう言ってラップに包まれたパンを投げてきたのは沢木巧(さわぎ たくみ)。クラスメイトでまあ、仲がいい友人だ。俺を叩いたのはこのパンか。パンをキャッチして、俺は聞いてみた。

「そんなに暗い顔してたか?」

「普段から悪い目つきがまるでゴロツキのレベルにまで悪くなってたぜ」

 タクミが眼鏡の奥で目をにやつかせる。

「ま、奢ってやるからパンくらい食えよ。最近あんまり食ってないんだろ?」

 心配するセリフだが、タクミのセリフにはなんだか小馬鹿にしてるような、そんなニュアンスが乗る。

「うるせ」

 言いながら、小馬鹿にされた対抗心とでもいうのか、そんな形でパンを齧った。

 しばらくお互いに無言でパンを齧る。

「タクミ、サンキュな」

 パンを奢るのも、小馬鹿にしたようなおどけた口調もタクミの気遣いだ。

「そー思うならよお、もちっと元気出せよ」

 らしくねえぞ。タクミがそう付け加える。

「前のお前ならさ、もっとこう、やること決めたら一直線! って感じでさ」

「やること、かあ――」

 俺は確かに直情的なのかもしれない。だけど、今は恋のために何をしてやれるのか、正直わからない。

「何したらいいと思う?」

 とりあえず聞いてみたが、答えは期待してない。

「そうだなあ――」

 タクミはためを作って俺に言った。

「とりあえず塞いでたら何もできないだろ。もっと他の事にも目を向けてみようぜ」

「お前、とりあえず言っただけで何も考えてないだろ」

「ばれた?」

 おどけるタクミに、それでもちょっと感謝した。



 ●



 家に帰ってきた俺は、そのままベッドの上に転がる。帰り際に恋の家に寄ってきたが、恋に元気はなく、その場にいる俺の方がいたたまれないくらいだ。何より、恋の家族の目が痛い。何せ恋は俺をかばって足を失くしたんだから、当然なんだが――。

「つれえ……」

 辛いものは辛かった。頭の中を暗いイメージが飛んでいく。俺は恋に迷惑をかけただけなんじゃないか。家族に嫌われて当然だ。そんな言葉が飛び交う。

「だめだ、本当に俺が塞いじまう」

 だめだだめだ。頭を振ってイメージを振り切る。タクミの言う通りだ。俺が暗くなってたら何もできない。

「ネットでも見るか……」

 気分転換。タクミが言うことが正しいとかじゃなくて、単純に今の俺に必要なのは気分を変えることだ。暗いままじゃ何も見えてこない。携帯でアプリを起動。とりあえずSNSを覗いてみる。

「みんなくだらない書き込みしてんなあ……」

 久しぶりに開いたSNSはいつも通りで、みんないつも通りの書き込みだ。くだらなく見えるのは俺が暗くなってるからだろうけど、でもそれを見ることでちょっとだけ気分が晴れた気もする。

「ん?」

 そんなとき、俺は一つの書き込みを見つけた。それは俺が見たいから見てるわけじゃなくて、要するに宣伝で表示されてるニュースリンクなのだが。

「身体障害者に人気、VRの世界……?」

 見つけた時にはもう、そのリンクに飛んでいた。どうやらVRヘッドセットに関するニュースらしい。



 ここ数年のVR技術の向上は凄まじく、様々なゲームなどで一般の手にハイクオリティなVR技術が届くようになった。そのVRが今、身体に障害のある人間に人気である。障害者はVRヘッドセットと備え付けのいくつかの機器を身に着けるだけで、まるで失くした手足がそこにあるかのような世界を味わうことができる。そう、障害のない世界がVRの向こうには広がっているのだ。

 これを受けて各企業がVRを使った福祉などの分野に力を入れており――。



「これだ――!!」

 俺は叫んだ。どころか立ち上がってすらいた。これだ、VR! 現実では足がなくても、VRなら今までみたいな生活ができるじゃないか! 思った俺はすぐさま調べた。最新のVR事情、VRを使った様々なテクノロジーやアミューズメント。とにかくVRで参考になりそうな情報は全部だ。言われてみれば確かに最近のゲームは凄い。映画も凄い。そこにないものがあるかのように感じられるアミューズメントは存在する。なら障害者が楽しめるVRが、ゲームとかそういう何かがあるはずだ! そして俺は見つけた。そのゲームを。

 ニアランドサーガというVRMMOを。



 ●



 翌日。土曜日で学校が休みであることをいいことに、俺は朝から出かけていた。

 昨日調べたことでいろんなことがわかった。今VR技術が進歩を遂げて、一般にゲームとして提供されていること。それ自体は俺も知っていたが、どうやらゲームの世界はさらに奥が深いものらしい。VRMMO、つまりVR技術を使ったMMOのゲーム、実際に異世界を体感できるような大人数の交流型ゲームというのが流行っているようだ。俺もゲームはやるが、携帯でできるようなものが中心だ。まあそれでも最近のゲームはVR技術を感じることはできるのだけど、このVRMMOというのはもっと違うものらしい。まず、そもそも設備が必要だ。大掛かりな設備ではないのだが、専用VRヘッドセットがひとつ十万ちょっとはする。それがなくてはできないので高校生にはかなり厳しい。だがそんな学生を救う(?)ものもあって、それがVRカフェだ。普通のネットカフェよりもかなり割高で、やはり財布に厳しいがそれでもかなり安くVRを味わえる。というわけで、俺はVRカフェへ向かっていたのだった。

「電車賃も馬鹿にできないな……」

 俺は心なしか、というか気分だけ? 軽くなった携帯をもてあそんだ。今時携帯で支払いは全部できるけど、やはりそれなりの額を払うと何だかこう、気分的に軽くなったような、うすら寒いような、そんな気分になる。もし通うことになるならバイトも考えよう。VRカフェはそこそこの施設投資が必要なためもあってか、近所にはなかったのである。バイトするなら十万くらい買った方が早いか? さて、そんなことを考えつつ、電車を降りた俺は目的の場所についたのだった。

「ここがVRカフェか……」

 いかん、おしゃれな店だ! こういうのはあんまりなんというか俺にそぐわないというか……。そうは思ったが恋のためでもある。俺はぐっと気合を入れ直して店に向かって歩き出す。と、同じく店に向かってきた他の客らしきひとにぶつかってしまった。

「あ、す、すいません」

 目つきは悪いがごく普通の高校生の俺である。どもりながらもちゃんと謝った。相手を見てみる。

「あ、い、いや、ど、どうも! す、すまんでござる!」

 ござる? ものすごく挙動不審な態度のそのひとは、見るからにオタクというのが伝わってくるような、そんな人物だった。いや、オタクを絵に描いたような恰好ではないんだが、どことなくオタクだなあっていう見た目してるんだよ。

「そ、それじゃ――」

 それだけ言うとオタクらしきひとはVRカフェに入っていった。うーん、変なひとだった。しかし、変なひとよ、ありがとう! おかげでおしゃれな店だけど俺も入って大丈夫かもとかちょっと思えたぜ……。

