想い出のサンフランシスコ

フカイ

掌編(読み切り)




 叔父が残した何枚かのレコードを、ハンナは彼の逝去にともなってすべて引き取った。

 蔵書はそれこそボストンの家が傾くほどの量があり、海を越えてこの街へそれを運ぶことはいささか非現実的だったのだが、幸いレコードのほうはそれほどのかさがなかったので、彼の形見分けの際に彼女が申し出で、引き取らせてもらった。





 日本生まれボストン育ちのハンナは、日本名を花子という。が、帰国子女としてこの国に来てもずっと、自らの呼称をボストン時代の名前で通した。

 「だって、花子なんてまるで他人のようにしか思えないんだもの」、と親しい友人に彼女は語った。

 ボストンには父と母、そして弟といった近親の家族とともに、母方の親戚がたくさんいた。その中でいちばん気があったのが、まるっきりの白人である叔父だ。白く薄い口ひげをはやし、多くのアメリカ人達のように強く自己を主張しない代わりに、と決めたことには一歩も譲らない頑固で奇妙な人物として、親戚の中では見なされていた。

 そんな叔父は最後まで独身を貫き、優雅な老後を送って静かに死んでいった。その気難しさと頑固さは、親族の中で何故か、ハンナにだけ引き継がれた。彼女が時折見せたしつこさや頑迷さは、彼女の母にため息をつかせた。

 そして親類の集まりがあるといつも、ハンナと叔父はふたりきりで、パーティーの脇でお茶を飲みながら、言葉少なに身の回りの事々を語り合った。





 叔父の亡くなった1998年当時、アメリカにおいてはまだ、レコードという文化はそれほどすたれきってはいなかったけれど、日本帰国したハンナは、その旧来の装置がほぼ駆逐されたさまに、心から驚いたものだ。

 しかし、叔父の上品なジャズ音楽をクリアに再生するため、ハンナは海の見える高台の自分の家に、きちんとしたレコードプレイヤーとフォノイコライザーが内蔵されたアンプリファイを買い求めた。


 叔父と同じように学究の徒となったハンナは、日本のこの地方の大学に研究者の職を得ていた。叔父の専攻は南米の古代史であったが、ハンナの興味は同じ古代史とはいえ、アジアに向かった。ハンナは現在、中国の漢詩を研究テーマとして活動している。


 ハーバードの研究者であった叔父のジャズ音楽に対する興味は、主にビバップ以降のモダンジャズと、ムード音楽に傾倒していたことが、そのささやかなコレクションから伺える。

 マイルズをはじめとした、クールジャズの代表的なレコードと、そしてウェス・モンゴメリのイージーリスニングのアルバムなどがその典型だ。

 ハンナは叔父の影響で読書と音楽を好み、音楽に関してはジャズとブリティッシュ・ロックを好んで聴いた。


 叔父のそのマイルドでジェントルなジャズ・コレクションの中でもハンナは、ジュリー・ロンドンのレコードがことのほか、気に入った。


 I LEFT MY HEART IN SAN FRANCISCO.


 この極東の国では、「想い出のサンフランシスコ」とか「霧のサンフランシスコ」というタイトルで呼ばれている、王道のスタンダード・ナンヴァーが、ハンナの心を捉える。

 おもに、トニー・ベネットの歌唱で知られるその楽曲だが、すこしハスキーなかすれたジュリー・ロンドンの声で歌われるそのヴァージョンには、聴くたびに不思議な説得力を感じる。


 パリ、ローマ、ニューヨークと旅した主人公が最後に帰る先として、“我が町”と呼ばれる、サンフランシスコが現れる。そこには置き去りにした恋人がおり、ケーブルカーや青い海が輝いている。

 ジュリー・ロンドンが歌うその歌は、世界をコンサート・ツアーでめぐった彼女自身のプロフィールのように聞こえてくる。パリの小粋さ、ローマの退廃、そしてマンハッタンの孤独もすべて、彼女自身の情感であったように思える。


 ハンナはそのとき、叔父のことを思う。再び。また再び。

 レコードの針がその盤面に降りる時、ハンナの想いはあの口数の少ないアメリカ人に通じてゆく。


 叔父はボストンで生まれ、ボストンで育ったアイルランド系移民の子だ。一族から受け継いだイギリスの文化や伝統を大切にし、だがこのアメリカの地にも馴染んで生きた。ジャズ音楽を愛したのも、彼が頑迷な旧大陸主義者なだけでなかったあかしだろう。彼はこの「I left my heart」をどんな風に聴いたろうか。彼にとっての帰るべき場所は、いったい何処だったろうか?


 おそらく、それはやはりあのボストンだろう。


 宗祖国イギリスの古い伝統を残しつつ、しかしモダンで洗練されたアメリカ文化も鷹揚おうように受け止めた街。レンガの壁のハーバードと、チャールズ川、ウォーターフロントの港湾地区。彼はその街で生まれ、その街を誇りに思っていたろう。


 今一度、ジュリー・ロンドンの声にハンナは耳を傾ける。

 深くソファーに座り、肩肘をついて。

 長い髪が片目にかかり、すこし風景がにじむ。まるで過去と現在が溶け合うように。


 自分自身にとって、帰るべき場所とはどこだろう?

 彼女は穏やかに自問する。

 幼年期から青春時代をすごしたボストンか。それとも青年期以降に定住したこの日本か。自分はここで結婚し、子どもを生み、離婚して子どもを育てている。

 ハンナは微笑する。

 おそらく、自分にとっての故郷とは、特定の場所なのではないのではないか。

 誰よりも親密な付き合いを持てた、あのユニークな叔父の存在。そして、いま彼女と暮らすもの静かな一人息子。

 どちらもが、自分の故郷である、と彼女は思う。

 自分がもっともリラックスして過ごすことのできる場所は、あの彼らと過ごす時間だ。自分はそこに心を置いてきたのだ。

 でもいい。

 それでいい。

 世界がどんなに変化してゆこうと、ハンナの心安らぐ場所はすこしも変化せず、ずっとそこにとどまり続ける。穏やかで、静かな山上の湖のように。湖面は静まり返って、鳥のさえずりだけが聞こえる場所。


 「ジュリー、」とハンナはそのレコードから流れる声に心の中で語りかける。「あなたのサンフランシスコも、きっとそうだったのね。誰かの胸の中が、きっと帰るべき場所なのね」


 窓の外では、カエデの樹が、美しく紅葉している。

 心地よい、秋の一日。

 ジュリー・ロンドンの古いレコードを聴きながら、ハンナはそんなことを考える。




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