第3-13話
反射的に振り向いたそこには、確かに女の姿があった。
日本人形のように切り揃えられた艶やかな黒髪。幼い顔立ちに見えたが容姿はとても整っていて、それこそ本当に人形のようだった。白い肌は雪のように、日本人離れした瞳は妖しさに満ちる紫色。白に映える唇は血濡れのように真っ赤だった。
芸者のように着崩した派手な着物からは豊満に過ぎる胸元が寄せられて、男女ともに目のやり場に困るだろう。すらりと細く伸びる足は、外だというのに裸足だった。
目元に化粧をしているのか、垂れた目尻は赤く染まり、彼女の妖艶さを引き出している。マリカと視線が合うなり、彼女はふっと目元を綻ばせた。
「どうしたん、助けてほしいのやろ? その子を」
にいっと笑んだ口元から、人にしてはあり得ないほど伸びた犬歯がちらついている。
人の皮を被った肉食獣のように見え、マリカは咄嗟に体を引いて短く悲鳴を上げた。
からかうように、ふざけて少女は頬を膨らませる。けれど紫水晶を思わせる透き通った瞳はこれっぽっちも笑ってなどいなかった。
値踏みするような冷めきった目。マリカは両手を広げリンドウを守るように少女と相対した。
(何なの、こいつ……!?)
心臓が早鐘を打つ。どくどくとした鼓動が外まで漏れて聞こえてしまいそうだった。
――いつからいた? 気配なんて、少しも感じなかったのに。
すぐ真後ろまで近づかれて気付かないなどありえないだろう。まして静まり返った公園だ。草を踏み締める音、息遣い、どれも意識してなくとも響くであろう当たり前の音。
それを一切気取られることなく近づいた少女は、何というべきか。突然現れたような、そんな気さえする。
にやにやと不気味に笑い、こちらを冷たく見下ろす少女にマリカは狼狽えたが、目元にあえて力を籠め、負けじと紫水晶の瞳を睨み返す。
「あんた誰!? 今はあんたなんかに構ってる暇ないの! 変に茶化さないで!!」
「茶化すって? いややな、言うたやん? 助けたろうかって」
はんなりとした口調で少女は小首を傾げる。あたかも自分の言ったことが本心であるように。
けれど、こんな得体の知れない相手をどう信じればいいのか。大切な半身を預けるに足りうるのか?
「信じられるわけないでしょ!! 早くどっか行ってっ!!」
拒絶を込めた強い言葉と共にマリカは立ち上がった。ぐるりと視線を回し、他の助けを探す。
こうしている間にも、リンドウの命が削られている。この出血でいつまで持つかマリカにはわからない。
はっはっとした浅い呼吸音がだんだんと小さく窄んでいく。気が気でなかった。早く助けを呼ばないとリンドウが死んでしまう。
けどこの場を離れて助けを呼ぶこともできない。この得体の知れない少女をリンドウの傍に残すなど選択肢にはなかった。
「お願いだから、早くどっかに――」
行って、と言おうとした口から変な空気が漏れる。言葉が形を成す前に無理矢理崩され、潰れた呼吸音と共にマリカは知らず宙を飛んでいた。
背を強かに打ち付け、濡れた大地に突っ伏しても尚、何が起こったのかわからず、マリカは潰れた呼吸を取り戻すべく大きく咽込んだ。
くらりと歪んだ視線の先に少女がいる。彼女は宙に浮いた足を今まさに地に下したところだった。
(蹴られた……? そんな、まさか……)
予備動作も全くなしにそんな芸当出来るものか。ましてや子供といえど人一人数メートル先まで吹っ飛ばせるのか、あんな華奢な少女が?
痛む体を起こしたマリカを、今度は少女が睨みつけた。
「しつこいなぁ、アンタも。ウチが用あんのはアンタではおまへんのに……」
呆れた様子でふうっと息をつく少女。さらりとした黒髪を揺らしながら、リンドウにちらりと視線を送る。
「彼、いいな。とてもいい。好みやわぁ。……うん、決めたわ。この子、ウチのもんにする」
唇より尚赤い舌がちろりと舌舐めずりをする。獲物を見つけた肉食獣そのものの仕草だった。
発せられた理解しがたい言葉にマリカは目を剥いた。
「何言ってんのあんた!? ふざけないでっ!!」
駆け寄ろうとしたマリカに少女はイラついたような視線を寄こす。端正な顔が虫を見るかのような残虐な表情を見せた。
「……しつこいって、言うてるやろ」
静かに怒りを告げて、右手を宙で軽やかに振るう。ただそれだけなのに、マリカの体はまたもや大きく吹き飛ばされた。
「……あ……」
今度は場所が悪かった。ブランコを囲う柵の部分に思い切り頭をぶつけてしまった。ぬるりとした血の感覚が目元まで流れてきて視界を赤く染める。
頭がぐらりと揺れ動く。意識が霞んで力が入らない。打ち所が悪かったのか、吹き飛ばされた体には少しも力が入らなかった。
血に投げ出されたマリカの視線の先で、少女の細い手がリンドウに伸ばされた。
やめて、触れないで。声に出ない思いが喉から苦し気に漏れる。
体格は似たようなものなのに、少女は軽々とリンドウを持ち上げた。横抱きにされたリンドウの両腕がぷらりと力なく揺れ動く。
(リンドウ、リンドウ……!!)
必死に伸ばした腕は伸びきった雑草を掻き分けるほどの力しか残されていない。
虫のように地面に這いつくばるマリカを見て、少女は嘲笑めいた声でにこやかに告げる。
「じゃあね、“お姉ちゃん” アンタも早うせんと、また死んでしまうよ?」
あはは、と嗤う声を残し、少女はリンドウを抱え公園の出口に向かう。その先には一台の黒塗りのベンツが止まっていた。
(あれ、は……)
先程すれ違った車。そしてその車の前には黒ずくめの何人かがこちらに銃を構えていた。
(あいつらが……、あいつらがリンドウを……)
少女も共犯なのだろう。真っすぐにその車に向かっている。
助ける、などほざいておいて、最初から仕組まれていたことなのだ。
悔しさに奥歯を噛み締め、マリカは熱い液体を頬に流した。それが涙なのか血なのか判別できそうにない。
「……おねえ、ちゃん……」
細く消え入りそうな声が意識を失う前のマリカに届いた。
瞼が閉じる最後の瞬間に、こちらに手を伸ばすリンドウの姿が。
その手からふと力が抜け、だらりと垂れて動かなくなったのを最後にマリカは気を失った。
あの花の名を知る術はなく 夢見弖ねむる @0517usamaru
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