 そんなわけで俺も店に入っていったのだった。



 カフェの店内は明るくて、外装にたがわずおしゃれだった。ただ、意外だったのはネットカフェというよりもカラオケに近い感じがしたことだ。受付の奥には個室が並んでいて、防音らしく物音一つも聞こえてこない。聞こえるのは受付の店員が客と話す声と、店内の音楽だけだ。

「お客様、こちらへどうぞ」

 女性の受付さんに呼ばれたのではっとしてカウンターへ向かう。

「あの、え、えーと」

 自身のために弁解しておく。ひとと話すのが苦手なんじゃない。受付でゲームのタイトルを言うのが恥ずかしいだけだ。映画ならまだよかったかもしれない。ゲームよりも一般に開かれた感じが、たぶん勝手な思い込みだろうけどするし、それにここはVRカフェであってゲーム専門店ではない。そういう場所で店員にゲームタイトルを言うのは結構恥ずかしい。

「ニアランドサーガができる部屋ってありますか?」

 タイトル部分はやや弱い声になってしまったが、とりあえず伝える。

「はい、ございます」

 受付の言葉に胸をなでおろしつつ、俺は個室へ案内された。



「おお、これがVRヘッドセットか」

 実際に見ると思ったよりもごつごつしていない。特徴的なのは目にかかるバイザーが備え付けられていることくらいだ。事前に調べた情報によるとこのバイザーから網膜へ映像を直接映す仕組みらしい。他にもあるらしいがバイザーは思ったよりすっきりしていたわけだ。

「さて」

 俺はお目当てのゲーム、ニアランドサーガを起動させる。なんでこのゲームにしたかと言えば、単純に人気が高かったのだ。VRMMOは調べるとかなりタイトルが出てきた。それらをいちいち調べつくしてもきりがない。なのでとりあえず人気が高いものから選んでみたわけだ。それにこのゲーム、売りがアクション要素というのもポイントだ。VRでアクション要素に力を入れている。つまり動きがあるということだ。それならほかのゲームよりも足が動くという感覚を味わえるのではないか? 俺はそう思ったのだ。で、今日ここに来た目的。それはニアランドサーガがどんなゲームか調べること。事前情報はたくさん仕入れてきたが、やはりやってみないとわからない。恋にVRという世界をプレゼントする上で最初からずっこけるのはごめんだ。入念な調査が必要なんだ。それと、できれば先に少しやりこんで恋をエスコートしたいってのが本音だ。ほら、レベルが高い俺が案内してあげるっていうのはやっぱり理想じゃないか。男の子的に。

 そんなことを考えていると、ゲームの準備が整ったようだ。バイザーに情報が映し出される。

「よし、じゃあお手並み拝見と行こうか!」

 俺はバイザーの情報に従ってゲームスタートを選んだ。



 ●



「これがVRMMO――」

 俺の周囲にはいかにもファンタジーというか、どこかの城だろうか? なかなかアンティーク、そう、アンティークだ。そんな感じの調度品や本棚が並べられた一つの部屋だった。古風な窓から降り注ぐ光が眩しい。最新のVR技術って凄いんだな。携帯ゲームでもVR技術にはちょっと触ってたけど、本格的なものはこんなに違うのか……。手を顔の前に持ち上げて、軽く握ったりしてみる。確かに俺の手だ。普段見ている俺の手とほとんど変わらない。

「あら、新しい冒険者さん?」

 話しかけられた!? あ、いや、MMOなんだから俺以外にひとがいるのは当たり前なんだけど! リアリティが凄いとちょっとびっくりするな。距離感が本当に自然だ。声のした方を向くと、そこには女性が一人立っていた。執務机があるから、仕事中だったのかな。

「あ、はい、えと、そうです」

 俺は慌てながらも答えた。きれいなひとだった。いや、ゲームだからきれいじゃないひとのほうが珍しいって確か書いてあったな。ちなみに冒険者と言われてすぐに頷いたわけだが、この世界ではプレイヤーは基本的に冒険者になることになっている。色々できるとは聞いているが、アクションが売りだけに基本設定は冒険者ということらしい。

「ふふ、あまりかしこまらないで。私はNPCだから」

 NPC? ノンプレイヤーキャラクターか! このひと人間じゃないのか! それは別の意味でびっくりだ!

「あ、いや、人間みたいですね」

 NPCの彼女はクスリと笑う。

「NPCでもこの世界で生きている普通の人間よ。変なことしちゃだめよ?」

「普通の人間……」

「そう。この世界にはたくさんのNPCがいて、みんな自分がNPCだとはわかっているけど、この世界では普通に生きていて多数派でもあるの。冒険者の方が数が少ないのよ」

 んん? そうか、なんか冒険者の方が異物っぽい感じなのかな。まあ、言われてみればそうだ。VRMMOとして世界を作るなら、そこで遊ぶプレイヤーよりもその世界に生きるその他大勢の方が数が必要で、そうなれば多数派だ。プレイヤーだからって無茶はできないってことなのかな。

「もちろんあなたが何をするのも自由だけれど、やったことには責任が付きまとう。それはわかってもらえるかしら?」

「なんとなくですが、はい」

 なんだか難しい話だ。でも自由だけどやったことに責任は付きまとう。そう言われればなんとなくわかる。そしてそれはますます本物の世界のようだ。

「はい、じゃあ堅苦しい話は終わり。ようこそ、ナインスジールへ」

「ナインスジール?」

 はてな顔の俺に向かって、窓の外を指し示しながら彼女は言った。

「この世界の名前よ」

 窓から外を眺める。穏やかな風と共に、それは見えた。広大な世界だった。たくさんの建物、そしてどこまでも続く道と空。ああ、高い建物が少ないからこんなに広く遠くまで見えるんだ。凄い。本当に別の世界がそこにある。

「これがナインスジール――」

 俺があっけにとられていると後ろからくすくすと笑われた。

「こういう世界は初めて? あなた本当に新人さんなのね」

 その言葉はつまり、VRMMO自体が初めてということか。まあそうなんだけど。

「さて、新人さん。そろそろ自己紹介をしましょう。私はテオドラ。この冒険者組合の職員よ。あなたの名前は?」

「あ、えっと――」

 俺は自分で自分の名前を思い出す。変な話になってるが、このゲームの中での名前はさっき付けたばかりだからそうなってしまうのだ。

「オルドです」

 言った瞬間、目の前にウインドウが開いた。それはまさにパソコンとかゲームとかでよく見るウインドウだ。半透明になっていて、書かれている内容はどうやらゲーム内での俺の個人情報のようだ。

「なるほど、ステータス画面ってやつか……」

「そういうゲームのシステムにも慣れてくださいね、オルドさん」

 独り言だったんだが、テオドラさんに一言付け加えられてしまった。そうだな、まずいろいろと慣れないとだめだ。VRだけあって現実のようだけど、MMOだからゲームの部分もちゃんとしてる。これはちょっとなれるのが大変かな?

「大丈夫、すぐ慣れるわ」

 テオドラさんは緩く笑いながらそう言ってくれた。

「あ、で、あのー」

 いろいろと教えてくれそうだったのでそのまま聞いてみる。

「俺、とりあえず何をすればいいんですか?」

 そう、何をすればいいのだろうか? 何分こっちはゲームが初めてだ。携帯ゲームならいくらかやっているが、そういうのはどれも最初の導入とか、そういうので目的とやることを説明される。そしてそれらのゲームでは説明されたそれらしかできない。だけど、このゲームは今このように、ただテオドラさんと会話してるだけだ。何をしろとも言われない。

「そうねえ、まずこのゲームはいろいろできて自由なんだけど、まずは外を見て回ったらどうかしら? 街の中にいろいろなヒントがあるかもしれないわよ?」

「街の中、か……」

 確かに街の中なら安全だろうし、色々見て回るのも面白そうだ。地理を把握しておけば恋を案内できるしな。

「じゃあ、ちょっと行ってみます」

「何かあればここに戻ってきてね。答えられることには答えるわ」

 そして俺は城らしき場所から街へ繰り出した。



 街はいかにもファンタジーRPGという感じで、気分としてはテーマパークに近かった。

「遊園地にコスプレで入ったらこんな感じなんだろうか……」

 俺の気分はかなり高揚していた。腰に下げた西洋風の剣もあって、なんだかわくわくする。これなら恋も喜んでくれるに違いない、なんて思う。

「お、あんな所にもヒントが」

 俺は街に出て、テオドラさんの言っていたヒントの意味を理解した。このゲーム、何か重要なものや観光になりそうな場所などには近づくとまさにヒントがウインドウで表示されるのだ。

 今もまさに出てきたヒントを読み上げてみた。

「鬼教官ジグルズ。荒々しい物言いで近寄りがたいが、新米冒険者を導いてくれる頼れる冒険教官……?」

「貴様、新米か?」

「は? うわあああああごめんなさい!」

 思わず思い切り謝る。ヒントに近づいて読み上げたはいいものの、それ思いっきり人物紹介じゃん! ヒントウインドウに重なるように鬼教官、ジグルズさんが俺を覗き込んできた。

「新米かと聞いているんだ!」

「は、はい! そうです!」

 怒鳴られた。マジで鬼教官だこええ。

「ふむ、そうか」

 ジグルズさんは立派な髭をしごくと俺を眺めまわした。やけにでかいひとだなあ。身長も肩幅もでかい。見上げるほどだ。俺の身長は現実より五センチ高くして百七十五にしてある。その俺が見上げてるんだから二メートル超えてる? でかすぎじゃね? ああ、そーいえば巨人って種族がいたっけ。ゲーム開始時に種族を選べって言われたのを思い出した。その時にこんな種族いたな。なるほど、見る側に回ると確かにでけえな……。

「うむ」

 ジグルズさんがうなった。

「レベル一とは何事だ! さっさとレベルを上げてこんかー!」

 急に怒鳴る。焦った俺はとにかく返事をした。

「は、はい!」

 とりあえず走る。どこへ? どこだろ?

「初心者の狩場は街から西だ! マップをよく見ろ!」

「は、はい! 失礼しました!」

 俺は走った。マップ? マップってどれだ? おお、これか。視界の上に薄く邪魔にならないようにマップウインドウが立ち上がる。西、西! とにかく急がないとまたどやされそうだ!

「レベル五までは粘ってこい! わかったな!」

「はいー!!」

 俺は一目散に西へ走った。



 ●



 西へ走ると、しばらくして街並みが途切れてなだらかな丘が続く場所になっていた。俺は立ち止まって一息つく。VRゲームだから実際に疲れたわけじゃないけど、どやされて走るとか精神的には疲労感満載だ。

「さて、街から出たのはいいけど……」

 丘を見渡す。初心者の狩場ってここでいいんだろうか? 地理情報がまったくわからないのでどこまで西に行けばいいのかよくわからない。と、視界の中でヒントが立ち上がった。


 試練の丘:新米冒険者が最初にレベルを上げるのに適した場所。障害物がなく、広く続くなだらかな丘は戦いやすく練習に最適。推奨レベル一以上。


 なるほど、どうやらここで合っているらしい。よくよく観察すると、丘のあちこちにうごめく半透明の物体がある。あれが敵、いわゆるモンスターという奴だろうか? 見た目からしてスライムとか、そういうものに見える。だとすればいかにも初心者にわかりやすく用意しましたという感じのモンスターではある。

「よし」

 とりあえずスライムと思しきものに近づいてみる。ある程度近づいたところでそいつの頭上に名前が表示された。


 スライムレベル一


 ああ、ほんとにスライムなんだな。なるほどわかりやすい。最初はこれと戦ってレベルを上げるという感じなのか。それにしてもモンスターってもうちょっとなんかこう、怖いというかおどろおどろしいというか、そんなものをイメージしてたんだけどちょっと拍子抜けだ。まあこのスライムは他のゲームの一部にあるようにコミカルに描かれたスライムじゃなくて、ぶよぶよの液体がリアルに動くそれなんだけど。あまり怖い感じのもんでもない。

「凄くリアルなものではあるけどな――」

 しげしげと眺める。と、急にスライムが飛びかかってきた!

「うお!?」

 とっさに避ける。急ではあったけど、その動きはややゆっくりしたもので避けられない物じゃなかった。なるほど、こいつ敵モンスターだもんな。そりゃ攻撃してくるってことか。スライムは攻撃を避けられても特に気にした様子はなく、そのまま俺に攻撃を続けようと近寄ってくる。動きは遅いし避けるのも、距離を取るのも簡単そうだ。これなら簡単に倒せそう。そう思えてくる。

「よーし、戦ってみるか!」

 そう意識した俺はすらりと腰に下げた剣を抜き放った。

「おお、こんな感じか……」

 なんで驚いたかっていうと俺、こんな剣とか当然持ったこともないわけで。剣を鞘から抜いて構えるとかやったこともない。でも今しがた俺は簡単にやってのけた。ゲームだからだろうか? 今までやったことがないような動きもシステムでサポートしてくれているという感じなのかな? 意識しただけで体が勝手に動いてくれたような、そんな感じだ。

「これならいけるな!」

 俺は剣を両手で構えると上に振りかぶって思いっきりスライムに叩きつけた。

「――!」

 飛びかかろうとしていたスライムに、正面から剣が叩きこまれる。剣を振りぬき、ぶち当てるその感触。それが手に伝わってきて、そしてスライムが潰れるように切断される。

「き、気持ちいい……」

 そう、気持ちよかった。子供のころにおもちゃの剣とか、それこそ棒切れを剣の代わりにしたりとかで遊んだことがある。本当に子どものころに。それに近い、体を動かす面白さ。そしてそれに相手を叩きのめした事実と感触。それはもう気持ちがよかった。

「すげえ、こんな気持ちなんだ――」

 一撃を放ってそんな感想にうっとりしてしまったのが不味かった。体に衝撃が走る。

「うわ!?」

 スライムは確かに切断したが、どうやら倒せていたわけではないらしく切断状態から元に戻ったスライムの飛びかかりに当たってしまっていた。体が軽く押し戻され、たたらを踏む。痛みはないが、その視界から入ってくる情報や体当たりされたという意識がそう感じさせるのか、押されたという衝撃は確かに感じた気がした。

「くそ、こいつ――!」

 スライムに目を向ける。奴の頭上、名前と共に体力ゲージが見えた。かなり減っているが、まだゼロにはなっていない。視界の端に俺の体力ゲージも見える。今の攻撃で少し減っていた。

「もう油断は無しだぜ!」

 剣を構え直し、スライムに向かっていく。スライムもやる気だ。馬鹿の一つ覚えみたいに飛びかかりを狙っているに違いない。

「よーし、こい!」

 スライムが飛びかかる。それをわかっていた俺は当然横に避ける。動きが見え見えなスライムだから、避けるタイミングはばっちりだ。避けて通り過ぎていったスライムを後ろから追うように剣を振りぬく。

「おりゃあ!」

 見事にスライムに剣が当たる。この攻撃で体力ゲージがゼロになったスライムは、今度は切断どころか飛び散って、そして消えた。

「っしゃ! 勝った!」

 俺は震えた。なんでかっていうとそりゃあもう気持ちよさに震えたんだ。俺は普段体育の授業とか嫌いなんだけど、この敵と戦うっていう体の動かし方は全然違うものだ。面白い。体を動かすってのがこんなに楽しいと思ったのは初めてかもしれない。しかもモンスターを倒したっていうこの快感。VRで実際に体験してるからかその達成感とかそういうものが物凄い!

「これは面白いな――!」

 こんな達成感を味わえて、こんなに面白い。そう、この体を動かす面白さ!

「これはもう、恋に教えてやるしかない!」

 もう完全に決定事項だ。VRMMO、このゲームでなら恋もきっと喜んでくれるに違いない。

「よし、そうと決まれば!」

 俺は周囲を見渡す。もちろん次のスライム探しだ。恋に教えて一緒にこのゲームで遊ぶのはもう決定事項だ。だったら次はどうするか? もちろん、俺がレベルを上げて恋をエスコートするに決まってる。

「どんどん強くなるんだ――」

 俺は思う。

「そうだ、すっごく強くなって、恋の手を引いて冒険するんだ!」

 恋と一緒の冒険、そして恋を守る強い俺。想像したらもうわくわくが止まらない。

「レベルを上げるぞ!」

 少なくとも今日一日、がっつりとレベルを上げてやる! と、思って周囲を見た俺の目に、暗い穴が見えた。

「? なんだあれ?」

 それはひときわ高くなった丘の斜面に、ぽっかりと空いた洞窟だった。入り口にヒントが置いてある。俺は近づいてそのヒントを立ち上げた。


 修練の洞窟:レベル上げに最適な初級ダンジョン。新米には手ごわいが、慣れ始めた冒険者にはよい狩場。中は広く、動きを阻害されることもない。推奨レベル十以上。


「ダンジョン……」

 ダンジョン、ゲームをする人間にはおなじみの言葉だ。迷路とか迷宮とか、それこそ洞窟とか。手ごわいモンスターがいて、アイテムもいろいろ手に入るとか、そういう感じのイメージだ。

「よし、丁度いいぜ」

 俺は意を決してダンジョン、修練の洞窟へ足を踏み入れた。新米には手ごわいって書いてある。けど、それは強いモンスターが出るってことだ。強い奴なら当然経験値も高いだろう。レベルを上げたい俺にはうってつけだ。それにさっき戦った感じならぜんぜんやれる!

 ダンジョンの中はほのかに光る壁が周囲を照らしていて動くのに支障はなさそうだ。俺は意気揚々と中へ入っていった。



 暗く、でもほのかに明るいダンジョンの中を歩いていく。ぽっかり空いていた洞窟らしく、中の見た目も洞穴そのままだ。ただ普通の洞穴と違うのは壁や天井、床の一部などに光る苔のようなものが生えていて、薄暗くはあるものの明かりには困らないというところだ。

「考えてみれば親切な話だな」

 そこかしこが明るいのでこのダンジョンに入るのに明かりを持ち込まなくていい。そう考えるとモンスターが潜むダンジョンという割には親切な話だ。

「初心者エリアのゲーム設計、てことかな……」

 そんな考えが過る。それを考えると、上級になると明かりとかそういう準備も必要になるのかな? そう考えつつ、曲がり角を曲がろうとしたとき――。

「……?」

 音が聞こえた。これは、鳴き声か? 角の向こう側から聞こえてくる。よく聞いてみるとネズミみたいな声だ。なるほど、わかったぜ。この角の向こうにネズミのモンスターがいる。そういうことだな? へへ、ネズミくらいならどうってことないな。俺は武器を構えると油断なく、そっと角を曲がった。

「――!?」

 しかし、そこには俺の予想をはるかに超えた奴がいた。おいおいおい、ネズミはネズミだけど、でかいぞ!? ネズミの頭上には大ネズミの文字。大ネズミったってちょっとでかすぎるだろ! 俺がたじろいでいると、大ネズミはこちらに気付いたらしく、後ろ脚だけで立ち上がり、こっちを睨んできた。この状態で目線が俺より少し高い! 大きな人間ほどもあるぞこいつ! やべ、鳥肌が立ってきた。確かにただのネズミだけど、人間大のネズミってのは間近でみると恐ろしい。爪や牙も大きく、鈍く光る。あれで攻撃されたらどうなるんだ? いや、ゲームだから酷いことにはならないかもしれないが、それでもその想像をしてしまうほど怖いぞ!?

「シャー!」

 瞬間、大ネズミが突っ込んできた! 速い! スライムなんか比較にならないくらい速い! 虚を突かれた俺はまともに爪で引っかかれた!

「うああああ!?」

 引っかかれるどころの話じゃない、そう、まるで切り裂かれるような感覚だ。確かに痛みはないが、あまりに衝撃的で物理的にも精神的にも俺は吹き飛ばされた。なんつー怖さだ! スライムがどれほど初心者向けのモンスターだったか身に染みるぜ。恐怖に身をすくめつつも、俺は立ち上がる。体力ゲージは――、げ、今の攻撃で半分持っていかれた!? やばい、完全に甘く見てた。スライムに勝ったことで調子に乗ってた! バトルが本格化するとここまでになるとは、ちょっと思ってもみなかったぞ!? 俺の意識が楽しいスポーツから生きるか死ぬかのデッドゲームに急激に切り替わる。これは不味い! どうする? 逃げるか? いや、そもそもこの状態で、今のネズミの速さで逃がしてくれるのか? あと一撃食らったら死ぬぞ!?

「死ぬ――?」

 ふと、重大なことに気が付いた。このゲーム、死んだらどうなるんだ? やばい、そういうところ完全に見落としてた!

「シャアアア!」

 パニックになってる俺に大ネズミは攻撃を仕掛けてきた! 飛びかかるようにしてその巨大な爪を振りかざす!

「う、うわああああ!!」

 俺は必至で剣を振った。固い音、そして感触。大ネズミの爪をかろうじて振り払うことができた!

「くっそ――!」

 そうだ、俺は思った。これはやるしかない。背中を見せたらやられる。ならやるしかない! 自分を奮い立たせる。やるんだ。俺はやるんだ。それにこいつを倒せば経験値がもらえるはず、恋のためにも、負けられない!

「うおおおお!」

 俺は叫ぶとともに走った。剣を構えて思いっきり振り下ろす。

「ギャアアアアア!!」

「やった!?」

 剣がめり込み、血しぶきを上げる! 見るからにダメージが入った! これならいけるか!? だが、俺は次の瞬間恐ろしいものを見てしまった。大ネズミの体力ゲージが減ってない!? 大ネズミは血しぶきを上げつつも、そのまま俺に攻撃を仕掛けてくる! うおお、あぶねえ! すんでのところで避けて離れる。くそ、見た目は傷を付けたのに、実際にはダメージになってないのか!?

「キシャア!」

 大ネズミはなおも攻撃してくる。相変わらずの爪による攻撃だが、こっちは少しでも食らったら死ぬ! く、くそ! でもやるしかない!

「おおおおおおお!!」

 俺はがむしゃらに戦った。相手の攻撃は絶対当たるわけにはいかない、そして俺の攻撃は当たってもダメージにならない。それでも、それでも死にたくない俺は必死に戦った。恋のためと、そう思うことにすがるようにして戦い続けた。叫ぶことで自分を励まし、戦い続ける。と、急に周囲が明るくなった!

「ファイアーボール!」

「ギャアアアアアア!?」

 急に明るくなったと思ったら大ネズミが炎に包まれて爆発した! 消し炭となった大ネズミは跡形もない。な、何が起きたんだ?

「ねえ君! 大丈夫!?」

 ハッとして振り向く。そこには一人の杖を持った女の子がいた。



 ●



「ああ、外だ……」

 俺はつい、そんな言葉を漏らした。洞窟の外は中での戦いが嘘のようにのんびりと穏やかな日差しに包まれていて、まるで別世界だ。

「ここまでくれば大丈夫でしょ」

 後ろから声がする。振り向くとおしゃれなドレス風の服に身を包んだ、杖を持った女の子。さっき洞窟で助けてくれたひとがそこにいた。

「助かりました」

 心から礼を言う。このひとが魔法で大ネズミをやっつけてくれたんだ。おかげで俺は死なずに済んだ。死んだらどうなっていたんだろう? ゲームとは言え死を体験するっていうのはちょっと勘弁したい。

「いいのよ。あ、回復魔法かけるから、じっとしてて」

 言われるがままに、俺はその場で動きを止める。女の子が杖を振ると淡い緑色の光が辺りを包んだ。

「おお」

 体力ゲージがみるみる回復していく。魔法か、便利だなあ。

「もういいよ」

 言われて、俺は肩の力を抜いた。なんだかだいぶお世話になってしまった気がする。

「あの、ありがとうございます」

 改めて礼を言った。回復魔法までかけてもらって、ありがたい限りだ。

「ううん、いいのよ。助けられたのも偶然だったしね」

「そうなんですか?」

 聞き返すと、女の子は楽しそうに笑いながら言った。

「だってびっくりよ。薬草を摘みにこの辺に来たら、洞窟からいきなり叫び声よ。びっくりだわ」

 どうやら俺の必死の雄たけびが聞こえていたらしい。おかげで助かったわけだが何だか恥ずかしいぞ。

「すいません」

 なんとなく俺は謝ってしまった。

「いいのよ。あ、自己紹介遅れたね。私はモカ。君は初心者さん?」

「はい。あ、俺はオルドです。よろしく」

 オルド。自分の名前を名乗るのがまだ慣れない。まあ名前は頭上を見ればわかるんだからそんなに気にしなくていいんだろうけど。女の子、モカさんの頭上を見てみる。意識するとそこにはカフェ・モカという名前が浮かび上がってきた。あー、カフェモカが好きなのかな?

「でも初心者にしても無茶だねー。レベル一なのにこの洞窟に入るなんて。あ、ヒントに気付かなかったとか?」

「いや、ヒントは読んだんですけど……」

 言葉に詰まる。

「えー? それでもここに入ったの? 推奨レベル十以上だったっけ? そう書いてなかった?」

「書いてありました」

 思わずやや棒読みに返してしまう。書いてあったのは読んだけど、それでも大丈夫だと軽く考えちゃったんだよな。

「書いてあったんですけど、その、急いでいたというか」

 俺は答える。そう、急いでいたというか焦ったというか。恋のために強くなろうとしてちょっと行き過ぎてしまった感じだよな。

「急いでた? ああ、早く強くなりたいとか?」

 モカさんの言葉にうなずく。

「はい、そんな感じです」

「ふーん」

 モカさんはそう言うと、ちょっと考え込んだ。

「ねね、良かったらだけど、一緒に遊ばない?」

「え?」

 俺はちょっとびっくりする。一緒に遊ぶ。何して遊ぶんだろう? あ、これ自体がゲームなんだから一緒に冒険しようってことか? でもなんだかモカさんはレベル高そうだし、俺と一緒で楽しいのか? モカさんのステータスを確認してみる。目の前に開かれたウインドウにはモカさんのレベルが書かれていて、えーと? 五十二? たか!? 俺より全然高いぞ! そりゃレベル十五の大ネズミなんて一撃だよ! そんなレベルのひとが俺と一緒で楽しいのか? とりあえず聞いてみるか。

「レベル違いすぎますけど、俺と一緒でいいんですか?」

 俺と一緒に遊ぶってことは俺にレベルを合わせるってことだ。高いレベルのひとからしたら退屈なんじゃないだろうか。

「んとね、なんて言うか、一緒に遊んで教えたい、かな」

 モカさんは言う。教える?

「オルドさん、まだこのゲームについて何にも知らないでしょ? だから、一緒に遊びながらいろいろ教えてあげられたらと思って」

「え? いいんですか?」

 それこそ驚きだ。レベルを合わせるどころかゲームについて教えてくれるとか、どういう親切の神だよ。しかも今会ったばかりの俺だぞ?

「うん、いいよ。暇してたしね」

 モカさんはあっさり答えた。うわー、神だ。

「じゃ、じゃあ、お願いします」

「うん、おっけー。それじゃあよろしくね」

 そう言うと、モカさんはいきなり虚空に向かって喋りだした。

「あ、やっほー。ちょっと手伝って。うん、うん、そそ。お願いー」

 なんだなんだ? 急に独り言とかちょっと怖いぞ。

「あの、モカさん?」

「あ、うん、ごめんごめん。ちょっとフレ呼んでたんだ」

「フレ?」

 フレ? 呼ぶ? ああ、ひょっとしてフレンド、かな?

「そそ、いろいろ教えてくれるひとがいるの。とりあえず街まで戻ろうか」

 そう言うとモカさんは街へ向かって歩き出した。



 ●



「アイギィだ。よろしく」

 俺の目の前に座った男はそう簡単に自己紹介してきた。あのあと街に戻り、酒場に入って席に座り、待つこと少し。このアイギィさんがやってきたのだった。

「ああ、はい。よろしくお願いします」

 アイギィさんはいかにも魔法使いという感じのローブを着ていて、若いけど貫禄がある人だった。なのでちょっとかしこまってしまう。

「アイギィさんだと呼びづらいから、私はイギさんて呼んでるわ」

「イギさん……」

 言いながら俺はイギさんのステータスをちらっと確認する。レベル六十五。おお、モカさんよりたけえ。

「まあ自由に呼んでくれ。ひとからどう呼ばれるかにはあまりこだわりがないから」

 そう言うとイギさんは目の前のでかいジョッキをぐびりと飲む。酒だ。イギさんが来ると同時に注文したビールだった。イギさんは実に旨そうに飲んでいる。

「まあ、食べながら話そう」

 イギさんは目の前のテーブルを手で指し示す。指差しじゃなくて手全体で示すあたりやはり大人っぽいというか貫禄があるというか。それはいいんだけど――。

「えーと」

 俺はテーブルの上を見渡す。そこにはでかい焼いた鳥の足とか、サラダとか、旨そうな料理が確かに乗っていて、俺の目の前にはオレンジジュースもある。だけど、旨そうに見えるけどこれ全部VRの偽物というか、本物の食べ物じゃないはずなわけで。食べられる、のか?

「はは、食べられるか不思議か?」

 イギさんが笑う。

「はい。これってVRだから、食べる真似は出来ても実際には食べてないわけじゃないですか。それってどうなんだろうって」

 イギさんはさらにビールを一口飲んでから答える。どうでもいいけどこのひとほんと旨そうに飲むな……。

「まあ食ってみなよ。何事も経験だ」

 そこまで言われたからにはとにかく食べてみよう。とはいえやっぱ怪しいからオレンジジュースを一口飲むだけにしようか。ジュースの入った木製のジョッキに口を付ける。

「!?」

 なんだこれ!? オレンジジュースだ! 味がするぞ!?

「はっはっは、驚いたかい?」

 イギさんが笑いながら俺に聞いてきた。いやそりゃびっくりするよ! だっていくらVRだって食い物が再現できるのか? 俺は今度は目の前の焼き鳥を掴んでかじりついてみた。焼き鳥の味だ! 旨いぞ!

「くっくっく、いい食いっぷりだ」

 なおも笑うイギさんに言われ、俺ははっとして焼き鳥を皿に戻した。それにしても凄いな、味まで再現するのか。

「これなら食事もこっちで十分ですね!」

 感動しながら俺は言う。だけど、それはイギさんが否定した。

「そうもいかない。良く味わって食べてみな」

 味わって? 言われて俺は、再び焼き鳥にかじりついた。

「何か足りないと思わないか?」

 言われて、俺は思い当たる。これは――。

「歯ごたえが弱い?」

「正確には、歯ごたえがない、だな」

 イギさんの言う通り、確かに俺はかじりついて咀嚼しているが、味を感じるだけで歯ごたえは全然ない。見た目がリアルで味も感じるから歯ごたえがある気になっていたが、よくよく味わってみると歯ごたえなんて全然なかった。もちろんのどの奥に送り込む物自体もない。

「味だけがするんですね」

「その通りだ。なんでだと思う?」

 言われて考える。なんでだろう? とりあえず簡単に思いつくのはやっぱり再現が難しいから?

「再現が難しいから、ですか?」

 考えたそのままを言葉にした。だけどイギさんは首を横に振る。

「難しくはあるが、不可能じゃないだろう。最初に君が勘違いしたようにな。これはわざと再現してないんだ」

 わざと再現しない。そんなことしてどうするんだ? 困惑した俺にイギさんは言う。

「歯ごたえや飲み込む感覚。それらまで再現すると完全に脳をだまして食べた気になって満腹感を感じてしまう。実際には食べていないのに、だ。それは危険だろう?」

 なるほど。何でもかんでも完全に再現したら食べてない物を食べた気になって、食事をしなくていいやって思っちゃうってことか。確かにそうなったら危険だ。

「危険防止にわざと再現しないんですね」

 俺は感心した。クオリティが高いとはいえゲームだ。だけどいろいろ配慮がされてるんだな。すげえ。

「でもおなかいっぱいの時でも甘いものを食べられるっていう利点があるのよねー」

 言いながらモカさんがアイスクリームを食べていた。なるほど、確かにそれはいいな。

「ま、食事に驚いてもらったところで話を戻そうか」

 イギさんがジョッキを置いた。

「オルド、君はこのゲームで何がしたい?」

 急に聞かれた。何がしたいか?

「何がしたいか、ですか?」

 オウム返しになってしまう。まあとにかくレベルを上げたい。だってそれは恋をエスコートするための大きな目標だ。でも、考えてみるとレベルを上げる以外に何があるというのだろう? このゲームは冒険するゲーム、だと思う。ならやっぱりレベルを上げて強くなるのがやることなんじゃないのか? 考え込む俺に、でもイギさんは話し始めた。

「このゲームは何をするのも自由だ。プレイヤーは確かに冒険者で、アクション要素がすごく充実したゲームではある。でも――」

 でも。イギさんは続ける。

「今飯を食って旨かっただろう? つまりほかの事だってできる。旨いものを食うとか、豪邸を築いてそこで暮らすとか、戦う以外の事だってできるんだ。そしてその目的がまた、冒険につながることもある」

 なるほど。確かにこれだけ再現がすごいゲームなら戦いにこだわることもないってことか。

「それを理解してもらった上で、改めて聞こう。君は何がしたい?」

 俺は少し考える。だけど、それはほんの少しだ。やりたいことはやっぱり変わらない。

「レベルを上げて強くなりたいです。できれば今すぐ、早く、高いレベルになりたい」

 そうだ。俺はレベルを上げたい。とにかくレベルを上げておけば恋をこっちへ連れてくるときエスコートできる。それは恋に楽をさせてあげることができるってことだ。レベルが上がっていれば何をするにしても恋の助けになることが出来そうだし。俺は恋のために、なるたけ早く強くなりたい。

「なるほど」

 イギさんはそれだけ言うとビールを飲んだ。

「でも、なんでそんなに急ぐの? さっきの修練の洞窟もそうだよね? 速く強くなりたくて無茶したんでしょ? 何か理由が?」

 モカさんが聞いてきた。俺は少し迷ってから、その理由、恋の事を話すことにした。せっかく教えてくれるためにわざわざ時間を割いてくれるようなひとたちだ。話さないのも失礼かなと思う。だから俺は恋のこと、そして恋のために強くなっておきたいことを二人に話した。

「そう、なんだ」

「ふむ」

 二人とも神妙な顔をした。まあ、そりゃあそうだろう。恋の話は聞いていて楽しいものじゃない。

「イギさん」

「ああ」

 モカさんがイギさんを見た。イギさんは簡単に答えただけだけど、二人の中でなにかを共有したようだった。

「いいだろう、それならレベルを上げる手伝いをしてやる」

「本当ですか!?」

 これは本当にうれしい。なんせ二人は高レベルだ。その二人に手伝ってもらうんだからレベルも上がりやすいはずだ。それは助かる!

「ただ、いろいろと教えながらになる。それだけは覚えておいてくれ。レベルを上げただけで何も知らないでは意味がないからな」

「はい!」

 イギさんの言葉に、俺はうれしくてうなずいた。



 ●



「いくぞ! タイミングは任せる、教えた通りにやってみろ!」

「はい!」

 軽く走り込んで叫ぶ。

「ハウリングタウント!」

 目の前の三匹の大ネズミの内の二匹が、まるで誘い込まれるかのように俺に向かって走りくる。それにつられて慌てたように三匹目も走り出す。

「奥の奴は任せろ。マグマナックル!」

 叫びと共に拳に炎をまとったイギさんが言葉通り烈火のごとく三匹目のネズミに突っ込んでいった。三匹目の大ネズミはイギさんの燃える拳をまともに食らい、その場で足を止めてイギさんと殴り合いを始める。それでも先に走り出していた二匹は止まらず俺の方に向かってくる。

「モカさん!」

「おっけ! 合わせるから!」

 モカさんの答えを聞いて、俺は飛び出した。向かってくる二匹とぶつかり合う。

「シールドスパイク!」

 俺は新たに左手に装備した小型のシールドを大きく振りぬいた。大ぶりなシールドによるぶちかましが二匹のネズミを同時に捉える。

「ギャキキ!?」

 短い悲鳴とともに二匹とも吹っ飛ぶ。吹っ飛んだ距離は短いが、どちらのネズミも軽くめまいを起こして棒立ちだ。くうー! やっぱり攻撃が決まるとびしっと気持ちいい!

「もらった! ソウ・ソード!」

 俺は隙を逃さず追撃する。振り抜いた剣から飛ばした衝撃波がネズミたちを地面に縫い付ける。ネズミの動きが完全に止まった!

「キャスティングスペル! ブーストサンダー!」

 同時に、詠唱を終え強化されたモカさんの雷の魔法が二匹の大ネズミを焼き尽くした。こんがり焼けたネズミが二丁出来上がりだ。

「ナイス、モカさん!」

「オルドさんもナイスナイス!」

 連携が決まるって気持ちがいい! スポーツのチームプレイそのままの楽しさだ。

「アイスソードスラスト!」

 叫び声に振り向くと、イギさんが丁度大ネズミを仕留めたところだった。

「うむ」

「イギさん、お疲れです!」

「ああ、お疲れ。オルドもだいぶ様になってきたな」

「ありがとうございます!」

 勢い込んで礼を言った俺のレベルは八まで上がっていた。



 食事を終えた後、俺たちは改めて修練の洞窟でレベル上げをしていた。

「スキルの使い方、戦い方、慣れてきたようだな」

 洞窟の外へ向かいながらイギさんが言う。

「はい。教えてくれたおかげでいろいろできるようになりました」

 イギさんの教え方は丁寧でわかりやすかった。まず言葉でわかりやすく一通り説明した後、軽く実践させながら覚えさせてくれる。実践したうえでわからないことや質問などがないか確認を取り、あれば適宜それについて教えてくれた。まさに手取り足取りだ。おかげでかなり多くのことが分かった。というか、教えられなかったら全くわからなかったんじゃないかというほどの情報量だ。例えば敵を攻撃するにもスキルというものがあるとか、そのスキルは使うために精神力を消費し、スキルごとに冷却時間が必要で連打はできないとか、スキルは連打できないからスキルの合間に別のスキルを挟んでいくとか。システムだけでもこんなわかりづらいことがあるのに、他人との連携を組むにはどうしたらいいかとか、俺のキャラクターとしての戦い方はどういうのが向いてるとか、そんなことまでいろいろだ。

「正直、イギさんがいなかったら何もできなかったと思います」

 本当にそう思う。

「イギさんはほら、何でも知ってるから。歩くイギペディアだから」

 なんだそりゃ。でも確かにイギさんは聞けばなんでも答えてくれる。これは単純に凄いとしか言いようがない。逆に――。

「モカさんは何も教えてくれないですよね」

 俺は冷めたまなざしをモカさんに送った。

「私はね、教えるの向いてないのよ。そういうのはイギさんにお任せするのが一番なの」

「まあ、俺は教えるのが好きだからな。問題はない」

 はあなるほど。なんとなくこの二人の関係性が見えてきた。モカさんもイギさんにお世話になっていることが多いんだろうな。

「でもよかったわ、イギさんやる気にむらっけがあるから。今日は教える気になってくれてよかった」

「ああ、そうなんですか?」

「うむ、まあなあ」

 イギさんが歯切れの悪い返事をした。

「そうよー。イギさん多趣味だから、ゲーム以外にやる気が行っちゃうときがあるのよ。まあそういうときはそもそもログイン自体しなかったりだけどね」

 なるほどなあ。

「でもオルドさんのレベルも八まであがって、なかなか順調じゃない?」

「あ、はい」

 俺は答えたが、ちょっと答えの歯切れが悪かった。

「はは、不満か?」

「いや、その」

 不満というわけでもないんだけど。ちょっと思うところがある。というのも。あれから短時間で八まで上がったのはいいんだけど、もっと早くレベルを上げることができるんじゃないかなと思うんだ。ちらりと一緒にいる二人のステータスを見る。そのステータスは二人のレベルが十三であることを示していた。

「正直に言ってかまわない。人間不満があるときは素直に言うのもまた大事なことだ」

 イギさんに言われて、俺は口にした。

「今、俺に合わせて二人のレベルを下げてもらってるじゃないですか」

 レベルを下げる。このゲームのユニークなシステムのひとつだ。このゲームではレベルが離れたもの同士が一緒にパーティを組む、つまり同じ戦闘チームに所属した状態になると経験値ペナルティというものが発生するらしい。要するにある程度は適正なレベルで戦った方がレベルの上りが早いってことだ。それを支援するのと、レベルの離れたフレンド同士でも楽しく遊べるようにということで、わざと自分のレベルを下げるというシステムが存在するのだ。もちろん下げたレベルは下げた分だけ後で戻すことが可能だ。

「でも、二人のレベルなら凄く敵が強いところに行って、無理やり大量の経験値を稼ぐってこともできるんじゃないかなって……」

 経験値ペナルティを受けるとはいってもそこまで大きくはない。だったら二人が戦えるレベルの場所で俺をぐいぐいと成長させることができるんじゃないかと思うのだ。

「ふふ、パワーレベリングか」

 軽く笑ってイギさんが言う。聞きなれない言葉だ。

「パワーレベリング?」

「君の言うようにレベルの高いプレイヤーがレベルの低いプレイヤーのレベルを強引に上げていくプレイスタイルのことだ」

 なるほど、じゃあやっぱり可能なんだ。

「なぜやらないか、気になるか?」

「はい」

 俺は素直に答えた。俺はとにかく早くレベルを上げたい。それは事情も含めて話してる。それに細かいことを教えるのはパワーレベリングをしながらでもできるんじゃないかなと思う。

「じゃあ聞くが、パワーレベルリングをしている間、オルド、君は何をしているつもりだった?」

「何をするつもりか……?」

 んん? どういうことだ?

「パワーレベリングをするということは、君では到底立ち向かえない敵に俺たち二人だけで戦いを挑むということだ。その間君は何をしている? 応援のダンスでも踊っているつもりか?」

 あ、なるほど。合点がいった。確かに敵が強すぎては俺はただ邪魔なだけだ。さっき、レベル一で大ネズミにひとりで立ち向かったように。つまり、パワーレベリングを頼むということは――。

「わかったようだな」

 イギさんが笑いながらうなずく。

「すみません……」

 俺は謝った。パワーレベリングを頼むということは、俺は何もしないけど俺のレベルをさっさと上げてくれっていう厚かましいお願いになるんだ。

「気にするな。それに――」

「それに?」

 イギさんは真剣な目で言う。

「こうして見合ったレベルで冒険をするのは悪いことじゃない」

「はあ……」

 いまいちピンとこない。

「ね、オルドさん」

 モカさんが聞いてきた。

「冒険、楽しい?」

 言われて答える。

「そりゃもう! モンスターを倒すのだって気持ちいいし、連携が決まるとこう、びしっというか、すかっとするし」

 そりゃ楽しい。最初にスライムを倒した時も、さっき大ネズミをみんなで倒した時も。体を動かすのってこんなに楽しいのかっていうくらいだ。

「じゃ、そういうことよ」

 モカさんが言う。そういうこと? ええと、ゲームが楽しいってこと、か?

「パワーレベリングは確かに楽だし、レベルの上りも早い。すぐに強い敵と戦えるようになるだろうし、それだけ難所にも挑めるだろう」

 イギさんが語るように言い始めた。

「だが、冒険はそれだけじゃない。強くなる、その途上もまた冒険の楽しさだ。自分で覚え、自分で確かめ、一つ一つできるようになっていく。その達成感と、その途上でしか味わえない冒険そのもの。出会いもそうだ。別れもあるかもしれない。強くなる、あるいは目標を達成するその途中だからこそある感動や楽しさ。そういうものもまたゲームの魅力だ」

「……」

 俺は思った。俺は焦って何か勘違いしてたんじゃないか、と。確かに早く強く、そうして恋をここに連れてくるっていうのはそれはそれで楽しいことだろう。でもそれは、俺にとっての楽しさだ。恋はどうだ? 俺が今こうして体験している楽しさ、途上の冒険の楽しさを、それを味わう機会を俺が奪おうとしているんじゃないか?

「そういう楽しさをね、味わってほしいと思うの。君が連れてくる人にも、そしてもちろん君にも」

 そうか、そうだったんだ。俺は危うく恋から、これから俺がプレゼントするはずだった楽しさを奪うところだったんだ……。

「そうだったんですね……」

 俺は下を向いた。馬鹿だ、俺は。自分が散々楽しいと思ってきたじゃないか。それを恋から奪おうとしてたんだ。そう思っていたら、不意に頭を小突かれた。

「楽しめ」

 顔を上げると、イギさんに言われた。

「楽しむ権利は君の恋人だけじゃなく、君自身にもある。それに――」

 それに――。

「楽しいということを知らない人間が、どうしてその楽しさを他人に伝えられるんだ?」

 はっとした。そうだ、全くその通りだと思う。俺はいったい何を恋にプレゼントするつもりだったんだ? 楽しさじゃないか。そのためにも、それを俺が知る必要があるんじゃないか!

「すいません、なんか、いろいろありがとうございます!」

 俺はちょっとだけ涙ぐんでいた。危うくプレゼントを台無しにするところだったのだから。

「気にするな」

 イギさんも、モカさんも、笑ってくれていた。なんだよ、この二人滅茶苦茶いいひとじゃんか……。

「あ、あの、俺――!」

 二人の言うことを理解した俺はいてもたってもいられなかった。

「恋にも教えたい! この世界の、この世界で冒険するってことを! その楽しさを!」

 言った瞬間、洞窟の出口へたどり着いたところだった。空は赤く染まって、きれいな夕日が俺たちを照らしてくる。外へ出て、その景色を見た。それは初めてこの世界を見た時よりも、ずっときれいに見えた。遠くへ続くなだらかな丘、小さく目に映った最初の街、広々とした空。そのすべてが、赤く夕暮れに染まっている。VRの仮初の世界だなんて思えないぐらい、それはきれいだった。

「この景色も、恋に見せてやりたい……」

 肩に手を置かれた。振り返ると、イギさんがうなずいた。

「今度は二人でここに来るといい」

「うんうん、一緒に冒険しよ!」

「はい!」

 俺は勢いよく、返事をしていた。



 ●



 VRカフェから出てきた俺は空を見上げた。現実の街は何だかごみごみしているし、空も狭い。けれど、同じように夕日に染まった街はそれはそれできれいな気がした。電車に乗って、自分の街へ、恋のいる場所へ帰る。帰り道で俺は決めていた。まずバイトをすること。そして溜めた金でVRヘッドセットを二つ買うこと。その片方を恋にプレゼントすること。それで二人一緒に冒険をすること。だけど、それらを達成させるにはちょっとだけ時間がかかる。だからまず、最初にすることは――。

「……」

 俺は恋の家の前にいた。もちろん携帯で連絡できるが、直接伝えたかった。

 恋にプレゼントしたいものが、景色が、冒険が。そのすべてを。今日つかみ取ってきた全てを恋に話したかった。

 ぐっと、手を握って見つめる。そうだ、俺も恋も、まだ途上だ。それはこれから始まる冒険だけじゃなくて、人生が、すべてがまだ途上なんだ。だから、楽しいこと、楽しめることはいっぱいあるんだ。それを伝えよう。そして、一緒に冒険しようとそう話そう。VRも、現実も、一緒に冒険するんだ。

 意を決してインターフォンを鳴らした。意外なことに、インターフォン越しに恋が出てきた。

「はい?」

「あ、恋、俺! その、絶対伝えたいことがあって――!」

 これが、俺の冒険の本当の始まりなんだ。




END

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